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第96話 もうひとりのヨウィス

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第二層階層主ロウ=リンドが、鋼糸使いとやりあったのは、これが初めてではなかった。

確かに恐ろしい技には違いない。だが、弱点がないわけではない。
糸は極めて細く、視認しにくいとはいえ、まったく見えないわけではない。

例えば。剣の達人ならば充分、見切ることも、また持った剣で両断することもできるだろう。
魔法だって有効だ。
金属を腐食させる魔法で糸を溶かしてもいい。
かなり有効なのは、凍結魔法だ。超低温下で靭性を失った糸は、操り手の意思を受け付けなくなり、容易に折れてしまう。

そもそも、再生力が高い吸血鬼には、鋼糸の与える傷はあまりにも繊細すぎて、ダメージにはならないのだ。
仮に両断されたとしても、容易に再生ができる。

そして、リンドの体は、並の斬撃では(たとえ、鋼糸であれ、剣であれ)容易に傷つかないようにコーティングを施している。

だから。

翼を切り裂かれたのは、意外、であった。
それがリンド自身の加速によるものであったとしても。

地に落ちる前に翼は再生し、ふわりとリンドは石畳のうえに降り立った。

この闘技場は、昔暮らしたことのある、港町の酒場通りを模したものだった。
ロクでもない生活だったのかもしれないが、おそらくは楽しかったのだろう。

バーのドアが開いて、馴染みの魔族がいつもの黒の上下で現れるような気がして、リンドは鼻孔に微かに潮風の匂いを感じていた。

ヨウィスの位置は、確認済みだ。

自ら渡した糸の上を走ることで、立体的な移動を可能にしているとはいえ、彼女の体力は人間のそれを超えることはない。
闇を貫くように飛来した鋼糸をつかみ取り、引きちぎる。

そんなこともロウには可能なのだ。

焦って高速移動を行ったために、まんまと張り巡らされた鋼糸の巣に自ら突っ込むという失態を犯してしまった。
同じ轍は踏まない。

手袋に刺繍された六芒星がひかり、厚く垂れ込めた雲間から、牙をはやした巨大な顔があらわれた。
リンドが指し示した一画に、炎をふきつける。

直撃を受けた、旅荘らしき3階建ての建物が吹き飛び、周りの建物も炎に包まれた。

「さあ、鬼ごっこはこれくらいにしよう。」
ロウ=リンドは笑った。
「出ておいで、ヨウィス。」

炎に包まれ、次々と倒壊していく建物。
建物から建物に渡された鋼糸が、足場を失い、炎に飲み込まれていく。

「かわいいおまえが、焼け死ぬのは見たくない。

もういいじゃないか。
おまえはよく頑張った。卑小な人間の身でありながら、わたしの翼を割いたのだぞ。
もう充分だ。充分すぎる。

そうだ。フィオリナと一緒にわたしの下僕になるといい。

未来永劫・・・・わたしのものになるがいい。
かわいがってあげるよ・・・・ずっとずっとずっと・・・この迷宮の中で。」

バラバラになって崩れ落ちる建物が、ぴたりと止まった。

異変を感じ取ったロウ=リンドの歩みも止まる。

次の瞬間、建物は燃え上がったまま、組み直され、巨大な人形となった。
そのまま、燃える拳でロウに殴りかかってきた。

再び、ロウの手袋の六芒星がひかり、燃える巨人はバラバラの廃材となって吹き飛んだ。

「な・・・なんだこれは・・・・」

ロウは、昔の知識を反芻していた。

「霞刃・・・・糸を操る戦闘には、『人形繰り』という一派があった・・・んだっけ。」

轟々と音を立てる炎の中に、小柄な人影があらわれた。

高速に回転する鋼糸で、身にかかる火さえも切断しつつ。

「ヨウィス・・・・」

ヨウィスには違いない。だが、いつも下をむいていた顔は正面をむき、フードは跳ね上げられ。
口元には、微かな笑みが。

ヨウィスだ、ヨウィスだ。ヨウィス以外のなにものでもない。
かつて、ロウが蹂躙した少女だ。
戦う価値すら見いだせず、地上に送りかえしたあの少女だ。

だが、真祖の本能がこう告げている。

・・・・こいつは別人だ、と。

くすくす、とヨウィスの顔をしたものが笑った。

「・・・かわいそうに・・・ぼくに出会ってしまったね。」

背筋を貫いたのは恐怖、だった。

一斉に放射された甲虫弾は、ヨウィスに到達することなくことごとく両断され、飛び上がろうとして翼に変幻したインバネスもまたバラバラになって、ロウは地に膝をついた。

手袋の六芒星がひかり、石畳が持ち上がるとそれは、石で出来上がった虎となり、まっしぐらにヨウィスに襲いかかる。
が、その細い首に牙をたてる寸前に、ピタリと動きをとめ、くるりと向きを替えると、今度はロウに襲いかかった。

「これも『糸繰り』か」


爪の一撃でこれを粉砕すると、ロウは体をひくくして、ヨウィスめがけて突進した。

前もって罠をしかけたとしても、建物の倒壊でそれも無効化されていると踏んでの接近戦である。

吸血鬼が人間に対して優位なのは、よく忘られがちではあるが、その凄まじいまでの怪力だ。
これがそれなりの巨体、明らかに人間と異なるフォルムをもつものなら、理解がまだしやすい。

人と同じ姿をしたものが、魔物なみの怪力を振るう。
これが、まずいのだ。人間に対処するつもりで、組み付けば組み付いた腕は引きちぎられ、ガードしたつもりでもガードごと粉砕される。

ロウは、走りながら街灯を引き抜き、ヨウィス目がけて投げつけた。

ヨウィスの糸がそれを絡め取り、バラバラに切断する間にさらに距離をつめる。

鋼糸の斬撃が、ロウを襲う。
その威力もまた、以前のヨウィスとは比べ物にならない。
皮膚を浅く切り裂くのが精いっぱいだったのが、深々と肉をえぐり、骨を削る。

掴み取ろうとした手の甲がざっくりと割れ、血が吹き出た。

それでも目の前にせまったヨウィスの顔をつかもうと手を伸ばし。
そこで、ロウは硬直した。

脳は、目の前の少女の頭を握りつぶせ、と命令しているのに、手が動かない。
足も動かない。
体が糸にでも絡め取られたかのように動かない。


かろうじて・・・動くのは眼球と、声、か。

ロウの瞳が紅に染まる。
吸血鬼のもつもうひとつの生来に備わった武器。

“魅了”。

温かい血を持つ生き物を捕食するために、吸血鬼という種族が生まれながらにもっているスキルである。
そして、その力を真祖がふるえば。

ヨウィスの笑みが深くなった。

「それは・・・獲物を捕食するための力だね。」

ロウの足が勝手にたわむ。
止めようとしても止められない。まるで全力で走り出そうとするときのように。

「ぼくは獲物では、ない。」

爆縮された筋肉が開放され、ロウの体は燃え盛り、倒壊しつつある建物の中に、飛び込んだ。
ロウのもつ最高の力をもって飛び込んだのだ。

石造りの基礎の角が、ロウの頭部をえぐり、燃えおちる廃材がロウを押しつぶす。
ロウは・・・・それでも動けない。

「人形繰り・・・・恐ろしいな・・・」

ヨウィスの操る極細の鋼糸は、ロウの神経系に絡みつき、その動きをとめたのだ。そして、あまつさえ、その体を自在に操る。

真祖は、雄叫びをあげた。
動かぬ体を無理矢理に動かす。

神経にまで深く絡みついた糸を引きちぎる。

体がバラバラになる?
そんなものではない。

糸を断ち切るために、ロウの体の神経、循環器系、脊椎に至るまでがすべて引きちぎられた。

再生。

再生。

再生。

燃え盛る炎の中で、体をいったん霧にかえるのは、恐ろしく危険なものだった。
だが、そうするしかない。

自分の体を構成する重要部分を自ら、破壊する。

そんな行為は、年を経た真祖たる彼女もやったことはなかったし、もうやりたくはなかった。

「見事だな、ヨウィス。いやヨウィスの顔をもつ者よ。」

霧となって燃え盛る建物から脱出し、叫んだロウを再び、糸が切断する。
え?

霧を? 切った?

霧は集まって、再びインバネスの美青年の姿となる。
だが、その肩口から胸にかけて、おびただしい出血。

霧の状態でありながら、なぜか有効だった斬撃が、ロウに傷となって生じている。
しかも。
すぐに癒着するはずの傷は、鮮血を吐き出しつつ、いっこうに再生の兆しをみせない。

「試し、とか言っていたな。」
ヨウィスの顔を持つ者は、嘲笑するように言った。
「試されているのは、どちからかな?
いや、あんたが力をセーブしながら戦っていたのはわかっていたよ。でも舐めすぎたね。」

その指先が、ピクリと動いた。

糸が、頭上に落ちる稲妻を切断。

それは、ありえない。

実際は、魔法の構築を察知した彼女が、糸を避雷針替わりにして稲妻をそらしたのだろう。
そうに決まっている・・・・

「ロウってば、ずいぶんとボロボロじゃないの?」

インバネスの羽をひろげて降り立ったのは、まったく同じ顔。同じスタイルのもうひとりの階層主。

ラウル=リンド。

その周りに瞬時に、颶風が吹き荒れた。
真空の刃にヨウィスの糸が、切断される。

「こいつは・・・普通じゃない。」

ロウは、体を引きずるようにして立ち上がる。ひとりでは立っていられずにラウルにもたれかかった。

「羅刹流に加えて、人形繰りも使う。しかも糸に魔力を流している。
自動再生が阻害されるし、切断力も数倍だ。」

「なら、わたし、がやるかい?」

「わたしがやろう。」

吸血鬼は目を合わせた。
わずかなスキに糸の渦が二人を飲み込む。

「なにをする気かわからないけど。」
このヨウィスは破壊を楽しむ。
残虐を楽しむ。
なにもかもぶった切り、ぶち壊し、すりつぶすのが大好きだ。
「遅いよ、遅い。
“糸繰り羅刹”の奥義『渦』。
試し、だと言ったねえ。そこから出てきたらそうだね、認めてあげるよ。」

下がぺろりと薄い唇をなめた。

「出てこれたのはいままで二人だけだけどねえ。」

「ひとりはフィオリナ。」

背後から声に、ヨウィスはびくりと振り返った。

街灯の下に立つインバネスの吸血鬼はひとりだけ。
いままで戦っていたやつか、それとも救援にかけつけたほうかはわからない。

傷は・・・治っている。
衣服にも損傷はみられない。
つまり、いままで与えたダメージはすべて回復されたことになる。

「もうひとりは誰だ?」

「どうやって“渦”から・・・」

「転移、だな。」

「あの中は糸に通した魔力の嵐が起こっている。転移なんか・・・」

もうひとりのヨウィスは空を見上げて笑った。
「そうか・・・・真祖、か。」
今度はまるで邪気のない楽しそうな笑顔だった。

「ずいぶんとよい顔をして笑う。」

「そう? そうなのかもな。
ぼくは、切ったり壊したり殺したりするのがたぶん好きなんだ。
それは、生きてく上に危なっかしくてしょうがないので、ふだんは『私』でいる。

でもぼくもわたしも共通で大好きなものがあってね。
それは、壊しても壊れないものなんだ。」

ヨウィスは表情を消した。
うつむき加減の暗い表情のまま、リンドに手を差し出した。

「ヨウィスちゃんの下僕に認定してあげる。以降、よろしく。」

頭上の空間が歪み、ドアが現れた。
ドアが開くと同時に、ばたばたぐにゃぐにゃと転げ落ちてきたものがいる。

「ロウ! 無事か。」
フィオリナは、リンドにかけよって抱きついた。
「よかった・・・無事で・・・怪我はないのか。」

「ヨウィス!」
と呼ばれたヨウィスは無表情のままちょっと首をかしげた。
「ルト? でもハルトのように話す。本当にあなた方はひとりだったの?」

こちらは、抱きついたりはしなかった。そういうスキンシップはヨウィスは嫌う。

「すまなかった。ほんとは、みんなが動いてくれる前にぜんぶ、済ませるつもりだったんだけど。
怪我はどう?」

「とっくに治っている。」

「今日の怪我は」

「今、治った。」

こつん。とヨウィスはルトの胸に額を預けた。

「わたしの願いも叶えられた。」

リンドが、手をあげると黒雲が晴れた。

いずことも知らぬ波止場の街に、燦々と日が差し込む。

「近くに昔なじみの酒場があるんだ。」
リンドが、笑う。
「みんなで一杯、飲んでいかないか?
うまい酒と海鮮料理が自慢の店だ。」

ちなみに、みんな、と言ったのは。
フィオリナとルトとヨウィス。

相変わらずの薄物で肌を露出している第三階層主リアモンド。
それとド付き合いながらも楽しそうにしている青年は拳法家らしい。防具らしい防具も身に着けず、肩から胸のたくましい筋肉を誇示するかのような出で立ちをしている。

第四階層主のミュレスは相変わらずのタキシードに、のほほんとした顔立ち。
傍らの見慣れない顔の少年は、勇者の冠を示すミスリルの輪で髪をまとめている。
ということは、彼が当代の勇者クロノなのだろうか。

第五階層のオロアは、ローブを身にまとい、学者か医者に見えた。
面差しのどこか似たようなところのある娘は、ああ、そうだ。以前、ヨウィスともうひとり、と一緒に第二層から追い返した少女だった。
ずいぶんと感じがかわったが、それはそれで、いいんじゃないかな、とリンドは思う。

賢者ウィルニアが連れた人物にリンドは、一礼した。

「お久しぶりですね。随分と可愛らしくなられたようです。」

「それはともかく」
そのことには触れられたくないらしく、少年は頬を膨らませた。大変かわいらしい。
「先に、第一層に向かう。ギムリウスが心配だ。」


←←←←←←←
「羅刹流」の糸使いヨウィスちゃんなので、まあこうなりますな。
魔界都市の人探し屋さんとは、役割が逆です。
「ぼく」と「わたし」については『 ヨウィスのこと』をご覧ください。
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