水晶鏡の破片たち ある婚約破棄の裏側で

此寺 美津己

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ヨウィスのこと

ぼくとわたしと

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平和な昼下がりである。

目の前には、この店の名物の小皿料理が色とりどりに並び、グラスの酒は西域の銘酒。
コハクの液体はゆったりと切子のグラスの中で揺れている。

もちろん、値段だっていい。

お代を払ってくれる相手は、ぼくの前に座っている。
まつげの長い、キスでもせがみたくなるような口唇の女性で、同じギルドに属する冒険者。
パーティ『業火』のリーダーで、ザレ=クリスワードという。

ぼくは、意外にこれでもけっこう社交的なのだ。

彼女がぼくを好きなのは知っている。

なんどもこうやって二人きりで食事をしている。
ザレがそのあと二人きりの秘事の場所まで必ずセッティングしてるのもわかっている。

わたしがフリ続けているだけだ。

「ヨウィス。あの噂、きいたか?」

ザレは、世の男性が淫夢の中で見るようなとびきりの美女だ。
胸も豊かだし、髪もたっぷりとしている。高級貴族どもに受けのいい栗色の巻き毛だ。

だが、仕事が仕事だけに口調は、きびきびしている。

ぼくはそんなところも魅力的だと思うのだ。

「ん?」

と、わたしは答えた。
正直、ザレの体より、目の前の料理のレシピが気になる。
白身魚をゼリーであえている。たっぷりの出汁は貝だろうけど、この香料はなんだろう。

「姫様がハルト殿下に振られたって話だ。」

香料なんかどうでもよくなった。

「ど、ゆう、こと?」

「睨むな!!
私もついさっき、ゾアから『誰にも言うな』と念を押されて、はじめてきいた話だ。

だから、これは誰にも言うなよ!」

「ん」

わたしは力強く頷いた。

「誰にも言わない。」

「王立学院の鶺鴒祭で、ハルトが『婚約破棄』をやったらしい。」

「婚約・・・廃棄??」

「いや、芝居とか小説とかでもあるだろう? 意地悪で高慢な公爵令嬢が、真実の愛にめざめた王子に、みんなの目の前でフラれる、あれだ、よ。」

思わず、ぼくは笑ってしまった。

「いや、だってハルトがぁ? そんなばかみたいなことするわけないよ。」

ザレはギクッとしたように、ぼくを見た。
ザレは、ぼくに慣れてるはずなのに、これだ。

まったく人の噂というものは恐ろしい。

わたしは、ザレを睨んだ。

「姫はどうしたの?」

「受け入れた。真実の愛がどうたらこうたら、カバンを隠したの、教科書を破ったの、テンプレ通りの糾弾もあったが後半ぐだぐだだったらしい。

止めにはいった辺境伯やら宰相やらの息子どもは、全員返り討ちだ。」

わたしの頭の中は極彩色の絵がくるくると回っている。

妄想のなかの姫とハルトはいつだって、きれいだ。
わたしの登場する場所なんてどこにもないほど完璧にきれいだ。
あのふたりは、別格。あのふたりにしかたどりつけない世界へ。そう人間の生きているこんな俗世などすべて燃やし尽くして。

「ヨウィス!ヨウィス、しっかりしろ。大丈夫か?
顔が真っ青だ・・・・いや、おまえが姫と殿下のファンなのはわかるが・・・

汗が」

額の汗を拭おうとして、のばしたザラの指をわたしはハネた。

ほんとに切ったわけではない。指先にちょっぴり傷を作っただけだ。

「お触りは禁止。」
わたしは言った。ザレは、おとなしくおすわりをした。

まさに、忠犬だな。

ぼくは密かにザレに感心した。
愛する相手にここまで献身してくれるパートナーなんてそうそう見つかるものでもない。

稼ぎもいいし、大司教の免許も持ってて社会的な地位も高い。
永続的なパートナーになるのは、ひとまずおいて、体をまかせるくらいいいんじゃないのか?

むこうもこっちも女性ではあるが。

「わたしも気になる噂をきいてる。」

そういうと、ザレは顔を近づけてきた。キスでもされるような至近距離ではあるが、これは内緒話のためだと割り切って、彼女の顔を割り切るのはやめにしておいた。

わたしは、とっても常識豊かで温厚な性格なのだ。
どこが、とぼくは思った。

「ハルトがいよいよ王太子をクビになるらしい。」

「・・・ま、さか。」

「正確には、改めてエルマートと、王太子の地位をかけて『パーティ育成』競争をすることになった。
この情報は魔道院がらみ。
ちょっと出どころがやばいから、絶対ひとには話すなと言われている。だからザレもこれは秘密にしてほしい。」

「ヨウィスへの愛に誓って」

ザレは豊かな胸に拳を押し当てて、誓ってくれた。

「しかし・・・王室筋は正気か?

もともと王立学院を首席で卒業することを条件に立太子式や姫との婚約式を延ばしてきたんだろう?

ハルト殿下の首席卒業が決まった途端に、それじゃあ、姫が切れる。」

ザレも想像がついたのか、顔色が悪くなってきた。

「いや、それ以前に、親父殿が黙ってはいないぞ。下手をすればグランダ対クローディアの戦がはじまる・・・・」

ザレは、ぽかんと口をあけた。

「・・・・あ、もう婚約は破棄されてるんだっけ。」

「ハルトがそこまで考えたんだとしたら。」
ぼくが笑うたびに、ザレが怯えるのが気に入らない。
わたしの仏頂面のぼうが好きなのかよ、こいつ。
「いや、ハルトはそう考えるやつだ。」

わたしは、立ち上がった。

皿の料理を糸をつかって一切合切「収納」する。

「どこにいくんだ、ヨウィス!」

「『不死鳥の冠』で親父殿か、姫を捕まえる。」

「ならいっしょに・・・・」

「やめとけ、ザレ。」
ぼくは、にっこりと微笑んだ。

「わたしの糸は今、血に飢えている。」


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