零れおちる滴

佐倉真稀

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澤野千疾

第一話

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 この世界には3つの性が存在する。α(アルファ)、β(ベータ)、Ω(オメガ)である。
 さらにそこには男と女が存在し、ダイヤ型の人口比率を形成する。
 人口の約1%の比率で存在する優性遺伝子のαの男女、同じく人口の約1%の比率で存在する劣性遺伝子のΩ男女、そして人口の98%を占めるβの男女。
 文明は進んだが、この世界は本能に支配されている。αは群れのボス、βは社会を支える働き蜂。Ωは時代のボスを産み落とす道具でしかない。更にαとΩはお互いにひきつけあう。αを産むのはΩだ。遺伝学上の神秘で、βはαを産み落とすことができない。

 そしてどんなに平等を謳っても、Ωが抱える本能、発情期の前ではすべてが吹き飛ぶ。

 3カ月に一度の周期でΩを襲う発情期。性的成熟を迎える16歳から~20歳の間に始まり、出産不可能な(βの女性なら閉経と呼ばれる)年齢に達するまでそれは続く。
 Ωは男女ともに妊娠出産をする。またαは男女ともに、妊娠出産はなく、種を植え付ける存在だ。αはΩの発情期に個体から発散されるフェロモンにより、性的情動を誘発される。
 それはΩが子供を産む道具としてしか扱われていなかったことや、性的捌け口として長く虐げられていた歴史が証明する。このフェロモンはβには感じることができず、βによるΩへの強姦事件は少ない。

 また、αとΩには番というものが存在し、番になったαとΩは他の個体のフェロモンには誘発されなくなる。逆を言えば番を見つけたαは番以外には発情しなくなりΩは子供を産むことができなくなる。それはどちらかの死亡かαからの解放でしか解除されない。

 つまりこの世を動かすのはαとΩでβはその恩恵や被害を受けるしかない存在なのだ。βは男は出産しないし、女は種付けはできない。つまり男と女が結婚し、子供を女が産んで育てる。男は子供を産めないし、発情期も存在しない。まあ、逆にいえばいつでも発情期とも言えるんだが。

 それでも今の世の中は科学が進んで、発情期のフェロモンを抑える薬も存在する。
 発情期を言い訳に強姦罪が無罪になることはないし、逆にΩを擁護している。それでもαは優秀な者が多いし、Ωは美しい男女が多い。βは良くも悪くも平均的と言っていい。もちろん中には優秀な者も愚鈍な者も美しいものもいるけれど、βとしてはと注釈がつく。そんな感じだ。つまりβと本気で添い遂げるαとΩはほぼ存在しない。
 βにとってαとΩは近くて遠いお隣さんなのだ。

 そして俺、澤野千疾さわのちはやは平凡なβでもマイノリティな存在、所謂同性愛者だ。いうなれば排泄器官でしかないところをセックスに使うわけだ。Ωは立派な生殖器官だから、排泄器官ではないし、そこを使っても当たり前の出来事だ。βの俺は本能に逆らう存在ってわけだ。子供を作ろうとしないとこに俺は生存競争に負けた存在であるのかもしれない。
 そしてここはそんなマイノリティなβの集う、発展場に近いBARだ。ここで出会って、恋人になるかセフレになるか、それは自由というわけだ。俺は溜まっているのだ。
 そんな若い性を持て余す俺は社会人二年目の24歳だ。当然のごとく女性経験は皆無。男性経験は童貞を失った大学時と、その後、ここで何回かお手合わせしたその場限りの男くらいか。ちなみにまだ処女で、処女を失う覚悟はできていない。俺は女に勃起しないだけで性的にはタチのつもりでいる。

 いや、そのつもりでいたんだ。この日までは。

 俺はカウンターで水割りを飲んでいた。そこに腰を落ち着けて20分くらい経った頃だ。
 ドアベルが鳴って誰かが入ってきた。その瞬間ざわざわとしたざわめきが波のように店内に広がる。
 扉に背を向けていた俺は気付くのが遅れた。
 よほどの男前が入ってきたのかと、ようやく振り返ろうとした時に低い声が俺の上から落ちてきた。

「隣に座ってもいいかな?」

 俺はその声の主を見ようと顔をあげた。
 一瞬言葉を失った。そこにはここにいるはずのない、αがいた。
 俺より2、3歳は年上に見える、ひときわ背の高い、重厚な体躯。非常に整ったマスク、綺麗な黒髪に意志の強さを表す黒い瞳。かなり高級そうなスーツ。洗練された所作。何よりもその大人の色気と存在感が、彼がαであることを示しているように思う。
 この店内のざわめきは当然だ。ここにαがいていいはずはない。ここはβのための同性愛者の出会い場所だからだ。
「どうぞ? 俺は一人だし。」
 平静を装って声が出せた。俺は自分を褒めてやりたい。しかし彼が隣に座ったら、誰も釣れないなーこりゃ。
「ありがとう。マスター、水割りを。銘柄は任せる。」
 隣に座った彼はそっけない俺に、飛びきりの笑顔で答え酒を注文した。

 やばい、俺の好みだ。心臓を鷲掴みにされた。
 でも、こいつはαだし。俺の相手にはならないし。何を思ってここに来たのかわからないがこいつには場違いって言わないとだめだろうなあ……。それにしても、俺のこの欲望は右手で処理するしかないのか……。
「……その、君と、少し話をしても?」
 いろいろ考えて呆けていたら、声をかけられた。氷のぶつかる音がかすかに聞こえた気がした。
「んー、ベッドの上ならいいかな?」
 俺は上の空で返した自分を殴りたかった。

 それでベッドの上である。

 あ、俺のキャパオーバーで記憶が飛んでいたのは仕方ないって思ってくれるよね?
 なんで俺初対面のαとベッドの上で、二人きりなのかな。
 しかもお互い、シャワーの後のバスローブ姿で。

「えーと、話すだけだよね?」
 ちょっと上目で彼を見た。
 そうしたら思いっきり笑顔で頷いてくれた。
「ピロートークをしてくれるとは思ってなかったよ。嬉しいよ。」
 あ、これだめな奴だ。
 覚悟を決めるか。

「えーと、俺処女なんで、多分それ入んないと思うけど、それでもいいなら?」
 と、彼の股間を指していった。彼は驚愕の表情を露わにした。
 うっせーな。βにαの男性器官が入るわけないだろうがよ!! 成人男性の平均的な腕の肘から指先くらいあるって聞いてるぞ。
 腸破れるわ!!
「あんたのそれ、凶器だからな。俺、βなんだから無理。死んじゃう。それ以外だったら手でも口でも素股でもいいよ。」
 彼はしばらく考える顔して、こう言い放った。

「ゆ、指くらいはいいかな?」
 俺は撃沈した。もう、勝手にしろ。
 βに手を出すαなんて俺以上にマイノリティだ。
 そんなαな彼は遠慮がちに俺に手を伸ばして抱きしめた。
 その様子がセックスの経験が少ない男みたいで自然に笑みが出た。そんなわけないだろうに。

「キスしてもいいよ。普段はしないんだけどね。」
 俺から彼を引きよせて唇を合わせた。シャワーを浴びてお互いこのホテルのボディソープの匂いのはずなのに、彼からは微かな彼特有の雄の匂いがした。
 合わさった唇は最初だけ遠慮がちだったけれど、次第に貪るようなキスになって、お互いローブを脱がせ合ってベッドにもつれ込んだ。
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