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第三章

優しい時間

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 庭に置かれた低めの椅子と机はこの日のために家具職人に特急で作らせた特注品。真っ白なクロスと茶器が木目と相まってよく映えている。そこに色鮮やかな花を飾ってやれば、なお良い。
 まだ日差しが強いこんな日はハイゼンベルク家の庭で一番大きな木の下の木陰が過ごしやすいだろう。此処で美味しい紅茶と甘いお菓子を用意しておけば、話しも弾むことだろう。
 カラッとしているとはいえど、気温は高い。暑いと外には居たくないと思うかもしれない。だから此処に心地よい風が通り抜けるように周りの木は邪魔だ。ここは全て芝に替えてしまえばいい。
 それから少しだけ彼が良いと言ってくれた香りを漂わせておこう。きっと気に入ってくれるはず。

「セシルさん!」

「朝日君、料理はどうでしたか?」

「はい!凄く楽しかったです!」

 朝日は嬉しそうにセシルに駆け寄る。
 コック服から動き易いように、と少し前の朝日らしい服を用意していた。
 走る度にヒラヒラとはためく服は空色の生地に銀の刺繍が施されていてとても良く似合っている。
 見立てた通りの出来栄えにセシルも思わず顔が綻んでしまう。
 いつもよりも少し崩れた表情のセシルだが、その立ち姿はいつも通り背筋が伸びていて姿勢正しく、優雅で美しい。今日は更にその背景も相まってより貴族然としていた。

 朝日に合わせて作った椅子はセシルには少し低い。だから、その長い足を横に流すように伸ばす。
 いつもは向かい合って座る二人が今日は横並びで、少し先に見える庭園を眺めながらクロムが入れた紅茶を嗜む。
 一緒に用意されていたお菓子をつまみながら、ゆっくりとした時間を過ごす。

「気持ちいですね…」

「それは良かった」

「セシルさんの匂いもするし」

「…私の匂い、ですか」

「森林の中にいるような爽やかな匂いです。凄く落ち着きます」

 朝日の発言に少し戸惑うセシルにクロムは自分でやったんだろうに、と内心で思いながら声には出さずに笑っていた。
 そんなクロムの考えを読んだのか、セシルはクロムに一瞥して後ろへ控えるように言う。
 しかしクロムは逆にセシルへ近付いて、耳元に顔を寄せるために腰を折るとこそり、と朝日に気づかれないように耳打ちする。

「セシル様、朝日くんはピクニックが初めてと申しておりました」

「ピクニックが初めて?」

 ふと、耳に寄せられた言葉にセシルは眉を顰める。こんなありふれた日常が彼には初めての経験なのか、と。
 そして、セシルは紅茶を片手にゆっくりと話し始める。彼が今日という日を楽しめるように、と信仰心はないくせに神へと祈る。
 そんな馬鹿なことをする自分を内心、滑稽に思いながら。

「朝日君、ピクニックでは最近の出来事や楽しかった思い出、昔の話をしながらお茶やお菓子などを楽しむのです」

「そうなんですね!僕、ピクニックは本で読んていたから少しだけ知ってたんです。でも、なんだか僕が知ってたのとちょっと違うので…どうしたら良いか分からなくて」

「朝日くんが知ってるピクニックはどんなものなんですか?」

「あのね、大きなシーツ?を引いて地面に座るの。それで、お菓子とかお茶もそうなんだけど、一番はお弁当!それをみんなで食べながらお話をしたり、お花を眺めたりするんだ!」

 セシルとクロムは顔を合わせて頷き合う。
 朝日が楽しそうに語るそれは彼らもよく知るピクニックそのもの。過ごしやすいように、いつもとは少し違った感じに、と配慮した結果、彼の望むそれとは少し違うものになってしまっていた。

 椅子や机が無駄になったとは思わない。
 彼が喜ぶことこそが彼らの目的なのだから。

「そのピクニックは私もよく知っているよ」

「えぇ、私もそのピクニックの方が好きですね」

「そう、なの?」

「今日のは少し特別なピクニックだったんです」

「特別…」

 少しずつ砕けていく話し方にセシルは少し気分が良く感じる。普段なら彼の逆鱗に触れるようなその行為も朝日の行いなら寧ろ嬉しい、と感じることにセシルはとても興味がそそられた。

ーーーパンパンッ

 と、クロムが手を叩くと何処から出て来たのか、クロムと同じ真っ黒な燕尾服に身を包んだ年若い男の子が現れる。
 一言二言何かを伝えると、彼は頷きまた姿を消す。そうして今度はパタパタと年若いメイドが駆け寄って来て、真っ白なシーツを芝生の上に広げる。

「初めてなら、基本のピクニックから始めよう。どうぞ、朝日君」

「…うん…セシルさんも座る?」

「えぇ、ピクニックですから」

 シーツの端の方にちょこんと座った朝日はセシルを見上げながら少し心配そうな顔で呟く。
 セシルは優しく微笑み、いつもなら絶対にしないが、シーツの上で大胆に足を投げ出す。
 その開放感がなんとも心地良く、真似をする朝日がとても可愛いくて愛おしい。

「お弁当、は朝日君が用意してくれたので問題ないですね」

「う、うん!でも、殆どラムラさんが…作ってくれたんだけど…」

「朝日君、これが“カラアゲ”ですね?」

「うん!ピクニックでも食べ易いようにパンで挟んでサンドウィッチにしてもらったんだ!」

「サンドウィッチ…?」

「これだったら手で食べれるでしょ?」

「確かにそうですね」

 手で食べる、普段なら絶対にそんな事をするはずも無い貴族のセシルには少しハードルの高いことのように感じる。それでもセシルの中で今日は何でも出来る、そんな気がしていた。

「…美味しい」

「うん!凄く美味しいね?クロムさんも一緒に食べよう?」

 クロムはニッコリ笑い、セシルを一瞥する。無表情で静かに頷いたセシルを確認したクロムはでは、少し失礼して…、と前置きをして朝日の隣に綺麗に座る。

「確かにこれは絶品ですね。食べたことのないとても不思議な感覚です。朝日くんが知っている料理は全部こんなに美味しいのでしょうか?」

「うん!…多分?」

「それは楽しみですね」

「セシルさん!おにぎりもどうぞ?」

 朝日が差し出してきた真っ白い塊。申し訳程度に胡麻が散りばめられていて何故か三角の形をしている。

「おにぎり?」

「えーと、何だっけ…?」

「トルカ、ですよ。朝日くん」

「とるかを炊いて、具をね?中に入れて握るの!僕がやったんだよ!」

 その説明を聞いても良く分からない正体不明の白い塊。普段決まったものしか食さないセシルには先程のカラアゲと言い、更に未知なる体験だった。

 美味しそうに頬張る朝日の食べ方を見習い、セシルも端の方を少し齧る。
 トルカの仄かな甘味と塩気、それから煎った香ばしい胡麻の香りが口の中で広がり、鼻まで通り抜ける。
 もう一口齧ると、今度はふわりと磯の香りが鼻の奥の方に確かな歯応えを感じる。

「魚?」

「うん!しゃけもツナもなかったからかっつぇーな?って言う白いお魚を焼いてほぐした身を具にしたんだ」

 セシルは眉を顰めて無言になる。
 その様子を見た朝日はクロムに視線を向けてどうしよう、と悲しそうな表情をする。
 クロムは大丈夫ですよ、とニッコリ笑い返してセシルを指さす。

「朝日君、ちょっと相談なんだけど」

 そしてセシルも少し言葉を崩す。
 彼との距離の詰め方が少しずつ分かってきた気がする。こっちが心を開いた分だけ、彼も同じく開いてくれる。そう思っていた。それも間違いではないが実際は少し違う。
 此方が心を開きやすいように朝日が接してくれていて、此方が心を開いたと同時に心を寄せてくれる。
 馴れ馴れしくもなく、でも他人行儀でもない。そんな程よい距離感を上手く保ち、相手が心を開くのをゆっくりと待ってくれる。それが朝日の優しく心地良い空気感なのだ。

「…?」

「これは、騎士団の遠征とかでも食べやすくて、栄養も取りやすい。それに食べ応えもあって慣れれば誰でも作れそう。画期的すぎて言葉にならないんだ」

「成程。確かにトルカなら遠征でも日持ちします。炊く技術さえ有れば…一人一人に自分の分のトルカを持参させ、現地で調達した食材と合わせて簡単に調理できそうですね」

 騎士団の内情、専門的な話しになり朝日は首を傾げる。

「これを騎士団で採用したいんだ」

「おにぎりを、騎士団で?」

「オニギリを騎士団の遠征で使いたいんだ」

 驚きからか朝日はその大きなビー玉の目を瞬いている。

「出来れば、騎士に指導して貰えるともっと嬉しいんだけど」

 何も言葉が出てこないのか全力で目を瞑り、コクコク、と頷く朝日にセシルは可笑しそうにありがとう、と笑った。







 


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