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第一章 夜の淵を走る
第4話 ルーデウス伯爵
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部屋は、真っ暗だった。
生身の人間は呼吸もするし、体温もある。また生きている以上、長時間、まったく動かずにいることは不可能だ。
それらを称して「人の気配」と呼ぶのだが、それがまったく感じられない。
ただ。
ここは、使用人用の寝室のはずだった。
当然、考えられる仕様としては、二段ベッドに、文机。それでいっぱいの小さな部屋のはず。
それがはるかに広大な空間に感じられるのは、なぜだろう。
「灯りを点けてもよろしいでしょうか、伯爵閣下。」
ルウエンの口調は丁寧であったが、ふつう、従属化におかれた人間は、そんなことを聞かない。
身も心も、“貴族”の虜になって、相手の思うがままに行動するだけだ。
ときにはある程度、自分の意志で行動しているように見える場合もあるが、それは「そう見えるように」主が指示しているだけなのだ。
ポウ。
アデルの右手に、光が点った。ライトの魔法。初歩の魔法ではあるが、まったくの無詠唱はこの魔法についての熟練度の高さを物語っている。
ちなみに、呼びかけられた伯爵の返答を待っていない。
作られた灯りは、部屋を照らすには、十分なはずだったが、鈍い光はふたりのまわりにしか届かない。
床は、いままでの絨毯バリではなく、板張りのままで、あったが、それがどこまで続いているのかはわからない。
闇はとんでもなく、深く。ふたりの周りを包み込んだ。
ふわ。
柔らかな光が部屋を満たす。
アデルは、驚いたように足を一歩ひいた。
並の部屋ですらない。客車の中ではありえない。ほとんど広間とよんでもいい部屋だった。
板張りは、入口近くのごく一部のみ。残りは石畳がしきつめられていた。石畳に使われたそのきれいな文様のはいった白いは、北方のクイグル産の高価な代物。天井はたかく、そこには吊るされたシャンデリアは、まったく温かみのない青い光を発している。
それでもまだ、部屋は薄暗いくらいであったが、そこにはルウエンも、アデルさえも文句をつけなかった。
「ありがとうございます。伯爵閣下。」
ルウエンは部屋の奥の方にむかって頭をさげた。
そこには天蓋のついた一角があり、そのそばには丸いテーブルと、椅子がふたつならべられており、そのうちのひとつに座った女性が手をあげた。
「わたしは、おまえを呼んだのよ、ルウエン。」
女伯爵ルーデウスは、真っ黒な夜着のままであった。“貴族”に年齢をどうこう言うのは適切ではないだろうが、すくなくとも老け込んでいるようには見えなかった。黒い夜着のは、レースをふんだんにしようしたもので、ルウデウスの見事な曲線を描く肢体を、その曲線はおろか、艷やかな肌でさえもほとんど隠していなかったのだから。
「はい、閣下。ナセル保安官に案内してもらいました。」
「そっちの女はなに。」
ルーデウスは、アデルにむかってあごをしゃくった。
「ぼくと一緒にパーティを組んでるアデルです。」
「わたしは呼んでいないぞ、ルウエン。」
ルーデウスは、“貴族”としては、特に短気でも凶暴でも、いや怒りっぽくさえなかった。
そんな彼女でも従属化においたはずの人間が、ここまで好き勝手にするのをみるのは初めてであり、当惑と怒りはかくせない。
「わたしはおまえにひとりで来い、といった。」
「アデルは女の子なので、あの混乱した列車の中でひとりで置いてくるわけには、いかないからです。」
「ルウエンはまだ子供で、弱っちいので、ひとりで行かせられない。」
被せるように、アデルは言った。人間にとって“上位種”にあたる“貴族”を前にして、多少緊張こそしているが、怯えてはいない。
「まあまあ。」
ルウエンは、ふたりの間にたって。とりなすように両手をあげた。
「別に敵同士になるかどうかは、まだわからないんだし、仲良くやりましょうよ。」
「100%おまえのせいだがな!」(✕2)
ふたりの女は同時に叫んでいた。
「バルトフェルの人々を救っていただき、ありがとうございます。」
席に着くなり、にこにこと、愛想よく笑うルウエンに、ルーデウスは手を伸ばした。
たおやかに見えた手は、黒い鉤爪を備え、骨ばった醜い手にかわっていた。ルウエンを見つめる瞳は深紅に燃え、脣を突き破って犬歯が牙のように伸びている。
アデルが、腕を掴む。
ルーデウスは、アデルを見つめた。
アデルは、濃い茶色の瞳で、ルーデウスを見返した。
口元には、野太い笑み。つり上がった唇からは発達した犬歯が覗き、まあ、こちらもよく言って、血に飢えたケダモノのようではあった。
「どけ! 女!」
同型の種族が、その上位種に命令されると、その自由意志を剥奪され、相手の意のままになってしまう、という。
“貴族”は、人間にとって、まさに、そういった存在ではあったが、アデルは抵抗した。
ルーデウスは、自分を掴むアデルをふりはらおうとした。
だが、失敗した。
アデルの腕は、万力ででも締め付けたかのような力で、ルーデウスの力に拮抗していた。
“貴族”の膂力は、一説には並の人間の十倍に達するという。そのルーデウスの腕力を押さえつけながら。その赤光を放つ瞳を覗き込みながら。
アデルは、笑っていた。
生身の人間は呼吸もするし、体温もある。また生きている以上、長時間、まったく動かずにいることは不可能だ。
それらを称して「人の気配」と呼ぶのだが、それがまったく感じられない。
ただ。
ここは、使用人用の寝室のはずだった。
当然、考えられる仕様としては、二段ベッドに、文机。それでいっぱいの小さな部屋のはず。
それがはるかに広大な空間に感じられるのは、なぜだろう。
「灯りを点けてもよろしいでしょうか、伯爵閣下。」
ルウエンの口調は丁寧であったが、ふつう、従属化におかれた人間は、そんなことを聞かない。
身も心も、“貴族”の虜になって、相手の思うがままに行動するだけだ。
ときにはある程度、自分の意志で行動しているように見える場合もあるが、それは「そう見えるように」主が指示しているだけなのだ。
ポウ。
アデルの右手に、光が点った。ライトの魔法。初歩の魔法ではあるが、まったくの無詠唱はこの魔法についての熟練度の高さを物語っている。
ちなみに、呼びかけられた伯爵の返答を待っていない。
作られた灯りは、部屋を照らすには、十分なはずだったが、鈍い光はふたりのまわりにしか届かない。
床は、いままでの絨毯バリではなく、板張りのままで、あったが、それがどこまで続いているのかはわからない。
闇はとんでもなく、深く。ふたりの周りを包み込んだ。
ふわ。
柔らかな光が部屋を満たす。
アデルは、驚いたように足を一歩ひいた。
並の部屋ですらない。客車の中ではありえない。ほとんど広間とよんでもいい部屋だった。
板張りは、入口近くのごく一部のみ。残りは石畳がしきつめられていた。石畳に使われたそのきれいな文様のはいった白いは、北方のクイグル産の高価な代物。天井はたかく、そこには吊るされたシャンデリアは、まったく温かみのない青い光を発している。
それでもまだ、部屋は薄暗いくらいであったが、そこにはルウエンも、アデルさえも文句をつけなかった。
「ありがとうございます。伯爵閣下。」
ルウエンは部屋の奥の方にむかって頭をさげた。
そこには天蓋のついた一角があり、そのそばには丸いテーブルと、椅子がふたつならべられており、そのうちのひとつに座った女性が手をあげた。
「わたしは、おまえを呼んだのよ、ルウエン。」
女伯爵ルーデウスは、真っ黒な夜着のままであった。“貴族”に年齢をどうこう言うのは適切ではないだろうが、すくなくとも老け込んでいるようには見えなかった。黒い夜着のは、レースをふんだんにしようしたもので、ルウデウスの見事な曲線を描く肢体を、その曲線はおろか、艷やかな肌でさえもほとんど隠していなかったのだから。
「はい、閣下。ナセル保安官に案内してもらいました。」
「そっちの女はなに。」
ルーデウスは、アデルにむかってあごをしゃくった。
「ぼくと一緒にパーティを組んでるアデルです。」
「わたしは呼んでいないぞ、ルウエン。」
ルーデウスは、“貴族”としては、特に短気でも凶暴でも、いや怒りっぽくさえなかった。
そんな彼女でも従属化においたはずの人間が、ここまで好き勝手にするのをみるのは初めてであり、当惑と怒りはかくせない。
「わたしはおまえにひとりで来い、といった。」
「アデルは女の子なので、あの混乱した列車の中でひとりで置いてくるわけには、いかないからです。」
「ルウエンはまだ子供で、弱っちいので、ひとりで行かせられない。」
被せるように、アデルは言った。人間にとって“上位種”にあたる“貴族”を前にして、多少緊張こそしているが、怯えてはいない。
「まあまあ。」
ルウエンは、ふたりの間にたって。とりなすように両手をあげた。
「別に敵同士になるかどうかは、まだわからないんだし、仲良くやりましょうよ。」
「100%おまえのせいだがな!」(✕2)
ふたりの女は同時に叫んでいた。
「バルトフェルの人々を救っていただき、ありがとうございます。」
席に着くなり、にこにこと、愛想よく笑うルウエンに、ルーデウスは手を伸ばした。
たおやかに見えた手は、黒い鉤爪を備え、骨ばった醜い手にかわっていた。ルウエンを見つめる瞳は深紅に燃え、脣を突き破って犬歯が牙のように伸びている。
アデルが、腕を掴む。
ルーデウスは、アデルを見つめた。
アデルは、濃い茶色の瞳で、ルーデウスを見返した。
口元には、野太い笑み。つり上がった唇からは発達した犬歯が覗き、まあ、こちらもよく言って、血に飢えたケダモノのようではあった。
「どけ! 女!」
同型の種族が、その上位種に命令されると、その自由意志を剥奪され、相手の意のままになってしまう、という。
“貴族”は、人間にとって、まさに、そういった存在ではあったが、アデルは抵抗した。
ルーデウスは、自分を掴むアデルをふりはらおうとした。
だが、失敗した。
アデルの腕は、万力ででも締め付けたかのような力で、ルーデウスの力に拮抗していた。
“貴族”の膂力は、一説には並の人間の十倍に達するという。そのルーデウスの腕力を押さえつけながら。その赤光を放つ瞳を覗き込みながら。
アデルは、笑っていた。
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