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第37話 幸せなカップルと嫉妬する主人公

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「ジウル。」
ドロシーは、呼びかけた。

元魔道院総支配ボルテック卿は、意図していない若返りで、得た肉体を多いに楽しんでいた。
目の前にルームサービスで取り寄せたサンドウィッチの山と、ベーコンと卵の炒めもの、たっぷりミルクと砂糖の入った黒茶をたいらげる速度は、人間というより、ある種動物的だ。

「ジウル。」
ドロシーは、もう一度呼びかけた。

「すまん。俺の食い残しでは、申し訳ないな。追加を頼むか?」

 素肌に室内用のローブを羽織っただけだった。逞しい胸筋、引き締まった腹の筋肉は見事に割れている。

「そうじゃなくて、ルトがもうすぐ来るのよ。冒険者学校としての依頼を持ってね。」
「おう、そうだな。この格好じゃあ、なんだな。着替えておくか。」

「その前に、ね。」
ドロシーは、顔をしかめた。こんなやりとりを幾度もしている男女の会話だった。
「シャワーを浴びてくれないかな。
あなたの肌から、わたしの匂いがするなんて。
ルトは、けっこうこういうことに敏感なのよ。」

そう言っているドロシー自身は、まだベッドの中だった。
こちらは、ローブどころか下着さえ身につけていなかったから、ジウル・ボルテックは、呆れた。

「あいつは常に周りを観察している。」
ジウルは言った。
「護衛の暗部がつくどころか、下手をすれば王室付きの暗部“影”から殺されかねない状態で、育ってきたんだ。
周りを観察して、分析して、危険がないか。あればどう対処するのか。いつも考え続けるのが習い性になっている。」

自分が愛してる少年はそんな生活を送ってきたのか。
ジウル・ボルテックとの会話の端々から、くみ取るルトの今までの人生は必ずしも幸せなものではなさそうだった。

そんな人生を歩んできたのならば、確かに婚約者に力だけを求めてしまうのは、無理もない。
なら、ドロシーはそれ以外をルトに注いでやろう、とそう誓った。

「そういうヤツなんで、おまえの肌から俺の匂いがするのも同じように気がつくとおもうんだが。」

言われて、ドロシーは赤面した。確かに体を洗ったほうが、いい。
昨日は汗やその他いろんなものにまみれたまま、寝落ちしてしまったのだ。

思い出しているとまた、体の芯が熱くなった。

「なら、一緒にシャワー浴びようか?」

ベッドのシーツを巻いてそう誘うと、ジウルはちょっとびっくりしたようだったが、頷いて、ドロシーの細い体を抱き上げるとバスルームに向かった。



バカカップルだ。

ぼくは、心に中で罵った。
ホテルは、ランゴバルドの中心部にある一流どころ。リビングと寝室が別になったこの部屋だと大体、一泊がぼくのひと月分の奨学金に当たる。
それだけでも腹がたつのに、ドロシーもボルテックも髪が濡れていた。

ぼくの体にまだそういう機能がないにせよ、そういうことは分かるのだ。

今日、大事な要件で訪問することは、前もって伝えてある。
その直前まで、励むバカがどこにいる。

どうもドロシーと一緒にいると、やることなすこと、本当に頭のネジが抜けたみたいになる。
ロウが、ぼくをけしかける気持ちがわかった。
ドロシーといるといくらでもバカな行動ができてしまうのだ。

「それで依頼の件ですが」
半笑いで、ギムリウスの羅針盤の改良版をテーブルに置いた。

ドロシーは、そんなぼくの態度が気に入らないのか、泣きそうな目でぼくを見てくる。

この前、マシューといたときは、世話焼きのお姉さんという感じでそれはそれで楽しそうに見えて、フィオリナなどは首を傾げて「お似合いのカップルに見える、いったいこいつ」と呟いていたが、まあ、そう思われても仕方ないだろう。

「これは?」
ボルテック卿は、飛びつくように装置を手にした。目つきは若い情人に溺れた拳法家ではなくて、魔道探究者のボルテック卿のものになっている。

「うちのギムリウスが作った使徒の位置を指し示す魔道具です。
この前、オタクのお弟子さんに持たせたのですが、途中で使徒に喧嘩を売った挙句に捕まってしまい、そちらの手元には届かず仕舞いだったと思いますが。」

「神獣ギムリウスの、か。」
すでに解析のための魔法陣が展開している。

「いや、だが。これは違う。探知すべき対象が固有のものに固定されている。
古竜、か?」
「まあ、当たりです。ギムリウスの作った探知をかいくぐる相手のようなので、そいつと一緒に行動していると思われる古竜に対象を変更しました。」
「そんなことができるのか。いや理屈はともかく対象の生命体のパターンを完璧に調べていないと無理だろう。」
「調整したのは、うちのアモンです。あなたが三層でやり合ったリアモンド。」

ううむ。ボルテックはうなって逞しい腕を組んだ。
確かに魔道探究者には垂涎のアイテムだろう。

「解析させてほしい。預かってもいいか?」
「というか、預けに来たんですが。
これを使って、使徒アスタロトを探しだして、血の祭典を辞めさせてください。」

ボルテックはそっちよりも装置の方が気掛かりなようだったので、付け加えた。
「アスタロトに同行しているのは『神鎧竜』レクスだと思われます。どういうものか、首だけになっていますが、アモン曰くは死んではいない、と。」

ボルテックは装置をいじる手をとめた。
「ほう。」
「そっちも興味があるでしょう?」
「確かに、な。」

じじいの頃は嫌味なにやにや笑いだったのだが、若いジウル・ボルテックは苦み走ったいい笑顔だ。
それもこれも腹が立つ。
席を立とうとしたぼくを、ボルテックが呼び止めた。

「依頼は受けよう。だが、ひとつ頼みがある。」
「なんです?」
「一緒に行動させるには、危険すぎる。ドロシーをそっちで預かってくれ。」

またまた。
全力でお断りしたかったが、泣き出しそうなドロシーの顔を見ていると、そうも言えずぼくは答えに躊躇した。

「お受けしたいのはやまやまですが、それはちょっと難しそうです。」

なぜ!
とドロシーが視線で訴えるが本気か?

「いや、そんな時間はなさそうです。」

改良版ギムリウスの羅針盤の針は・・・



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