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第四章
精霊の誓い
しおりを挟む金庫室から少し離れると皇城はとても静かな場所だ。フェナルスタと連れ立っているから当然周りの視線も会話も気にならない。
フェナルスタは時折文官らしい身なりの人達や貴族から熱い視線を向けられるが、会話を交わす事は殆どなかった。
会話をしたのは事務的な内容の時だけで、それですら無視する時もあった。
そして三人が庭園の目前にさしかかった頃。
フェナルスタはピタリと立ち止まり、二人は振り返った。
「朝日くん、私は少し用事があるので此処で失礼するよ」
「そっか。フェスタさん、忙しいのにごめんなさい。助けてくれて本当にありがとう」
「後日、お屋敷の方にお礼の品を送らせていただきます」
「まぁ、仕方がないか。有り難く頂戴するよ」
貴族相手に貸し借りは禁物だ。特に相手が上なら上である程に良くない。下の者はどんな無理難題を押し付けられようとも絶対に逆らう事は出来ないからだ。
ジョシュはそれが分かっていて侍従としての役割を果たそうとした発言だったが、フェナルスタの方はそんな気はなく、でも自身の立場上受け入れなければ冒険者である朝日は面倒なことになると身を引いた。
「ねぇ、ジョシュ。そのお礼の品って僕が選んでいいの?」
「えぇ…朝日様にご希望が御座いましたら」
「朝日くんが選んでくれるのかい?それは楽しみだ。待っているよ」
踵を返して来た道を戻っていくフェナルスタを見送る前に朝日はポシェットから魔法石を取り出して握りしめた。
庭園まで戻るとミュリアルとゾルは二人が庭園を出た時と変わらないままの姿でそこにいた。
朝日は二人に飛び込むような勢いで駆け寄り、そのまま膝をついてミュリアルの様子を伺う。
元々色素の薄いミュリアルは分かりにくいが、力を抜かれているからかグッタリとしていてより青白く見える。
その今にも消えて無くなってしまいそうなほどに儚げな姿に胸が鷲掴みされたかのように苦しくなった。
「あったのか」
「うん、どれか分からなかったから全部持って来たよ」
「これだ」
朝日がポシェットから取り出したのは占いでもするかのような丸い水晶。其々色が違っており、その中の緑色の何かが渦巻いている物に前足を置く。
「解呪でどうにかなりそう?」
「…何とも言えん。言えるのは私には無理だと言うことだけだ」
「壊す、ではいけないのですか?」
「これを今此処で壊してみろ。全員切り刻まれて死ぬだけだ」
朝日はこの緑色の何かが身体を切り刻む様子が目に浮かび、思わず身震いする。
ゾルはそれを見て当然の反応だと静かに頷く。朝日が想像した通りの結果が待っているのだから。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「強力な風属性の魔法使いが必要だ。それもこの中の魔力と同等の力を持つほど強力な、だ。まぁ、ミュリアルは精霊と人間のハーフだからな。それに匹敵する魔法使いの方が少ないだろう」
「ねぇ、それってセシルさんじゃダメなの?」
「セシル?どれのことだ」
「セシルさんは綺麗な人!」
「…全く、精霊相手にそんな説明でわかる訳がなかろうが」
首を傾げる朝日にすぐ後ろで控えていたジョシュが朝日に合わせて屈み耳打ちをする。
「精霊は外見ではなくオーラを見ているとされております。なので色で判断するのだと思います」
「オーラ…?セシルさんは多分、風属性の魔法使いなんだ」
「あの緑の奴か。ヤツじゃ魔力が足りん」
「いえ、猫様。セシル様は自身の魔力を抑えるのに非常に優れている方です。オーラだけで判断されるのは尚早かと」
うんうん、と頷く朝日にゾルははぁ、と大きなため息を吐く。
「分かった。今から言う事を其奴にやらせてみろ。それで駄目なら我が遠くの地でこの球を壊す。お前らはミュリアルをどうにかして此処から連れ出せ」
「ゾル!駄目よ。それだけは絶対にさせない」
「ミュリアル、お前に選択肢はない。そもそもその状態じゃあ何も出来ないだろがな」
大きく肩で息をしながらも必死にゾルに訴えるミュリアルにゾルは情け容赦なく切り捨てる。
ゾルは死をも厭わず彼女を救うたいのだろうが、それは彼女の望む事ではないのだ。
「ゾル、それは僕も怒るよ」
「お前が怒っても怖くも何とも…」
「ゾル、僕は本気だよ」
朝日の視線をゾルは毛を逆立てる。相手にもならないと思っていた相手からの思わぬ殺気にゾルは思わず威嚇してしまったのだ。
ゾルにしか朝日の顔は見えていないが、その後ろ姿からでもその殺気を含んだ表情がどんなものなのか、冷たい空気が二人にも伝わってくる。
「ミュリアルを助ける方法がそれしかないのなら我はそうする」
「ゾルはそれで良いのかもしれないけど残される者の気持ちを考えないといけない。自分のせいで誰かが死んでその後の人生を楽しく生きていけると思う?」
「我の分まで楽しめば良い」
「じゃあ、ゾルはゾルのためにミュリアルが死ぬと言っても認めるんだね」
「我はそれを絶対に許さない」
「矛盾してるよ」
冷たく言い放たれた言葉にゾルはゆっくりと腰を下ろして威嚇を抑える。
今話しているのは本当に朝日なのだろうか、と疑ってしまうほどにその目は輝きを失っている。久しぶりに恐ろしいと本気で思わされた。それも人間相手は初めてだった。
「じゃあどうすれば良いと言うのだ。我はミュリアルのいなくなった世界など生きている意味がない」
「ゾル。ミュリアルもそう思ってるんだよ」
「えぇ、ゾル。貴方がいない世界は想像も出来ないの」
やっとミュリアルの目を見たゾルは仕方がない奴だな、ととても優しい顔で呟いた。
「だが、朝日。お前も矛盾している。どちらの意見も尊重するなら確実にミュリアルを此処から連れ出さなければならない」
「うん。大丈夫」
「何が大丈夫なのだ」
「僕に任せて」
「話にならん」
「僕を信じられない?」
ゾルは朝日の顔を見る。
本気なのは伝わってくるが、心意気だけではどうにもならないことの方が多いのが世の中というものだ。どうするつもりなのか話さないのに信じろと言う方が無理があるはずなのに何故か信用せずにはいられないと思わさせられる。
朝日がこれだけ言うのなら、と。
それは一重に彼の素直な人柄のせいなのかもしれない。
だか、精霊がいう信じるという言葉と人がいう信じるの言葉の重みはまるで違う。
精霊の信じる、は自身が死んでも厭わない時だけ。ミュリアルとゾルの関係がそうだ。
だから朝日がいう信じるは、ゾルからすれば約束にもならないただの言葉。もし本気でゾルに信じてもらいたいのならゾルから命を預けても良いと思えるほどの信頼を得るか、本当に命を賭けなければならない。
プイ、と朝日から視線を外したゾルはいつもの定位置なのだろうか、ミュリアルが住んでいる建物以外の庭園に唯一置かれている人工物であるクッションの上に寝そべった。
「朝日、もう辞めましょう?私は元々此処で最後を迎える覚悟を決めていたのです」
「ミュリアル、僕を信じて?絶対に大丈夫だから」
「朝日、私は貴方を失うことも怖いのです」
「うん、僕も同じ気持ちだよ。だから必ず助ける」
「朝日…」
頑なに助けると言い続ける朝日に折れる気はないのだと理解したミュリアルは困った笑顔で朝日を抱きしめる。
「せめて、精霊の加護が貴方を助けてくれますように」
「ありがとう、ミュリアル」
ミュリアルは朝日の額に祈りを込めたキスを落としす。朝日は少し頬を赤らめてその大きなビー玉の瞳は美しいミュリアルの微笑みを写していた。
「猫様。私が誓いを立てます」
「…主人の尻拭いは侍従が、か?人間のやりそうな事だ。くだらない。だから人という生き物は嫌いだ」
「朝日様は必ず成し遂げると分かっているので」
「何を賭ける」
「命を」
「良いのだな。精霊との誓いは必ずだ。決して取り消す事は出来ない」
「勿論です」
いつでも塗り固めたような微笑みを浮かべているジョシュが無表情で頷くのを見てゾルは小さく笑った。
人間は本当に超が着くほどの馬鹿だ。
そこが人間の一番嫌いなところであり、面白いところであるのだとゾルは思った。
人間のいう信じる、という言葉の意味を理解したいとゾルが思えたのはこれが最初で最後の事だろう。
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