52 / 157
第三章
優しい時間
しおりを挟む庭に置かれた低めの椅子と机はこの日のために家具職人に特急で作らせた特注品。真っ白なクロスと茶器が木目と相まってよく映えている。そこに色鮮やかな花を飾ってやれば、なお良い。
まだ日差しが強いこんな日はハイゼンベルク家の庭で一番大きな木の下の木陰が過ごしやすいだろう。此処で美味しい紅茶と甘いお菓子を用意しておけば、話しも弾むことだろう。
カラッとしているとはいえど、気温は高い。暑いと外には居たくないと思うかもしれない。だから此処に心地よい風が通り抜けるように周りの木は邪魔だ。ここは全て芝に替えてしまえばいい。
それから少しだけ彼が良いと言ってくれた香りを漂わせておこう。きっと気に入ってくれるはず。
「セシルさん!」
「朝日君、料理はどうでしたか?」
「はい!凄く楽しかったです!」
朝日は嬉しそうにセシルに駆け寄る。
コック服から動き易いように、と少し前の朝日らしい服を用意していた。
走る度にヒラヒラとはためく服は空色の生地に銀の刺繍が施されていてとても良く似合っている。
見立てた通りの出来栄えにセシルも思わず顔が綻んでしまう。
いつもよりも少し崩れた表情のセシルだが、その立ち姿はいつも通り背筋が伸びていて姿勢正しく、優雅で美しい。今日は更にその背景も相まってより貴族然としていた。
朝日に合わせて作った椅子はセシルには少し低い。だから、その長い足を横に流すように伸ばす。
いつもは向かい合って座る二人が今日は横並びで、少し先に見える庭園を眺めながらクロムが入れた紅茶を嗜む。
一緒に用意されていたお菓子をつまみながら、ゆっくりとした時間を過ごす。
「気持ちいですね…」
「それは良かった」
「セシルさんの匂いもするし」
「…私の匂い、ですか」
「森林の中にいるような爽やかな匂いです。凄く落ち着きます」
朝日の発言に少し戸惑うセシルにクロムは自分でやったんだろうに、と内心で思いながら声には出さずに笑っていた。
そんなクロムの考えを読んだのか、セシルはクロムに一瞥して後ろへ控えるように言う。
しかしクロムは逆にセシルへ近付いて、耳元に顔を寄せるために腰を折るとこそり、と朝日に気づかれないように耳打ちする。
「セシル様、朝日くんはピクニックが初めてと申しておりました」
「ピクニックが初めて?」
ふと、耳に寄せられた言葉にセシルは眉を顰める。こんなありふれた日常が彼には初めての経験なのか、と。
そして、セシルは紅茶を片手にゆっくりと話し始める。彼が今日という日を楽しめるように、と信仰心はないくせに神へと祈る。
そんな馬鹿なことをする自分を内心、滑稽に思いながら。
「朝日君、ピクニックでは最近の出来事や楽しかった思い出、昔の話をしながらお茶やお菓子などを楽しむのです」
「そうなんですね!僕、ピクニックは本で読んていたから少しだけ知ってたんです。でも、なんだか僕が知ってたのとちょっと違うので…どうしたら良いか分からなくて」
「朝日くんが知ってるピクニックはどんなものなんですか?」
「あのね、大きなシーツ?を引いて地面に座るの。それで、お菓子とかお茶もそうなんだけど、一番はお弁当!それをみんなで食べながらお話をしたり、お花を眺めたりするんだ!」
セシルとクロムは顔を合わせて頷き合う。
朝日が楽しそうに語るそれは彼らもよく知るピクニックそのもの。過ごしやすいように、いつもとは少し違った感じに、と配慮した結果、彼の望むそれとは少し違うものになってしまっていた。
椅子や机が無駄になったとは思わない。
彼が喜ぶことこそが彼らの目的なのだから。
「そのピクニックは私もよく知っているよ」
「えぇ、私もそのピクニックの方が好きですね」
「そう、なの?」
「今日のは少し特別なピクニックだったんです」
「特別…」
少しずつ砕けていく話し方にセシルは少し気分が良く感じる。普段なら彼の逆鱗に触れるようなその行為も朝日の行いなら寧ろ嬉しい、と感じることにセシルはとても興味がそそられた。
ーーーパンパンッ
と、クロムが手を叩くと何処から出て来たのか、クロムと同じ真っ黒な燕尾服に身を包んだ年若い男の子が現れる。
一言二言何かを伝えると、彼は頷きまた姿を消す。そうして今度はパタパタと年若いメイドが駆け寄って来て、真っ白なシーツを芝生の上に広げる。
「初めてなら、基本のピクニックから始めよう。どうぞ、朝日君」
「…うん…セシルさんも座る?」
「えぇ、ピクニックですから」
シーツの端の方にちょこんと座った朝日はセシルを見上げながら少し心配そうな顔で呟く。
セシルは優しく微笑み、いつもなら絶対にしないが、シーツの上で大胆に足を投げ出す。
その開放感がなんとも心地良く、真似をする朝日がとても可愛いくて愛おしい。
「お弁当、は朝日君が用意してくれたので問題ないですね」
「う、うん!でも、殆どラムラさんが…作ってくれたんだけど…」
「朝日君、これが“カラアゲ”ですね?」
「うん!ピクニックでも食べ易いようにパンで挟んでサンドウィッチにしてもらったんだ!」
「サンドウィッチ…?」
「これだったら手で食べれるでしょ?」
「確かにそうですね」
手で食べる、普段なら絶対にそんな事をするはずも無い貴族のセシルには少しハードルの高いことのように感じる。それでもセシルの中で今日は何でも出来る、そんな気がしていた。
「…美味しい」
「うん!凄く美味しいね?クロムさんも一緒に食べよう?」
クロムはニッコリ笑い、セシルを一瞥する。無表情で静かに頷いたセシルを確認したクロムはでは、少し失礼して…、と前置きをして朝日の隣に綺麗に座る。
「確かにこれは絶品ですね。食べたことのないとても不思議な感覚です。朝日くんが知っている料理は全部こんなに美味しいのでしょうか?」
「うん!…多分?」
「それは楽しみですね」
「セシルさん!おにぎりもどうぞ?」
朝日が差し出してきた真っ白い塊。申し訳程度に胡麻が散りばめられていて何故か三角の形をしている。
「おにぎり?」
「えーと、何だっけ…?」
「トルカ、ですよ。朝日くん」
「とるかを炊いて、具をね?中に入れて握るの!僕がやったんだよ!」
その説明を聞いても良く分からない正体不明の白い塊。普段決まったものしか食さないセシルには先程のカラアゲと言い、更に未知なる体験だった。
美味しそうに頬張る朝日の食べ方を見習い、セシルも端の方を少し齧る。
トルカの仄かな甘味と塩気、それから煎った香ばしい胡麻の香りが口の中で広がり、鼻まで通り抜ける。
もう一口齧ると、今度はふわりと磯の香りが鼻の奥の方に確かな歯応えを感じる。
「魚?」
「うん!しゃけもツナもなかったからかっつぇーな?って言う白いお魚を焼いてほぐした身を具にしたんだ」
セシルは眉を顰めて無言になる。
その様子を見た朝日はクロムに視線を向けてどうしよう、と悲しそうな表情をする。
クロムは大丈夫ですよ、とニッコリ笑い返してセシルを指さす。
「朝日君、ちょっと相談なんだけど」
そしてセシルも少し言葉を崩す。
彼との距離の詰め方が少しずつ分かってきた気がする。こっちが心を開いた分だけ、彼も同じく開いてくれる。そう思っていた。それも間違いではないが実際は少し違う。
此方が心を開きやすいように朝日が接してくれていて、此方が心を開いたと同時に心を寄せてくれる。
馴れ馴れしくもなく、でも他人行儀でもない。そんな程よい距離感を上手く保ち、相手が心を開くのをゆっくりと待ってくれる。それが朝日の優しく心地良い空気感なのだ。
「…?」
「これは、騎士団の遠征とかでも食べやすくて、栄養も取りやすい。それに食べ応えもあって慣れれば誰でも作れそう。画期的すぎて言葉にならないんだ」
「成程。確かにトルカなら遠征でも日持ちします。炊く技術さえ有れば…一人一人に自分の分のトルカを持参させ、現地で調達した食材と合わせて簡単に調理できそうですね」
騎士団の内情、専門的な話しになり朝日は首を傾げる。
「これを騎士団で採用したいんだ」
「おにぎりを、騎士団で?」
「オニギリを騎士団の遠征で使いたいんだ」
驚きからか朝日はその大きなビー玉の目を瞬いている。
「出来れば、騎士に指導して貰えるともっと嬉しいんだけど」
何も言葉が出てこないのか全力で目を瞑り、コクコク、と頷く朝日にセシルは可笑しそうにありがとう、と笑った。
0
お気に入りに追加
212
あなたにおすすめの小説
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

おっさんなのに異世界召喚されたらしいので適当に生きてみることにした
高鉢 健太
ファンタジー
ふと気づけば見知らぬ石造りの建物の中に居た。どうやら召喚によって異世界転移させられたらしかった。
ラノベでよくある展開に、俺は呆れたね。
もし、あと20年早ければ喜んだかもしれん。だが、アラフォーだぞ?こんなおっさんを召喚させて何をやらせる気だ。
とは思ったが、召喚した連中は俺に生贄の美少女を差し出してくれるらしいじゃないか、その役得を存分に味わいながら異世界の冒険を楽しんでやろう!

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
[完結]異世界転生したら幼女になったが 速攻で村を追い出された件について ~そしていずれ最強になる幼女~
k33
ファンタジー
初めての小説です..!
ある日 主人公 マサヤがトラックに引かれ幼女で異世界転生するのだが その先には 転生者は嫌われていると知る そして別の転生者と出会い この世界はゲームの世界と知る そして、そこから 魔法専門学校に入り Aまで目指すが 果たして上がれるのか!? そして 魔王城には立ち寄った者は一人もいないと別の転生者は言うが 果たして マサヤは 魔王城に入り 魔王を倒し無事に日本に帰れるのか!?
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
うっかり女神さまからもらった『レベル9999』は使い切れないので、『譲渡』スキルで仲間を強化して最強パーティーを作ることにしました
akairo
ファンタジー
「ごめんなさい!貴方が死んだのは私のクシャミのせいなんです!」
帰宅途中に工事現場の足台が直撃して死んだ、早良 悠月(さわら ゆずき)が目覚めた目の前には女神さまが土下座待機をして待っていた。
謝る女神さまの手によって『ユズキ』として転生することになったが、その直後またもや女神さまの手違いによって、『レベル9999』と職業『譲渡士』という謎の職業を付与されてしまう。
しかし、女神さまの世界の最大レベルは99。
勇者や魔王よりも強いレベルのまま転生することになったユズキの、使い切ることもできないレベルの使い道は仲間に譲渡することだった──!?
転生先で出会ったエルフと魔族の少女。スローライフを掲げるユズキだったが、二人と共に世界を回ることで国を巻き込む争いへと巻き込まれていく。
※9月16日
タイトル変更致しました。
前タイトルは『レベル9999は転生した世界で使い切れないので、仲間にあげることにしました』になります。
仲間を強くして無双していく話です。
『小説家になろう』様でも公開しています。
本当の仲間ではないと勇者パーティから追放されたので、銀髪ケモミミ美少女と異世界でスローライフします。
なつめ猫
ファンタジー
田中一馬は、40歳のIT会社の社員として働いていた。
しかし、異世界ガルドランドに魔王を倒す勇者として召喚されてしまい容姿が17歳まで若返ってしまう。
探しにきた兵士に連れられ王城で、同郷の人間とパーティを組むことになる。
だが【勇者】の称号を持っていなかった一馬は、お荷物扱いにされてしまう。
――ただアイテムボックスのスキルを持っていた事もあり勇者パーティの荷物持ちでパーティに参加することになるが……。
Sランク冒険者となった事で、田中一馬は仲間に殺されかける。
Sランク冒険者に与えられるアイテムボックスの袋。
それを手に入れるまで田中一馬は利用されていたのだった。
失意の内に意識を失った一馬の脳裏に
――チュートリアルが完了しました。
と、いうシステムメッセージが流れる。
それは、田中一馬が40歳まで独身のまま人生の半分を注ぎこんで鍛え上げたアルドガルド・オンラインの最強セーブデータを手に入れた瞬間であった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる