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第9部 道化師と世界の声

神子ハロルド

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「やあ、『踊る道化師』のルトくん、だね。遅れてしまったようだ。」
そう言って、にこやかに微笑む男は、たぶんまだ、30代だろう。
若々しさと成熟した男の魅力の両方を兼ね備えていた。
格好は、ランゴバルド風のスーツ。生地も仕立ても一流のもので、この短期間に仕立てさせたのだろう。

「そちらのお嬢さんは、はじめまして、ではないね。あらためて名乗るわけにいかないのが、残念だ。今少しは、わたしの真名は秘密にしておきたいのでね。」

「ミトラ教皇庁の“神子”ハロルド閣下。」
ぼくは、伊達男に、座るように促してから言った。
「とりあえずは、そう呼ばせてもらいますよ。」
「大いに結構だ、ルトくん!
そちらのお嬢さんはなんと呼んだらいい?」

アキルは、身体を仰け反らせるようにして、顔をしかめていた。
「実際に会ってもなお、真名が分からんとは!」
いつものアキルとは、微妙に異なる口調で彼女はそう言った。

「この子は、アキル、と呼んでくださいあなたはその身体を完全に掌握してはいないようだ。軽々しくヴァルゴールの名を唱えて、出来たばかりのホテルを台無しにしたくない。」
「これは手厳しい。」
ハロルドは、頭をかいた。
「たしかに、アキル殿ほどに現身を我が身とはなせていないよ。」

「あなたが、その身体に降臨いただいているには、時間制限が、あるのでしよう?」
ぼくは言った。
「はやく、用事をすませましょう。
聖光教の名も無き神よ。」

そう。
このハロルドという男は、聖光教がプロバガンダ的な意味合いで、神をその身におろせるという特殊な能力をもつ“神子”だった。

だれもが。多少、頭の回るものならば、そんな事はありえない。と、そう言うだろう。
あんなものは、“勇者”と一緒。聖光教が、権威付けに作り上げた虚像にすぎない。

ギウリークの貴族はみんなそう思っていたし、他ならぬ教皇庁だって、そう考えていたはずだ。
まさか、本当に神が下ろせるとは、夢にも思わなかったであろう。

目の前のハンサムは、手を挙げてウエイターを呼ぶと、ワインとチーズの燻製をたのんだ。
グラスは3つ。

「まずは、再開を祝して乾杯といこう。」
ハロルドは、グラスを掲げた。
「偉大なる古き友、そして、新しき友人に乾杯といこう。我々ののぞみがともに果たされんことを願って。」

「どう思う?」
ハロルドの音頭を無視して、ワインを一口のんでから、ルトはアキルに尋ねた。
「神様がなにかを願って、それを口にしてしまったら、それですべての運命がくつがえってしまうほどの効果があるんじゃないかな?」

「そんな力をもったまま、依り代におりたら、一呼吸する間もなく、依り代が崩壊するよ。
どうも絶妙なバランスのうえに、ハロルドの肉体に、己の意識を融合させてる。
これは、時間稼ぎをして、焦らせる方法はダメだと思う。
それでも、一緒に乾杯するのは、反対。『われわれの望み』とかの居心地悪い言葉もあったし、ね。」

「昔なじみの邪神殿は、わがままだ。」
気を悪くした様子もなく、ハロルドは、微笑んでいる。はたからみたらどう映るだろうか。
留学先の親類の子供を尋ねた貴族の叔父さん?
「まあ、時間はあるし、ゆっくり話をしよう。きみたちは門限はないのかい?」



ぼくとアキルは、顔を見合わせて、頷いた。
実際には、夕刻をすぎれば、「門」は閉ざされる。だが、要求すればあけてもらえるし、なんだったら、ここに泊まってもよかった。
ときどき、わすれるが、ここは「神竜の息吹」が経営するホテルであって・・・・

「オーナー」
きちんと制服を着こなした青年が、折り目正しくぼくに一礼した。
ハロルドが驚いたように目を見張った。

「これは“神子”ハロルド閣下。」
青年は、ハロルドさんにも丁寧に一礼した。

「ああ・・・きみはたしか・・・」
「伝道者『雷弓』リンクスです。『沈黙』のスズカゼは、わたしの姉です。」
「『雷弓』と『沈黙』!」

ハロルドさんは、やれやれと言わんばかりに首を横にふった。

「聖光教会の精鋭は、片端から、引き抜かれてしまうのかい? とんだ人たらしだな、ルトくんは。」

「オーナー」
と、よばれたくもない名前で、リンクスくんは、もう一度ぼくに頭をたれると
「オープンしてから、はじめてのご来館、ありがとうございます。ささやかながら、晩餐の席を設けさせていただきました。今宵はゆっくりとおくつろぎいただきたく、最上階のスイートをご用意させていただいております。」

「ハロルドさんと大事話があるんだよ、リンクスくん! ここにお泊りだっていうから来ただけなのに・・・・」

「その晩餐会とやらは、わたしも参加させてもらって良いのかな?」
と、ハロルドさんが言った。

「もちろんですとも! 恐れ多くも、ミトラ教皇庁よりハロルド閣下が参列いただいたならば、来賓もおおいに盛り上がることでしょう!」

「来賓だと!」

やってくれるな、リンクス。

「いつの間にしくんだ・・・・」

「本日、オーナーがお越しになる旨は、ルールス先生よりご連絡いただきました。」
「み、みっこく・・・」
「ランゴバルドの王族であるルールス姫に参列いただけるのは、大変名誉なことですね、オーナー。もちろん、ほかにも街の行政の最高責任者であるランゴバルド伯や、各国の大使のみなさんにもお声をおかけてしております。」

やってくれた。

ぼくとアキルは、もう一度顔を見合わせた。
ランゴバルドの要人をそんなに一同に集めてしまって大丈夫なのか?
事故でもおこしたら、責任問題が。

「警備体制!」

「そうそう・・・シェフは、ラウレスに頼みました。きっと、腕をふるってくれると思います。」

古竜が、シェフを務めるパーティで暴れるやつはいないか・・・
心配なのは、こうなるとハロルドさんくらいなのだが。

「心配いらないよ。ルトくん。」
ハロルドさんは、にこにこしながらぼくの肩を叩いた。
「ぼくは、君たちの協力がほしくて、やってきたんだ。揉め事なんて、起きないよ。」
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