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第66話 賢者の試し
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本当に賢者ウィルニアその人ならば、これは人に対する裏切りか。あるいは『闇落ち』なのか。
階層主をして「常識が通じない」と言われた第六層主は、むしろ人当たりよく、優しげに見えた。
長いトーガは、古の学者たちが好んで着ていたものに似ていたが、
“たしかに1000年前のひとだからな”
と、ルトは納得する。
ゆっくりと立ち上がる。その動作に合わせて彼の影もまた立ち上がった。
影は大鎌をかまえた髑髏の姿をしていた。
ボロボロになった黒いマントの下から、肋骨が見えた。
「彼女はシャーリー。」
賢者ウィルニアは言った。
「歴史に名を記さない強者も数多く存在するが、彼女もそのひとりだ。
元はミトラで聖女と呼ばれていた。」
髑髏がカタカタと音をたてる。笑ったらしい。
鎌を構えたその巨体が。一瞬、ブレた。
残像だけ残し、高速移動。
だが、切り掛かって来たのは残像の方だった。
ルトの体がふらり、とよろめいた。斬撃は虚しく空を切る。
その背後に回り込んだシャーリーは、再び残像を残して移動。
残像から大鎌の一撃が放たれる。
「ということは、ギウリークの皇族さん? いつの時代の方です。」
「今のきみがどんな教科書で歴史を習っているのかはわからないが、年代としては、ギウリークの青の動乱期、今から1200年前になる。」
「ああ、ぼくらの教科書は、いまはグランダの年代記が中心で、西域や中原のことはあんまり載ってないんです。」
「それは残念。
物語としてみた場合、歴史としては魔族と人間が争っていた時代のほうがはるかに面白い。
英雄がいて、聖人がいて、神々がまだ地上にその残滓を残していた。
直接に神の血をひく者もいたぞ。」
「それだと、ぼくらにとっては『先史』になってしまいます。
歴史というより、神話です。」
「たしかに、退屈な『歴史』で学ぶより、神話として楽しんだほうがよいな。」
ウィルニアはうれしそうに頷いた。
この間に、シャーリーの放った斬撃は39回。
動くたびにこのされた残像はそのまま彼女の分身となり、あるものは横殴りに、あるものは袈裟懸けに、あるものは、唐竹割りに、次々と斬りかかる。
いずれもあたれば致命傷は免れない。
受けようにも、ルトは短剣を一振り、携えているだけだった。
いや、そもそも影から生まれた刃は、普通の鉄製の剣で打ち合うことが可能なのだろうか。
試すにはあまりにも危険な気がしたので、ルトはそれらをことごとくかわし続けたのだった。
「そんな皇女にして聖女のシャーリー殿下が、こんなところでアンデッドをしているんです?」
「話せば長いことながら」
賢者は飄々と語りながら、いずからともなく、厚い革表紙の本を取り出した。
「失礼。細かな年号までは覚えていなくてね。
シャーリー、きみがミトラを出奔したのは、青の動乱の前だったっけ?」
「それは、王妃メキアの暗殺を青の動乱に含めるかどうかで諸説がありますわ。」
今や数十体に増えたシャーリーが、鎌を振るう中、うちの一体が、鈴を転がすような声でそう言った。
「そうだな、だいたいその頃だ。と、いうことは失国帝ゾゾアの治世の初期に当たる。」
「青の動乱も、失国帝もわからないのですが。」
ルトは、漂う木の葉のよう。どんな鋭い一撃もふわふわと躱してしまう。
「そこらへんから、初代勇者の誕生までは、西方の歴史で一番おもしろいところだぞ。」
賢者は本当に残念そうに言った。
「芝居とか、詩人の歌とかなにかに残ってないのか?」
「ゾゾアの名前は残ってますね。数字と絵柄を揃えるカードゲームがあるのですが、なにも役がないのをゾゾアの手っていいます。」
シャーリーたちが、鎌を構えたまま、ルトの周りをまわりだした。
速度はあっという間に、目にも留まらぬものになる。
影の刃の竜巻が、ルトを巻き込んだ。
シャアアアアアっ
それは呼気なのか、なんらかの叫びなのか。
あらゆる角度から、少しずつ速度をかえて放たれる大鎌は、少年の命を刈り取るのに十分すぎるものに見えた。
その鎌が、黒衣に包まれた骨の巨体が、もつれあって、ぶつかり合い、鎌の刃はお互いを指し貫く。
ルトの手の中にキラリと光るものが見えた。
ヨウィスからもらった鋼糸だった。
襲いくる鎌をかわし、逃げ回りながら、張り巡らされた鋼糸は、まったく抵抗を感じせないままに、数十体に増えたシャーリーたちに絡みつき、彼の望んだタイミングで、シャーリーを絡め取ったのだ。
ルトは、てんでに倒れ込むシャーリーを避けて、空中へ。
そのまま、ウィルニアに短剣を投じた。
今のところ、彼の唯一の武器であったが、投げたあとも再利用できるよう、柄に鋼糸がくくりつけてある。
長さは、20メトル。
ウィエルニアが立つ場所まではその半分の距離だった、はずだ。
だが、届かない。
一条の光のように飛ぶ短剣が届かない。
「空間を曲げてます、か?」
短剣を巻き戻しながらルトがつぶやく。
「そんな大げさな。」
賢者は軽く肩をすくめてみせた。
「ちょっぴり距離を長くしているだけさ。ハルトくんにはできないかな?」
「できる、のと使える、はちょっと違う。」
ルトは、短剣を手に走る。
が、その背後でお互いがお互いをめちゃめちゃに刺したシャーリーの集合体が立ち上がった。
身の丈は、5メルトを超える。
髑髏に髑髏を埋め込んだような顔は、長い首に支えられて高くそびえ、手は26本。てんでに大鎌を構えていた。
「自分の武器で自分が傷つくほど、未熟ではないよ、シャーリーは。」
走っても走っても、賢者と呼ばれた男への距離はまったく縮まらない。背後からシャーリーが迫る。
先ほどとは違い、わずかに浮いたまま空中をすべる動きだった。
鋼糸に足をとられるのをあるいは警戒したのか。
その速度は、少年が懸命に走る速さを遥かに凌駕していた。
ルトの背中に振り下ろされる大鎌。
振り向きざまに少年が放った「光の剣」と衝突する。
一瞬の拮抗ののち、光の剣が砕けた。
鎌も軌道がそれるが、今のシャーリーの持つ鎌は一本ではない。
次の鎌は、二本の光の剣が交差したものに受け止められた。
その次の一撃も同じく交差した光の剣で食い止められ、さらに彼女めがけて光の剣が投じられる。
それをシャーリーの鎌が打ち払う。
次は、二本の光の剣が続けて迫る。
シャーリーは、複数の鎌をふるいそれをはねのけた。
次の光の剣は、四本。
シャーリーの前進が止まる。
次は四本・・・・いや、シャーリーの背後にも四本の光の剣が現れる。
体を駒のように回転させ、都合八本の光の剣をことごとく打ち払う。
次は16本・・・・
シャーリーは身を翻し、防御と回避に専念する。
「次は32本とか、言わないだろうね。」
にこやかに賢者が話しかけたのは、いままでのような雑談ではなく、あきらかにルトの注意を自分にひきつけて、シャーリーのために間をとろうとする意図が見えた。
「読まれてしまったなら、別の手段にします。」
ルトはいたずらを見つかったときのような笑みをうかべてそういった。
その一瞬の間にシャーリーの巨体をが青黒く染まる。
光の剣をある程度、相殺できる強化魔術で全身を覆ったのだ。
たとえ、32本の光の剣を投じられたとしても。
かまわず、前進し、少年の華奢な体を両断する。そのための強化魔術だった。
だが。
踏み出しかけたシャーリーが立ち止まる。
顔の皮膚もなく、表情をつくる筋肉もない。
そんな髑髏が驚愕の表情を表すことができるのか。
「スケルトン系のアンデッドの感情およびその表現について」
昔、ルトはフィオリナと議論をしたものだった。
フィオリナは、たとえ表情を失ったスケルトンでも表情を表すことができる、と主張していたが、ルトはそれは眉唾ものだと思っていた。
当時、二人が相手にできるようなスケルトン系のアンデッドはそもそも感情などというものがあるほど、高度な存在ではなかったので、この議論は決着がつかずに持ち越されたが・・・
“フィオリナが正しかったのかもな”
ルトは祈るように顔の前で拳を合わせて、わずかにうつむいている。
精神集中のポーズとしては珍しくは、ない。
珍しいのは起こっている現象だった。
光の矢。
光の剣ではない。その下位バージョンであって、光の剣を使える魔法使いならば当然使えるのが当たり前だ。
だが数が尋常ではない。
ルトの背後に展開したものだけで、ざっと100本。
そのほかに。
炎の矢。
氷の矢。
土のニードル。
鋼の矢。
天が暗くなるほどの、それらがシャーリーを全周囲から取り囲んでいた。
骸骨の顔は明らかに畏怖の色を浮かべている。
シャーリーは次の魔法(おそらくは転移系)を発動しようとしたが、ルトは待ってやらなかった。
天空を埋め尽くした「矢」が、一斉にシャーリーに襲いかかる。
26本の鎌がそれを迎え撃つ。
音さえ、光さえ、失うわずか数瞬の攻防。
すべてが終わったとき、巨大な骸骨は、地に倒れ伏してした。
大きさは、通常の人間程度に戻っている。
腕は、2本を残し、すべて欠損し、鎌の残骸と青黒く変色した骨の破片がそこここに散らばっていた。
それでも。
「生き残りましたね。」
ルトはつぶやいた。
「アンデッドにはふさわしくない言い方です・・・・えっと、存在を存続させることに成功しましたね。」
そういったルトも、青白くなった顔で、地面に片膝をついた。
脇腹をかすめた、そうかすめただけの鎌の斬撃で、彼の脇腹はすっぱりと切り裂かれ。
そこからは、だが、一滴の血もこぼれていない。
血がでない傷口というのは、なんと不気味なものか。
傷口をおさえる指の間から零れ落ちそうになるぬらぬらと光るものは、大腸なのか。
吹き出るはずの血はすべて、シャーリーが吸収している。
それが、シャーリーが無数の、あらゆる属性の魔法矢をくらったにもかかわらず「存在を続け」られている理由である。
だが、ひとりの人間の傷口から取れるエネルギーはわずかなものであり・・・シャーリーが戦いを続けられるほどではない。
「・・・・歴史に埋もれし、強者アドル=バーゲル。」
賢者は手にした書物のページをめくる。
おそらく、その名は彼が呼び出そうとした次のアンデッドだったのだろう。
だが、眉間にしわを寄せて、本をそのまま閉じた。
「いや、召喚をいやがるとか、なんだよ。」
「無理やり、呼び出したりはしないのですか?」
ルトは、知りうる限りの治癒魔法をためしている。
だが、傷口はいっこうに塞がる気配がなかった。
血とともに、彼の生命力も一緒に吸われていく。
「その状態で、わたしの心配とは驚いた。
彼の意思に反してまで、この場に呼ぶつもりはないよ。そんな場面でもないし。」
「英霊をアンデッド化して召喚、使役するだけでもたいがいにしてほしいのですが、隷属魔法ではなく、信義で結ばれているとなると、いったいどこからつっこんでいいのかわかりませんね。
正直、初代勇者のパーティはそんな化け物揃いだったんですか。」
「そのころの私にそこまでの力はなかった。」
ウィルニアはそのまま、一歩、ルトのほうに歩んだ。
それでもうウィルニアはルトの隣にいる。
「このまま、きみもアンデッド化させて部下に加えたいところだが」
「肉体をもったまましたいことがありますので今回はお断りします。
傷は治せますか?
もし、無理なら、シャーリーに止めをさす、という嫌な方法をとらないとなりません。」
「わかっていて、なんでそうしない?」
「今回の件については、犠牲者はできるだけ少なく、をモットーにやらせてもらってるので。」
立ち上がったシャーリーがのろのろとルトのそばに座り込み、傷口を覗き込む。
ルトがなにかする間もなく、骸骨の歯がルトの脇腹に食い込み・・・そのまま食いちぎった。
鮮血が迸る。
痛みに悲鳴をあげかけたルトだったが、自らの治癒魔法が今度は正しく発動した。
淡い光に包まれて、傷がふさがり、数秒後には傷有りすら残さずに完治した。
「シャーリー・・・・」
ウィルニアは骸骨聖女に話かけようとし、怪訝な顔でふたたび眉間にしわを寄せた。
「・・・・と、きみの間に魂の回廊が結ばれている。
いつの間に?」
「元婚約者の公爵家令嬢と『血を吸った吸血鬼を自分の下僕に変える』魔法を開発したことがありまして。
その応用です。
シャーリーは、いままでと変わりなくあなたの忠実な下僕ですし、ぼくと戦えと命令されれば、命をかけて(いやアンデッドにこの言い方はおかしいな)存在をかけて戦うでしょうけど、それ以外のところでは、ぼくとシャーリーは友人です。」
ウィルニアは、魂の回路を切断しようと指を伸ばし・・・中止した。
「シャーリー」
困ったように賢者は、骸骨聖女に問いかける。
「この少年の存在を変えるべきではないと思うのか?」
「あなたさまには、友人が必要かと。」
「この少年がそれに値するものだと? 友人ならば、彼がいる。きみたちもいる。
わたしは少なくとも寂しい思いなどしてはおらんよ。」
「でも、その血の通ったおぞましい肉体から解き放たれようとはなさらない。」
髑髏は、聖女の声で笑った。
「つまるところは、あなたさまは、血の通った人間がお好きなのです。
口を開けば、教訓をたれ、慈愛を説いていた『亡国帝』とは真逆ですわ。」
「・・・・少年よ。いやハルト王子、とよぼうか?」
「ここには一介の冒険者として訪れています。ルト、とお呼びください、賢者殿。」
「ウィルニアでいい。」
魔法の杖を一振り・・・すら、彼はしなかった。
ただ、そこにあってほしいものを見つめただけ。
それで、テーブルに椅子、湯気のたった紅茶ポットにカップが現れた。
小皿には焼き菓子までのっている。
「ギムリウスたちはウィルと呼んでいたようですが。」
「ウィルでもいいよ。
あれらもよき友人たちではあるが。
魔物というものは力さえあれば、なんでもかんでも友として認めてしまうところがあって困る。」
「彼らは、人間よりはるかに長寿です。
正義、などというものが時代と場所がかわってしまえばあまりにも儚く、移ろいゆくものであることを知っているからではないでしょうか。」
「それをきみが言うかね?
失礼ながら、まだ十代の半ばに見えるが。」
ウィルニアは手をふって、席につくようにルトを促した。
「16ですよ。グランダでは成人の年齢です。」
「では、ルトよ。話をきこう。」
階層主をして「常識が通じない」と言われた第六層主は、むしろ人当たりよく、優しげに見えた。
長いトーガは、古の学者たちが好んで着ていたものに似ていたが、
“たしかに1000年前のひとだからな”
と、ルトは納得する。
ゆっくりと立ち上がる。その動作に合わせて彼の影もまた立ち上がった。
影は大鎌をかまえた髑髏の姿をしていた。
ボロボロになった黒いマントの下から、肋骨が見えた。
「彼女はシャーリー。」
賢者ウィルニアは言った。
「歴史に名を記さない強者も数多く存在するが、彼女もそのひとりだ。
元はミトラで聖女と呼ばれていた。」
髑髏がカタカタと音をたてる。笑ったらしい。
鎌を構えたその巨体が。一瞬、ブレた。
残像だけ残し、高速移動。
だが、切り掛かって来たのは残像の方だった。
ルトの体がふらり、とよろめいた。斬撃は虚しく空を切る。
その背後に回り込んだシャーリーは、再び残像を残して移動。
残像から大鎌の一撃が放たれる。
「ということは、ギウリークの皇族さん? いつの時代の方です。」
「今のきみがどんな教科書で歴史を習っているのかはわからないが、年代としては、ギウリークの青の動乱期、今から1200年前になる。」
「ああ、ぼくらの教科書は、いまはグランダの年代記が中心で、西域や中原のことはあんまり載ってないんです。」
「それは残念。
物語としてみた場合、歴史としては魔族と人間が争っていた時代のほうがはるかに面白い。
英雄がいて、聖人がいて、神々がまだ地上にその残滓を残していた。
直接に神の血をひく者もいたぞ。」
「それだと、ぼくらにとっては『先史』になってしまいます。
歴史というより、神話です。」
「たしかに、退屈な『歴史』で学ぶより、神話として楽しんだほうがよいな。」
ウィルニアはうれしそうに頷いた。
この間に、シャーリーの放った斬撃は39回。
動くたびにこのされた残像はそのまま彼女の分身となり、あるものは横殴りに、あるものは袈裟懸けに、あるものは、唐竹割りに、次々と斬りかかる。
いずれもあたれば致命傷は免れない。
受けようにも、ルトは短剣を一振り、携えているだけだった。
いや、そもそも影から生まれた刃は、普通の鉄製の剣で打ち合うことが可能なのだろうか。
試すにはあまりにも危険な気がしたので、ルトはそれらをことごとくかわし続けたのだった。
「そんな皇女にして聖女のシャーリー殿下が、こんなところでアンデッドをしているんです?」
「話せば長いことながら」
賢者は飄々と語りながら、いずからともなく、厚い革表紙の本を取り出した。
「失礼。細かな年号までは覚えていなくてね。
シャーリー、きみがミトラを出奔したのは、青の動乱の前だったっけ?」
「それは、王妃メキアの暗殺を青の動乱に含めるかどうかで諸説がありますわ。」
今や数十体に増えたシャーリーが、鎌を振るう中、うちの一体が、鈴を転がすような声でそう言った。
「そうだな、だいたいその頃だ。と、いうことは失国帝ゾゾアの治世の初期に当たる。」
「青の動乱も、失国帝もわからないのですが。」
ルトは、漂う木の葉のよう。どんな鋭い一撃もふわふわと躱してしまう。
「そこらへんから、初代勇者の誕生までは、西方の歴史で一番おもしろいところだぞ。」
賢者は本当に残念そうに言った。
「芝居とか、詩人の歌とかなにかに残ってないのか?」
「ゾゾアの名前は残ってますね。数字と絵柄を揃えるカードゲームがあるのですが、なにも役がないのをゾゾアの手っていいます。」
シャーリーたちが、鎌を構えたまま、ルトの周りをまわりだした。
速度はあっという間に、目にも留まらぬものになる。
影の刃の竜巻が、ルトを巻き込んだ。
シャアアアアアっ
それは呼気なのか、なんらかの叫びなのか。
あらゆる角度から、少しずつ速度をかえて放たれる大鎌は、少年の命を刈り取るのに十分すぎるものに見えた。
その鎌が、黒衣に包まれた骨の巨体が、もつれあって、ぶつかり合い、鎌の刃はお互いを指し貫く。
ルトの手の中にキラリと光るものが見えた。
ヨウィスからもらった鋼糸だった。
襲いくる鎌をかわし、逃げ回りながら、張り巡らされた鋼糸は、まったく抵抗を感じせないままに、数十体に増えたシャーリーたちに絡みつき、彼の望んだタイミングで、シャーリーを絡め取ったのだ。
ルトは、てんでに倒れ込むシャーリーを避けて、空中へ。
そのまま、ウィルニアに短剣を投じた。
今のところ、彼の唯一の武器であったが、投げたあとも再利用できるよう、柄に鋼糸がくくりつけてある。
長さは、20メトル。
ウィエルニアが立つ場所まではその半分の距離だった、はずだ。
だが、届かない。
一条の光のように飛ぶ短剣が届かない。
「空間を曲げてます、か?」
短剣を巻き戻しながらルトがつぶやく。
「そんな大げさな。」
賢者は軽く肩をすくめてみせた。
「ちょっぴり距離を長くしているだけさ。ハルトくんにはできないかな?」
「できる、のと使える、はちょっと違う。」
ルトは、短剣を手に走る。
が、その背後でお互いがお互いをめちゃめちゃに刺したシャーリーの集合体が立ち上がった。
身の丈は、5メルトを超える。
髑髏に髑髏を埋め込んだような顔は、長い首に支えられて高くそびえ、手は26本。てんでに大鎌を構えていた。
「自分の武器で自分が傷つくほど、未熟ではないよ、シャーリーは。」
走っても走っても、賢者と呼ばれた男への距離はまったく縮まらない。背後からシャーリーが迫る。
先ほどとは違い、わずかに浮いたまま空中をすべる動きだった。
鋼糸に足をとられるのをあるいは警戒したのか。
その速度は、少年が懸命に走る速さを遥かに凌駕していた。
ルトの背中に振り下ろされる大鎌。
振り向きざまに少年が放った「光の剣」と衝突する。
一瞬の拮抗ののち、光の剣が砕けた。
鎌も軌道がそれるが、今のシャーリーの持つ鎌は一本ではない。
次の鎌は、二本の光の剣が交差したものに受け止められた。
その次の一撃も同じく交差した光の剣で食い止められ、さらに彼女めがけて光の剣が投じられる。
それをシャーリーの鎌が打ち払う。
次は、二本の光の剣が続けて迫る。
シャーリーは、複数の鎌をふるいそれをはねのけた。
次の光の剣は、四本。
シャーリーの前進が止まる。
次は四本・・・・いや、シャーリーの背後にも四本の光の剣が現れる。
体を駒のように回転させ、都合八本の光の剣をことごとく打ち払う。
次は16本・・・・
シャーリーは身を翻し、防御と回避に専念する。
「次は32本とか、言わないだろうね。」
にこやかに賢者が話しかけたのは、いままでのような雑談ではなく、あきらかにルトの注意を自分にひきつけて、シャーリーのために間をとろうとする意図が見えた。
「読まれてしまったなら、別の手段にします。」
ルトはいたずらを見つかったときのような笑みをうかべてそういった。
その一瞬の間にシャーリーの巨体をが青黒く染まる。
光の剣をある程度、相殺できる強化魔術で全身を覆ったのだ。
たとえ、32本の光の剣を投じられたとしても。
かまわず、前進し、少年の華奢な体を両断する。そのための強化魔術だった。
だが。
踏み出しかけたシャーリーが立ち止まる。
顔の皮膚もなく、表情をつくる筋肉もない。
そんな髑髏が驚愕の表情を表すことができるのか。
「スケルトン系のアンデッドの感情およびその表現について」
昔、ルトはフィオリナと議論をしたものだった。
フィオリナは、たとえ表情を失ったスケルトンでも表情を表すことができる、と主張していたが、ルトはそれは眉唾ものだと思っていた。
当時、二人が相手にできるようなスケルトン系のアンデッドはそもそも感情などというものがあるほど、高度な存在ではなかったので、この議論は決着がつかずに持ち越されたが・・・
“フィオリナが正しかったのかもな”
ルトは祈るように顔の前で拳を合わせて、わずかにうつむいている。
精神集中のポーズとしては珍しくは、ない。
珍しいのは起こっている現象だった。
光の矢。
光の剣ではない。その下位バージョンであって、光の剣を使える魔法使いならば当然使えるのが当たり前だ。
だが数が尋常ではない。
ルトの背後に展開したものだけで、ざっと100本。
そのほかに。
炎の矢。
氷の矢。
土のニードル。
鋼の矢。
天が暗くなるほどの、それらがシャーリーを全周囲から取り囲んでいた。
骸骨の顔は明らかに畏怖の色を浮かべている。
シャーリーは次の魔法(おそらくは転移系)を発動しようとしたが、ルトは待ってやらなかった。
天空を埋め尽くした「矢」が、一斉にシャーリーに襲いかかる。
26本の鎌がそれを迎え撃つ。
音さえ、光さえ、失うわずか数瞬の攻防。
すべてが終わったとき、巨大な骸骨は、地に倒れ伏してした。
大きさは、通常の人間程度に戻っている。
腕は、2本を残し、すべて欠損し、鎌の残骸と青黒く変色した骨の破片がそこここに散らばっていた。
それでも。
「生き残りましたね。」
ルトはつぶやいた。
「アンデッドにはふさわしくない言い方です・・・・えっと、存在を存続させることに成功しましたね。」
そういったルトも、青白くなった顔で、地面に片膝をついた。
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そこからは、だが、一滴の血もこぼれていない。
血がでない傷口というのは、なんと不気味なものか。
傷口をおさえる指の間から零れ落ちそうになるぬらぬらと光るものは、大腸なのか。
吹き出るはずの血はすべて、シャーリーが吸収している。
それが、シャーリーが無数の、あらゆる属性の魔法矢をくらったにもかかわらず「存在を続け」られている理由である。
だが、ひとりの人間の傷口から取れるエネルギーはわずかなものであり・・・シャーリーが戦いを続けられるほどではない。
「・・・・歴史に埋もれし、強者アドル=バーゲル。」
賢者は手にした書物のページをめくる。
おそらく、その名は彼が呼び出そうとした次のアンデッドだったのだろう。
だが、眉間にしわを寄せて、本をそのまま閉じた。
「いや、召喚をいやがるとか、なんだよ。」
「無理やり、呼び出したりはしないのですか?」
ルトは、知りうる限りの治癒魔法をためしている。
だが、傷口はいっこうに塞がる気配がなかった。
血とともに、彼の生命力も一緒に吸われていく。
「その状態で、わたしの心配とは驚いた。
彼の意思に反してまで、この場に呼ぶつもりはないよ。そんな場面でもないし。」
「英霊をアンデッド化して召喚、使役するだけでもたいがいにしてほしいのですが、隷属魔法ではなく、信義で結ばれているとなると、いったいどこからつっこんでいいのかわかりませんね。
正直、初代勇者のパーティはそんな化け物揃いだったんですか。」
「そのころの私にそこまでの力はなかった。」
ウィルニアはそのまま、一歩、ルトのほうに歩んだ。
それでもうウィルニアはルトの隣にいる。
「このまま、きみもアンデッド化させて部下に加えたいところだが」
「肉体をもったまましたいことがありますので今回はお断りします。
傷は治せますか?
もし、無理なら、シャーリーに止めをさす、という嫌な方法をとらないとなりません。」
「わかっていて、なんでそうしない?」
「今回の件については、犠牲者はできるだけ少なく、をモットーにやらせてもらってるので。」
立ち上がったシャーリーがのろのろとルトのそばに座り込み、傷口を覗き込む。
ルトがなにかする間もなく、骸骨の歯がルトの脇腹に食い込み・・・そのまま食いちぎった。
鮮血が迸る。
痛みに悲鳴をあげかけたルトだったが、自らの治癒魔法が今度は正しく発動した。
淡い光に包まれて、傷がふさがり、数秒後には傷有りすら残さずに完治した。
「シャーリー・・・・」
ウィルニアは骸骨聖女に話かけようとし、怪訝な顔でふたたび眉間にしわを寄せた。
「・・・・と、きみの間に魂の回廊が結ばれている。
いつの間に?」
「元婚約者の公爵家令嬢と『血を吸った吸血鬼を自分の下僕に変える』魔法を開発したことがありまして。
その応用です。
シャーリーは、いままでと変わりなくあなたの忠実な下僕ですし、ぼくと戦えと命令されれば、命をかけて(いやアンデッドにこの言い方はおかしいな)存在をかけて戦うでしょうけど、それ以外のところでは、ぼくとシャーリーは友人です。」
ウィルニアは、魂の回路を切断しようと指を伸ばし・・・中止した。
「シャーリー」
困ったように賢者は、骸骨聖女に問いかける。
「この少年の存在を変えるべきではないと思うのか?」
「あなたさまには、友人が必要かと。」
「この少年がそれに値するものだと? 友人ならば、彼がいる。きみたちもいる。
わたしは少なくとも寂しい思いなどしてはおらんよ。」
「でも、その血の通ったおぞましい肉体から解き放たれようとはなさらない。」
髑髏は、聖女の声で笑った。
「つまるところは、あなたさまは、血の通った人間がお好きなのです。
口を開けば、教訓をたれ、慈愛を説いていた『亡国帝』とは真逆ですわ。」
「・・・・少年よ。いやハルト王子、とよぼうか?」
「ここには一介の冒険者として訪れています。ルト、とお呼びください、賢者殿。」
「ウィルニアでいい。」
魔法の杖を一振り・・・すら、彼はしなかった。
ただ、そこにあってほしいものを見つめただけ。
それで、テーブルに椅子、湯気のたった紅茶ポットにカップが現れた。
小皿には焼き菓子までのっている。
「ギムリウスたちはウィルと呼んでいたようですが。」
「ウィルでもいいよ。
あれらもよき友人たちではあるが。
魔物というものは力さえあれば、なんでもかんでも友として認めてしまうところがあって困る。」
「彼らは、人間よりはるかに長寿です。
正義、などというものが時代と場所がかわってしまえばあまりにも儚く、移ろいゆくものであることを知っているからではないでしょうか。」
「それをきみが言うかね?
失礼ながら、まだ十代の半ばに見えるが。」
ウィルニアは手をふって、席につくようにルトを促した。
「16ですよ。グランダでは成人の年齢です。」
「では、ルトよ。話をきこう。」
0
ご覧いただきありがとうございます。なんとか完結しました。彼らの物語はまだ続きます。後日談https://www.alphapolis.co.jp/novel/807186218/844632510
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