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02 烈火と黒犬
不在の代替とは
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ヘルゼルが待つ家へ帰る。
心理的にも物理的にも、軽い足取りとは言えない。しかしチーズケーキと団欒の時間は間違いなく楽しみだ。
俺達が住んでいるのは中央地区の6階建て集合住宅、その2階の南向きの部屋だ。2人で住むには少し狭いが、事務所に居る時間の方が長いので特に困らない。
階段前の共用駐車場まできて違和感を覚える。そう遠くない所から、何か甲高い声ーーと言うには意味をなさない叫びのような音がした気がする。
嫌な予感がする。
俺は脚の不快感を無視してレンガの階段を駆け上がり、204号室のドアを勢い良く開け放った。
そして乱暴に怒鳴る。
「この犬野郎!」
俺が留守にしていたのはせいぜい1時間といったところ。そんな短い時間のうちに、同業のクソカンナと、バカ犬のムク――黒くてでかい狼みたいな犬――とやらがうちに上がり込んでいるとは。ヘルゼルは楽しそうに犬を撫でていたが、俺が帰ってきた、そして怒髪天を衝いているということを瞬時に理解し、立ち上がって何故か気を付けの姿勢を取った。
「あちゃー、見つかってもうたか」
ポリポリと金髪頭を掻くカンナは、イタズラを見咎められたクソガキのようなズルい笑いを浮かべている。
「何しに来た、すぐ帰れ。あとここはペット禁止だ」
「ご挨拶でんな。ムクは職業犬やから公共の場にも入れるんやで。覚えとくと便利でっせー」
「そんな事は聞いてない、とっとと出ていけよ」
俺の怒りなど意に介さず、カンナはムクをくしゃくしゃ撫で、あ、ケーキあるやん分けてくれなどと抜かしている。殺したい。
ーー俺だって最初からカンナのことが嫌いだった訳じゃない。普通に会話をし、猟犬であるムクが廃棄物は食べていない話などを聞いたこともある。
いつ頃からだったか。
こいつが俺以上に、ヘルゼルの存在に執着し始めたのは。
俺とヘルゼルはパートナーとして仕事を始めて、今年で4年目だ。もう切っても切り離せない絆がある。しかし、こいつは俺達の間に割って入り、なんとかヘルゼルと共に仕事をしようと試みるのだ。今日もどうせ、何か案件を持ってきてシェアしようとしたに違いない。
こんなものは泥棒と一緒だ。C級廃棄物として処分されればいいのに。
「その手に持った紙束は何だ? 後ろめたくないなら言ってみろ」
「廃棄物のデータですー。仕事で困ったことがありまして、ヘルの頭を借りに来たんですわ」
俺を差し置いてヘル呼ばわりとは馴れ馴れしい。
「俺が居ない間を見計らって、か? 大した度胸だ。お前には秘書もいるだろうに、そいつに相談すればいいだろ」
「現場を見てない彼女には分からへんこともぎょうさんあるんですわ」
見苦しい言い訳だ。早く追い出さないと部屋が犬臭くなる。
「あの……」
ヘルゼルがおどおどと口を開いた。
「どうした?」
「なんでっかー?」
「……今日は、俺、デシレと、約束してたんだ。一緒にケーキを食べるって。だから、カンナくんは、今日は帰ってもらっても、いい?」
怯える必要の無い相手にこんな口調で話すのは不自然にも思えたが、弱々しい態度で媚びることにより、相手を遠慮させるつもりなのかもしれない。子供に思えて、ヘルゼルも意外と考えているのだ。
「……しゃあないなあ。今日のところはヘルに免じて引き上げますわ。仕事は自分でなんとかしますー」
「あー、そうしてくれ」
「また今度」
「次は無い」
そうして、犬と嵐はバタバタと去って行った。とてもではないが、すぐケーキを食べる気にはなれない。とりあえず消臭だ。犬の臭いよりも、カンナとの会話の記憶を消したいところだが。
「ヘル」
「えーと……怒ってる?」
「俺が居ても居なくても、二度とあの男を家に上げるな」
「分かったよ……」
ムシャクシャしながら散らばった犬の毛を掃除している俺だったが、心の中に少しの敗北感が滲んでいた。
ひとつだけ。カンナを認めないといけないところがある。
あの真っ直ぐな目。ヘルゼルを思う純粋な態度。そして廃棄物に立ち向かう時の勇気と正義感を俺は知っている。
ーーカンナは、もしヘルゼルと仕事をしても、奴を盾にするようなことは絶対にしないだろう。
あるいは、俺よりも。
心理的にも物理的にも、軽い足取りとは言えない。しかしチーズケーキと団欒の時間は間違いなく楽しみだ。
俺達が住んでいるのは中央地区の6階建て集合住宅、その2階の南向きの部屋だ。2人で住むには少し狭いが、事務所に居る時間の方が長いので特に困らない。
階段前の共用駐車場まできて違和感を覚える。そう遠くない所から、何か甲高い声ーーと言うには意味をなさない叫びのような音がした気がする。
嫌な予感がする。
俺は脚の不快感を無視してレンガの階段を駆け上がり、204号室のドアを勢い良く開け放った。
そして乱暴に怒鳴る。
「この犬野郎!」
俺が留守にしていたのはせいぜい1時間といったところ。そんな短い時間のうちに、同業のクソカンナと、バカ犬のムク――黒くてでかい狼みたいな犬――とやらがうちに上がり込んでいるとは。ヘルゼルは楽しそうに犬を撫でていたが、俺が帰ってきた、そして怒髪天を衝いているということを瞬時に理解し、立ち上がって何故か気を付けの姿勢を取った。
「あちゃー、見つかってもうたか」
ポリポリと金髪頭を掻くカンナは、イタズラを見咎められたクソガキのようなズルい笑いを浮かべている。
「何しに来た、すぐ帰れ。あとここはペット禁止だ」
「ご挨拶でんな。ムクは職業犬やから公共の場にも入れるんやで。覚えとくと便利でっせー」
「そんな事は聞いてない、とっとと出ていけよ」
俺の怒りなど意に介さず、カンナはムクをくしゃくしゃ撫で、あ、ケーキあるやん分けてくれなどと抜かしている。殺したい。
ーー俺だって最初からカンナのことが嫌いだった訳じゃない。普通に会話をし、猟犬であるムクが廃棄物は食べていない話などを聞いたこともある。
いつ頃からだったか。
こいつが俺以上に、ヘルゼルの存在に執着し始めたのは。
俺とヘルゼルはパートナーとして仕事を始めて、今年で4年目だ。もう切っても切り離せない絆がある。しかし、こいつは俺達の間に割って入り、なんとかヘルゼルと共に仕事をしようと試みるのだ。今日もどうせ、何か案件を持ってきてシェアしようとしたに違いない。
こんなものは泥棒と一緒だ。C級廃棄物として処分されればいいのに。
「その手に持った紙束は何だ? 後ろめたくないなら言ってみろ」
「廃棄物のデータですー。仕事で困ったことがありまして、ヘルの頭を借りに来たんですわ」
俺を差し置いてヘル呼ばわりとは馴れ馴れしい。
「俺が居ない間を見計らって、か? 大した度胸だ。お前には秘書もいるだろうに、そいつに相談すればいいだろ」
「現場を見てない彼女には分からへんこともぎょうさんあるんですわ」
見苦しい言い訳だ。早く追い出さないと部屋が犬臭くなる。
「あの……」
ヘルゼルがおどおどと口を開いた。
「どうした?」
「なんでっかー?」
「……今日は、俺、デシレと、約束してたんだ。一緒にケーキを食べるって。だから、カンナくんは、今日は帰ってもらっても、いい?」
怯える必要の無い相手にこんな口調で話すのは不自然にも思えたが、弱々しい態度で媚びることにより、相手を遠慮させるつもりなのかもしれない。子供に思えて、ヘルゼルも意外と考えているのだ。
「……しゃあないなあ。今日のところはヘルに免じて引き上げますわ。仕事は自分でなんとかしますー」
「あー、そうしてくれ」
「また今度」
「次は無い」
そうして、犬と嵐はバタバタと去って行った。とてもではないが、すぐケーキを食べる気にはなれない。とりあえず消臭だ。犬の臭いよりも、カンナとの会話の記憶を消したいところだが。
「ヘル」
「えーと……怒ってる?」
「俺が居ても居なくても、二度とあの男を家に上げるな」
「分かったよ……」
ムシャクシャしながら散らばった犬の毛を掃除している俺だったが、心の中に少しの敗北感が滲んでいた。
ひとつだけ。カンナを認めないといけないところがある。
あの真っ直ぐな目。ヘルゼルを思う純粋な態度。そして廃棄物に立ち向かう時の勇気と正義感を俺は知っている。
ーーカンナは、もしヘルゼルと仕事をしても、奴を盾にするようなことは絶対にしないだろう。
あるいは、俺よりも。
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