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第3部 元勇者の苦悩

解体作業

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バロンド伯爵閣下は、奇行と女癖の悪さで知られているばかりでは無い。
高位の、名門の貴族でありながら、自ら冒険者として潜り、切り裂き、凍らせる。
その腕前と豪胆さにおいて、畏敬の念を持って語られる存在なのだ。

実際、彼女の発生させる冷気は、白骨宮殿へと浸透し、張り巡らされた蜘蛛の巣を凍結させていく。
そうなってしまえば、それはもはや「巣」としては役にたたなく、なるらしく、粘着力を失いもろくなったそれからは、蜘蛛共が這い出してきた。
寒さのために動きが鈍くなったそいつらを、元勇者と剣士が次々とトドメをさしていく。

それは戦いではなく、流れ作業を見ているようだった。
精妙な斬撃を得意とするルモウドには、物足りないようだった。
なにしろ、相手はろくに動けないのである。

のたのたと這い出してきたところを、ぶすり。

「蜘蛛にも個体差があって」
迷宮研究家が言った。
悲愴な顔つきなのは、これからいよいよ、白骨宮殿内部に侵入することへの不安ではなく、彼女がこれからやろうとしていることが、このクエストの大幅な赤字を確定させてしまうからだった。
「寒さや冷気に強い個体がいるのかもしれない。」

「そいつらなら、さっき、大挙して押し寄せたよなあ。」
オルフェが言った。
「うまくすれば、まともに、動ける蜘蛛はもう残ってなくて、このままボス蜘蛛にたどり着けるか?」
「そうも行かないようだ。」


レティシアが笑った。
迷宮の一角をまるまる凍りつかせているのだ。それに対する集中、魔力の消費量は如何程のものなのだろう。

「動ける蜘蛛をここに集中させていたな。 」

単なる氷の破片となった「巣」を踏みしめて行進してくる蜘蛛は100を超えている。

「さて、もう一度、ドルモにお出ましを願うか。」
オルフェは、気安く美剣士の肩を叩いた。

「まだ、だ。」
迷宮研究家サリアは、冷たい目でオルフェを睨んだ。

「おいおい、この数を切り殺すのか?」

「切り殺せるだろう?」

「あのなあ。」オルフェは大袈裟にため息をついてみせた。「いくら腕がたっても剣の方がもたない。やつらの体液がつけば切れ味も鈍る。刃もこぼれるし、折れることだってある。」

「そりゃあ、大変だ。」
サリアは、バッグから球を取り出した。
「ルモウド、モールと代わってくれ。」

閃光が行軍する蜘蛛の複眼を焼いた。
顔を伏せて閃光をやり過ごした一堂が顔を上げると、元気な斥候が腰に手を当てて、こちらを睨んでいた。
「このタイミングで、なんでわたしを」

「この前、“ 凍らない氷湖”に行く時にやった方法をとる。」

サリアは全員がすっぽり入れる 大きさの布を取り出した。

「もともとは飛ぶ相手をおとすための攻撃だ。」
サリアは手馴れた手付きで、先程とは違う種類のたまを取り出した。
「みんなはこの布を被ってくれ。
さん、に、いちで発動させる。」

投擲された球は破裂して、蜘蛛たちの上に粉を撒き散らした。
微細な粉末は、空を漂う。
移動速度をあげた蜘蛛を、モールのスリングショットと、バロンド伯レティシアのマジックアローが貫いた。

「三!」
先頭の蜘蛛に、サリアは槌を叩きつけた。
「二!」
蜘蛛が紫の液体を放出。サリアの右目が真っ赤にそまる。
「三!」
構わずに、特殊なコーティングをした布の下に潜り込む。
「点火!!」

稲妻が空間を満たした。

「サリア、サリア。わたしの迷宮学者、顔が」
レディシアの叫びは悲壮感をおびていた。

サリアは立ち上がった。顔の右半分が凄まじい激痛を伝えてくる。
目は両ともうまく開かなかった。

「ど、どんな具合?」

口も満足に開かなかった。蜘蛛の毒は皮膚をおかすだけてはなくて、麻痺の効果もあるのかもしれない。

「蜘蛛はみんな、倒れてる。」
レティシアの声がした。
「びっくりかえって脚をピクピクさせてるよ。
いま、モールを治療師と交替させるから」
「ま、まだ」

手探りでレティシアの腕を掴んだ。

「魔法使いを、ドルモをよんで。」
「おまえの治療が先だ!」
「蜘蛛をたたく方が先だよね。」

レティシアは、言い争っても無駄と思ったのか自分で治癒魔法かけてくれた。
辛うじて、サリアは目を開けることが出来た。

前方は見渡す限り、蜘蛛の死骸である。
逆さまに転がって、脚をぴくぴくと痙攣させているのが、最後の断末魔のようだ。
ほかに動くものはいない。

「電撃には耐性のひくい魔物だったようだ。」
レディシアが、やさしく言った。
「戻ったら、あらためて大精霊院で治癒をうけよう。大丈夫、元通りにきっとなるさ。」

自分がどんなになっているのか聞く勇気もなくなったサリアは、まだ声が出るうちに、と、モールに言った。

「ドルモに言って!
最大の火力の魔法で、やつの外殻に穴をあけて!」

「で、でも」
有能な斥候は反論した。
冷気のむこうから。屋敷ほどもある巨大なものが近づいてくる。動作はもっさりしていた。
それは、もはや機敏な動作で、相手の攻撃をさける必要すらなくなったのだ。

ジャイアントスパイダーの変異種。

『白骨宮殿』の主となった蜘蛛の魔物のいまの姿がすそれだ。


「あの巨体じゃあ、一発穴をあけたくらいじゃ、たいしたダメージにはならないよっ!」

「そうだなあ。」
のんびりした声で、元勇者は言った。
「あとは俺がやるよ。」

「お、おまえが?」
そう言ったのはモールだったが、レティシアも同じ表情だった。
「聖剣もないあまえが?」

「ああ、そうだな。これから起きるのは戦いじゃない。



解体作業だ。」
    
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