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第49話 裏切り
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迷宮を「つまらない」か「面白いか」で評価するのは、相応しくない。
理屈は正しいのだか、ゾルは、魔王宮第二層を典型的なまでにつまらない迷宮だと思い始めている。
第二層の階層主が吸血鬼ならば、ここに出てくる魔物は、肉体をもつアンデット系のものである可能性が高い。
実際、降りたばかりの部屋で、何体かのスケルトンと遭遇したが、そのあとはさっぱりだ。
やたら隘路は多いし、足場が悪かったり、狭かったりの部分は多いが、そんなものは、王都の下町よりもややマシなくらいだ。
ワナも何個かあった。
落とし穴や。壁から飛び出す槍衾、うっかり踏むと毒ガスの吹き出るタイルなど。
あとはひたすら歩く。
歩く。
歩く。
歩くだけ。
「ここが遊園地のホラーハウスなら銅貨三枚以上は絶対に払わん!」
と、クローディアが呟いたのに、全員が納得したのだった。
「ヨウィスを一蹴するほどの吸血鬼なら、真祖に近い高位種のはずです。」
笑みを絶やさぬ魔法使いのコッペリオは、探査のための使い魔を次々と放ちながら周りの調査に余念が無い。
ヨウィスの糸のように、敵を見つけたら即攻撃!という訳にはいかないが、斥候の役割を十分に果たしていた。
「当然、配下にも従属種の吸血鬼を抱えているはずです。
まったく攻撃がない理由がわかりませぬなあ。
こちらに恐れおののいたわけでもないでしょうに。」
「案外、ほんとにそうかもよ。」
リヨンのガラガラ声は治っていなかったが、少なくとも新しい自分の姿にクローディアが忌避を示さなかったためか、2層におりてからのリヨンは、やや饒舌になっていた。
「わたしの力も黄金級か下手すれば英雄級にあがってるはずだから、まともな判断ができる階層主で、部下を大事に思うならやたらに仕掛けてはこないでしょ。」
「まともな“判断”をする階層主・・・・」
アイベルが気になったようにその言葉を繰り返した。
「それは、自我と知性を持ち、自分で判断ができる階層主、ということですか?」
「そうだよ、魔王宮は現代には珍しい『生きている』迷宮だから、ね。」
少なくともわたしが、第一層で遭遇した神獣は間違いなく、生きていた。
ちゃんと会話も出来てたし、笑っちゃうことには私たちを見逃そうとさえした。
なら、第二層の迷宮主もそうだ、と判断してよいよね。」
「リヨン」
クリュークが呆れたように言った。
「しゃべり過ぎです。」
「はしゃいでるんだよ、クリューク。」
悪びれもせずに、リヨンは言った。
「なにしろ、わたしとわたしの勇者様が一緒のパーティで冒険してるんだからね!」
「クリューク殿」
クローディアとクリュークは、慇懃なまでの丁寧すぎる態度を互いにくずさない。
それは、互いの関係に距離をおくことを宣言しているからでもあり、かならずしも相手を信用しているわけではないことを改めて自分に言い聞かせる意味でもある。
「なんでしょう? クローディア閣下。」
「“生きている迷宮”とは何を意味する言葉でしょう?」
一瞬、クリュークは躊躇したが、ここで隠してもしかたないと思ったのか、素直に応えた。
「迷宮を司るものが、コアと呼ばれる自動装置ではなく、意思をもつ知的生命体だ、という意味です。」
「無学なわたしにわかるように言い換えると、かつてこの地に封じられた魔王が、まだ生きていると?」
「それが、かつて『魔王』と呼ばれた存在なのかは別として」
クリュークは淡々と言った。
そのような口調は、彼が内心を読まれたくないと思っているときにするものだ、というのが、クローディアにはだいたい分かってきていた。
「それに匹敵するような何か、がこの迷宮の最深部におります。」
「それは、一大事、と言えますな。」
クローディアも同じくとぼけたような口調で返した。
「残念ながら、我が国の後継者争いの会場にするには、ふさわしくない場所のようだ。
一刻も早く、聖光教会へ連絡し、勇者を派遣してもらうべきでは?」
「その判断は陛下がすべきものかと。」
「臣下が正しく情報を使えねば、判断すべきものも判断できません。」
「クローディア閣下。」
クリュークは、足を止めた。
「私の今の話はすべて憶測に過ぎません。
意思を持つ階層主もまだ、私の目で確かめたわけではありません。
すべて、確実なる事象を元に曖昧さのない情報こそ、陛下のもとにあげるべきか、と。」
「なるほど。まさにそのために我々はここにいるようなものですからな。」
「・・・閣下のような聡明な方にご理解いただけて幸いです。」
クリュークは背を向ける。
「もちろん、お嬢様の救出は何にも増して優先いたしますが」
「話の途中に悪いんだが」
ゾルが、こわばった顔で割り込んだ。
「どうも覚えのある魔道の波長がするんだ。こっちの通路の奥なんだが。」
「戦闘です。」
『こっちの通路』に使い魔を送り込んでいた。コッペリオも笑みを引き攣らせている。
「魔力の余波だけで、使い魔が消し飛びました。
対象は二つ。
ひとつはおそらく階層主です。
真祖クラスの吸血鬼。
それと争ってるもうひとつの魔力源は・・・・」
「姫、だ。
なにをやらかすかと思って心配していたが、よりにもよって階層主とおっぱじめてやがんのかい。」
通路は、これまでのものに比べればかなり広い。
それでも第一階層のような人工の照明もないし、足元は岩がごろごろしている。
そこをクローディアは全力で疾走した。
心配などしていない。
そう思っていたはずではあった。
もともと彼は重量級だ。敏速性より、一撃の重みで勝負する。
かわすのではなく、受け止めて、然るのちに反撃する。
そのはずだった。歳だって若くはない。
それでも一行の誰よりも早く、クローディアはその大広間にたどり着いたのだ。
広間の中心には。
愛する娘と。
それに覆い被さって、今にも牙を立てようとする黒いインバネスの吸血鬼が。
「フィオリナっ!」
声の限りにクローディアは叫んだ。吸血鬼の注意をすこしでも引きたかったからでもあった。
「助けに来たぞ!」
「姫!!」
ゾアが魔剣を抜いて飛び出した。
「その手を離せ! 吸血鬼。」
フィオリナには、その言葉は届かないのか。
フィオリナと美貌の吸血鬼は互いをしっかりと見つめたまま。
フィオリナの右手が、吸血鬼の首を抱くように回される。
そのまま、胸に抱くように、吸血鬼を引き寄せた。
“魅入られているのかっ! 止せ!フィオリナ”
叫ぶ代わりに、クローディアは弓を番える。
血を吸われていなければ。吸われていなければ。大丈夫だ。
ここで、この吸血鬼を倒してしまえば。
ぐい。
とフィオリナの手が吸血鬼を抱き寄せた。
ビクッとその体が痙攣する。
二人の身体が重なりあい、一同が何も出来ぬ、短く、濃厚なときが流れた。
吸血鬼の体がふらふらと立ち上がる。斬りかかろうとしたゾアの手が止まった。
吸血鬼には。
首がなかった。
フィイリナが体を起こす。
「大丈夫か、フィ…」
言いかけて父は言葉をなくした。
大丈夫どころではない。
右の手首は折れ、全身が血まみれだ。ぐいっと、吸血鬼の生首を持ち上げた左手も指が数本あらぬ方向へ曲がっていた。
首無しの吸血鬼が、首を求めるように両手を差し伸べたところへ。
ゾアの魔剣が心の臓を貫いた。
剣を中心に黒い炎が、その体を包む。ゆらゆらと彷徨うように数本歩いた体がどうっと、崩れ落ち、灰となって消えていく。
いかなる再生も許さないゾアの魔剣“黒陽”の力である。
「姫さん!」
純粋に歓喜と感嘆の叫びをあげたのは、リヨンだった。
駆け寄って、フィオリナを支える。
足も片方が折れている。完全に曲がるはずのない方向に曲がっているので、再生治療が必要なはずだ。
「ペイント女」
フィオリナは、生首をゾアに押し付けた。
「なんでうちのパーティに潜り込んでいる?」
「助けに来たんだよ。」
リヨンは、傷だらけのフィオリナの体のどこを触って支えたものか四苦八苦していた。
「あれからも変異体が続出で、二層に潜れる銀級以上のパーティが足りなくってね!
ここは臨時のパーティってわけ。」
「目的は姫の捜索と救出だ。無事に完遂ってわけだな。」
ゾアは、吸血鬼の首を持ち上げて、まじまじと顔を覗き込んでいた。
「ここの階層主だと、名乗っていた。伯爵級のヴァンパイヤだそうだ。」
「それを姫一人でやっちまっのか? 常識ってもんをわきまえろ。」
「私を下僕にしたかったらしいな、どうしても。そこにスキがあった。」
フィオリナは治癒の術式を発動させる。
切り傷はなんとかなりそうだった。だが、骨折の方は専門の治癒師にまかせたほうだよさそうだ。
「なかなかの美形だな。そういう意味ではお似合いのカップルになったかもしれない。」
そんなことにならなかったから、叩ける軽口をゾアは笑って口にした。
「フィリオナ様。」
クリュークが跪いて、頭を垂れた。
「クローディア公爵閣下とともに、地上へのご帰還を。
エルマート殿下もお待ちです。」
「一緒に転移した少年はどうした?」
巡り合った娘への第一声にしては、間が抜けている、と思いながらクローディアは言った。
フィオリナの顔が曇る。
「…“彷徨えるフェンリル”のザックという男が、連れ去った。
おそらく三層に向かったはずだ。
わたしと共同で階層主と戦う手筈だったが、いっぱい食わされた。」
「彷徨えるフェンリルは、おまえに剣を届けるように依頼したパーティのはずだ。
ザックは、第二階層主に捕らえられたとの報告を、ヨウィスから聞いている。
なにゆえ、あの少年を連れて、下層へ向かうのだ?」
「父上」
フィオリナはお手上げ、のポーズを取ったが、手首や指が折れた状態だったのでかなりシュールでわかりにくいものとなった。
「第一階層の神獣が言っていた。あの男は邪神ヴァルゴールの使徒だと。」
じろり、とクリュークを睨む。
「そして、リヨンも、な。何を企む?蝕乱天使。」
クリュークは笑う。
「いや、それについてはじっくりお話する必要があるようです。」
大げさに手を振りながら、コツコツと足音をたててフィオリナの周りを回る。
「誤解もあるようだ・・・・わたしは、『ヴァルゴールの契約』においてその力の一部を使うことができる。
だが、ヤツの信徒ではなく、むしろ、ヴァルゴールを使役する立場にあります。
つまりは、召喚主と召喚獣の関係に近い。
相手が神の場合それをどう表現するかはわかりませんが。
そしてまた、そのような契約を交わした神はヴァルゴールだけではない。
つまりはわたしの」
「やれ、リヨン。」
フィオリナの傷ついた身体を支えるリヨンの手が閉じられた。
掴み潰されるフィリオナの身体から血が飛び散った。
苦痛を感じる時間はあっただろうか。
引きちぎられた生首が宙に飛んだ。
クリュークの抜き手は、そのときにはもうクローディアの心臓を掴み取っていた。
「クローディア公爵、ならびにそのご令嬢は、迷宮にて遭難。」
剣を抜く間もなく。
ゾアとアイベルほどの達人が棒立ちになったまま、リヨンの光る鞭に胴と首を切断されて、地に倒れた。
「白狼の戦士たちも善戦むなしく、階層主のまえに討ち死。」
「かくして、グランダはお主の手に落ちる、か。」
クローディアは笑った。
クリュークは、倒れたクローディアの死体を・・いやそれはただの岩の塊に過ぎず、掴みだした心臓もただの土塊にすぎなかった。
リヨンも腕の中で崩れ落ちる泥の塊に呆然と立ち尽くした。
「クローディア!!」
クリュークの手から黒い毒蛇が飛び出し、クローディアの首に噛み付く。
ただ、それもただの岩。
ゾアとアイベルの死体もただの瓦礫の集合体に姿を変えていた。
いつの間にか、広間を霧が覆い尽くしている。
ねっとりとしたミルク色の霧だった。
「リヨン・・・・父上に不義を持ちかける色女。ここで死ぬがいい。」
「クリューク・・・グランダに対する反逆の意、確かめさせてもらった・・・ここでお主を討つ!!」
剣を構えるフィオリナに。
弓をつがえるクローディアに。
リヨンとクリュークはそれぞれ、光りの鞭と毒蛇を投じる。
がはっ
毒蛇は見事に狙い違わず、クローディアの胸元に噛み付いた。
致死性の毒を流し込まれたリヨンがよろめく。
光の鞭は、フィオリナの腕を肩口から切り飛ばした。
腕を飛ばされたクリュークが跪く。
「・・・惑乱の道化師、コッペリオ・・・・」
「おやおや・・・これで致命傷にならないとは。さすがは燭乱天使のお二人だ。」
コッペリオの声は、足元から聞こえた。頭上から聞こえた。
右からも。
左からも。
周りのすべてがコッペリオだった。
「いつから・・・・」
「さあ? わたしはいつからそこにいたのでしょう?」
「リヨン!攻撃をやめろ。同士討ちになる。」
「いまさら、おそっ」
クリュークは大量の出血で、リヨンは毒蛇の猛毒で。
それぞれ動くこともできない。
「おやおや・・では止めを刺させていただきます。」
倒れた二人の周りを無数の炎の矢が取り囲む。
「さらばです。邪悪なる西方の冒険者諸君!!」
一斉に放たれた炎の矢は業火となって二人の冒険を飲み込む。
倒れ伏した二人は、もはや身動きひとつせずに炎に飲み込まれた。
だが。
「・・・・円環の神グライゾラーク。」
「・・・・再起動・・・・」
クリュークとリヨンは身体を起こした。
切り飛ばしたクリュークの腕は再生され、毒に侵されたリヨンにもダメージのあとは見えない。
「やれやれ。
やはり、炎の矢も幻覚でしたか。
調子に乗って仕掛けてくるなら、返り討ちにしたものを。」
クリュークが苦笑いを浮かべた。
「ふん、わたしはなにかの幻惑にかけられてたことには気がついてた。」
リヨンは毒づいた。
「姫さんはわたしのこと、名前では呼ばないからね。」
そのまま、クリュークを睨んだ。
「で? どうする? 短絡的にクローディアに仕掛けなければまだ、話のしようはあったと思うんだけど?
わたしの恋路をどうしてくれるっ!」
「かまいません。戻りますよ、地上に。」
「迷宮の入口でグランダ軍が取り囲んでたりして。」
「そうはしないと思いますよ。
クローディア公爵閣下は、出来るだけ血は流したくないお方だと見える。
そこが、弱点であり。」
どこか嬉しそうにクリュークは言った。
「長所でもあるのですがね。」
理屈は正しいのだか、ゾルは、魔王宮第二層を典型的なまでにつまらない迷宮だと思い始めている。
第二層の階層主が吸血鬼ならば、ここに出てくる魔物は、肉体をもつアンデット系のものである可能性が高い。
実際、降りたばかりの部屋で、何体かのスケルトンと遭遇したが、そのあとはさっぱりだ。
やたら隘路は多いし、足場が悪かったり、狭かったりの部分は多いが、そんなものは、王都の下町よりもややマシなくらいだ。
ワナも何個かあった。
落とし穴や。壁から飛び出す槍衾、うっかり踏むと毒ガスの吹き出るタイルなど。
あとはひたすら歩く。
歩く。
歩く。
歩くだけ。
「ここが遊園地のホラーハウスなら銅貨三枚以上は絶対に払わん!」
と、クローディアが呟いたのに、全員が納得したのだった。
「ヨウィスを一蹴するほどの吸血鬼なら、真祖に近い高位種のはずです。」
笑みを絶やさぬ魔法使いのコッペリオは、探査のための使い魔を次々と放ちながら周りの調査に余念が無い。
ヨウィスの糸のように、敵を見つけたら即攻撃!という訳にはいかないが、斥候の役割を十分に果たしていた。
「当然、配下にも従属種の吸血鬼を抱えているはずです。
まったく攻撃がない理由がわかりませぬなあ。
こちらに恐れおののいたわけでもないでしょうに。」
「案外、ほんとにそうかもよ。」
リヨンのガラガラ声は治っていなかったが、少なくとも新しい自分の姿にクローディアが忌避を示さなかったためか、2層におりてからのリヨンは、やや饒舌になっていた。
「わたしの力も黄金級か下手すれば英雄級にあがってるはずだから、まともな判断ができる階層主で、部下を大事に思うならやたらに仕掛けてはこないでしょ。」
「まともな“判断”をする階層主・・・・」
アイベルが気になったようにその言葉を繰り返した。
「それは、自我と知性を持ち、自分で判断ができる階層主、ということですか?」
「そうだよ、魔王宮は現代には珍しい『生きている』迷宮だから、ね。」
少なくともわたしが、第一層で遭遇した神獣は間違いなく、生きていた。
ちゃんと会話も出来てたし、笑っちゃうことには私たちを見逃そうとさえした。
なら、第二層の迷宮主もそうだ、と判断してよいよね。」
「リヨン」
クリュークが呆れたように言った。
「しゃべり過ぎです。」
「はしゃいでるんだよ、クリューク。」
悪びれもせずに、リヨンは言った。
「なにしろ、わたしとわたしの勇者様が一緒のパーティで冒険してるんだからね!」
「クリューク殿」
クローディアとクリュークは、慇懃なまでの丁寧すぎる態度を互いにくずさない。
それは、互いの関係に距離をおくことを宣言しているからでもあり、かならずしも相手を信用しているわけではないことを改めて自分に言い聞かせる意味でもある。
「なんでしょう? クローディア閣下。」
「“生きている迷宮”とは何を意味する言葉でしょう?」
一瞬、クリュークは躊躇したが、ここで隠してもしかたないと思ったのか、素直に応えた。
「迷宮を司るものが、コアと呼ばれる自動装置ではなく、意思をもつ知的生命体だ、という意味です。」
「無学なわたしにわかるように言い換えると、かつてこの地に封じられた魔王が、まだ生きていると?」
「それが、かつて『魔王』と呼ばれた存在なのかは別として」
クリュークは淡々と言った。
そのような口調は、彼が内心を読まれたくないと思っているときにするものだ、というのが、クローディアにはだいたい分かってきていた。
「それに匹敵するような何か、がこの迷宮の最深部におります。」
「それは、一大事、と言えますな。」
クローディアも同じくとぼけたような口調で返した。
「残念ながら、我が国の後継者争いの会場にするには、ふさわしくない場所のようだ。
一刻も早く、聖光教会へ連絡し、勇者を派遣してもらうべきでは?」
「その判断は陛下がすべきものかと。」
「臣下が正しく情報を使えねば、判断すべきものも判断できません。」
「クローディア閣下。」
クリュークは、足を止めた。
「私の今の話はすべて憶測に過ぎません。
意思を持つ階層主もまだ、私の目で確かめたわけではありません。
すべて、確実なる事象を元に曖昧さのない情報こそ、陛下のもとにあげるべきか、と。」
「なるほど。まさにそのために我々はここにいるようなものですからな。」
「・・・閣下のような聡明な方にご理解いただけて幸いです。」
クリュークは背を向ける。
「もちろん、お嬢様の救出は何にも増して優先いたしますが」
「話の途中に悪いんだが」
ゾルが、こわばった顔で割り込んだ。
「どうも覚えのある魔道の波長がするんだ。こっちの通路の奥なんだが。」
「戦闘です。」
『こっちの通路』に使い魔を送り込んでいた。コッペリオも笑みを引き攣らせている。
「魔力の余波だけで、使い魔が消し飛びました。
対象は二つ。
ひとつはおそらく階層主です。
真祖クラスの吸血鬼。
それと争ってるもうひとつの魔力源は・・・・」
「姫、だ。
なにをやらかすかと思って心配していたが、よりにもよって階層主とおっぱじめてやがんのかい。」
通路は、これまでのものに比べればかなり広い。
それでも第一階層のような人工の照明もないし、足元は岩がごろごろしている。
そこをクローディアは全力で疾走した。
心配などしていない。
そう思っていたはずではあった。
もともと彼は重量級だ。敏速性より、一撃の重みで勝負する。
かわすのではなく、受け止めて、然るのちに反撃する。
そのはずだった。歳だって若くはない。
それでも一行の誰よりも早く、クローディアはその大広間にたどり着いたのだ。
広間の中心には。
愛する娘と。
それに覆い被さって、今にも牙を立てようとする黒いインバネスの吸血鬼が。
「フィオリナっ!」
声の限りにクローディアは叫んだ。吸血鬼の注意をすこしでも引きたかったからでもあった。
「助けに来たぞ!」
「姫!!」
ゾアが魔剣を抜いて飛び出した。
「その手を離せ! 吸血鬼。」
フィオリナには、その言葉は届かないのか。
フィオリナと美貌の吸血鬼は互いをしっかりと見つめたまま。
フィオリナの右手が、吸血鬼の首を抱くように回される。
そのまま、胸に抱くように、吸血鬼を引き寄せた。
“魅入られているのかっ! 止せ!フィオリナ”
叫ぶ代わりに、クローディアは弓を番える。
血を吸われていなければ。吸われていなければ。大丈夫だ。
ここで、この吸血鬼を倒してしまえば。
ぐい。
とフィオリナの手が吸血鬼を抱き寄せた。
ビクッとその体が痙攣する。
二人の身体が重なりあい、一同が何も出来ぬ、短く、濃厚なときが流れた。
吸血鬼の体がふらふらと立ち上がる。斬りかかろうとしたゾアの手が止まった。
吸血鬼には。
首がなかった。
フィイリナが体を起こす。
「大丈夫か、フィ…」
言いかけて父は言葉をなくした。
大丈夫どころではない。
右の手首は折れ、全身が血まみれだ。ぐいっと、吸血鬼の生首を持ち上げた左手も指が数本あらぬ方向へ曲がっていた。
首無しの吸血鬼が、首を求めるように両手を差し伸べたところへ。
ゾアの魔剣が心の臓を貫いた。
剣を中心に黒い炎が、その体を包む。ゆらゆらと彷徨うように数本歩いた体がどうっと、崩れ落ち、灰となって消えていく。
いかなる再生も許さないゾアの魔剣“黒陽”の力である。
「姫さん!」
純粋に歓喜と感嘆の叫びをあげたのは、リヨンだった。
駆け寄って、フィオリナを支える。
足も片方が折れている。完全に曲がるはずのない方向に曲がっているので、再生治療が必要なはずだ。
「ペイント女」
フィオリナは、生首をゾアに押し付けた。
「なんでうちのパーティに潜り込んでいる?」
「助けに来たんだよ。」
リヨンは、傷だらけのフィオリナの体のどこを触って支えたものか四苦八苦していた。
「あれからも変異体が続出で、二層に潜れる銀級以上のパーティが足りなくってね!
ここは臨時のパーティってわけ。」
「目的は姫の捜索と救出だ。無事に完遂ってわけだな。」
ゾアは、吸血鬼の首を持ち上げて、まじまじと顔を覗き込んでいた。
「ここの階層主だと、名乗っていた。伯爵級のヴァンパイヤだそうだ。」
「それを姫一人でやっちまっのか? 常識ってもんをわきまえろ。」
「私を下僕にしたかったらしいな、どうしても。そこにスキがあった。」
フィオリナは治癒の術式を発動させる。
切り傷はなんとかなりそうだった。だが、骨折の方は専門の治癒師にまかせたほうだよさそうだ。
「なかなかの美形だな。そういう意味ではお似合いのカップルになったかもしれない。」
そんなことにならなかったから、叩ける軽口をゾアは笑って口にした。
「フィリオナ様。」
クリュークが跪いて、頭を垂れた。
「クローディア公爵閣下とともに、地上へのご帰還を。
エルマート殿下もお待ちです。」
「一緒に転移した少年はどうした?」
巡り合った娘への第一声にしては、間が抜けている、と思いながらクローディアは言った。
フィオリナの顔が曇る。
「…“彷徨えるフェンリル”のザックという男が、連れ去った。
おそらく三層に向かったはずだ。
わたしと共同で階層主と戦う手筈だったが、いっぱい食わされた。」
「彷徨えるフェンリルは、おまえに剣を届けるように依頼したパーティのはずだ。
ザックは、第二階層主に捕らえられたとの報告を、ヨウィスから聞いている。
なにゆえ、あの少年を連れて、下層へ向かうのだ?」
「父上」
フィオリナはお手上げ、のポーズを取ったが、手首や指が折れた状態だったのでかなりシュールでわかりにくいものとなった。
「第一階層の神獣が言っていた。あの男は邪神ヴァルゴールの使徒だと。」
じろり、とクリュークを睨む。
「そして、リヨンも、な。何を企む?蝕乱天使。」
クリュークは笑う。
「いや、それについてはじっくりお話する必要があるようです。」
大げさに手を振りながら、コツコツと足音をたててフィオリナの周りを回る。
「誤解もあるようだ・・・・わたしは、『ヴァルゴールの契約』においてその力の一部を使うことができる。
だが、ヤツの信徒ではなく、むしろ、ヴァルゴールを使役する立場にあります。
つまりは、召喚主と召喚獣の関係に近い。
相手が神の場合それをどう表現するかはわかりませんが。
そしてまた、そのような契約を交わした神はヴァルゴールだけではない。
つまりはわたしの」
「やれ、リヨン。」
フィオリナの傷ついた身体を支えるリヨンの手が閉じられた。
掴み潰されるフィリオナの身体から血が飛び散った。
苦痛を感じる時間はあっただろうか。
引きちぎられた生首が宙に飛んだ。
クリュークの抜き手は、そのときにはもうクローディアの心臓を掴み取っていた。
「クローディア公爵、ならびにそのご令嬢は、迷宮にて遭難。」
剣を抜く間もなく。
ゾアとアイベルほどの達人が棒立ちになったまま、リヨンの光る鞭に胴と首を切断されて、地に倒れた。
「白狼の戦士たちも善戦むなしく、階層主のまえに討ち死。」
「かくして、グランダはお主の手に落ちる、か。」
クローディアは笑った。
クリュークは、倒れたクローディアの死体を・・いやそれはただの岩の塊に過ぎず、掴みだした心臓もただの土塊にすぎなかった。
リヨンも腕の中で崩れ落ちる泥の塊に呆然と立ち尽くした。
「クローディア!!」
クリュークの手から黒い毒蛇が飛び出し、クローディアの首に噛み付く。
ただ、それもただの岩。
ゾアとアイベルの死体もただの瓦礫の集合体に姿を変えていた。
いつの間にか、広間を霧が覆い尽くしている。
ねっとりとしたミルク色の霧だった。
「リヨン・・・・父上に不義を持ちかける色女。ここで死ぬがいい。」
「クリューク・・・グランダに対する反逆の意、確かめさせてもらった・・・ここでお主を討つ!!」
剣を構えるフィオリナに。
弓をつがえるクローディアに。
リヨンとクリュークはそれぞれ、光りの鞭と毒蛇を投じる。
がはっ
毒蛇は見事に狙い違わず、クローディアの胸元に噛み付いた。
致死性の毒を流し込まれたリヨンがよろめく。
光の鞭は、フィオリナの腕を肩口から切り飛ばした。
腕を飛ばされたクリュークが跪く。
「・・・惑乱の道化師、コッペリオ・・・・」
「おやおや・・・これで致命傷にならないとは。さすがは燭乱天使のお二人だ。」
コッペリオの声は、足元から聞こえた。頭上から聞こえた。
右からも。
左からも。
周りのすべてがコッペリオだった。
「いつから・・・・」
「さあ? わたしはいつからそこにいたのでしょう?」
「リヨン!攻撃をやめろ。同士討ちになる。」
「いまさら、おそっ」
クリュークは大量の出血で、リヨンは毒蛇の猛毒で。
それぞれ動くこともできない。
「おやおや・・では止めを刺させていただきます。」
倒れた二人の周りを無数の炎の矢が取り囲む。
「さらばです。邪悪なる西方の冒険者諸君!!」
一斉に放たれた炎の矢は業火となって二人の冒険を飲み込む。
倒れ伏した二人は、もはや身動きひとつせずに炎に飲み込まれた。
だが。
「・・・・円環の神グライゾラーク。」
「・・・・再起動・・・・」
クリュークとリヨンは身体を起こした。
切り飛ばしたクリュークの腕は再生され、毒に侵されたリヨンにもダメージのあとは見えない。
「やれやれ。
やはり、炎の矢も幻覚でしたか。
調子に乗って仕掛けてくるなら、返り討ちにしたものを。」
クリュークが苦笑いを浮かべた。
「ふん、わたしはなにかの幻惑にかけられてたことには気がついてた。」
リヨンは毒づいた。
「姫さんはわたしのこと、名前では呼ばないからね。」
そのまま、クリュークを睨んだ。
「で? どうする? 短絡的にクローディアに仕掛けなければまだ、話のしようはあったと思うんだけど?
わたしの恋路をどうしてくれるっ!」
「かまいません。戻りますよ、地上に。」
「迷宮の入口でグランダ軍が取り囲んでたりして。」
「そうはしないと思いますよ。
クローディア公爵閣下は、出来るだけ血は流したくないお方だと見える。
そこが、弱点であり。」
どこか嬉しそうにクリュークは言った。
「長所でもあるのですがね。」
0
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そんな与一ののんびりしたくてものんびりできない異世界生活が今、始まる。
※2話から登場人物の描写に入りますので、のんびりと読んでいただけたらなと思います。
※サブタイトル追加しました。
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小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
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