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化石の部屋
しおりを挟むその日、女性の死体が発見された。
賃貸アパートの一室は……いわゆる『汚部屋』と呼ばれるものだった。
「女のクセに片付けもできないって。汚らしい女だな」
思わず呟いたオレを先輩がチラリと目を向けたが、そのまま遺体が運び出された部屋に目を戻す。
「心の病だ」
「いやいや、そんなのおかしいでしょう。どうせズボラで『なんにもしたくない』っていう女の言い訳ですって」
オレの言葉にそれ以上は何も返してこない先輩。遺体もなくなった汚部屋に向けて手をあわせた先輩は「行くぞ」と言って部屋をでる。オレも先輩を追って部屋を後にした。
証言:1
元同僚
「えー! 彼女、死んじゃったのー?」
「はい。それで、生前の彼女がどのような方だったか教えていただきたいのですが」
「彼女、最近では珍しいくらい真面目な子よ。だから、周りからの評価は高かったわ。でもね。不真面目な先輩や上司にしてみれば、彼女の存在は煙たかったの。どんなにイジメられても嫌がらせを受けても、彼女は頑張っていたんだけどね。結局、『協調性がない』との理由で解雇……ううん。退職届を無理やり書かされて自己退職させられたのよ」
「一体何なんですか! あんな理由だけで解雇、というか自己退職させるなんて!」
「安全運転」
「わかってますよ!」
「あたるな。……こんなの、まだ序の口だ」
「……え?」
「前を見ろ」
「あ、ハイ」
先輩は何かを知っている。そう感じたオレは、その前に彼女が働いていた職場へ向かった。
証言:2
元同僚三人
「え……? 彼女が死んだ……? それで遺書はあったのですか?」
「『自殺』に心当たりがあるのですか?」
「……ここだけの話ですよ? 実は以前、彼女が施設内で感染症が蔓延したときに保健所に通報したんです。入居者への虐待も行われていて、あの頃は毎日救急車で病院に運ばれて、そのまま亡くなった入居者も多かった。施設長は喜んでいたんですよ。入居者が入れ替わればそれだけ入居金が懐に入りますから。ですから、一切の対策もしなかったんです。それで施設長はそのときのことを恨んで、彼女のロッカーを合鍵で開けて自分の愛人の私物を隠して泥棒に仕立てあげたんです。彼女を信じる人たちが多かったのだけど、それを理由にクビというか自主退職させたんです」
「ただ……ここの施設ができて入居者を募集するときに『提携していない病院』の名を勝手に使ったんです。そのときにその病院の関係者として抗議の電話をかけたのが彼女なんです。そのことをあとで知って、施設長は彼女をイジメ続けていたんです」
「それに、ゴミ置き場が建物の中にあるんですが、何度か小火が起きているんです。その中で一度、彼女が火災に気付いてくれたことがあったんです。発見が早くて小火で済んだんですが。そのとき、火災報知器が鳴っても火災現場が分からなくて誤作動と判断されたんです。彼女はちょうど仕事を終えて帰るところで、施設裏の自転車置き場へ向かったときにすりガラス越しに火事を発見したんです。すぐに事務所に駆け込んでくれたため小火で済んだんです。……あのとき、ゴミ置き場の壁は煤で真っ黒になっていたわ。彼女が気付かなかったら施設は全焼か半焼よ」
「それだって、施設長は自分が誤作動と決め付けて機器を手動で停止させたことを職員たちに責められたのよ。それで、彼女の自作自演にしようとしたの。最初の火災報知器が鳴った時は事務所近くの職員出入り口にいて、帰ろうとしていたところを目撃されていたし会話をした人もいたわ」
「それらが積み重なって、彼女を辞めさせることに躍起になっていたのよ」
「院内感染に虐待! それを糾した彼女を冤罪でクビ! さらに火事を発見して救った彼女を放火犯にしようとしてたなんて……。あんな施設なんか潰れちまえ‼︎」
「潰れたら、入居者の老人たちはどうなる?」
「……そうっスね」
「バカな施設長とそれに手を貸した愛人らが、際限なく不幸になるように神にでも祈ってろ」
黙って窓の外を見ている先輩。きっと、先輩の腸は怒りで煮えたぎっているのだろう。
「前」
「あ、はい」
オレは青信号になり前に進み出した前の車と車間をとって車を走らせた。
夏の暑い中、日中でもカーテンを閉めきられた部屋の中。理不尽な社会の中で、一人でも頑張って生きてきた女性が命を終えた。
「先輩」
「何だ」
「先輩は『心の病』と言ってたけど……本当に心の病にかかっていたのは周りだったんじゃないですかね。彼女は、他人が見ればただのゴミでも捨てられなかっただけ。……まるで自分が見捨てられるように」
「……本当のことは俺たちには何も分からないさ。俺たちは彼女ではないのだから」
「なんか……悲しいっス」
オレはきっと忘れられないだろう。
表向き立派な責任者が、実際は心が貧しくて卑しい。
そして……真面目だからこそ、落ち込み苦しみ、病でひとり寂しく死んで逝った。
誰から聞いても、上司や先輩から不条理な仕打ちを受けても頑張って生きてきた彼女の真面目さしか聞けなかった。
「そうだ。覚えているか?」
「何をっスか? 先輩」
「彼女、安らかな顔だったろ? きっと、明日も変わらない一日を信じて眠りについたんだ」
「…………それが唯一の救いですかね」
そう言って、オレは開いていた手帳を閉じた。
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