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05 ぎこちない生活
笑え
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はっきり言って毎日が1つも楽しくない。
食事も味がせず、眠ろうと目をつぶっても意識は冴えており、気を張っていないとヨミの事ばかり考えてしまう。
完全に精神をやられているのが自覚できた。
恋人を壊され、日常を奪われるというのがこんなにも辛いとは、そしてそれが自分の身に降りかかるとは、想像もした事がなかった。
しかし驚いた事に、言葉で脅されているだけの俺よりずっと重い傷を負ったヘルゼルの方が、しっかり前を向いて立っている。最初に愚図ったのが気のせいだったかのようにメンテへ通うし、俺が事務所で落ち込んでいるうちに掃除屋の仕事を管理局から受けてくる。現場での立ち回りも異常なしだ。義体の特性に合わせた動きをしているところは、以前の仕事ぶり以上の活躍と言えるかもしれない。
俺は……何をしているんだろう。
事務所から家へ、並んで歩いて帰る。仕事を始めしばらくし、同棲し出してから変わらない平凡な日常。今はそれがとてもありがたい。
「ねえ、デシレ」
「どうした?」
「シャロンに行こうよ」
俺は面食らった。
ジャンクフードや甘い物好きの以前のヘルなら、ケーキ屋に行こうというのはごく自然な発言だ。しかし、全身義体では物を食えない。あれ以来ヘルはコンビニすら行っていないのだ。どうして、突然ケーキなど。
「この前、チーズケーキ買ってきた時さ、カンナくんが来てデシレ、楽しい気分でケーキ食べられなかったでしょ? だから、改めて食べて欲しいと思って」
「……お前は食べられないのに、しんどくないのか?」
「匂いは分かるから、それで我慢するよ」
「でも……」
楽しい気分、か。
今更なれそうにもない、と思った時、はっと開眼した。
今更、じゃない。
今こそ、じゃないか。
絶望に打ちひしがれ落ちるところまで落ちた今こそ、前を向かないといけない。苦しみに耐えて明るく振る舞っているヘルをこれ以上悲しませないためにも、俺は笑わないといけないんだ。
「そうだな……買いに行くか」
「うん!」
俺達は少し回り道をし、シャロンでいつものチーズケーキと、フルーツの香りが強いタルトを買った。
ケーキ屋というのはそもそも雰囲気が良い。
甘い香り、優しい空気、穏やかな時間。
経営する側には苦労もあるんだろうが、そんな事を気に病むのは野暮だ。
俺達は癒された。笑顔になったのなんて、本当に久しぶりだった。
食卓で俺がチーズケーキを食べ、ヘルがタルトの前でおあずけを食らう。くんくん匂いを嗅いで、やっぱり食べたいと駄々をこねる様が実に可愛らしい。俺はまた笑った。
「どうするか、このタルト。俺が食うのは忍びないし、誰かにおすそ分けするか?」
「えっ、でも箱から出して時間も経ってるし、乾いたタルトじゃ人にあげられないよ」
「……お前のおこぼれだって言ったら死ぬ程喜びそうな奴がいるけどな」
「誰の事?」
「カンナ」
今度はヘルゼルが椅子からひっくり返りそうな程驚いた。俺の口からカンナの名前が好意的な文脈で出て来た事が、信じられなかったんだろう。俺も自分でよく分からない。
「いいの? カンナくん、呼ぶよ?」
「この前世話になったからな……ああ、お前が呼ぶとビスがキレるから、俺の名前でメールする。すぐ飛んでくるんじゃないか?」
俺は端末を手に取り、「ヘルゼルが残したケーキを食ってくれ」という阿呆な文章を打つ。
即送信しようと思ったが、なんとなく手が止まった。
そして、心に引っかかっていたあの事を思い出した。
「そう言えば、ヘルに質問があるんだ」
首を傾げるヘルゼルの目をまっすぐ見つめ、俺は訊く。
「答えてほしい。どうして、学生時代長い付き合いがあったカンナじゃなくて、俺を……選んだんだ?」
食事も味がせず、眠ろうと目をつぶっても意識は冴えており、気を張っていないとヨミの事ばかり考えてしまう。
完全に精神をやられているのが自覚できた。
恋人を壊され、日常を奪われるというのがこんなにも辛いとは、そしてそれが自分の身に降りかかるとは、想像もした事がなかった。
しかし驚いた事に、言葉で脅されているだけの俺よりずっと重い傷を負ったヘルゼルの方が、しっかり前を向いて立っている。最初に愚図ったのが気のせいだったかのようにメンテへ通うし、俺が事務所で落ち込んでいるうちに掃除屋の仕事を管理局から受けてくる。現場での立ち回りも異常なしだ。義体の特性に合わせた動きをしているところは、以前の仕事ぶり以上の活躍と言えるかもしれない。
俺は……何をしているんだろう。
事務所から家へ、並んで歩いて帰る。仕事を始めしばらくし、同棲し出してから変わらない平凡な日常。今はそれがとてもありがたい。
「ねえ、デシレ」
「どうした?」
「シャロンに行こうよ」
俺は面食らった。
ジャンクフードや甘い物好きの以前のヘルなら、ケーキ屋に行こうというのはごく自然な発言だ。しかし、全身義体では物を食えない。あれ以来ヘルはコンビニすら行っていないのだ。どうして、突然ケーキなど。
「この前、チーズケーキ買ってきた時さ、カンナくんが来てデシレ、楽しい気分でケーキ食べられなかったでしょ? だから、改めて食べて欲しいと思って」
「……お前は食べられないのに、しんどくないのか?」
「匂いは分かるから、それで我慢するよ」
「でも……」
楽しい気分、か。
今更なれそうにもない、と思った時、はっと開眼した。
今更、じゃない。
今こそ、じゃないか。
絶望に打ちひしがれ落ちるところまで落ちた今こそ、前を向かないといけない。苦しみに耐えて明るく振る舞っているヘルをこれ以上悲しませないためにも、俺は笑わないといけないんだ。
「そうだな……買いに行くか」
「うん!」
俺達は少し回り道をし、シャロンでいつものチーズケーキと、フルーツの香りが強いタルトを買った。
ケーキ屋というのはそもそも雰囲気が良い。
甘い香り、優しい空気、穏やかな時間。
経営する側には苦労もあるんだろうが、そんな事を気に病むのは野暮だ。
俺達は癒された。笑顔になったのなんて、本当に久しぶりだった。
食卓で俺がチーズケーキを食べ、ヘルがタルトの前でおあずけを食らう。くんくん匂いを嗅いで、やっぱり食べたいと駄々をこねる様が実に可愛らしい。俺はまた笑った。
「どうするか、このタルト。俺が食うのは忍びないし、誰かにおすそ分けするか?」
「えっ、でも箱から出して時間も経ってるし、乾いたタルトじゃ人にあげられないよ」
「……お前のおこぼれだって言ったら死ぬ程喜びそうな奴がいるけどな」
「誰の事?」
「カンナ」
今度はヘルゼルが椅子からひっくり返りそうな程驚いた。俺の口からカンナの名前が好意的な文脈で出て来た事が、信じられなかったんだろう。俺も自分でよく分からない。
「いいの? カンナくん、呼ぶよ?」
「この前世話になったからな……ああ、お前が呼ぶとビスがキレるから、俺の名前でメールする。すぐ飛んでくるんじゃないか?」
俺は端末を手に取り、「ヘルゼルが残したケーキを食ってくれ」という阿呆な文章を打つ。
即送信しようと思ったが、なんとなく手が止まった。
そして、心に引っかかっていたあの事を思い出した。
「そう言えば、ヘルに質問があるんだ」
首を傾げるヘルゼルの目をまっすぐ見つめ、俺は訊く。
「答えてほしい。どうして、学生時代長い付き合いがあったカンナじゃなくて、俺を……選んだんだ?」
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