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第二章

正体

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 使用人用の簡素な部屋。
 木製の机と椅子、クローゼットとベッドがそれぞれひとつづつ。ベッドサイドの床には小さなカーペットがあり、その上には黒い靴が揃って置いてある。
 簡素な部屋だが、やはり伯爵家の一室だけあってそのどれもがそれなりに良い品だ。
 そしてそのどれもが使われた形跡がないくらいに綺麗で彼女があまり部屋にいなかったのだと容易に想像出来た。
 日当たりの良い部屋だが、寝息すら聞こえてこない程に深い眠りにつく女性とその手を握りしめて離さない同じ顔の女性。
 普段表情を崩さない彼女がこんなにも苦痛に満ちた表情を彼らに見せるほどに切迫詰まっている、という事なのだろう。

「ユナ、シナが寝続けている原因が分かりました」

「…お師匠、本当?」

「えぇ、如何やらシナは魔物による幻術にかかっているようです。彼が解いてくれるそうです」

「英雄、ごめんなさい。ご期待に添えなくて」

「…仕方がない、と言いたい所だがな。ミスはミスだ。後で償ってもらおうか」

「勿論よ」

 ゼノは魔力を手に集中させて寝入っている彼女の額に掌を寄せる。
 パチッ、と直ぐに目を開けた彼女はゼノの手を払い除けると、すぐに戦闘態勢を取る。視線はゼノに向けたまま手をかけていた太腿辺りを探り、何もないことが分かると手刀の構えに切り替える。

「元気そうで何よりだ」

「…あら、英雄じゃないの。どうしたの?」

「その呼び方やめて欲しいんだがな…」

「シナ、その前に可愛いパンツが丸見えよ。隠しなさい」

「あら、サービスだったのに」

 ゼノの訴えを完全に無視して、顔色を変える事もなくその場に正座したシナはそのまま額をベッドにつけるようにして頭を下げる。

「英雄、申し訳ないわ。言い訳はしない。守りきれなかったのは私の力不足よ」

「その話は後だ。何か覚えていることはないか」

「案外冷静なのね」

 ゼノは近くにあった椅子を引き寄せて座る。
 実際はかなり焦っていて今すぐにでも探しに行きたい気持ちでいっぱいだ。でもそれが失策なのも分かっていて、冷静かのように取り繕っているだけだ。
 それに彼女らが護衛に関してエキスパートであることは認めている。だから自身の方が魔物の知識があって他に何か出来ることがあったとしても、同じく護りきれなかったかも知れない。
 これはネガティブな考えではなく、冷静に考えるとそう思ったのだ。

「朝日が連れ去られたとしたら、予想できることは二つ」

「英雄殿、参考までにお伺いしても?」

「…朝日は聖剣を持っているんだ」

「聖剣を持っていらっしゃるとは…」

「色々あってな、その説明はまた後日だ。今はその説明をしている時間が惜しい。もう一つは彼の能力について嗅ぎ回っていた奴がいる」

「成程。原因が分かっているから落ち着いていらっしゃったんですね」

 それもあるのだが、ゼノは朝日が待っている気がしていた。これはただの感に過ぎないが、ゼノは何故か確信出来たのだ。

「で?覚えてることは?」

「実は気を失う直前に聞こえたのよ。三日後に待ち合わせしている、ってね。あれから何日たったのかしら」

「2日だ。…あまり時間がないな」

「今、朝日くんが失踪した周辺を部下に探らせてます」

「他に何か分かっていることは?」

「お待たせしました、殿下」

「セシル、ユリウスもいたか」

 ラースは壁にもたれたまま成り行きを静かに見守っていたが、少し息を切らして入ってきたセシルとユリウスを見て表情を変える。

「朝日のフルネームは?」

「朝日、陽野です」

「この失態の責任はどう取る」

「…先日頂いたお話、お受けします」

「分かった」

 そう言うとラースは革製のマジックバッグから綺麗な紙と羽ペンを取り出してスラスラと何か書き出す。書き終えると二つ折りにした紙を中指と人差し指で挟み、魔力を流す。

「アサヒ・ヨウノへ」

 二つ折りの紙が光を放ちながら一人でにパタパタと折り重なって行き、鳥に姿に変える。しかし鳥はそのままその場に留まり、一向に動き出さない。
 次第に光を失い、地面にくしゃくしゃになってコトリ、と落ちる。

「違うようだな」

「いえ、彼は確かにそう名乗ったのですが…」

「お前は彼に名乗る時、《マナ》まで伝えたか?」

ーーー《マナ》
 魔法を使う時に使う、己の真の名前ーー真名。
 この世界に生きる人なら大小はあるが、皆魔法が使える。魔力量が少なくても生活魔法程度なら誰でも普通に扱うことが出来、魔力量が多い者は更に攻撃魔法や治癒魔法、と言った魔法を使うことが出来る。
 そして《マナ》は人それぞれ微妙に色や形、性質が違い、魔法を使う上で個人を識別するのにも使われる。
 更に《マナ》はとても大切な役割がある。魔力は先に話した通り、《マナ》は人それぞれ違う特色を持っている。なので、《マナ》を知ることでその人を助ける事も出来るが、同時に縛る事も出来るのだ。
 だから《マナ》は簡単には教えない。それは例え家族だったとしても、だ。

「確かに、マナまでは…」

「ラース。もう一度やってくれるか。陽野朝日、と言う名前で」

「…何故だ」

「以前、彼に少しだけ聞かれたことがあるんだ。セシルの苗字はハイゼンベルク、だよね?ってな」

「成程」

 朝日がその名前に違和感を感じた、という事はアサヒの中では名前と苗字が逆、と言う可能性もある。そう、ゼノは考えたのだ。

 ラースは再び革製のマジックバッグから綺麗な紙と羽ペンを取り出してスラスラと書き殴る。書き終えると二つ折りにした紙を中指と人差し指で挟み、魔力を流し、名を呼ぶ。

「…ヨウノ・アサヒへ」

 今度はその鳥はラースが開けた窓からスッと出て行く。

「追います」

「あぁ、頼む。ユリウスぐらいじゃなきゃアレには追いつけないだろうな」

「御意に」

 ユリウスは紙で出来た鳥が出て行った窓の淵にカタン、と小さな音を立てながら言う。
 そのまま窓の外へ飛び降りて行ったユリウスは直ぐに気配を消す。

「成功していれば次期に彼の居場所は分かるだろう」

「ご協力感謝します、殿下」

「お前はもう一つの件をどうにかしろ」

「…この件が片付き次第、直ぐに」

「分かった」

 ラースはいつも良いところで現れ、助けを出してくれる。ポシェットの時も犯人を見つけ出したのはラースだった。今回もラースがいなかったら此処まで来れたかどうかも正直怪しい。
 今までのそれは偶然ではなく、このもう一つ顔のお陰だったのだろう。
 彼らに指示を出す姿は紛れもなく殿下と呼ばれるに相応しく、彼の本当の姿を知ったゼノは今後の扱いを少し考えてしまう。

「お前も来るのだろ?」

「…あぁ」

「フッ。では、準備しておけ」

 少し変わった口調もそれらしく、ゼノは返事を少し躊躇しているとラースは見た事もない顔で小さく笑った。

 ゼノの記憶では殿下、と呼ばれる人は二人。
 帝国へ国政などを学ぶ為に留学中の王子オーランズ・フィン・フロンタニアとまだ齢5歳の幼い王子スタナージャ・フィン・フロンタニアの二人。
 他に王子がいる、と言う話は聞いたことがないし、年齢的にどちらも当てはまらない。
 ゼノが考え事をしているのを察してか、ラースは近くの机に腰を下ろし、長い足を投げ出す。

「後悔したか」

「…いいや」

「俺は元王の弟、ラージニアス・フィン・フロンタニアだ。爵位は公爵。王の命令を聞くのが嫌でな、勝手に冒険者などやりながら、こうしてたまに裏の仕事をしている」

「だから、此処と繋がりがあるのか」

「まぁな。朝日の事もコイツらから聞いていた。あの子は良い子だ。極力、人と関わらないようにああして距離を取っていたのだがな。あの子を見ていると仮面が剥がされかねなくて困る」

 本当に困った、と眉尻を下げて訴えてくるラースのキャラの代わりようにゼノははぁ、と大きくため息を吐く。
 彼の正体を知ってしまったからにはそれなりに何か口止めなどがあるか、と思っていたのだが、ラースはそれをする気はない。
 どうも信用されているらしい。

「言うかも知れねぇだろうが」

「いや、お前は言わねぇよ。言ったら困るのは朝日だからな」

 ゼノはそしてもう一度大きなため息を吐いた。







 

 


 

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