下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉

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 翌日府庫に行くと珍しいことに星綺の姿はなかった。いつもは私より早く来て待ち構えているというのに。
 不審に思いつつ待っていたが、来ない。待てども待てども来ない。
 仕方なく一人で作業を始める。書名は書き留めてあるし、だいたいの場所は片付けたときに記憶している。彼女が来るまでくらいなら大丈夫だろう。
 しばらくして、あの時の女官に話しかけられた。星綺から文を預かっているという。
 女官に礼を言い、中を確認すると、急用ができたのでしばらく会えないことへの謝罪と昨日指定した書を写して全て記憶するようにという指導だった。
 一妾妃でしかないはずの彼女にできる急用って何だとか突っ込みどころはあったが、それより何より、あの量の書を暗記しろという方に意識を奪われた。
 なんという無茶を言ってくれるものだ。
 写本の使用目的がわかり、私が読めればいいのだろうと写す速度を早める。
 期限は書いていないけど、つまりは急用とやらが終わり星綺が戻るまでになんとかしろってことだろう。
 三日で写本を終え、暗記作業に突入する。覚えるのはあまり得意ではないのだ。
 苦戦するなか、やっと半分ほどをなんとかぼんやりたぶん記憶した頃、あの時の女官がやってきた。
 星綺からの新たな文かと身構えていたが、彼女は確信を口にしない。
 煌びやかな衣をお古で悪いがと私に差し出し、着替えるように言われた。言われるがままに服を変え、されるがままに化粧を施される。
 そして連れられた先は皇帝陛下の住まう宮。嫌な予感に冷や汗が伝う。
「あの……私はいったい、何をさせられるのでしょうか……?」
「陛下からのご指名ですわ」
 にっこりと笑われて、今度は違う意味で冷や汗が止まらない。
 陛下からのお呼びだし!? しかも指名!?
 脱走計画くらいしかお偉方に呼びつけられる理由など心当たりがない。まして陛下だなんて。何かの間違いに違いない、絶対。
「さあ、陛下がお待ちです。早くなさい」
 渋る私を女官が急かす。何より「陛下がお待ち」だと。頭を抱えて逃げ出したい衝動に駆られる。
 もちろん、そんなことできるはずもなく……ついに陛下の待つという庭園についてしまった。女官は既に下がっている。
 四阿に人影が覗き、あわてて首を垂れた。
「面をあげよ」
 どこか聞き覚えのあるような子どもの声だ。
 恐る恐る顔を上げ、視線の先には陛下の姿。遠目からさえ拝謁したことなどないはずなのに、どこか見覚えのあるような気がする。
「待っていたぞ。よく似合っているな」
 陛下はそう言って笑った。
 ああ、星綺に似ているのか。既視感の正体がすとんと腑に落ちた。その笑い方は星綺によく似ていて、最悪の事態が脳内を巡る。
 まさか、星綺は皇女様だったとでも言うのだろうか? 不敬罪で投獄!? いやいや、まさか、ね。
「わたしが、星綺が、妾妃に身をやつした皇帝だと知ってさぞ驚いているだろうが、まあ落ち着いてくれ」
 今度こそ卒倒するかと思った。悲鳴を上げなかったのを褒めてほしいくらいだ。
 ご兄妹どころではなく、ご本人、と……。
「ちょ、ま、え……?」
 混乱が酷すぎて漏れ出る音もひどく震えて言葉にならない。ああどうしよう。不敬罪が確定した。
「私を捕まえるために、わざわざ、こんなことをしたのですか?」
「まあ、そうだな。許せ」
「許せ、って……。そんな、牢獄に入れようとしてる人の台詞じゃあ……」
「ん? 何か勘違いしているようだが、牢には入れないぞ」
 ここでようやく、認識の齟齬が生まれていることがわかった。
 彼女--いや、彼が言うには、私を宿下がりすることになった側付き女官の後釜に据えたかったらしいのだ。あの、私に府庫への道を教えてくれた人が、実は陛下付きの女官だったという。確かに星綺の文を預かってきたのもあの女官だった。
「あれがおまえを推薦したんだぞ。それで、こう、わたしがくっついて確認をしていたのだ」
「じゃああの人、あのときも後任を探していたってことですか?」
「ああ。そこにおまえが転がり込んできた」
 なんということだろう。最初から最後まで、手のひらの上ではないか。
「地位も権力も興味がなさそうという優良物件。後ろに控える厄介な親族もいない。見逃すわけないだろう? それに、おまえのことは嫌いじゃない」
「……そうですか」
 なんと返していいのかわからず、曖昧に同意をするだけの私を見て、陛下はニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべた。星綺のときとは違う、初めて見る表情だ。
「仕事はたっぷりあるぞ。ちゃんと後宮での役割がある。断る理由はないだろう? もちろん、そんなことは許さないがな」
 まだ子どもとは思えない威圧だ。さすが幼くても皇帝陛下。
 じりじりとにじり寄る陛下に、私も後退する。背後はもはや壁だ。
「逃げ場はないぞ、ほれ早く是と言わんか。……それとも、わたしでは不満か?」
 押してダメなら引いてみな。私が年下に弱いのがバレている。
 身長差のせいで上目遣いになっている陛下は、子どもらしくこてんと首を傾げた。
 思わず首が動きそうになったが、続く陛下の言葉でそれどころではなくなった。
「金はないが後宮内の地位程度ならわたしが好きに動かせる。どうだ、紫宮に住むか?」
「それはない」
 思わず素で否定してしまった。不敬待ったなしである。
「おまえはいったい何が不満なんだ。わたしにやれるものといえば、地位とこの身体くらいなものだぞ」
「どちらもいりませんし、身体を候補に入れるのはいかがなものかと存じます」
「仕方ないだろう。わたしが持つ最も価値があるものはこの身体なのだから。まったく、みな欲しがるというのに無欲な奴だな」
 みなが陛下の身体を欲しがっているというのもぞっとしない話だ。やはり私が住む世界ではない。
 陛下はしばしば思案していたようだが、綺麗な笑顔で私に言った。
「選ばせてやろう。紫宮に住まうか、わたし付きの女官となるか。わたしと夜を共にした妃はまだいないからな。真実がどうであれ、一夜を共に過ごしたという事実があれば勝手に周りが勘違いしてくれるであろうよ」
「……第三の選択肢はありますか?」
「あるわけないだろう」
 背後は壁。目の前は陛下。
 寵姫か、陛下付きの女官か。こんなもの選択肢として比べようがない。
 そういうわけで、腹を括って女官になりますと申し出たのだった。
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