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第16話 戦う見習いたち

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ドロシーは、反射的に炎の矢を放ったが、これは悪手だった。
小鬼に似た魔物たちは、いずれも厚く泥を被っていた。その泥が炎の矢の熱から、ある程度身を守っているようだった。
苦痛は与えている。効いてはいるようであるが、一撃必殺の威力は無い。

そして、なにより。
小鬼どもの足は、大きく水かきを発達させた、この泥濘の迷宮で運動しやすく出来てきた。

くるぶしまで泥にうまるこの世界では、ドロシーたちはろくに、動くことも出来ぬまま、小鬼たちのすばやい動きに翻弄されていく。

そのなかで、エミリアの棒さばきは、異彩を放っていた。ほとんど、1歩も動けないまま、縦横無尽に棒を捌き、近寄る小鬼を、叩き伏せる。
ファイユも、また、鮮やかに二振りの剣を振り回し、小鬼の接近を許さない。

クロウドの手がすばしっこく逃げ回るの小鬼の喉をつかみ…そのまま握りつぶした。
こちらはなんども切りつけられ、体のあちこちから血を流している。だが、魔力で強化された彼の肉体にとってはいずれも浅傷だった。
問題は。

ドロシーの婚約者。
剣も魔法も、おぼつかない。ドロシーが支えてやらなねば半日も、もたないだろう。
元子爵家御曹子。マシュー。
いまだって、もう限界だ。
肩と太ももを食いちぎられて、鮮血が吹き出している。
それでも、まだ倒れない。懸命に剣を振り回し、小鬼と戦っている。
それを見るとドロシーは、胸の中は、マシューへの愛しさでいっぱいになるのだ。

このままでは。
炎の魔法は、思うように効果がない。
電撃は、泥に塗れた自分自身にも跳ね返る。
ならば冷気。氷の魔法か。
しかしどうやって。

足元は泥にとられて、蹴り技どころか、歩くこともおぼつかない。
そうか。
まず、足場を。

氷の矢で、迫る小鬼を牽制しながら、呪文を詠唱する。泥濘の一角が凍りついた。
マシューの手をひっぱってそこに、あがった。

ドロシーに手を引かれたことに、安心したのかマシューがへたりこむ。

「まだ早いわ!」
そういいながらも、泥の中に倒れられるよりははるかにまし、であった。
妙な粘りのある泥濘に傷がふれれば、感染症の心配もしなければならない。
ドロシーは、なおも冷気を操って、氷の範囲を広げた。

「みんな! こっちへ!」
ドロシーは、叫ぶ。凍った泥土は、普通の地面とは違う。例えばファイユの歩法が使えるか、といったらそれは無理なのであるが、それでも泥のなかよりは、かなりマシだった。

エミリアと、ファイユを横抱きにして、クロウドがジャンプ。見事にドロシーの作った、氷の大地にたどり着く。もちろん、まともな体力ではない。魔道の強化を借りているのだろうが、たいしたものだった。

「ファイユを手当してやってくれ!」
クロウドが叫んだ。
「エミリア。マシューも頼める?」

実際の流血量は、あきらかにクロウドがいちばん酷かったが、魔力による体力強化でまだ彼には余裕がありそうだった。
「ドロシー、あなたも治癒魔法は使えるでしょう?」
治療を押し付けられたエミリアは不満そうに言った。
「わたしは」
エミリアとしゃべりながら、呪文の詠唱を行なう。それはおそろしく高度なことであったが、ドロシーは特に意識もしていない。
「やることがあるから」

ドロシーが呼んだのは大量の水、だった。
洞窟全体に大量に流し込まれた水は、足元の泥をさらに柔らかいものにかえ、独特の形状を備えた小鬼たちの足元もそのなかに、沈み込んでいった。

さらに。
大きく息を吐きながら、ドロシーは冷気を呼ぶ。
頭が痛い。ドロシーのキャパシティでは、もはやこれが魔術限界なのだ。比べては行けないとわかっていても、ルトや階層主たちのそれとは雲泥の差だ。
ドロシーは、寂しかった。
いくら追いかけようとしても、彼らは遥かな高みにいる。
でも。
エミリアが治療中の、マシューに視線を落とす。
彼なら、ずっと近くにいてくれる。

冷気の魔法が完成した。
青白い霧となって、吹き付けるそれが、ドロ水を氷にかえた。

小鬼どもの足首を咥えこんだまま!

動けなくなった残りの小鬼は、20体を越えている。危なかった。
あのまま、戦い続ければ、弱いものから順に倒れ、それを助けようとしたものも倒れ、全滅していたかもしれない。
それが小鬼たちの戦い方で、その力は決して侮れるものではないのだ。
だって、ドロシーたちは並の人間なのだから。

動けない小鬼は、ただの的、だった。
ドロシーの氷の矢が、次々と突き刺さる。

ドロシーは正確に狙いをつけてやることもしなかった。
一撃で命をとられるものは少なく、多くは何本もの矢を急所以外に受け、苦しみ悶えながら死んでいく。

エミリアは、そんなドロシーを嫌な目で眺めている。
“これは殺戮という作業よ。”
ドロシーのほんのり赤らんだ頬、潤む瞳、発情した獣のようにゆるみ、ヨダレを流しそうな表情を見つめるエミリアの顔には嫌悪感しかない。
“小鬼を蹴散らす作業にすら、愛の行為の裏返しをしなければならないのなら、あんた、まともな閨のことは、もうムリよ!?”

小鬼は、全滅。
マシューとファイユの流血も止まった。
「あなたたちは、魔力による肉体強化は? 」
と、エミリアが尋ねると、マシューは首を振った。ファイユは
「反射神経の強化を少し。」
と答える。

「まず痛みの軽減は学んだ方がいいわね。」
「ち、治癒促進ではなく?」
「治癒って言うのは、戦いに生き残れてからするものだからね。少ないリソースをそっちに割くよりは目の前の敵を倒すか…逃げる方に集中すべきだわね。」

「で、でられるんですか、ここから。」
ファイユが言った。もともと受けた傷はかすり傷。だが心は折れている。
「当たり前じゃない…と、言いたいところなんだけど。」
エミリアが言った。
「どうも話にきいているのとは、難易度が段違いなのよ。いまのも、普通の小鬼じゃない。変異種、よね。」

「この先も、この泥の道が続くようです。」
ドロシーが言った。
「凍らせましょうか?」

「いいアイデアだと思うが、ドロシーは休め。もう魔力は限界だろう。エミリア。
まだきみは余裕がありそうだが、道を凍らせる魔法は出来そうか?」

一同は、呆然として、リーダーの顔を見つめた。
「え?  なに?」
言った当人が面食らっていた。
「マシューがまともな事を。」
「リーダーっぽかっぞ、」
「すごいです、マシューさん。」
「そ、そんなマシュー、もうわたしが必要じゃないってこと…」

マシューがまともになると、ドロシーにとってはなにか不味いのか。
通路の先に水と冷気を送り込みながら、エミリアは思う。
とにかく、いちばんまともに見えてしっかり歪んでいるのがドロシーだ。

そうだな。
このマシューというのがいなくなれば、ドロシーの交際関係は綺麗に落ち着くのだが。
どうだろうか、迷宮で行方不明、というのは。

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