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知らない表情の彼
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人の噂は七十五日と言うけれど、宮下秀次の彼女の噂はまだまだ消えそうにない。
なんなら秀次様がときおり燃料を投下しているせいで定期的に盛り上がる。
惚気みたいにありもしないデートの話をしたりだとか、虚しくないんだろうか。偽装彼女な上に男だぞ。
勝ち組のくせに存在しないデートを語るなんて修羅の道を好き好んで歩む気がしれない。
別に僕だって聞きたくて聞いているわけじゃない。
気になって調べてるとか、そういうのでは全然ない。
だって、何が悲しくてガワだけ僕な偽装彼女への惚気を聞かなきゃいけないっていうんだ。
単に人気者の優等生の周りには人が集まっているから、同じ教室にいる僕まで漏れ聞こえてくるってだけ。……それだけなのに、居た堪れない。
だってエピソードに覚えがあるのだ。
多少フェイクはあるけれど、実際にユキナと秀次様がやってたことそのまんま。
それで惚気として成立しているし、聞き出した女子たちがきゃあきゃあ言っている。
嘘だろ……あれ、はたから見たらデートだったの? 僕、単に女装してクラスメイトとデートしてただけってわけ……?
なんてことに気付かされてしまったんだろう。一生気付かないままでいたかった。
何より嫌なのは、それでもいいと一瞬でも思ってしまったこと。
いやいや冷静になれよ僕。どこの世界に彼氏を様付けで呼ぶ彼女がいるんだ。月2で足置きにされる彼女だっていないはず。
どう考えても編集で消された部分が一番重要だったパターンでしょ。彼女扱いなんてされていないに決まってる。
無理やりそう結論付けたけど、一度浮かんでしまった疑惑はそう簡単に消えてはくれなかった。
その日はもやもやした気分が晴れないまま、駅前で携帯片手に秀次様を待っていた。
いつもの簡潔なメール以降連絡はないけれど、電光掲示板は5分の遅延を知らせている。待ち合わせ時間になっても着かないかもしれない。
ぼんやりと思考を巡らせていた僕を、知らない声が呼び止めた。
「君、ユキナちゃんだろ?」
「……え?」
秀次様以外呼ぶことのない名前で呼ばれ、思わず反応してしまった。
目の前にいたのは、少し年上の知らない男。顔を上げた拍子に目があって、にこりと緩く笑まれた。
なんというか……根元まで綺麗に染まった金髪メッシュと崩して重ね着した服装も相まって、遊び慣れてそうな雰囲気がする。
「合ってた? 秀次と一緒にいるの見たことあってさ。カノジョって聞いたから挨拶しとこうと思って」
「秀次さ、んの知り合い、ですか?」
「そ、秀次の兄。気軽に啓一お兄さんと呼んでくれ」
魔王の兄! それだけで警戒レベルが跳ね上がる。
途端に優しげな声や表情が胡散臭く見えてくるから不思議だ。
「あれ、秀次に何か吹き込まれてる? そんな怖がらなくていいよ。あいつ反抗期でさァ、俺のことあることないこと言って嫌ってんのよ」
何も聞いてない。
ユキナは彼女役であっても僕は彼女じゃあないから、何も知らない。
この男が本当に秀次様の兄かどうかだってわからないけれど、腹の奥がぞわぞわするようなこちらを気にする素振りのない追い詰め方はよく似ている。
どうしよう。似ているのに知らないことがこんなに怖くて思わず後ずさった。
「あ、あの、ぼ……わ、わたし……」
「ん?」
言葉少なに促す声のトーンが出会った頃の秀次様と重なる。
けれどそれ以上に暴力のにおいがするのだ。
秀次様の癇癪じみたものとは違う、人を屈服させるための力。
何もできない子どもと錯覚させるような圧。
何か言わなくては。そう思うのに言葉が出ない。秀次様に捕まる前だって、ナンパをかわしたことは何度もあるのに。
頭が真っ白になって固まっていると、突然視界の外からぐいと肩を引かれた。
タタラを踏んだ僕の目に見覚えのある後ろ姿が飛び込んだ。
「何やってんの」
「何ってアイサツじゃん。そんな怖い顔すんなよな」
僕を背に隠すように前へ出た秀次様が、優等生仕草など見る影もない普段よりも堅い低い声で問いただす。
けれども自称兄は軽薄な姿勢を崩さない。
なのに目つきは剣呑でいて、僕を追い詰めていた時よりもずっと愉しそうだ。
「まさか俺がお前の彼女に粉かけようとしているとでも思ったのか? それで焦って駆けつけたって? ハハッ、随分と可愛らしいナイト様だな。優しいお兄様がそんなことするわけないだろう」
「どうだか。アンタが嘘つきだってことはよく知ってる。また俺のもんに手ぇ出しやがって」
「口調、乱れてんぞ優等生」
「アンタ相手に取り繕う必要なんかねえよクズ」
睨み合う2人の周囲の気温がぐっと下がっていく心地がする。
時間がひどくゆっくり流れていて、僕らだけ世界から取り残されているようだ。
その中で、僕だけが蚊帳の外。
知らない態度の秀次様と、彼の仮面を剥がして悪いところばかり凝縮したような自称兄が対峙している。
後ろ姿しか見えないからわからないけれど、きっと、表情も何もかも、僕の知らないものなのだろう。
それがなんとなく嫌な気がするのも嫌だ。
ああもう、秀次様と会ってから僕はおかしくなってしまった。
腹の中でぐるぐる抱え込むよりも、ダメなことまで全部口に出てしまうタイプだったろ僕は。
深く息を吐き、覚悟を決める。
今の僕は、何を言っても許したくなるふわふわした可愛い女の子なんだから。
白くなるまで握りしめられた秀次様の左手をそのまま両手で包み込む。
驚いたような雰囲気を感じたけれど、構わず「秀次さん」と名前を呼んだ。
「わたしは大丈夫だから、もう終わりにしよう?」
秀次様の話をつなぎ合わせた架空の彼女。
それでいて、健気で可憐で愛される都合のいい空想上の偶像。
非実在彼女の仮面を被り、普段の秀次様のような非の打ちどころのない綺麗な笑みを浮かべる。
そのまま身を乗り出し、視線を自称兄へと向けた。
「お兄さんも、お引き取りください。これ以上何をしたって実のある話にはならないわ」
「……へぇ」
自称兄は愉快そうに目を細め、舐めるように僕を見やる。
非実在彼女ユキナはここで目を逸らしたりなんかしないし、気迫で負けたりしない。
交錯する視線を先に外したのは向こうだった。
「いいよ。ユキナちゃんに免じてここまでにしてあげる。面白いもんも見れたしな」
そう笑って去っていく背を睨め付けるように見送り、その姿が見えなくなった時、急にどっと疲れが襲ってきて思わず座り込む。
「仁科!?」
珍しく本名で呼ぶ秀次様を見上げてへらりと笑う。
「気ぃ抜けたら腰抜けちゃって」
「……悪い。巻き込んだ」
気まずげに差し出された手を頼りに身を起こし、肩を借りてなんとか立ち上がる。
……これ、絵面大丈夫だろうか。
「ありがと。でも殊勝すぎて気味悪い」
「お前なあ……」
「ねえ、ユキナは秀次様のものなんだろ? 所有物のメンテは必須だと思うんだけどな」
ああ、ダメだ。失敗した。なんだか昔に戻ったみたいに思ったことが全部口から出る。さっき喧嘩買ったせいかな。
秀次様が呆れたような表情を浮かべていて、まずい、と思った。
契約違反。嫌われる。違う。バラされる。
「あ、ごめん……」
「まあ、うん。一理ある。そもそもこの状態で帰したら俺がクズみたいだろ」
「え?」
僕の戯言で気を悪くした風もないことが信じられなかった。
今日は秀次様もどこかおかしい。
なんだか要領を得ないまま、近くのカフェで休憩して駅まで送ってもらって解散した。
……これ、もしかして本格的にデートでは?
もう疑惑を否定することはできなかった。
なんなら秀次様がときおり燃料を投下しているせいで定期的に盛り上がる。
惚気みたいにありもしないデートの話をしたりだとか、虚しくないんだろうか。偽装彼女な上に男だぞ。
勝ち組のくせに存在しないデートを語るなんて修羅の道を好き好んで歩む気がしれない。
別に僕だって聞きたくて聞いているわけじゃない。
気になって調べてるとか、そういうのでは全然ない。
だって、何が悲しくてガワだけ僕な偽装彼女への惚気を聞かなきゃいけないっていうんだ。
単に人気者の優等生の周りには人が集まっているから、同じ教室にいる僕まで漏れ聞こえてくるってだけ。……それだけなのに、居た堪れない。
だってエピソードに覚えがあるのだ。
多少フェイクはあるけれど、実際にユキナと秀次様がやってたことそのまんま。
それで惚気として成立しているし、聞き出した女子たちがきゃあきゃあ言っている。
嘘だろ……あれ、はたから見たらデートだったの? 僕、単に女装してクラスメイトとデートしてただけってわけ……?
なんてことに気付かされてしまったんだろう。一生気付かないままでいたかった。
何より嫌なのは、それでもいいと一瞬でも思ってしまったこと。
いやいや冷静になれよ僕。どこの世界に彼氏を様付けで呼ぶ彼女がいるんだ。月2で足置きにされる彼女だっていないはず。
どう考えても編集で消された部分が一番重要だったパターンでしょ。彼女扱いなんてされていないに決まってる。
無理やりそう結論付けたけど、一度浮かんでしまった疑惑はそう簡単に消えてはくれなかった。
その日はもやもやした気分が晴れないまま、駅前で携帯片手に秀次様を待っていた。
いつもの簡潔なメール以降連絡はないけれど、電光掲示板は5分の遅延を知らせている。待ち合わせ時間になっても着かないかもしれない。
ぼんやりと思考を巡らせていた僕を、知らない声が呼び止めた。
「君、ユキナちゃんだろ?」
「……え?」
秀次様以外呼ぶことのない名前で呼ばれ、思わず反応してしまった。
目の前にいたのは、少し年上の知らない男。顔を上げた拍子に目があって、にこりと緩く笑まれた。
なんというか……根元まで綺麗に染まった金髪メッシュと崩して重ね着した服装も相まって、遊び慣れてそうな雰囲気がする。
「合ってた? 秀次と一緒にいるの見たことあってさ。カノジョって聞いたから挨拶しとこうと思って」
「秀次さ、んの知り合い、ですか?」
「そ、秀次の兄。気軽に啓一お兄さんと呼んでくれ」
魔王の兄! それだけで警戒レベルが跳ね上がる。
途端に優しげな声や表情が胡散臭く見えてくるから不思議だ。
「あれ、秀次に何か吹き込まれてる? そんな怖がらなくていいよ。あいつ反抗期でさァ、俺のことあることないこと言って嫌ってんのよ」
何も聞いてない。
ユキナは彼女役であっても僕は彼女じゃあないから、何も知らない。
この男が本当に秀次様の兄かどうかだってわからないけれど、腹の奥がぞわぞわするようなこちらを気にする素振りのない追い詰め方はよく似ている。
どうしよう。似ているのに知らないことがこんなに怖くて思わず後ずさった。
「あ、あの、ぼ……わ、わたし……」
「ん?」
言葉少なに促す声のトーンが出会った頃の秀次様と重なる。
けれどそれ以上に暴力のにおいがするのだ。
秀次様の癇癪じみたものとは違う、人を屈服させるための力。
何もできない子どもと錯覚させるような圧。
何か言わなくては。そう思うのに言葉が出ない。秀次様に捕まる前だって、ナンパをかわしたことは何度もあるのに。
頭が真っ白になって固まっていると、突然視界の外からぐいと肩を引かれた。
タタラを踏んだ僕の目に見覚えのある後ろ姿が飛び込んだ。
「何やってんの」
「何ってアイサツじゃん。そんな怖い顔すんなよな」
僕を背に隠すように前へ出た秀次様が、優等生仕草など見る影もない普段よりも堅い低い声で問いただす。
けれども自称兄は軽薄な姿勢を崩さない。
なのに目つきは剣呑でいて、僕を追い詰めていた時よりもずっと愉しそうだ。
「まさか俺がお前の彼女に粉かけようとしているとでも思ったのか? それで焦って駆けつけたって? ハハッ、随分と可愛らしいナイト様だな。優しいお兄様がそんなことするわけないだろう」
「どうだか。アンタが嘘つきだってことはよく知ってる。また俺のもんに手ぇ出しやがって」
「口調、乱れてんぞ優等生」
「アンタ相手に取り繕う必要なんかねえよクズ」
睨み合う2人の周囲の気温がぐっと下がっていく心地がする。
時間がひどくゆっくり流れていて、僕らだけ世界から取り残されているようだ。
その中で、僕だけが蚊帳の外。
知らない態度の秀次様と、彼の仮面を剥がして悪いところばかり凝縮したような自称兄が対峙している。
後ろ姿しか見えないからわからないけれど、きっと、表情も何もかも、僕の知らないものなのだろう。
それがなんとなく嫌な気がするのも嫌だ。
ああもう、秀次様と会ってから僕はおかしくなってしまった。
腹の中でぐるぐる抱え込むよりも、ダメなことまで全部口に出てしまうタイプだったろ僕は。
深く息を吐き、覚悟を決める。
今の僕は、何を言っても許したくなるふわふわした可愛い女の子なんだから。
白くなるまで握りしめられた秀次様の左手をそのまま両手で包み込む。
驚いたような雰囲気を感じたけれど、構わず「秀次さん」と名前を呼んだ。
「わたしは大丈夫だから、もう終わりにしよう?」
秀次様の話をつなぎ合わせた架空の彼女。
それでいて、健気で可憐で愛される都合のいい空想上の偶像。
非実在彼女の仮面を被り、普段の秀次様のような非の打ちどころのない綺麗な笑みを浮かべる。
そのまま身を乗り出し、視線を自称兄へと向けた。
「お兄さんも、お引き取りください。これ以上何をしたって実のある話にはならないわ」
「……へぇ」
自称兄は愉快そうに目を細め、舐めるように僕を見やる。
非実在彼女ユキナはここで目を逸らしたりなんかしないし、気迫で負けたりしない。
交錯する視線を先に外したのは向こうだった。
「いいよ。ユキナちゃんに免じてここまでにしてあげる。面白いもんも見れたしな」
そう笑って去っていく背を睨め付けるように見送り、その姿が見えなくなった時、急にどっと疲れが襲ってきて思わず座り込む。
「仁科!?」
珍しく本名で呼ぶ秀次様を見上げてへらりと笑う。
「気ぃ抜けたら腰抜けちゃって」
「……悪い。巻き込んだ」
気まずげに差し出された手を頼りに身を起こし、肩を借りてなんとか立ち上がる。
……これ、絵面大丈夫だろうか。
「ありがと。でも殊勝すぎて気味悪い」
「お前なあ……」
「ねえ、ユキナは秀次様のものなんだろ? 所有物のメンテは必須だと思うんだけどな」
ああ、ダメだ。失敗した。なんだか昔に戻ったみたいに思ったことが全部口から出る。さっき喧嘩買ったせいかな。
秀次様が呆れたような表情を浮かべていて、まずい、と思った。
契約違反。嫌われる。違う。バラされる。
「あ、ごめん……」
「まあ、うん。一理ある。そもそもこの状態で帰したら俺がクズみたいだろ」
「え?」
僕の戯言で気を悪くした風もないことが信じられなかった。
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