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参
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その日の夜はどうやって過ごしていたか記憶が曖昧だ。気付いたら室に戻っていて、あの少女が誰かにバラしやしないかとただただ怯えていた。
そして翌日、開放時間になるとすぐに府庫へ向かった。にも関わらず、彼女は私を待ち構えていた。
「あなた、本当に来てたのね……」
「ああ、わたしが言い出したことだからな」
さも当然というように彼女は言う。流石自分から監視を言い出しただけはある。
星綺と名乗った彼女と私は、それから何日も共に過ごした。
朝は府庫の開放時間から、夜は夕餉刻まで。
始めは二言三言言葉を交わす程度であとは並んでいるだけだった。
ある時は府庫。またある時は宮殿に付設された談話室。
様々な場所で過ごしていくうちに、会話も少しずつ増えていき、包む空気も次第に穏やかになっていった。
無論、油断したわけではない。
私の脱出計画を知ってしまった彼女を野放しにはできないというのは本当。
でも、私と共にいない時間があるのに誰にも知らせていないから、信じていいのではないかと思い始めているのも本当だった。
その日は珍しく庭園に行くことになった。牡丹の花が綺麗だと、星綺に連れ出されたのだ。
なるほど確かに、雅なことなど欠片もわからない私にも美しいと感嘆させるほどだ。いいとこのお嬢様であろう彼女のお目に適うだけある。
私たちは庭園に面している四阿に陣取った。女官--府庫への道を教えてくれた人だ--が持って来てくれたお茶を飲みつつ、牡丹を眺める。
星綺がこちらに首をもたげ、ふと切り出した。
「おまえは、なんで外に出たいんだ? ここにいれば衣食住は少なくとも保証されているのに」
これまで一度も触れられなかったことを唐突に話題に挙げられて、どうにも戸惑う。星綺の目は真剣で、私を射抜きそうなほどだ。ならば私もそれに応えなければいけない。
「確かにここにいれば楽に生きていけるわ。本当に、体が動いているだけだけど」
妃としての私には、意義も意味も何もない。毎日毎日働いていたときよりずっといいものを食べているとは思う。私のような下っ端妃は数合わせにすぎなくて、いること自体が仕事だ。私でなければいけない必要は欠片もなく、代わりはたぶん、いくらでもいる。
「紫宮か、せめて藍宮に住んでいたのなら、陛下に寵愛され、御子をなすという役目がある。でも、私たちにはそんな機会すらない。愛でられることが役目の籠の鳥にすらなれないんじゃ、閉じ込められている意味なんてないじゃない」
「陛下の寵愛を受けたら、ここに留まることを選ぶのか?」
ありえない仮定だ、本当に。陛下が黄宮まで降りてくることは滅多にない。降りてきたとしても、私のようなとりわけ目立つところのない十人並みの娘が目に留まるわけがない。
「非現実的だけど、まあ、それが仮定か。……そうね、万が一そんなことがあっても、私じゃ寵姫になれないわ」
「なぜだ? 確かに後宮のしきたりや礼儀作法には疎いだろうが、それは勉強すればいいじゃないか」
「簡単に言ってくれるわね。万が一御子でも産んだあかつきには、使節の接待なんかも仕事になると聞いているわ。有事の際に陛下の代わりに執政するのも皇后様の仕事なのでしょう? どう考えても私にはできない。分不相応だわ」
「ふふ、そうか」
星綺は笑っていた。小さく声をもらして、頬を緩めて。外見相応に幼く可憐な姿に目を奪われる。星綺の視線が私を絡め取り、そして彼女はにこりと笑みを深めた。
「なら女官はどうだ? 妃より給金は劣るが、彼女たちにはそれぞれ仕事があるぞ」
「陛下の寵姫になるより、よっぽど現実的ね。その方がいいわ」
私は笑い返してそう言った。
そして翌日、開放時間になるとすぐに府庫へ向かった。にも関わらず、彼女は私を待ち構えていた。
「あなた、本当に来てたのね……」
「ああ、わたしが言い出したことだからな」
さも当然というように彼女は言う。流石自分から監視を言い出しただけはある。
星綺と名乗った彼女と私は、それから何日も共に過ごした。
朝は府庫の開放時間から、夜は夕餉刻まで。
始めは二言三言言葉を交わす程度であとは並んでいるだけだった。
ある時は府庫。またある時は宮殿に付設された談話室。
様々な場所で過ごしていくうちに、会話も少しずつ増えていき、包む空気も次第に穏やかになっていった。
無論、油断したわけではない。
私の脱出計画を知ってしまった彼女を野放しにはできないというのは本当。
でも、私と共にいない時間があるのに誰にも知らせていないから、信じていいのではないかと思い始めているのも本当だった。
その日は珍しく庭園に行くことになった。牡丹の花が綺麗だと、星綺に連れ出されたのだ。
なるほど確かに、雅なことなど欠片もわからない私にも美しいと感嘆させるほどだ。いいとこのお嬢様であろう彼女のお目に適うだけある。
私たちは庭園に面している四阿に陣取った。女官--府庫への道を教えてくれた人だ--が持って来てくれたお茶を飲みつつ、牡丹を眺める。
星綺がこちらに首をもたげ、ふと切り出した。
「おまえは、なんで外に出たいんだ? ここにいれば衣食住は少なくとも保証されているのに」
これまで一度も触れられなかったことを唐突に話題に挙げられて、どうにも戸惑う。星綺の目は真剣で、私を射抜きそうなほどだ。ならば私もそれに応えなければいけない。
「確かにここにいれば楽に生きていけるわ。本当に、体が動いているだけだけど」
妃としての私には、意義も意味も何もない。毎日毎日働いていたときよりずっといいものを食べているとは思う。私のような下っ端妃は数合わせにすぎなくて、いること自体が仕事だ。私でなければいけない必要は欠片もなく、代わりはたぶん、いくらでもいる。
「紫宮か、せめて藍宮に住んでいたのなら、陛下に寵愛され、御子をなすという役目がある。でも、私たちにはそんな機会すらない。愛でられることが役目の籠の鳥にすらなれないんじゃ、閉じ込められている意味なんてないじゃない」
「陛下の寵愛を受けたら、ここに留まることを選ぶのか?」
ありえない仮定だ、本当に。陛下が黄宮まで降りてくることは滅多にない。降りてきたとしても、私のようなとりわけ目立つところのない十人並みの娘が目に留まるわけがない。
「非現実的だけど、まあ、それが仮定か。……そうね、万が一そんなことがあっても、私じゃ寵姫になれないわ」
「なぜだ? 確かに後宮のしきたりや礼儀作法には疎いだろうが、それは勉強すればいいじゃないか」
「簡単に言ってくれるわね。万が一御子でも産んだあかつきには、使節の接待なんかも仕事になると聞いているわ。有事の際に陛下の代わりに執政するのも皇后様の仕事なのでしょう? どう考えても私にはできない。分不相応だわ」
「ふふ、そうか」
星綺は笑っていた。小さく声をもらして、頬を緩めて。外見相応に幼く可憐な姿に目を奪われる。星綺の視線が私を絡め取り、そして彼女はにこりと笑みを深めた。
「なら女官はどうだ? 妃より給金は劣るが、彼女たちにはそれぞれ仕事があるぞ」
「陛下の寵姫になるより、よっぽど現実的ね。その方がいいわ」
私は笑い返してそう言った。
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