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第二章
思い出の音色
しおりを挟む軋む扉に軋む床。
「お邪魔します…」
少し埃っぽい店内は相変わらず薄暗い。棚や机に並べられた商品を眺めていると、暗がりから優しい声がかけられる。コツコツ、と杖を鳴らしながらゆっくりと出てきたララットは神妙な面持ちで期待と葛藤を内に秘めているのだと朝日は思った。
「朝日君、おかえりなさい。どうだったかな?」
「ごめんなさい。まだベルちゃんは見つかってないんだ」
「そうかい。やはり難しそうかい?」
「うん、難しいみたい。素晴らしい音楽が聞こえてきたらいいのかと思ったんだけど」
「音楽?」
ララットは曲がっているはずの腰を少しだけ起こして朝日と目を合わせる。その目は少し潤んでいて、何かを懐かしむような優しい表情だった。
「私の妻はね、元々大きな楽団に所属していてね。フルートという美しい銀色の楽器を吹いていたんだよ。だから私も少し音楽には詳しくてね」
「フルート…」
「彼女はフルートをとても大事にしていてね。いつも美しみを持ってそのフルートを見つめていたよ。丁度そこの窓辺に座っていつも楽しそうに吹いていた。ベルも良く妻に寄り添って聴いていたね…」
「そのフルートって…」
「あぁ、ちょっと待ってなさい。裏にしまってあるよ」
「うん」
コツコツ、と再び杖を突きながら裏へ向かうララットの小さな背中を見送りながら朝日はコクリと小さく頷く。
多分、そのフルートがベルの一番好きな音。そしてそのフルートが奏でる曲を聴いたら多分再び現れてくれる、そう何となく感じた。
でも、同時に残酷な話をすることになる。
そのフルートの奏者はもうこの世にいない。他に吹ける人を連れて来ても、もしかしたらベルは戻って来ないかも知れない。もしベルが来てくれたとしてもフルートの音色が聞けなくなるとまた居なくなってしまうかもしれない。
ララットがベルにどんなに愛情を注いでも、魔物の習性だからそれは変わらない。
朝日は大きく息を吸い込み、呼吸を整える。これから言いたくない事を彼に突きつけなければならない。
「これが、彼女の…ヨルダのフルートだよ」
「ララット、さん」
「…そうか、やっぱりベルは戻ってこないんだね」
「…」
朝日の苦痛に満ちた表情を見てララットは視線を持ってきたフルートに落として優しく撫でる。金属の冷たさをその撫でた手から感じて、悲しげに言う。
ララットは何となく分かっていたのかもしれない。ベルとは5年も一緒にいたんだ。何が好きで何が嫌いか。相手が例え魔物だとしても、卵から返し、育て、時を共にして、心を通わせていたのならば、分かってくるのだろう。
でも、フルートは妻ヨルダの大切な形見だ。手放すなんて考えてもいない。誰かに吹かせることも考えていない。
戻ってこない、その言葉に想いが現れていた。
「もし、方法があるって言ったらララットさんはどうする?」
「これはヨルダの形見。誰にも…」
「うん、だからヨルダさんの代わりにララットさんが吹くんだ」
「私は、楽器なんか…」
「うん。でも、ララットさんはいつも聴いてたんだよね?ララットさんにしか再現できないんじゃないかなぁ。ヨルダさんのフルートを」
「…ヨルダのフルートを、私が…」
「これから練習を沢山しなくちゃいけない。でも、ヨルダさんの音色を一番よく聴いてたのはララットさんとベルちゃんだけだよ。他の誰かじゃなくて、ララットなら」
老い先短い、と漏らしていたララットには少し辛いことかもしれない。ララットは持っていたフルートを力強く握りしめる。
今、妻ヨルダを思い出して苦しくなっているのだろう。でも、同時に楽しい思い出も蘇ってきて、家族三人、仲慎ましく暮らしていたこの薄暗い店内を見渡す。
「あの窓辺で彼女はいつも楽しそうに…。手入れも欠かしたことはなかったよ。本当はずっと吹いていたかったんだろうなぁ。床に伏せてからも手入れだけは…」
「これからはララットさんがやるんだ。だってヨルダさんの一番大切にしていた物なんだから」
「…やってみるよ。難しいだろうけどねぇ」
「うん!僕、フルートの先生を探してみる!知り合いに詳しくて、親切な人がいるんだ!」
「…ヨルダは良く言っていたよ。私に何か楽器をやるようにね。あの時何でも良いからヨルダに習っておけば良かったなぁ」
「まだ遅くないよ!ヨルダさんも喜んでくれてるね」
優しい笑顔を向けてくれたララットは少し真剣な表情に変えて朝日に紙を差し出す。
紙は朝日が持ってきた依頼書で、もう既に依頼達成のサインが書かれていた。
「でも、僕まだ…」
「これはヨルダが残した試練なのかもしれないねぇ。こんな歳になって新しい事を始めるとは思わなかったよ。でもね、楽しみなんだ。大変だろうけど、君が背中を押してくれたお陰だよ。だからこれは良いんだよ」
「ベルちゃんが帰ってくるように僕も協力を…」
ゆっくりと首を横に振るララットに朝日は言葉尻をゆっくりと切る。なんとなくだが、ララットが何が言いたいのか朝日には分かった。
「これはヨルダからの私への試練、そう思いたいんだよ。私がベルを呼び戻せたらまた此処へ来てくれるかい?君には是非、ベルの美しい姿を見て貰いたい」
「うん、来るよ。必ず」
「ありがとうね、朝日君」
目元を緩めたララットはそう言うと、暗い部屋の奥へと戻って行った。依頼は達成できなかったけど、なんだか清々しい気持ちになった。
徐ろにフルートを口元へ運び、多分ヨルダはどうやっていたか、どんなメロディだったか、そんな事を思い出しながら。上手くならないフルートに一生懸命息を吹き入れる。
ひょろひょろと変な音を出しながら一生懸命に。
大切な何かの為に頑張れるのは人間の良いところだ。もし結果が伴わなかったとしても努力は無駄じゃない。奥さんのために頑張るというララットはきっとこの先、楽しい思い出を思い出してはまた悲しむのだろう。でも、それはきっと幸せなことなんだ。
再び軋む扉を開けて赤く染まった空の下を朝日はゆっくり幸せな気持ちで歩く。町外れの静かな道を赤く染めている夕陽は朝日と同じくゆっくりと進んでいく。
行き交う人は少ない。
話し声や足音は穏やかで心地よく、心が洗われるような穏やかさに満たされる。
「キミが朝日君?」
「…?うん、そうだよ」
「あー、良かった!俺はサンダース。薬屋のおじいさんがギルドに頼まれていた納品商品の配達を君に頼みたいってゆっくり歩いてたから俺が呼びにきたんだ。まだ近くにいてくれて助かったよ」
「わざわざありがとうございます」
突然話しかけてきた男は和やかに朝日の肩を抱いて片道をゆっくりと一緒に歩き出す。
肉体はラースほどではないが屈強で、朝日2人くらいなら余裕で隠れてしまうほどに大きい。
穏やかな表情とは裏腹に痛々しい目立つ傷が腕に無数にあり、浅黒く焦げた皮膚が傭兵という仕事の覚悟さを物語っていた。腰に携えられた剣は片手用にしては大きめで他にも数多くの武器を腰から下げている。
「今は傭兵をしている。戦争でも討伐でも金を積まれればやるような仕事だ」
「傭兵…」
気づかず見とれてしまっていたらしい。心配して彼は自己紹介してくれた。
「それより、君が冒険者って想像つかないな。じいさんに特徴を聞いてなかったら分からなかったよ」
「防具もちゃんと付けているし、背も少し伸びたと思うんですが…やっぱり見えないですか…?」
「あぁ、ごめんね。君は余りに綺麗だから。ほら、冒険者って傷が多い仕事でしょ?」
俺と同じように、と傷だらけの腕を見せて人懐っこい笑顔を向けられた朝日はポシェットを強く身体に押しつけて紐を握りしめた。
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