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第四章
秘密の花園
しおりを挟む「ねぇ、ゾル。もう危ない事はしないで?」
「しかし我が誰かを連れてこなければお前は一生此処に囚われたままなのだそ」
「もう良いの。貴方が危険に晒されるくらいならずっと此処で二人で大人しくしている方が…」
「駄目だ。我が必ずお前を此処から出してやる」
「ゾル!」
ぴょんぴょん、と美しい庭園の中をかけていく黒猫に伸ばした手が届く事はない。
小さくなっていく黒い影に彼女は手持ち無沙汰になった手を握りしめて彼の安全を祈った。
「時間がないな…」
彼女の元から離れたはいいものの心配の方が強い。決して身体の強くない彼女がこの見た目だけ美しいハリボテに閉じ込められてもう二年。
生活には何の不自由もなく見えるだろうが、故郷から無理矢理連れ出されて以来この囚われの城から一切外に出る事は叶わず、ただ無用な日々を過ごしている。
だから日に日に窶れていく彼女をただ見ていることしかできないのがとにかく歯痒くかった。
当然彼女を連れ出すためにこれまでも色々と手を尽くして来たが、ゾルの力には限界がある。
「ふむ、やはりあの子に頼むしかないか」
最近街に現れた不思議な雰囲気を放つ少年。
一目見てこの子しかないと頭の中で直感が囁いた。
それから少し彼を観察する事にした。
彼の行動は不思議で何のお金にもならない事も自分の利にならない事も何の躊躇もなくやって退ける。
困っている人を見捨てられない少々お節介なところもまた良い。お人好しは漬け込みやすいからだ。
「んなぁ~」
「あれ、猫ちゃん!」
しかし、あの常に控えている護衛が邪魔だ。
この少年は信用できるが彼らは危険だ。
人混み如きでは振り切れられない。彼らがそんなレベルの人間ではない事はひしひしと伝わってくる。
ただ有難い事にこの姿を何故か相当気に入っているらしい彼は、昨日散々あちらこちらへ連れ回したのにも関わらず、今もこうして何の疑いもなく後ろを追いかけてくる。
(昨日は失敗したが、今日こそは必ず成功させる)
幸い今日は城へ商人が来る日だ。
うまく利用すれば城へ連れて行けるかもしれない。
「あ、待って!猫ちゃん!」
「んなぁ~」
今にも出発しそうな馬車の荷台に乗り込んた黒猫を追いかける朝日を尻尾をフリフリと振りながら見る。
「猫ちゃん、勝手に乗り込んだら駄目だよ?」
「んなぁ」
「あ!どうしよう…」
朝日は黒猫を追いかけ、やっとの事で捕まえたと安心した途端、乗り込んで直ぐに馬車が走り出してしまった。
荷台の後ろの隠し布を捲り周りを確認するが、既に走り出してしまった馬車はとても早く此処から飛び降りる事は出来ない。
「猫ちゃんが乗り込んでしまったんだって事情を話して分かってもらうしかないよね?」
「んなぁ~」
いつもはこの身体だから色んなところから自由に城へ出入りしていた。馬車にはオーランド皇室の紋章が描かれていたので城へ向かっているのは確かだが、一体何処から入るのだろうか、と一緒になって外を見渡す。
(不味いな、この先には検問所がある事を忘れていた…)
未だに抱きしめ続けている朝日の顔を見上げてどうしたものか、と考えていると馬車が止まる。
「荷物を確認す…」
「見ろ…あれが、例の皇帝の囲ってる…」
「おい、口を慎めよ!」
「わりィ…」
「陛下に知られたら打ち首じゃ済まされぇぞ…」
「悪かったって」
盛大に頭を叩かれた男は頭をさすりながらもう1人の商人に謝る。
「ミュリアル様…どうして此方に?」
「すみません、私としたことが…此方には来た事がなくて迷ってしまいました…」
「花園から出る事は禁止されているはずです」
「ごめんなさい、蝶々を追っていたらいつの間にか…」
「蝶々を…ですか…。あー、お前達もう通っていいぞ。私はミュリアル様を花園まで送っていくから」
「はーい、まいど…」
未だに見惚れたままの商人達は上の空のようで生返事をする。ミュリアルと呼ばれた女性の姿は朝日からは見えなかったが、その透き通る声が耳に残って離れない。
「初めて見たが…噂通りの美しさだな…」
「あぁ…言葉にならねぇ…」
「蝶々を追ってる姿が目に浮かぶな…」
「子供以外にそんな事する人がいるんだな…」
走り出した馬車では2人が大きなため息が漏らしていた。
「んにゃ~ん」
「…あ、猫ちゃん…駄目だよ。こっちにおいで?」
腕からするりと抜け出てしまった黒猫に朝日は声を顰めながら呼びかける。荷台の隠し布が風でたなびいてくれたお陰で視界が開けゾルは辺りを見渡す。いつもはこの辺りの生垣の隙間から花園へ入る。
自分は簡単に飛び降りる事は出来るが、この子は難しいだろう。
(速度が落ちるのを待つしかないか)
「ツヤツヤだね」
「…」
こんなに優しく撫でてくれたのはミュリアルの他には朝日が初めてだった。黒猫は何故かあまり人間に好かれていないようで石を投げられることもしばしば。だから余計に朝日の反応が不思議だった。
「あ、止まったね。事情を…あ、猫ちゃん!」
今日は運がいい。偶々正門が開いていて馬車が止まったのはもう皇城の中だった。
ゾルはするりと抜け出て生垣の奥へ駆けていく。朝日もそれを追いかける。
「あれ、此処何処だろう?」
「な~ん」
「猫ちゃん、此処何処なの?」
猫相手に普通に話しかける朝日を誘き寄せるために度々鳴く。キョロキョロと辺りを見渡す朝日は此処が何処なのかも気づいていない。
「ゾルなの?」
「僕は朝日だよ?」
「朝日…?」
迷路のような生垣を越えた先には広く開けた花畑。その中心には花のように美しい女性が座り込んでいた。
「貴方は誰?」
「あ、あの…私はミュリアル…」
「ミュリアルは此処の人?僕迷っちゃったんだ」
「迷子…なのね。此方にいらっしゃい」
ミュリアルが手招きするので朝日は花を踏まないようにゆっくりと彼女に近づく。
「此処にお客さんが来るのはとっても珍しいの」
「凄く綺麗なところだね」
「えぇ、でも此処は私に苦痛しか与えてくれない」
「確かに此処は牢屋のように見えるかも」
「牢屋?」
「うん、高い生垣囲まれて周りの景色が全く見えないし、綺麗なお花以外何もない」
ミュリアルはフッ、と笑って近寄って来た朝日の手を取る。朝日は彼女に導かれるまま跪いて隣に座り込む。
「でも空気は美味しいね」
「言われてみればそうかもしれないわ」
此処には嫌な思い出しかない。だから、空気が美味しいとか、花が綺麗だとか、そんな事を思う暇も考える余裕もなかった。
でも今は彼にそう言われて初めて此処が空気が美味しくて綺麗な場所である事に初めて気がついて、身体の中にあった重たい物が抜けていくようなそんな気がした。
「私、此処がとても嫌いなの」
「その気持ち分かるよ」
「でも、もう少し頑張れる気がするわ」
ニッコリと微笑む彼女を朝日は少しボー、と見つめて彼女の手を優しく握る。
久しぶりに感じた人の温もりが自身に血が通っているのだと、生きているのだと、此処に存在しているのだと教えてくれる。
(彼はなんて心地よい人のでしょうか…)
ブワッと溢れ出てくる感情と涙を彼には見せたくない、とミュリアルは空へ視線を晒す。
少し強がっていた事を朝日には見破られてしまったのだとミュリアルは気恥ずかしさを感じつつも嬉しさの方が勝る。
「嫌なら逃げればいいんだよ。逃げるのは恥ずかしい事じゃないから」
「それは出来ないわ」
「どうして?」
彼女はゆっくりと首を振るだけでどうしてなのかは決して口にはしなかった。言えない事情があるのか、それとも分からないだけなのか。
朝日は繋いでいた手の力を少しだけ強めた。
「また此処に来たいなぁ」
「私も来て貰いたいけど…難しいと思うわ」
「そっか…」
「もう少し話していたけど、もう時間切れみたい。時期に騎士の見回りがあるわ。今すぐ此処から離れはないと貴方が捕まってしまうわ」
「でも、帰り道が分からないんだ」
「大丈夫。ゾルが教えてくれる」
「んなぁ~」
今まで何処に隠れていたのか黒猫が何処からともなく現れてミュリアルの伸ばした手に頭を擦り付ける。気持ちよさそうに細められた目は彼女に対する愛情と信頼が滲み出ていて朝日はそれをただ見ていた。
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