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第2部 迷宮研究家は招かれる

蛙の正体

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わたしは強い魔力を持たない。
まあ、魔術師として食っていくには、ゾッとするほど魔力量自体が少ないのだ。

代わりに神様が与えてくれたのは、よく見える目と、判断力。

わたしは、大きな布を取り出した。表面はつるつるする素材でコーディングしてある。そこまで用意しておいて、殺到する蜂の群れに、構えたボールを投げつける。
当然当たらない。
だが、散開した蜂のいる空間で、ボールは破裂して、細かい粉を撒き散らした。

繰り返しその動作を繰り返す。

直撃を食らった蜂は一匹もいない。だが、わたしたちのいるあたりは、ボールの爆発が撒き散らす粉塵で、視界が悪くなってきた。

「殺虫剤の類ですか。」
モールが布の下から言う。
「いい手段だと思いますが、ここは空間が広すぎます。薬剤はすぐに拡散して効かなくなってしまう。」

頃は良し。わたしも布の下に潜り込む。


点火。


空間を満たした放電は、布の内側に隠れたわたしとモールの体も感電させた。髪が逆立ち、筋肉が痙攣する。

だが、外にいた蜂の群れはそれでは、すまなかった。
バラバラに吹き飛び、そうではないものも、体の制御を失い、硬直して落下していく。

わたしはうめいた。
感電ショックの苦痛のせいではない。

必中矢に落雷ボール。この任務はコストがかかり過ぎる。

空間を走る稲妻が収まるのを待って、わたしたちは、布を跳ね除けた。
飛んでいる蜂は一匹もいなくなっていた。

うまい具合に通路に落ちていれば、素材を回収できたんだけどな。
と、思ったが、そう確かにうまい具合に通路に落ちた蜂はいた。

コマンダーと呼ばれる群れを指揮する蜂の大将格だ。普通の戦闘蜂より二回り大きい。大きなは牛くらいはある。

ただし・・・・両羽を失い、片方の目が潰れながらもそいつは生きていた。
わたしたちを「敵」と認識して、体を引きずるようにして襲ってきた。

咄嗟にわたしはモールを体の後ろに庇ってしまった。モールはわたしより小柄だし、年も下だろうから、反射的にそうしてしまったのだが、これはよくない行動だった。
コマンダーの鉤爪のついた前足の一撃で、わたしは吹っ飛んだ。幸いにも飛んだ方向が良かったので、七層には落ちなくて済んだ。
だが、ドロリとしたものが流れ込んできてわたしの視界を塞ぐ。血だ。かなり深く広範囲に切られている。

コマンダーはモールを吹き飛ばして進んできた。
明らかにわたしの方を、より脅威だと感じたのだろう。
それは、どうかな?
わたしは蜂の足りない頭を笑ってやった。こちらはもうロクな攻撃手段はないのだ。いわば人畜無害。完全に無力化された状態なのだ。
こんなわたしにとどめなど差しているヒマがあるのなら。

目の前に迫った巨大な顎は、噛み合わされることなく、斜めにずれた。

切れたのは頭だけではない。その一閃は、コマンダーの体をほとんど真っ二つに両断していた。


「おまたせしました、姫君。」
美剣士ルモウドは、優雅に一礼しだ。
「お許しいただけるのなら、この怪物から金になる部分を少々持ち帰りさせていただいてもよろしいてしょうか。」

わたしは、なにか気の聞いた答えを返そうとしたところまでは、覚えている。
視界がぐるぐる、回るのを感じた途端に、わたしは意識を失った。


気がついたとき、最初に目に入ったのは、「蛙」の僧侶、回復役のルーモだった。
ポタポタと涙を流しながら、懸命にわたしに治癒魔法をかけていた。

体を起こそうとすると、そのままで、といわれた。
額の傷はかなり深かったらしい。魔法がなければそのまま命を落としてもおかしくない傷だ、と。

「みんなは?」

とわたしが聞くと、ルーモは黙った。

「・・・・みんなはいます。」
ルーモは、豊かな膨らみが服の上からでもわかるその胸に手を置いた。
「ここに。」

「つまりは、あれか。」
わたしは、つぶやいた。
「一人の存在の中に四人の人間が同居している。それが『蛙が冠を被るとき』なんだな。」

「さすがは、『迷宮研究家』サリアです。」
ルーモは観念したのかそう呟いた。
「わたしたちのような存在を他にご存知ですか?」

「いや、単に人格が変貌するだけならわかるが、存在そのものが変貌してしまうのは、初めてだ。」

ルーモの治癒魔法が終わったので、わたしは、そっと身を起こした。目眩なし。
痛み、なし。
視力問題なし。

「いい腕だ。」

と褒めるとルーモはほおを赤らめた。

「しかも魔法使いとしても剣士としても斥候としても水準を遥かに超える。B級どころか、Aでもおかしくないくらいだ。
しかし、同時には存在できない。」

「その通りです。彼らは今も」
ルーモはもう一度、胸に手を当てた。
「ここに、います。ここは倉庫兼待機部屋のようなものです。いなくなってしまう訳ではありません。
でも外出できるのは、一人だけなのです。」

「ものの例えとしては分かりやすそうだ。」
わたしは言った。
「では今も彼らは意識があって、わたしを見ているのかな。」

「普段はてんでに勝手なことをしていますよ。表に出ているものが身につけたものは中にも持ち込むことができるのです。
でも今は全員がこちらに注目しています。」

「よくわかった。」

本当は全然わかっていなかった。「存在」とは何かは神学者の両分だ。一介の迷宮研究家にとっては手に余る。

「これからどうする?
わたしとしては、このまま七層に降りて、予定の採取を行いたいのだが・・・」

ルーモは唇を噛んだ。
「わたしたちは撤退することをおすすめします。
以前、モールに話した通り、この湖の精は必ずしも好戦的ではありません。四人以上のパーティの前に出現したことはないのです。
しかし、わたしたちはあくまで外に出られるのは一人です。

あなたを入れても『二人』にしかなりません。」

「変な小芝居をもっと早くにやめてくれればね。」
わたしは言った。
「正直を言うとね。ここで予定の採取を行えないと大赤字になるんだよ。」

「わたしたちへの報酬は半分・・・いや、入りません。わたしたちの秘密を黙っていてくださるなら・・・」

「それも、ね。実はそうもいかないんだ。」
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