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第30話 信頼を呪詛にかえて

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ぼくは、なんとか身体を起こした。
まったく。なにが黄金拳だ。口の中が切れていた。
頬がくだけなかったのが不思議なくらいだった。短いが、とんでもなく密度の高い戦いだった。

・・・・これで本気でないのか?
ジウル・ボルテックのポテンシャルはどこまで高いのだろう。

ほんとうはここで、ぼくたちは完全に相打ちになったように、見せかける。そして、やつらが寄ってきたところで反撃にでるのだ。
「さきほどの構えは、互いに相打ちになったふりをして、敵の油断を誘う構えだ!」
そう種明かしをして、うろたえる敵をばったばったとなぎ倒す。

「七星拳神」は、グランダでは歌劇のテーマとしては何度も取り上げられている大人気の題目だ。アクション系の俳優には登竜門となるお芝居だからどの世代にも人気がある。
その中に、今回と同じようなシチュエーション、つまり、人質を取られた状態で、主人公とその仲間が互いに戦わされるシーンがあって、それをぼくらはすっかり真似てみたのだ。

だが、ここからは少しシナリオをかえないといけない。「七星拳神」では、捕らわれた主人公の恋人は人質になるのを嫌って、自決しようとするキャラなのだが、ぼくらのドロシーは、完全に使徒の術中にある。

「ほう、ルト、とか言ったな。おまえが勝ったか。」
ゴウグレが、ぎしし、と笑った。
最初にあったときから思っているのだが、こいつは、発声機関をもたずに言葉を発していないか?
「約束だ。女は返してやる。」


投げ落とされた彼女を抱き止めようと、ぼくは走った。走ってみて、はじめて身体のあちこちが痛むことに気がついた。
まともに入ったのは最後の一発だけだとしても、ほかの攻撃は地味にかつ、的確にぼくにダメージを与えてる。蜘蛛の巣に突っ込んだ。全身を、からめとる糸を魔力で強化した筋肉で引きちぎり、ドロシーを受けとめた。
どっちかというと体格的には、ジウル・ボルテックの役目だろう。ぼくは、ドロシーを受け止めきれずに、水の中に転倒した。

「嬉しい、ルト!」
そのまま。
抱きつくようにして、ドロシーは、ぼくの首筋に白いナイフを突き立てた。

痛い。
なんだ、これ。ものすごく痛いぞ。
苦痛の耐性は、ボルテックとのどつきあいでいい加減あがっているはずなのに。
かまわず、ぐいぐいとナイフを押し込みながら、ドロシーはぼくの耳元でささやいた。
「一緒にヴァルゴールさまの下僕になろうよ。
死んでからだって、ヴァルゴールさまは下僕にしてくれるんだよ! そう、死んだくらいじゃあ、ヴァルゴールさまからは逃れられない。
みんなで一緒にヴァルゴールさまに未来永劫。お仕えしようよ。」

痛みと出血で気が遠くなりそうになったが、ぼくはやるべきことがある。
ドロシーの身体を調べるには、接近する必要があった。全身をスキャンする。
・・・あった。
脳だとやっかいだと思っていたが、胎内に小さな蜘蛛がいた。これを媒介に、ドロシーを操っている。

事実を歪め、欲望を肥大化させ、体内の神経系に作用する物質を分泌して、好きな感情を自在に操る。

「なにか感想はあるか? ルト、とやら。」
ゴウグレが尋ねた。頭巾の下の顔は愉悦に歪んでいるのだろう。
「愛するもの、信頼するものに刺された感想をぜひきかせてくれないか・・・口が利ければ、だが。」

蜘蛛はやたらに排除できない。ドロシーの全身に糸をめぐらしている。無理やり排除すれば彼女に損傷を与えかねなかった。
ボルテックのじじい、でもよかったのだが、ぼくでよかった。
妖怪じじい、若返ったことで微細な術のコントロールを忘れている危険性がある。

ドロシーの胎内の蜘蛛は、ほとんど知性をもたない。制御のための媒介に特化した変異種だ。
その蜘蛛がおびえている。そうだよ、蜘蛛くん。その怯えは正しいんだ、だってこれからきみは、ね。

「最も信頼するものに、首をさされた感想?」

出血がひどい。ドロシーの手も顔も真っ赤だ。ああ、右手はボルテックがもってるんだった。繋いでやらないと。
はやいとこ情況を解決して治療にあたろう。
すさまじい痛みは、治癒魔法を紡ぐのにも邪魔になりそうだった。
そのときになって、ドロシーのもってる白いナイフが、ギムリウスの呪剣と同種のものだということにぼくはやっと気がついた。

ゴウグレ。
12使徒だかなんだか知らないけど、おまえのやることは、すべてギムリウスの劣化版だな。

「そうだ。どんな気持ちだ?」

「そうだなあ、言葉ではなかなか言い表せない。」

首筋から血を吹き出してる相手が、笑いをうかべて話をしてるんだ。もっと警戒しろよ。
とは言っても、無理、だろうけど。

「だから、おまえも体験してみるといいと思う。」

首筋を深々と刺されたゴウグレは、呆然と後ろを振りかえった。
メイド服のヒュンデが、握った剣を力いっぱい、ゴウグレの首につきさしていた。
首から肩甲骨に切り下ろす角度でさされたぼくとは違い、ゴウグレの首を完全に貫かれている。

ギリギリ。
とゴウグレの頭巾の中でなにかがきしんだ。ギムリウスとの付き合いが長いぼくには、そのくらいの「蜘蛛語」はわかった。

「なぜ・・・?」


ぼくはドロシーの身体を抱いたまま、ゆっくりと歩いた。水の深さは足首程度。まわりの糸は一瞬の抵抗も許されずに、溶け落ちていく。
ギムリウス製の溶解剤だ。
ゴウグレの巣はにはことのよく効く。

「ドロシーの胎内の蜘蛛を掌握した。」

ゴウグレがきしった。

「そうそう、掌握した子蜘蛛を媒介にして、そっちのメイドさんの蜘蛛を制御下においた。」

ぎりぎりぎり。

「はいはい、そんな馬鹿な、と言われてもこういうのは、割りと得意な分野なんだよ。」

もうひとりのメイドさんが飛びついて、剣をもぎとった。
まあ、ギムリウスのつくった変異体ならこのくらいじゃあ、死なないだろう。

紅蜘蛛たちがいっせいにぼくに襲いかかる。
爆裂!黄金拳。

何十体いても無駄だ。
ボルテックどのの神拳のまえに、抵抗もできずに粉砕されていく。

「アルクハイド! アルクハイド!」

それは、いままでの声とはまったく異なる。まるで、幼い少年があげたような、かわいらしく人間らしい声だった。

対する声は、たんなるうめき。
人間のものでも生物のものでもない。
彼らがいる峡谷の滝。そのものを覆い尽くすように木の根が現れた。
一本一本が、竜の尾ほどもある。それが数十本。のたくり、蠢き。
ぼくと、ゴウグレの間に立ちはだかった。

天を覆う。
巨大な根。

「炎の矢」
ぼくはつぶやく。滝壺の中だ。山火事にはならないだろう。
「豪炎滅殺撃!」
また、てきとーな技の名前をボルテックが叫ぶ。

ゴウグレとアレクハイドが意識を失う前に見たもの。
天空埋め尽くして降り注ぐ炎の矢。
巨大な火球が拳とともに打ち込まれ、滝壺が崩壊していくさま。

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