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宴の後始末 クローディア公の小規模な日常
クローディア大公は結婚を考える
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その男の顔はたしかに見覚えがあった。
ご無沙汰しております。クローディア公爵閣下いえ、クローディア大公陛下。
笑みは穏やかで、物腰は柔らかく、まあ、宮廷貴族としては合格点である。
若い女を横においていた。剣士らしいよく鍛えた身体の女だったが隻腕だった。
「妻のジルクです。」
紹介された女は目上のものに対する挨拶を行った。が、淑女がおこなうカーテシーと呼ばれる膝をついたものだではない。あくまでも剣士としてのものだった。
「我が流派は、彼女を正当なる後継者と認めました。きっとジルクが1度は地に落ちた我が流派に再び栄光をもたらしてくれると思っております。」
そこまで、話が進んで、やっとクローディアは自分に挨拶に訪れた相手が誰だったか思い出した。
「いや、久しいですな、将軍・・・」
と言いかけてクローディアは目の前の男がもはや将軍ではなくなったことに気がついた。彼の指揮していた近衛師団は、魔王宮での失態を理由に解散させられ、彼も将軍の職を解かれていた。
かと言ってコーレル伯爵とも呼びかねた。コーレル地方はクローディア公国の独立に伴って、グランダから割譲されている。もはや彼はコーレル伯爵ではないのだ。
「失礼を」
男は。
かつて、王立学校で見目の良い生徒を男女わ問わずにサディスティックにいたぶることで悪評高かった男はそう言って笑った。
「いまは、もともとの故郷であるダレクの街を拝領し、ダレク男爵を拝命したしました。」
「そうでしたか。して、本日は?」
ダレクの町は、コーレル地方から僅かにグランダ寄りの地方都市、いや田舎町だった。打ち身によい温泉が湧くというので、昔から剣術が盛んであり、かなり、栄えた町であったが、州都が移ったのちは、さびれた。
「これは話が前後してしまいましたかな。」
男爵はあらめて、先ほども紹介した妻のジルクを前に押し出した。
「わたくし、結婚をいたましたので、そのご報告です。」
「それはおめでとうございます。」
人柄は見違えるようによくなったが、やはり能力はかわらないものだな、と外交の仮面の下でクローディアはため息をついた。
話がいっこうにすすまない。
だからといって、何か話があるならばきいてやりたい。
奥方、ジルクがもう一度頭を下げた。
夫を押し退けて前にでる。
以前だったら、それだけで激昂したであろう元コーレル伯爵はだまって微笑んでいた。
「恥を承知で申し上げます。わたくしたちをお助けいただけませんか、陛下。」
「はて?」
確かにダレクの町は一時期ずっかり寂れていたこともあり、クローディア大公国の領地を通らないでグランダへ行く道筋は、ない。
もともとが昔々はクローディア公国、その後はコーレル伯爵領としてその地域で経済を回していた土地柄だった。
それにしてもあらためて関所を設けたわけでもなく、交通を妨げるものもない。物流と人の流れも自由である。
「ダレクはコーレルと一体となってこその町です。コーレルなくしては、ダレクの町など、そもそも存在の価値すらない。」
領地を一部返還してくれ、とでも言うのであろうか。だとすれば、あまりに非常識だ。おそらくは剣の才能で選んだであろう伴侶は、貴族の教育をうけてはいないようであった。
「単刀直入にお願い致します。わたくし共のダレクをクローディア大公国領とするよう、エルマート陛下にお命じください。」
「ほう?」
それは悪い提案ではなかった。非常識ではあったが。
もともと領土などというものはいっさい渡したくはない。大半の戦などはそれで起きるのだ。
だが、彼女の言う通り、ダレクはクローディア領内の飛び地のような存在となっている。もし、クローディアがダレクの民のためになにかしてやりたくても出来ないのだ。
そこが、グランダである限りは。
「それは興味深い提案ですな。しかし、勘違いをされては困る。わたしはエルマート陛下になにかを教示したり出来る立場ではないのだ。まして、命令など!」
「もちろんでございます。」
元サディストの剣聖の妻となった女は微笑んだ。まるで剣士が互角に渡り合える技量のある相手を見出したときのような。
そんな微笑み。
「エルマート陛下には、『ご提案』をいただくだけで充分でしょう。実際の検討はバルゴール財務卿がするはずです。恐らくは否とはおっしゃらないはずですわ。
・・・・もともとダレクを残したのは、これが(と、彼女は連れ合いを指さした)いたからです。この男ごとダレクを厄介払いできるのならば断る理由はひとつもありませんでしょう。」
「さすがはグランダの名流の後継者となられるお方だ。」
クローディアは褒めた。
「だが、剣の勝負はそれだけでは終わらぬこともある。たとえばですが、クローディア公国に隣接した各地方領主たちが同じことを考えだしたらどうでしょう?」
これは意外だったらしく、細君は眉をひそめた。
「普通だったら考えられないし、解釈によってはグランダに対する反逆だ。だが、しかし、すでにダレクという先例が存在してしまえば。」
「それで、グランダが崩壊するというのなら、それまでの国だったということでしょう?」
「なるほど。だが、クローディア公国も出来たばかりの国だ。崩壊した隣国を抱え込む余裕はないのです。」
グレタ男爵夫妻の噂は、あとから伝わってきた。
当時はまだ内弟子のひとりであった彼女をいたぶっていた最中に、逆襲にあい、逃げ出したこと。
とっさに高弟のひとりが彼女を止めるためにその腕を切り落としたこと。
一命をとりとめた彼女が、酒浸りの毎日を送っていた彼のもとを訪れ、彼を立ち直らせたこと。
彼女はとんでもなく加虐趣味があり、閨では拷問のように彼をいたぶっていること。
クローディアはしみじみ考えた。
あのような奇妙な夫婦であってもなお、ダレク男爵は結婚前より、よほどまともになった。
なるほど、結婚というものは。妻を公式にもつということはよいことなのかもしれない。
クローディアが、アウデリアを病床にたずねて、正式に婚姻を申し入れるのはそれから間もなくのことであった。
ご無沙汰しております。クローディア公爵閣下いえ、クローディア大公陛下。
笑みは穏やかで、物腰は柔らかく、まあ、宮廷貴族としては合格点である。
若い女を横においていた。剣士らしいよく鍛えた身体の女だったが隻腕だった。
「妻のジルクです。」
紹介された女は目上のものに対する挨拶を行った。が、淑女がおこなうカーテシーと呼ばれる膝をついたものだではない。あくまでも剣士としてのものだった。
「我が流派は、彼女を正当なる後継者と認めました。きっとジルクが1度は地に落ちた我が流派に再び栄光をもたらしてくれると思っております。」
そこまで、話が進んで、やっとクローディアは自分に挨拶に訪れた相手が誰だったか思い出した。
「いや、久しいですな、将軍・・・」
と言いかけてクローディアは目の前の男がもはや将軍ではなくなったことに気がついた。彼の指揮していた近衛師団は、魔王宮での失態を理由に解散させられ、彼も将軍の職を解かれていた。
かと言ってコーレル伯爵とも呼びかねた。コーレル地方はクローディア公国の独立に伴って、グランダから割譲されている。もはや彼はコーレル伯爵ではないのだ。
「失礼を」
男は。
かつて、王立学校で見目の良い生徒を男女わ問わずにサディスティックにいたぶることで悪評高かった男はそう言って笑った。
「いまは、もともとの故郷であるダレクの街を拝領し、ダレク男爵を拝命したしました。」
「そうでしたか。して、本日は?」
ダレクの町は、コーレル地方から僅かにグランダ寄りの地方都市、いや田舎町だった。打ち身によい温泉が湧くというので、昔から剣術が盛んであり、かなり、栄えた町であったが、州都が移ったのちは、さびれた。
「これは話が前後してしまいましたかな。」
男爵はあらめて、先ほども紹介した妻のジルクを前に押し出した。
「わたくし、結婚をいたましたので、そのご報告です。」
「それはおめでとうございます。」
人柄は見違えるようによくなったが、やはり能力はかわらないものだな、と外交の仮面の下でクローディアはため息をついた。
話がいっこうにすすまない。
だからといって、何か話があるならばきいてやりたい。
奥方、ジルクがもう一度頭を下げた。
夫を押し退けて前にでる。
以前だったら、それだけで激昂したであろう元コーレル伯爵はだまって微笑んでいた。
「恥を承知で申し上げます。わたくしたちをお助けいただけませんか、陛下。」
「はて?」
確かにダレクの町は一時期ずっかり寂れていたこともあり、クローディア大公国の領地を通らないでグランダへ行く道筋は、ない。
もともとが昔々はクローディア公国、その後はコーレル伯爵領としてその地域で経済を回していた土地柄だった。
それにしてもあらためて関所を設けたわけでもなく、交通を妨げるものもない。物流と人の流れも自由である。
「ダレクはコーレルと一体となってこその町です。コーレルなくしては、ダレクの町など、そもそも存在の価値すらない。」
領地を一部返還してくれ、とでも言うのであろうか。だとすれば、あまりに非常識だ。おそらくは剣の才能で選んだであろう伴侶は、貴族の教育をうけてはいないようであった。
「単刀直入にお願い致します。わたくし共のダレクをクローディア大公国領とするよう、エルマート陛下にお命じください。」
「ほう?」
それは悪い提案ではなかった。非常識ではあったが。
もともと領土などというものはいっさい渡したくはない。大半の戦などはそれで起きるのだ。
だが、彼女の言う通り、ダレクはクローディア領内の飛び地のような存在となっている。もし、クローディアがダレクの民のためになにかしてやりたくても出来ないのだ。
そこが、グランダである限りは。
「それは興味深い提案ですな。しかし、勘違いをされては困る。わたしはエルマート陛下になにかを教示したり出来る立場ではないのだ。まして、命令など!」
「もちろんでございます。」
元サディストの剣聖の妻となった女は微笑んだ。まるで剣士が互角に渡り合える技量のある相手を見出したときのような。
そんな微笑み。
「エルマート陛下には、『ご提案』をいただくだけで充分でしょう。実際の検討はバルゴール財務卿がするはずです。恐らくは否とはおっしゃらないはずですわ。
・・・・もともとダレクを残したのは、これが(と、彼女は連れ合いを指さした)いたからです。この男ごとダレクを厄介払いできるのならば断る理由はひとつもありませんでしょう。」
「さすがはグランダの名流の後継者となられるお方だ。」
クローディアは褒めた。
「だが、剣の勝負はそれだけでは終わらぬこともある。たとえばですが、クローディア公国に隣接した各地方領主たちが同じことを考えだしたらどうでしょう?」
これは意外だったらしく、細君は眉をひそめた。
「普通だったら考えられないし、解釈によってはグランダに対する反逆だ。だが、しかし、すでにダレクという先例が存在してしまえば。」
「それで、グランダが崩壊するというのなら、それまでの国だったということでしょう?」
「なるほど。だが、クローディア公国も出来たばかりの国だ。崩壊した隣国を抱え込む余裕はないのです。」
グレタ男爵夫妻の噂は、あとから伝わってきた。
当時はまだ内弟子のひとりであった彼女をいたぶっていた最中に、逆襲にあい、逃げ出したこと。
とっさに高弟のひとりが彼女を止めるためにその腕を切り落としたこと。
一命をとりとめた彼女が、酒浸りの毎日を送っていた彼のもとを訪れ、彼を立ち直らせたこと。
彼女はとんでもなく加虐趣味があり、閨では拷問のように彼をいたぶっていること。
クローディアはしみじみ考えた。
あのような奇妙な夫婦であってもなお、ダレク男爵は結婚前より、よほどまともになった。
なるほど、結婚というものは。妻を公式にもつということはよいことなのかもしれない。
クローディアが、アウデリアを病床にたずねて、正式に婚姻を申し入れるのはそれから間もなくのことであった。
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