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第三章
帝国の反逆者
しおりを挟む「まず、初めに言っておきますが…史実書はオーランド帝国の人間が書いたものである、と言うこと」
「それは勿論存じ上げております」
「当然、帝国に不利な事は何も記されていない。…が、ここにある事は当然事実である。だから、我々貴族はこの史実書を用いて宣誓をする。それが『ノブリス・オブリージュ』高貴なる者の務めです」
『ノブリス・オブリージュ』高貴なる者の務め。
貴族たる者、如何なる時も国民の血税で贅沢をさせてもらっている事を忘れず、その地位にいる者として国民を守る為の行動を直ちに行え。
これには沢山の意味が込められている。
国や領を預かる指導者としての勉学は勿論だが、それが出来る環境を齎した国民への感謝を忘れず、立場ある者としての責任を持ち、気品ある行動を取ること。そして模範となる行動を取ることで国民を守ることに繋がるということ。
例え字が読めずとも老若男女問わず国民も『古の龍と三対の聖剣』について良く知っている。
貴族は国民達によってそれらをしっかりと学ばせて貰うのだから、当然遵守し、模範となることで国民ないし、この土地を守る責任を担うのだ。
「帝国に忖度した物語に矛盾点がある事は事実。それを踏まえてこの地図を見てください」
広げられた地図には細かく印や文字が刻まれており、彼がどれだけの熱を持って調べてきたのかが見て取れる。
「これは私が自身の情報網を使って長年かけて調べ上げた記録の全てを記したものです」
「流石、帝国の大元締め…と言えばいいのでしょうか。此処までする意味は?」
「帝国に不信感を持った、と今は言っておきましょうか」
「反皇帝派がいるのは知っております。皇帝の動きが近年おかしいのも事実。卿の見立てが妥当なのも理解できました」
帝国におかしな動きがあるのは黒騎士の調査で数年前から発覚していた。
急な軍事演習、紛争もないのに出征、軍事増強に、そのための資金集め。不透明な部分は数多い。戦争を目論んでいるのでは、と疑われても仕方がないほどにだ。
更に言えば、その頃から“紅紫の片喰”の動きも大きくなっている。帝国に反発するように。
「お二人は帝国についてはどれほどの情報を得ていますか?」
「…帝国はガチガチに塗り固めた史実書を元に帝国への義務を訴えています。それも既に食料供給や資源供給も必要ないのに、です。当然それによって背負うものも大きい。帝国が行なっている何事もその背負うものの大きさ故だと言われれば我々には口出す事は出来ない、と思われているのでしょう」
「帝国の行く末を案じる我々反皇帝派もこの近年の軍事にまつわる動きに懸念を抱いているのは同じです」
「この関係を維持するために帝国が払っているものは我々が支払っているものに比べると施しに近いものを感じます」
同意するように小さく頷くエライアスはゆっくりと片目を開けて強い視線を二人に向ける。
「…クリスタルフロッグの大侵攻時から帝国のとある部隊が帰ってきていないのはご存知ですか」
「…帰ってきていない?」
「はい、この地図のこの部分。これが半年前に帝国が秘密裏に送った偵察部隊の演習日程を基づいて予測した進路です。この偵察部隊…彼らからの完全に連絡が途絶えているのは確かです」
セシルはユリウスへ視線だけを送る。
セシルが知らなかったのだ、当然ユリウスもこの事は知らなかったようだ。
「彼らはこの王都に立ち寄っていました」
「…」
「私は彼ら偵察部隊はクリスタルフロッグの襲撃に遭い全滅したと考えております」
「…蛹海老はそこから出た可能性が…」
「メイリーン氏の調査結果の事ですね。私も蛹海老の出所はそれで確定と言っても良いと思っております」
「そちらもご存知でしたか」
「正式にメイリーン氏に頂いたわけではないですがね。クリスタルフロッグの体内にて調理済みの蛹海老が発見されたこと。そして、聖剣の丘にて呪具が発見されたこと。聖剣の現在の行方ぐらいなら」
ふと、腰の辺りに向けられた視線にユリウスは思わず手で押さえ込む。
それを見てエライアスはおかしそうに笑った。
確かに状況的に見ても筋が通る話だ。
寧ろそれ以外に考えられない。
ただ彼の情報網を少し舐めていたようだ。そしてそれだけ探られていたのに全く気付かなかったのだから、商人を敵に回してはいけないな、とセシルは乾いた笑みを浮かべる。
「ただ、クリスタルフロッグの大侵攻、疫病の蔓延、聖剣の紛失が偵察部隊の遠征とまたまた被ったとは考えにくい」
「その通りです、侯爵。私の見解としては帝国は部隊を使って何かを探していた。そしてもう一つの勢力がそれを潰そうとした」
「“紅紫の片喰”」
「あの組織はそんな名前だったのですね…。その対立を裏付けるように帝国では今、謎の失踪事件が増えていて、被害者は有力な貴族から商人まで幅広い。この状況…何か見覚えがありませんか?」
「朝日君の誘拐…ですね」
「そうです。そして被害者である彼らには共通点があります。それが“マナジウム”」
「“マナジウム”…?」
「あぁ、此方では魔法石、と呼ぶのでしたかね。先程見ていただいた地図のこの赤い印で囲われている部分。これは全て“マナジウム”の採掘地です。近年、帝国が信じられないほどのマナジウムを秘密裏に所持している。史実書を無視してまで、です。この規模のマナジウムを所持する理由。考えられるのは一つはマナジウムが有限な資源である事。もう一つは敵勢力への対抗策。これは『ノブリス・オブリージュ』を無視した行為と言えます」
「しかし、帝国が朝日を狙う理由とまでは言い難い」
「いいえ。そもそも朝日君が誘拐されたのは聖剣の所為だと思っているようですがそれは違う。聖剣はまた別のルートの話だと断言しましょう。彼が誘拐されたのは《ボールストーン》を持っているからです」
そしてセシルは思い出す。
朝日のポシェットを盗まれた理由が《ボールストーン》であった事、その直後から王宮の動きが活発になった事、魔法石が王に献上されるキッカケになった《ボールストーン》は朝日が出所である事。
どれも一つ一つを見ていれば大した問題ではないが、原因が《ボールストーン》だと分かれば、これらが全て一つに繋がる。
「何故今まで気付かなかった…」
「そして帝都にも魔物が出たと言う証言もある」
「朝日君を狙った者達と帝都を襲っている者達は同一人物だと…そう言う事ですね」
「伯爵、何か心当たりでも?」
セシルは伏せていた目を上げてエライアスをじっと見据える。言うべきか、言わざるべきか考えあぐねていたのだ。
「セシル、何も考えるな。朝日の為にならない」
「…“片喰”の正体ですが…王都に魔物が入り込めたのだとすると一番はじめに疑われるのは青騎士でしょう。ただ、これだけは否定します。更に彼の実力からして、彼の目を盗んでこれだけの事を成し遂げ、これ程大きな組織を指揮を取れるような人物は彼の部下達にはいない」
「私が彼を疑っていると?」
「いえ…そう言う事はしない、と断言出来るだけです。利用されている可能性は充分にあります」
「貴方のようにですか?」
クスクス、と小さく笑うエライアスにはセシルのトリニファーへの扱いについてもお見通しのよう。セシルは小さく咳払いをして話を続ける。
「トリニファーとその部下達はこの件から除外して下さい」
「成程、伯爵がそこまで言うのなら除外しましょう」
「ありがとうございます」
反皇帝派の彼が白騎士に接触した時点で彼はその犯人を白騎士ではないと断定しているようなもの。
更に彼が白騎士に情報を流す事で有益になるのは、白騎士達が犯人とは対極の位置にいる場合と逆に近い場合のみ。赤と黒は確証はないが、青だけは否定出来る。
トリニファーと言う男をよく知っているセシルだからこその判断だ。
「先程お話しした王宮での件を踏まえて王と姫も除外出来ます」
「…なるほど」
「“片喰” 側に付いている宰相は身柄を押さえておりますし、元“片喰”の下っ端を育てているので“片喰”内部の調査はそちらは任せて頂きたい」
「良いでしょう。ただ一つ。貴方から見て王は信用に値しますか?」
「そもそもこの対立軸はあり得ません。王と姫に関して言うなら王家の紋章があるので」
「あぁ…成程。古の龍の心臓ですね」
「あれがある限り、この国は何処からも干渉を受けない。だから帝国を気にする必要がない。それが一年前の大侵攻からフロンタニアが生き残った要因ですから確実と言えます。そして帝国が自国に不利益な事をする必要はない。…となると…」
「えぇ、同意見です。我々反皇帝派も怪しいですね」
「えぇ。後は滅びたウルザボード、帝国を拒否し続けているイングリード辺りでしょうか。ただ、貴方は別です」
「…何故でしょう?」
「我々に接触してきているからです」
「ふふふ、成程。ありがたい事ですね」
小さな静寂が訪れる。
しばらく紅茶を啜る、セシルとエライアスの目での会話を遮るようにユリウスはソファーを座り直した。
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