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第二章
お祭り
しおりを挟む曇天の空は一転して、青々とした青空に変わっていた。清々しいほどの晴れ晴れとした陽気に思わず身体を大きく伸ばす。
少し腫れてしまった目を心配する皆をよそに、無断の外泊でゼノや女将さんが心配しているかも、と宿に帰る事を決めた朝日をハイゼンベルク伯爵邸の使用人総出でお見送りをしてくれた。
貴族門まで連絡馬車に乗り、そこから軽い足取りで歩く朝日は慣れた様子で宿屋へ向かう。
「ゼノさんはもしかしたらもう依頼に行ってるかも…」
そんな独り言を少し困ったような声で言うも、その表情はとても晴れやかだった。
宿屋に着いた朝日を待ち構えていたのは女将だった。祈るような姿勢で宿泊者を送り出し終わったままの食堂の机に伏せっていた女将は、扉の前に立つ朝日を見て、それはもう疲れ切った顔で駆け寄ってきた。
話したい事、言いたい事、聞きたい事は沢山あるだろうに、ただただ帰ってきてくれて嬉しいという事を全身で表していた。
「ゼノさん」
「仕事は?」
「終わったよ!」
部屋に戻った朝日を出迎えたのはベッドに寝転がり、ダルそうにいうゼノだった。帰ってこなかったことに対してゼノに何かしら聞かれる事を覚悟していた朝日は不思議に感じてゆっくりとゼノに近づく。
「いつから寝てないの?」
「…いや」
「ご飯は?」
「…食べて、なかったかもな」
「うん、ゼノさん!まずお風呂入ろ?」
女将さーん!と大きな声を上げて部屋を飛び出し駆け降りて行く朝日を自然と目で追うゼノは伸ばしかけた手を見て、下ろす。
本当にいつから寝むれていなかったのかと途端に空腹や睡魔、疲労がどっと押し寄せてくる。
ゼノが朝日のいないこの二日間、寝食を忘れてしまうほどに考えていたのは、これからどうすれば朝日を守れるか、という事だけだった。
それは彼が二日前に受け取った手紙が所以だった。
普段は帝国ウィルガンダルクの帝都フィオーネを拠点にしていて、勿論仲間をそちらに残したままのゼノ。
先日の功績が帝都にも伝わったらしく、剣が見つかったのなら早く帰ってくるように、とパーティーの仲間から催促の手紙が届いたのだ。
今までは側で助け、見守っててきたが、これからはそうも行かない。
現在はセシルのところの双子が護衛についているし、これからも彼らが面倒を見てくれるだろう。ただ、それは自身が近くにいて朝日を常に見守ることが出来るから納得が行く訳で、離れれば話は別。
彼らは自身の変化にも気づかないような連中。朝日の変化に気づけるほど器用ではない。
それがポシェットの紛失や床に伏せさせたことに良く現れている。勿論、何もかもを全てを言え、と言っているわけではない。
本当に困っている時に助けを求めたり。頼ったり、相談したり、お願いしたり。そういう事を自らの意思で言ってきてくれなければ、自身が離れた時に彼を守り、助けることが難しくなるとゼノは悟ったのだ。
だから朝日自身を変える為に“対等な立場”で接すると思い立った。
「ゼノさん!来て!」
「…あぁ」
「ゼノさんも僕が必要な人だったみたいだ」
「…あ?」
「何でもないよ!」
ゼノの不眠、不休を見事に見抜いた朝日。
不思議なことに普段はどちらかと言えばボー、としている朝日だが、妙に観察力、察知能力に長けている。一体どれだけ見ていれば、相手のほんの少しの変化、機敏を察して気を回し、声をかけたり、行動出来るのか。
そうなるしかなかったのか、そうなるような環境にいたのか。どちらにせよ、相当な努力があったのだろうと想像が出来る。
朝日がセシルの邸宅で預かられていると双子の片割れから聞いたのは一昨日の夜のこと。
黒騎士の情報操作に関してはまさに求めていた以上の結果だった。お陰で朝日を狙っていた連中の目は欺けたし、これから彼を利用しようと接触してくる奴らも減っただろう。
安心して帝都へ帰れる、そう思っていた矢先。
その取引の代償として納得して送り出したはずが、朝日は再び倒れ、床に伏せった。
彼の過去なんて知らなくても良い。秘密なんて無理に話さなくても良い。ただ、必要な時に声をあげれるようになって欲しい。結果的にそれが彼の手助けになる。別にその相手が自分でなくとも良い。とにかく彼が倒れたことでゼノはこうして気持ちをはっきり固められたのだった。
「ゼノさん、僕がやってあげる!」
「出来ないだろ」
「大丈夫だよ!練習したからね!」
「…下手くそ」
まだ小さな手を必死に動かして、皮脂で泡立ちにくいゼノの頭を洗う。その真剣な表情に何かあった事は伝わってきたが、敢えて何も聞かない。
「…お前、三日も寝てたらしいな」
「え?三日?」
「また、倒れたと聞いた」
「んー、そうみたい。そっか、三日も寝てたんだね」
まるで他人事のようにそう呟く朝日の顔をじっと見つめる。相変わらずニコニコとただ笑顔の朝日はその原因について話す気は無さそうだ。
相当嫌な事だったのか、もしくはそれを話すと困る相手がいるのか。まぁ、話さない理由はそんなところだろう。
朝日が秘密にすることなんて大概そう言う事だけだ。それ以外は何も気にしないかのように全て曝け出してしまうのだから、困ったものだ。
朝日はゼノが本当に知りたい事は何も言わない。
「ゼノさん、お祭り好き?」
「…き、…」
朝日は必死になって動かしていた手を止めてゼノを見ていた。気を回したりなんてしたことなんてない。他の人には気が触れたとしても決してやらないだろう。
人はそうそう変わるもんじゃない。でも、この優しい勇敢な小さな子が冒険者として、普通の子として生きていける、そんな優しい世界があるとおしえたかった。普通の事を当たり前にしてあげたかった。
自分が居なくなるその日までに。
「…嫌いじゃない」
「本当!?今日ね、建国祭やってるんだって!」
「行きたいのか」
「ゼノさんも行きたいでしょ?お祭り好きだもんね?」
「…ま、まぁな」
朝日は再び手を動かし始めるも建国祭の事で頭がいっぱいなのか、その動きは緩やかだ。
「僕ね、お祭り初めて!」
「…ポンポン買ってやる」
「あ!それは食べたことある!美味しかった!」
確かにポンポンは王都の名物で正直いつだって食べられる。祭りの食べ物はなんだったろうか、と考えを巡らせるゼノは当然祭りについて詳しくない。
祭りが嫌いなわけではないので、屋台の食べ物は普段から割と食べる。単純に人混みはあまり好きじゃないだけだ。
「あー、あの、甘いヤツ買ってやる」
「甘いヤツ?」
「なんかの甘い皮で甘い物を包んだ、甘いヤツだ」
「すっごい甘そう!」
想像しているもの楽しいのだろう、ゆるゆると緩んだ顔を今日はそのまま見せている。
「祭りは始まってるぞ」
「そうなの!?急がなきゃ!」
慌ててまだ必死にゼノの頭を洗い出す朝日の顔は見えないが、きっととても緩んだ顔をしているのだろう、とゼノは隠れているのを良いことに口元を緩ませた。
「ゼノさん!はやく!」
「あー、俺は多分、三日飯、抜いてるから…」
「じゃあ!お祭りでいっぱい食べれるね!」
そう言うことじゃない、という言葉も出てこない程にフラついているゼノなんてお構いなしに手を引っ張る朝日。
機転を利かせた女将は必死になってゼノを腕を背負い投げでもするかのように引っ張る朝日にバレないよう、ゼノにサンドウィッチを手渡す。ゼノはそれを頬張り、証拠隠滅の為に普段使わないような顔の筋肉をフル稼働させて咀嚼し、飲み込む。
「気をつけてね」
「いってきまーす!」
「…行ってくる」
「もー!ゼノさん!お祭り終わっちゃうよ!」
「まだ、終わらねーよ」
ゼノを引きずりながら宿を出て行く朝日を女将は安心したような優しい笑顔で見送る。
夜になっても帰ってこない朝日を夜中探し回ったと思えば、今度は二日も部屋から出てこなくなり、声をかけても返事のないゼノと三日間帰ってこない朝日に振り回されていた女将はとにかく疲れ切っていた。
振り回された事は正直どうでも良い。二人とも無事なのだからいいのだ。でも、もう心配だけして何も事情を知らないのは疲れる以上に精神的に来るものがある。
二人とも好きだからこそ、そう思ってしまうのだ。女将の立場上あまり深くは立ち入る事は出来ないが、少しは説明してくれても良いだろうに、と思うのは無理もない話だろう。
「少し休んだらどうだ?」
「いや、もう元気になったよ」
それでもやっぱりあの笑顔を見たらそんな事はどうでもよく思えてくる。沢山の心配をさせられるし、困らせられたり、疲れたりもするけど、その分、沢山の笑顔と感謝が返ってくるのだから女将業は辞められない。
お節介な女将にはそれが一番好きな時間だったりもするのかも知れない。
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