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3巻
3-2
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「馬鹿力で押されて手が痛かった。もう少し打ち合いが続いてたら負けたな」
少し前に席に戻っていたノクスが言う。
「負けると微塵も思ってねえくせになあ! もっと精進するわ。斧使ったら俺のほうが有利だったけどな!」
「斧使われたら逃げるに決まっている。剣が折れる」
「お疲れさま。殿下とロシュの対戦、始まるよ」
二人をねぎらって会場へと視線を移す。
ロシュは速度と手数で勝負、殿下は正統派剣術で、力の強い殿下が有利だ。体格も殿下のほうがいいからリーチが長い。
なんとか懐に入り込もうとするロシュを寄せ付けず、防御に徹してロシュを疲れさせる。ロシュが隙を見せたところで殿下が押し切った。
決勝はノクスと殿下に決まった。
「負けちゃった」
「ロシュ、お疲れ」
「よく戦ったわ。ロシュ」
「これで私とノクスだな。負けないぞ」
「殿下に花を持たせる気持ちはないので私も負けないように全力で戦う」
ノクスと殿下の間に火花が散った。男の戦いだね。熱いというか暑い。
「ここはセイアッド君が応援しないとね!」
「はあ?」
なんで俺?
フローラの言葉にノクスと殿下がぐるんと顔を俺に向けた。
目が血走ってるよ!
「あー二人とも頑張って!」
「いや、セイは私を応援するだろう?」
「セイアッド、ここは私を応援してもかまわないぞ?」
「いやいや! それはできないでしょ! 二人とも応援してるから!」
フローラ! なに言ってくれてんの!
「いや~セイアッドはノクスだろ」
「ここは忖度して殿下ということも」
「ありえねえ。ノクスしか見えてないだろう」
リール、ロシュ、シムオンが口を挟む。フィエーヤはフローラの顔に視線が行っていた。
「昼! お昼食べよう。とにかく二人とも頑張って!」
フローラが意味ありげに笑っていた。
ちくしょう、あとで怒る!
お昼はみんなで食べ、決勝に出る二人とは別れて応援席に戻った。
二人の試合は午後の二戦目。
殿下とノクスに黄色い声援が送られる。
モテモテだね!
そんな二人から視線が飛んできて、俺の周りの女子生徒が色めき立った。
小さく手を振ると、二人とも笑顔でお互いに向きなおった。
「モテモテねえ。セイアッド君」
「いやいや、あの視線は俺たちみんなへの視線でしょうよ」
「あらあ? そうかしらあ? 少なくともノクス君はセイアッド君しか見てなかったように感じるけど?」
くすくすと笑うフローラを尻目に試合を見る。
ロシュも、シムオンもフィエーヤもいるんだし!
そもそもヒロインを巡ってじゃないの? 乙女ゲームでしょ! 「星宵」は!
くそお、華め。脳内補完がすごいことになっていそうだから言わないが、からかうのはやめてほしい。ほんとにシャレになんないから!
二人は試合が始まっても迂闊に飛び込まないで隙を窺っていた。それからお互い走り込んで剣を打ち合う。小気味よい剣戟の音を響かせていったんお互い引く。それから身体強化を使った打ち合いが始まり、目まぐるしくお互いの位置が入れ変わって場内にどよめきが走る。
二人とも体力があるから疲れは見えない。
ノクス、かっこいい。
ああ、ここでノクスにしか目が行かない俺はやっぱりノクスファーストだ。
「ノクス、頑張って!」
殿下に押されそうになったノクスについ叫んでしまった。それが聞こえたのか、それからノクスの猛攻が始まり、殿下が押されていく。
起死回生を狙った鋭い殿下の剣の下をノクスの剣が掻い潜り、紙一重の差で殿下の首元に剣が突き付けられた。
「勝者、ノクス・ウースィク!」
歓声が会場を揺らした。そこには黒髪黒目など気にもせず、称賛を贈る声だけが響いた。
しばらくして試合を終えた二人が観客席に戻ってきた。
「二人ともお疲れさま」
「いい試合だった」
「すごかったよ!」
「すごかったわ。殿下も惜しかった」
「次はわからねぇな」
「お疲れさま」
ノクスが褒めてもらいたそうに見たので苦笑する。
「ノクス、優勝おめでとう」
「ありがとう」
嬉しそうに俺の隣に座るノクスの頭をポンポンと撫でる。尻尾を振る幻覚が見えた。大型犬か。
悔しそうな顔をした殿下がロシュの横に座った。
「殿下もすごかったよ」
ロシュがにこにこしてハンカチを渡す。それを受け取った殿下がしばらくそのハンカチを眺めてから顔の汗を拭くとそのままポケットに仕舞い込んだ。
「ありがとう。洗って返す」
落ち込んだ顔が、少し明るい顔になった。
「いいよ。あげる。いらなかったら破棄してもいい」
にこにこと笑顔を殿下に向けるロシュに、ふっと笑顔になった殿下が頷く。
「では、遠慮なく。破棄などしないぞ。せっかくロシュがくれたんだからな」
そう殿下が言うと、ロシュの笑顔が深まった。
「殿下は強くなってると思うよ。剣術の腕が冬休み前とは段違いだし」
ロシュの隣からシムオンがそう慰める。フローラも声をかけて慰めていた。
俺はノクスを褒めただけで、殿下を慰めることはしなかった。
そこはね。一応区別はしないとね。
ちらっとノクスを見ると、ノクスは上機嫌で微笑んだ。
そして、試合は三回生の決勝に移っていた。
第一王子殿下と、第一王子殿下と同じクラスの三回生。いかにも剣士って感じの第一王子殿下より二回りくらいガタイのいい男性。
力負けするのかなと見ていたら、第一王子殿下は受けるのではなく受け流して、相手の隙を誘って追い詰めていった。冷静で流麗な剣は会場を魅了し、観客のため息を誘った。
追い詰められた相手は大技で仕留めようと思ったのか、大きく振りかぶった隙に、素早く第一王子殿下が懐に飛び込んで、首に剣を突き付けた。
三回生は第一王子殿下が優勝した。
四回生の決勝が終わると個人の表彰式と閉会式が行われ、無事武術大会は終了した。
第二章 魔物の増加とバース鑑定
「一回生の野営訓練が中止?」
シムオンが食事の時に話題に出した。俺は驚いて声を上げる。
「事前の調査で魔物が増えていて危険と判断したらしい」
武術大会が終わってもう六月。そういえば去年は野営訓練があったと思い出す。
「学院のダンジョンも封鎖が解けないね。定期的に狩らないと氾濫が起きるんじゃないの?」
俺はダンジョンに潜りたくて解かれるのを待っていたが、まだダメだった。
「確かにそうだが、きっと調査に入っている騎士でそこは補っているんじゃないか?」
シムオンが首を傾げつつ答える。
「ギルドの討伐依頼、増えていたな。そういえば」
ノクスが顎に握った手を添えつつ、言った。
「学院に依頼が来るのは森の浅いところだけどね」
経験の少ない学生に任せられる初級レベルだ。
俺は肩を竦めてノクスの言葉に添える。
「ダンジョンが封鎖なら森での討伐依頼を受けるしかないな」
俺たちの会話を黙って聞いていた殿下がまとめた。
魔物が増えるのは魔王が目覚める前兆のはず。
ノクスには闇落ちの前兆なんて見られないけれど、魔王は本当に出現するのだろうか?
結局、俺たち八人は全員でギルドの魔物討伐の依頼を受けようと決めた。
森の浅い場所ということで、ホーンラビットの討伐依頼だ。ホーンラビットは年中繁殖期なんだけれど、今が一番出没する季節なんだ。餌になる植物が豊富な時期だからね。
森に入ってまずロシュが索敵する。魔物がいたらハンドサイン。そこはもう慣れたものだ。
草むらにホーンラビットが三体いた。俺が弓で気を引いて、ロシュとフィエーヤ、リールがとどめを刺した。すぐにマジックバッグに入れて次を探そうとするとロシュが叫んだ。
「来る!」
木の間から森狼が飛び出してきた。それも三匹。
リール、ノクス、殿下がそれぞれ立ち向かう。
「電撃!」
シムオンが威力を絞った雷魔法を新たに現れた四匹目の森狼に放った。
「まだ来るよ! あと三匹はいる」
ロシュが警告をして五匹目に向かう。俺は索敵スキルを使い、状況を把握する。
「群れのボス狼がいる! フィエーヤとフローラは攻撃魔法待機!」
木々に隠れた奥にやや大きい反応がある。その手前に森狼が三匹。
「セイ、終わった」
ノクスとリールが後衛を庇うように立つ。
「そっちにボスがいる。手前に三匹。俺が矢で引きつけるから二人でボスやっちゃって!」
「了解」
俺は魔力の矢をボスのいる方向に三発放つ。それを避けるように三匹が飛び出してきた。
「空気弾!」
「花霞!」
フィエーヤの空気弾が新たに飛び出してきた三匹のうちの右端の個体に当たって、鳴き声を上げて倒れ込んだ。フローラの花霞が真ん中の個体にまとわりつくと、麻痺の効果があったのか、狼は倒れ込んでぴくぴくと痙攣する。
「はあ!」
先に飛び出したリールは左端の個体と戦闘に入った。そこを抜けてノクスがボス狼に向かっていく。飛び掛かるボス狼を避けて脇腹を斬りつけると、そのまま刃を返して足を斬り飛ばした。
「ウォオオオオン!」
ボス狼は咆哮を上げ血走った目でノクスを睨む。涼しい顔でノクスは首を刎ねた。
リールも同時に戦闘を終わらせ、フローラとフィエーヤはそれぞれとどめを刺していた。
シムオンも倒した個体の死亡を確認し、殿下は最初の個体を切り伏せたあと、ロシュのカバーに入って、無事、戦闘は終了した。
後始末をしたあと、殿下の持っているマジックバッグに狼たちを仕舞ってホーンラビットを探して回り、途中、何度か森狼、イタチのような魔物などに遭遇戦を強いられた。ここよりもっと奥にいるはずのホーンディアーに遭遇した時はなにかの冗談かとも思った。
「森のこんな浅い領域でこの数の魔物と遭うとは」
殿下がいっぱいになったマジックバッグの口を締めながら呟いた。
「魔物、増えてたね」
ロシュが不安げに呟く。
「ああ。こりゃーギルドに報告案件だな」
リールが肩を竦めて言う。
確かに、森の入口付近で強い魔物に遭うなんて冒険者じゃない、王都民にしてみたら、怖い以外の何物でもない。フローラが思案顔で俺の側に来た。
「これはまさしく前兆かもしれないわ」
小さく囁いて、殿下の元に行った。
「フローラはなんて?」
ノクスがフローラをちらっと見て首を傾げた。
ノクスが原因じゃない。絶対だ。
「魔物がこんなに多いのに驚いたって」
魔王が現れる前兆。じゃあ、魔王は誰? ノクスじゃないなら、誰なんだろう。
「考えられるとしたら、魔物の氾濫の前兆だろうか?」
「うん。そういえば、ロアールもそろそろありそうだね。時期的に」
ワイバーンが原因の魔物の氾濫。もうずいぶん前の気がする。
「そうだな。ロアール伯爵に問い合わせてみよう」
ノクスの言葉に頷いた。みんなの休憩も終わった。
殿下が手を上げて呼ぶ。
「撤収だ。学院に戻ろう」
みんなが返事をして門に向かう。学院のギルドに報告してからが少し長かった。説明はみんな殿下に任せて、報酬の受け取りは後日となり、その日は解散になった。
後日、報酬が用意できたと聞いてギルドに足を運んだら、依頼票の掲示板に大きく注意書きがあった。
中域の魔物が森の浅い場所で出現する可能性が高くなっているので充分注意をするように、とのことだった。討伐依頼はソロでは受理しないらしい。
「やっぱりそうなるんだね。ダンジョンもダメそう」
「ああ」
ノクスと顔を見合わせて、頷き合う。
空もどんよりと曇りが続いて、少し滅入ってしまった。
◇◆◇ ◇◆◇
ここは学院にあるティールームの一室。申請すれば、貸してもらうことができる。いつものメンバーが殿下に召集され、一堂に会している。
「ギルドの依頼のことか? ダンジョンの封鎖が解けたとか?」
わくわくした顔でリールが殿下に聞く。
「いや、そうではない。公務の一環で、私はいろいろな領地に訪問をしているのだが、この夏の休暇はウースィク公爵領並びにロアール伯爵領に訪問したいと考えている。去年はオイストゥル公爵領とその周辺を回った。今回はぜひノクスとセイアッドの領地を訪ねたい」
「ええと、俺には決める権限がないから、父に連絡してもらえれば一も二もなく承諾がもらえると思うけど?」
「ウースィク公爵領も父に連絡を取ってもらえれば済むと思うが……ああ、今は隣国だったか?」
「そちらは王家として書簡が行くはずだ。その、ロアール領には魔物の多い森があるという。そこの視察も考えていて、せっかくだからいつものパーティで討伐をしてみたいと思っている」
「は? 俺たちもロアールへ行けと?」
「それはおもしれえ、ちょっと国に聞いてみるか」
「僕はいいよ。セイの生まれ故郷を見てみたいし。きっと父も許可出してくれると思う」
「ごめんなさいね。セイアッド君、ノクス君。ちょっと止められなくて」
「い、いいよ。フローラ。公務の一環なんだから」
「そうだ。別にフローラが悪いわけではないだろう?」
そう言うとフローラは視線を泳がせてこそっと俺だけに耳打ちした。
「好きな子に意識してもらうのにはどうしたらいいかって聞かれて、『将を射んとせば先ず馬を射よ』とか、外堀を埋めるとか、いろいろ言っちゃったの。それで殿下が考え込んで、この結果よ」
あ。
思わず殿下に目を向けた。ほかのメンバーと話している殿下を見て、あの時のことを思い出す。
『私がいいと思っている人は君だ。ノクスと仮婚約をしているのはわかっている。でも、本当の婚約でもよかったはずだ。セイアッドは迷っているんだろう? だったら、オメガになったら私も婚約者候補にしてはもらえないだろうか?』
殿下は俺のどういうところを好きになったのだろう。俺はまったく歩み寄らなかったし、ノクスべったりなのはわかっているはずだ。
断ることはもう俺の中では決定事項だけど、どうも、腑に落ちないんだ。
殿下は本当に俺が好きなんだろうか。
俺の頭にロシュの刺したハンカチが浮かんで消えた。
タウンハウスに手紙を出して父の許可を求めた。殿下へは父から連絡をしてくれることになった。
みんなの親の許可が出て、ウースィク公爵の屋敷にて集合の上、ロアール領に来る予定になった。殿下は視察を兼ねるので先に出発、フローラもこれに同行。
俺とノクスは終業式のあと、父とともに帰郷し、みんなを迎える準備をすることになった。
◇◆◇ ◇◆◇
前触れはなかった。それは本当に突然やってきた。
ある朝、ノクスが輝いて見えた。ノクスは俺の最推しで、好意を持つ相手だからかなと思ったりしたのだが、見惚れてぼうっとなってしまうことを繰り返しているうちにおかしいと気付いた。
「なんか、きらきらしてる」
ノクスにそう言うと、彼は間の抜けた顔で俺を見た。
そんな顔もエフェクトがかかったようにきらきらとして見えるから不思議だ。
「セイアッド坊っちゃん、目ェ悪くなったのか?」
「師匠」
ノクスが師匠をぎろっと睨んだ。かっこいい。
「おう、ちょっと言いすぎた。悪ィな」
師匠の突っ込みは今日も遠慮がない。俺もどうしたものか、それを否定できる材料がない。
その日、ノクスと師匠はこそこそと二人で話し、師匠が悪い顔をしたのをぼうっと眺めていた。
その週末にノクスは師匠と出かけてしまったから、俺は弟たちと遊んで過ごした。
帰ってきたノクスが少し、俺と距離を取ったのがすごく寂しかった。
お土産をくれたから、まあ、いいんだけどね!
そんなことがあった数日後だ。
「セイ」
ノクスに抱きしめられて、顔が近づく。キスされる、と思ったらもうしていた。
いつの間にか、二人とも裸になって、それで……
びっくりして飛び起きた。
「夢、なんていう夢……え?」
なんか変な感じがして確かめてみると、夢精していた。
「あー」
一平の時は女の子だったのに、ノクスだなんて。
両手で顔を覆って蹲った。まざまざと深層心理を見せつけられた気分だ。
「浄化」
ベッドの中も部屋の空気も浄化の魔法で綺麗になる。この世界の便利なところだ。
一平の時は隠れて自分でパンツ洗ったなと思い出した。
「鑑定受けなきゃダメなんだよな」
侍女にタウンハウスに直接行ってもらい、母に連絡した。母から鑑定はすぐ受けたほうがいいと連絡が来て、次の日の午後の授業が終わってから馬車で迎えに来た。ノクスには母の用事で出かけると言ったが、どうやら出かける意味がわかってしまったらしい。
「オメガですね」
がっくりと肩を落とした俺とは違って母は喜色満面だった。
それからいろいろ注意を受けた。その場で抑制剤も飲んだ。学院にいる間は定期的に飲まないといけないそうだ。
「いろいろ報告しないといけないわね。これでノクス君との婚約は正式なものになるわ。いい?」
「うん」
「ノクス君にちゃんと正直に言わないとダメよ。いくら優しいノクス君でも拒否され続けるのは堪えるでしょ?」
「うん」
「お父様から話があると思うけれど、今後についてスケジュールを決めなければね」
「スケジュール? なんの?」
「もちろんあなたたちの結婚式についてよ? 結婚式は準備が大変なんだから、今から計画立てて準備しないとあっという間に当日が来ちゃうわよ?」
「えっ」
「学院を卒業したすぐあとはどうかしら? 学友の方々がまだ王都にいる時がいいと思うわ」
「え?」
「招待するお友達を決めたらすぐリストをよこしなさい」
「あ、はい」
「忙しくなるわね! 公爵夫人とも連絡を取らないと!」
俺に母は止められなかった。別にノクスがどうのってことじゃないんだ。素直に飛び込めたらいいんだけれど、素直になれない自分がいるのはどうしようもできない。
だって、さんざん自分はアルファだなんだと喚いて拒否してて。それでいて、夢の中では……
夢のことを思い出して顔が赤くなる。
そうだ、俺はオメガで、抱かれるほう。一生童貞決定だ。
頭を抱えて学院に戻ったら、ノクスが待ち構えていた。
壁ドンだよ!
寮に繋がる廊下で壁ドン。誰もいないし、ここを通るのは俺たちくらいだけど。
「セイ、バース鑑定の結果、どうだったんだ?」
「え、あー……言わなきゃだめ?」
言いたくないんだよな。俺のアイデンティティが崩壊する。
「ちなみに俺はアルファだ。セイはどっちだったんだ?」
ノクスの手が俺の髪を弄ぶ。
うう、顔が赤くなるんだけど。追及するノクスに俺は諦めて答えることにした。
「……だよ……」
「ん?」
聞こえないなあ、と言わんばかりに顔を近づけてくる。心臓に悪い。
「あーもう! オメガだよ! 悪かったな!」
思わず恥ずかしくて叫んでしまった。
「なぜ悪いんだ? 私は賭けに勝った」
「はあ? 賭けなんてしたっけ?」
ノクスは俺の顎をくいっと持ち上げて顔を近づけた。
待って、近い近い!
ノクスから香る甘い匂いが俺の頭を痺れさせる。
心臓が不整脈気味だ。最推しの顔は破壊力が強力すぎる。
「約束したじゃないか。オメガだったら私がセイをもらうって」
『ぼ……私は、セイがオメガだったら、伴侶に迎えたい』
まだ幼いころのノクスの言葉を思い出した。キュッと心臓が締め付けられる。
「改めて、結婚を申し込むよ。私のセイ。私の伴侶になって一生を共にしてほしい」
ちゅっとリップ音がして柔らかくあったかいものが唇に触れて離れていった。
呆然と見上げていると背景に花が咲いたような、輝いた笑顔を見せてノクスは言った。
なに俺のファーストキス、さらりと奪ってんだよ!? 父に節度って言われてるだろう!? ノーちゃんの馬鹿! 俺の顔は今茹でダコだよ!
あ、だめだ意識が……
「え!? セイ!?」
俺はあまりのことにひっくり返ったらしい。
薄れていく意識の中で慌てたノクスの声が聞こえた。
『素直になるんじゃなかったの? ちゃんと、答えてあげないと、可哀想だよ』
(うん。わかってる。月の神様……ちゃんと、わかってるよ)
目が覚めたら自分の部屋のベッドにいた。制服のままだったからノクスに運ばれたんだろう。付き添っていたメイドさんが心配そうに具合を聞いた。
精神的なショックだから特に体がどうこうじゃない。大丈夫だから一人にしてほしいと答えて、シャワーを浴びて着替えた。
ベッドに座って考える。オメガは継承権がないから嫡子から長子になる。ノクスと結ばれるなら俺はウースィク公爵家に婿入りするのかな? ノクスは俺の自由にしていいと言ってくれたけど、現実的にどうなんだろう。ロアールに居続けることはできるんだろうか。跡取りはヴィンになるし、ヴィンも小姑がいたら困るだろうし。
ああ、あと、もう一つ重大なことがあった。殿下に断りの返事をしなきゃ。
それからちゃんと、ノクスのプロポーズに答えを返さなきゃ。
そういえば、キス、したよな。
思わず唇に指で触れた。
一瞬の、触れるだけのキス。かあっと体の熱が上がった。
「ファーストキスだったのに、ムードがない。不合格だ」
ノクスのキスにダメ出しした。やり直しを要求しよう。そう、ノーカンだ!
そんな風に頭の中でぐるぐる考えているとノックが聞こえた。
「はい」
返事をすると、ドアを開けて顔を覗かせたのはノクスだった。ドキンと心臓が跳ねる。
「大丈夫か? もう夕飯の時間だけど、食べられる?」
心配そうな顔に、くすぐったいような気持ちになる。
「食べる」
「そうか、もう支度はできているから、行こう」
ノクスがドアを開いて、待ってくれている。
「うん」
側に行くと、ふわっとノクスの香りが鼻腔を擽った。
ドキドキする心臓を持て余しつつ、食堂へ二人で向かった。
ちらちらと、心配そうに見るノクスにじわりとあったかい気持ちが広がる。
手を繋ぎたくて仕方ない。迷っているうちに食堂に着いてしまって、席に着く。
テーブルに並べられた夕飯の美味しそうな匂いが空腹を意識させた。
夕飯の時間は美味しい食事に舌鼓を打って、当たり障りのない話をして終わった。食後に応接室に移動すると、メイドさんがお茶の支度をして、下がった。
「ちょっとだけ、二人にしてもらった」
カップを傾けながらノクスが言う。いつもは部屋の隅に控えているメイドさんの姿がない。
「返事を聞かせてもらっても、いいだろうか?」
カップを置くと緊張した声音で、ノクスが俺に問う。
俺は両手をぎゅっと握りしめて口を開いた。
「け、結婚の申し込みは、受けるよ? ノ、ノクスしか、結婚相手考えられないし」
言えた! めちゃくちゃ声が上擦っちゃったけど。
「よかった。ありがとう」
ノクスがほっとした顔になって体から、力を抜いた。それから居住まいを正して、テーブルの上に載っていた宝石箱みたいな箱を俺の前に置く。
「セイアッド、これを君に。正式な、婚約の印だ」
ノクスが箱を開けるとチョーカーが入っていた。黒いビロードで、項の方に向かって幅広になっている。前には黒く輝く魔石に、その周りを取り巻くのは小さなブラックダイアモンド。ノクスが手に取って魔石に魔力を込めると、魔石の部分に繋がった留め金が外れた。
「つけていいか?」
ノクスの真剣な顔に頷く。
「う、うん」
髪を上げて邪魔にならないようにすると、ノクスがチョーカーを俺の首に嵌めた。留め金が嵌まると形状変化の魔法が付与されていたようで、首にフィットするように大きさが変化した。
少し前に席に戻っていたノクスが言う。
「負けると微塵も思ってねえくせになあ! もっと精進するわ。斧使ったら俺のほうが有利だったけどな!」
「斧使われたら逃げるに決まっている。剣が折れる」
「お疲れさま。殿下とロシュの対戦、始まるよ」
二人をねぎらって会場へと視線を移す。
ロシュは速度と手数で勝負、殿下は正統派剣術で、力の強い殿下が有利だ。体格も殿下のほうがいいからリーチが長い。
なんとか懐に入り込もうとするロシュを寄せ付けず、防御に徹してロシュを疲れさせる。ロシュが隙を見せたところで殿下が押し切った。
決勝はノクスと殿下に決まった。
「負けちゃった」
「ロシュ、お疲れ」
「よく戦ったわ。ロシュ」
「これで私とノクスだな。負けないぞ」
「殿下に花を持たせる気持ちはないので私も負けないように全力で戦う」
ノクスと殿下の間に火花が散った。男の戦いだね。熱いというか暑い。
「ここはセイアッド君が応援しないとね!」
「はあ?」
なんで俺?
フローラの言葉にノクスと殿下がぐるんと顔を俺に向けた。
目が血走ってるよ!
「あー二人とも頑張って!」
「いや、セイは私を応援するだろう?」
「セイアッド、ここは私を応援してもかまわないぞ?」
「いやいや! それはできないでしょ! 二人とも応援してるから!」
フローラ! なに言ってくれてんの!
「いや~セイアッドはノクスだろ」
「ここは忖度して殿下ということも」
「ありえねえ。ノクスしか見えてないだろう」
リール、ロシュ、シムオンが口を挟む。フィエーヤはフローラの顔に視線が行っていた。
「昼! お昼食べよう。とにかく二人とも頑張って!」
フローラが意味ありげに笑っていた。
ちくしょう、あとで怒る!
お昼はみんなで食べ、決勝に出る二人とは別れて応援席に戻った。
二人の試合は午後の二戦目。
殿下とノクスに黄色い声援が送られる。
モテモテだね!
そんな二人から視線が飛んできて、俺の周りの女子生徒が色めき立った。
小さく手を振ると、二人とも笑顔でお互いに向きなおった。
「モテモテねえ。セイアッド君」
「いやいや、あの視線は俺たちみんなへの視線でしょうよ」
「あらあ? そうかしらあ? 少なくともノクス君はセイアッド君しか見てなかったように感じるけど?」
くすくすと笑うフローラを尻目に試合を見る。
ロシュも、シムオンもフィエーヤもいるんだし!
そもそもヒロインを巡ってじゃないの? 乙女ゲームでしょ! 「星宵」は!
くそお、華め。脳内補完がすごいことになっていそうだから言わないが、からかうのはやめてほしい。ほんとにシャレになんないから!
二人は試合が始まっても迂闊に飛び込まないで隙を窺っていた。それからお互い走り込んで剣を打ち合う。小気味よい剣戟の音を響かせていったんお互い引く。それから身体強化を使った打ち合いが始まり、目まぐるしくお互いの位置が入れ変わって場内にどよめきが走る。
二人とも体力があるから疲れは見えない。
ノクス、かっこいい。
ああ、ここでノクスにしか目が行かない俺はやっぱりノクスファーストだ。
「ノクス、頑張って!」
殿下に押されそうになったノクスについ叫んでしまった。それが聞こえたのか、それからノクスの猛攻が始まり、殿下が押されていく。
起死回生を狙った鋭い殿下の剣の下をノクスの剣が掻い潜り、紙一重の差で殿下の首元に剣が突き付けられた。
「勝者、ノクス・ウースィク!」
歓声が会場を揺らした。そこには黒髪黒目など気にもせず、称賛を贈る声だけが響いた。
しばらくして試合を終えた二人が観客席に戻ってきた。
「二人ともお疲れさま」
「いい試合だった」
「すごかったよ!」
「すごかったわ。殿下も惜しかった」
「次はわからねぇな」
「お疲れさま」
ノクスが褒めてもらいたそうに見たので苦笑する。
「ノクス、優勝おめでとう」
「ありがとう」
嬉しそうに俺の隣に座るノクスの頭をポンポンと撫でる。尻尾を振る幻覚が見えた。大型犬か。
悔しそうな顔をした殿下がロシュの横に座った。
「殿下もすごかったよ」
ロシュがにこにこしてハンカチを渡す。それを受け取った殿下がしばらくそのハンカチを眺めてから顔の汗を拭くとそのままポケットに仕舞い込んだ。
「ありがとう。洗って返す」
落ち込んだ顔が、少し明るい顔になった。
「いいよ。あげる。いらなかったら破棄してもいい」
にこにこと笑顔を殿下に向けるロシュに、ふっと笑顔になった殿下が頷く。
「では、遠慮なく。破棄などしないぞ。せっかくロシュがくれたんだからな」
そう殿下が言うと、ロシュの笑顔が深まった。
「殿下は強くなってると思うよ。剣術の腕が冬休み前とは段違いだし」
ロシュの隣からシムオンがそう慰める。フローラも声をかけて慰めていた。
俺はノクスを褒めただけで、殿下を慰めることはしなかった。
そこはね。一応区別はしないとね。
ちらっとノクスを見ると、ノクスは上機嫌で微笑んだ。
そして、試合は三回生の決勝に移っていた。
第一王子殿下と、第一王子殿下と同じクラスの三回生。いかにも剣士って感じの第一王子殿下より二回りくらいガタイのいい男性。
力負けするのかなと見ていたら、第一王子殿下は受けるのではなく受け流して、相手の隙を誘って追い詰めていった。冷静で流麗な剣は会場を魅了し、観客のため息を誘った。
追い詰められた相手は大技で仕留めようと思ったのか、大きく振りかぶった隙に、素早く第一王子殿下が懐に飛び込んで、首に剣を突き付けた。
三回生は第一王子殿下が優勝した。
四回生の決勝が終わると個人の表彰式と閉会式が行われ、無事武術大会は終了した。
第二章 魔物の増加とバース鑑定
「一回生の野営訓練が中止?」
シムオンが食事の時に話題に出した。俺は驚いて声を上げる。
「事前の調査で魔物が増えていて危険と判断したらしい」
武術大会が終わってもう六月。そういえば去年は野営訓練があったと思い出す。
「学院のダンジョンも封鎖が解けないね。定期的に狩らないと氾濫が起きるんじゃないの?」
俺はダンジョンに潜りたくて解かれるのを待っていたが、まだダメだった。
「確かにそうだが、きっと調査に入っている騎士でそこは補っているんじゃないか?」
シムオンが首を傾げつつ答える。
「ギルドの討伐依頼、増えていたな。そういえば」
ノクスが顎に握った手を添えつつ、言った。
「学院に依頼が来るのは森の浅いところだけどね」
経験の少ない学生に任せられる初級レベルだ。
俺は肩を竦めてノクスの言葉に添える。
「ダンジョンが封鎖なら森での討伐依頼を受けるしかないな」
俺たちの会話を黙って聞いていた殿下がまとめた。
魔物が増えるのは魔王が目覚める前兆のはず。
ノクスには闇落ちの前兆なんて見られないけれど、魔王は本当に出現するのだろうか?
結局、俺たち八人は全員でギルドの魔物討伐の依頼を受けようと決めた。
森の浅い場所ということで、ホーンラビットの討伐依頼だ。ホーンラビットは年中繁殖期なんだけれど、今が一番出没する季節なんだ。餌になる植物が豊富な時期だからね。
森に入ってまずロシュが索敵する。魔物がいたらハンドサイン。そこはもう慣れたものだ。
草むらにホーンラビットが三体いた。俺が弓で気を引いて、ロシュとフィエーヤ、リールがとどめを刺した。すぐにマジックバッグに入れて次を探そうとするとロシュが叫んだ。
「来る!」
木の間から森狼が飛び出してきた。それも三匹。
リール、ノクス、殿下がそれぞれ立ち向かう。
「電撃!」
シムオンが威力を絞った雷魔法を新たに現れた四匹目の森狼に放った。
「まだ来るよ! あと三匹はいる」
ロシュが警告をして五匹目に向かう。俺は索敵スキルを使い、状況を把握する。
「群れのボス狼がいる! フィエーヤとフローラは攻撃魔法待機!」
木々に隠れた奥にやや大きい反応がある。その手前に森狼が三匹。
「セイ、終わった」
ノクスとリールが後衛を庇うように立つ。
「そっちにボスがいる。手前に三匹。俺が矢で引きつけるから二人でボスやっちゃって!」
「了解」
俺は魔力の矢をボスのいる方向に三発放つ。それを避けるように三匹が飛び出してきた。
「空気弾!」
「花霞!」
フィエーヤの空気弾が新たに飛び出してきた三匹のうちの右端の個体に当たって、鳴き声を上げて倒れ込んだ。フローラの花霞が真ん中の個体にまとわりつくと、麻痺の効果があったのか、狼は倒れ込んでぴくぴくと痙攣する。
「はあ!」
先に飛び出したリールは左端の個体と戦闘に入った。そこを抜けてノクスがボス狼に向かっていく。飛び掛かるボス狼を避けて脇腹を斬りつけると、そのまま刃を返して足を斬り飛ばした。
「ウォオオオオン!」
ボス狼は咆哮を上げ血走った目でノクスを睨む。涼しい顔でノクスは首を刎ねた。
リールも同時に戦闘を終わらせ、フローラとフィエーヤはそれぞれとどめを刺していた。
シムオンも倒した個体の死亡を確認し、殿下は最初の個体を切り伏せたあと、ロシュのカバーに入って、無事、戦闘は終了した。
後始末をしたあと、殿下の持っているマジックバッグに狼たちを仕舞ってホーンラビットを探して回り、途中、何度か森狼、イタチのような魔物などに遭遇戦を強いられた。ここよりもっと奥にいるはずのホーンディアーに遭遇した時はなにかの冗談かとも思った。
「森のこんな浅い領域でこの数の魔物と遭うとは」
殿下がいっぱいになったマジックバッグの口を締めながら呟いた。
「魔物、増えてたね」
ロシュが不安げに呟く。
「ああ。こりゃーギルドに報告案件だな」
リールが肩を竦めて言う。
確かに、森の入口付近で強い魔物に遭うなんて冒険者じゃない、王都民にしてみたら、怖い以外の何物でもない。フローラが思案顔で俺の側に来た。
「これはまさしく前兆かもしれないわ」
小さく囁いて、殿下の元に行った。
「フローラはなんて?」
ノクスがフローラをちらっと見て首を傾げた。
ノクスが原因じゃない。絶対だ。
「魔物がこんなに多いのに驚いたって」
魔王が現れる前兆。じゃあ、魔王は誰? ノクスじゃないなら、誰なんだろう。
「考えられるとしたら、魔物の氾濫の前兆だろうか?」
「うん。そういえば、ロアールもそろそろありそうだね。時期的に」
ワイバーンが原因の魔物の氾濫。もうずいぶん前の気がする。
「そうだな。ロアール伯爵に問い合わせてみよう」
ノクスの言葉に頷いた。みんなの休憩も終わった。
殿下が手を上げて呼ぶ。
「撤収だ。学院に戻ろう」
みんなが返事をして門に向かう。学院のギルドに報告してからが少し長かった。説明はみんな殿下に任せて、報酬の受け取りは後日となり、その日は解散になった。
後日、報酬が用意できたと聞いてギルドに足を運んだら、依頼票の掲示板に大きく注意書きがあった。
中域の魔物が森の浅い場所で出現する可能性が高くなっているので充分注意をするように、とのことだった。討伐依頼はソロでは受理しないらしい。
「やっぱりそうなるんだね。ダンジョンもダメそう」
「ああ」
ノクスと顔を見合わせて、頷き合う。
空もどんよりと曇りが続いて、少し滅入ってしまった。
◇◆◇ ◇◆◇
ここは学院にあるティールームの一室。申請すれば、貸してもらうことができる。いつものメンバーが殿下に召集され、一堂に会している。
「ギルドの依頼のことか? ダンジョンの封鎖が解けたとか?」
わくわくした顔でリールが殿下に聞く。
「いや、そうではない。公務の一環で、私はいろいろな領地に訪問をしているのだが、この夏の休暇はウースィク公爵領並びにロアール伯爵領に訪問したいと考えている。去年はオイストゥル公爵領とその周辺を回った。今回はぜひノクスとセイアッドの領地を訪ねたい」
「ええと、俺には決める権限がないから、父に連絡してもらえれば一も二もなく承諾がもらえると思うけど?」
「ウースィク公爵領も父に連絡を取ってもらえれば済むと思うが……ああ、今は隣国だったか?」
「そちらは王家として書簡が行くはずだ。その、ロアール領には魔物の多い森があるという。そこの視察も考えていて、せっかくだからいつものパーティで討伐をしてみたいと思っている」
「は? 俺たちもロアールへ行けと?」
「それはおもしれえ、ちょっと国に聞いてみるか」
「僕はいいよ。セイの生まれ故郷を見てみたいし。きっと父も許可出してくれると思う」
「ごめんなさいね。セイアッド君、ノクス君。ちょっと止められなくて」
「い、いいよ。フローラ。公務の一環なんだから」
「そうだ。別にフローラが悪いわけではないだろう?」
そう言うとフローラは視線を泳がせてこそっと俺だけに耳打ちした。
「好きな子に意識してもらうのにはどうしたらいいかって聞かれて、『将を射んとせば先ず馬を射よ』とか、外堀を埋めるとか、いろいろ言っちゃったの。それで殿下が考え込んで、この結果よ」
あ。
思わず殿下に目を向けた。ほかのメンバーと話している殿下を見て、あの時のことを思い出す。
『私がいいと思っている人は君だ。ノクスと仮婚約をしているのはわかっている。でも、本当の婚約でもよかったはずだ。セイアッドは迷っているんだろう? だったら、オメガになったら私も婚約者候補にしてはもらえないだろうか?』
殿下は俺のどういうところを好きになったのだろう。俺はまったく歩み寄らなかったし、ノクスべったりなのはわかっているはずだ。
断ることはもう俺の中では決定事項だけど、どうも、腑に落ちないんだ。
殿下は本当に俺が好きなんだろうか。
俺の頭にロシュの刺したハンカチが浮かんで消えた。
タウンハウスに手紙を出して父の許可を求めた。殿下へは父から連絡をしてくれることになった。
みんなの親の許可が出て、ウースィク公爵の屋敷にて集合の上、ロアール領に来る予定になった。殿下は視察を兼ねるので先に出発、フローラもこれに同行。
俺とノクスは終業式のあと、父とともに帰郷し、みんなを迎える準備をすることになった。
◇◆◇ ◇◆◇
前触れはなかった。それは本当に突然やってきた。
ある朝、ノクスが輝いて見えた。ノクスは俺の最推しで、好意を持つ相手だからかなと思ったりしたのだが、見惚れてぼうっとなってしまうことを繰り返しているうちにおかしいと気付いた。
「なんか、きらきらしてる」
ノクスにそう言うと、彼は間の抜けた顔で俺を見た。
そんな顔もエフェクトがかかったようにきらきらとして見えるから不思議だ。
「セイアッド坊っちゃん、目ェ悪くなったのか?」
「師匠」
ノクスが師匠をぎろっと睨んだ。かっこいい。
「おう、ちょっと言いすぎた。悪ィな」
師匠の突っ込みは今日も遠慮がない。俺もどうしたものか、それを否定できる材料がない。
その日、ノクスと師匠はこそこそと二人で話し、師匠が悪い顔をしたのをぼうっと眺めていた。
その週末にノクスは師匠と出かけてしまったから、俺は弟たちと遊んで過ごした。
帰ってきたノクスが少し、俺と距離を取ったのがすごく寂しかった。
お土産をくれたから、まあ、いいんだけどね!
そんなことがあった数日後だ。
「セイ」
ノクスに抱きしめられて、顔が近づく。キスされる、と思ったらもうしていた。
いつの間にか、二人とも裸になって、それで……
びっくりして飛び起きた。
「夢、なんていう夢……え?」
なんか変な感じがして確かめてみると、夢精していた。
「あー」
一平の時は女の子だったのに、ノクスだなんて。
両手で顔を覆って蹲った。まざまざと深層心理を見せつけられた気分だ。
「浄化」
ベッドの中も部屋の空気も浄化の魔法で綺麗になる。この世界の便利なところだ。
一平の時は隠れて自分でパンツ洗ったなと思い出した。
「鑑定受けなきゃダメなんだよな」
侍女にタウンハウスに直接行ってもらい、母に連絡した。母から鑑定はすぐ受けたほうがいいと連絡が来て、次の日の午後の授業が終わってから馬車で迎えに来た。ノクスには母の用事で出かけると言ったが、どうやら出かける意味がわかってしまったらしい。
「オメガですね」
がっくりと肩を落とした俺とは違って母は喜色満面だった。
それからいろいろ注意を受けた。その場で抑制剤も飲んだ。学院にいる間は定期的に飲まないといけないそうだ。
「いろいろ報告しないといけないわね。これでノクス君との婚約は正式なものになるわ。いい?」
「うん」
「ノクス君にちゃんと正直に言わないとダメよ。いくら優しいノクス君でも拒否され続けるのは堪えるでしょ?」
「うん」
「お父様から話があると思うけれど、今後についてスケジュールを決めなければね」
「スケジュール? なんの?」
「もちろんあなたたちの結婚式についてよ? 結婚式は準備が大変なんだから、今から計画立てて準備しないとあっという間に当日が来ちゃうわよ?」
「えっ」
「学院を卒業したすぐあとはどうかしら? 学友の方々がまだ王都にいる時がいいと思うわ」
「え?」
「招待するお友達を決めたらすぐリストをよこしなさい」
「あ、はい」
「忙しくなるわね! 公爵夫人とも連絡を取らないと!」
俺に母は止められなかった。別にノクスがどうのってことじゃないんだ。素直に飛び込めたらいいんだけれど、素直になれない自分がいるのはどうしようもできない。
だって、さんざん自分はアルファだなんだと喚いて拒否してて。それでいて、夢の中では……
夢のことを思い出して顔が赤くなる。
そうだ、俺はオメガで、抱かれるほう。一生童貞決定だ。
頭を抱えて学院に戻ったら、ノクスが待ち構えていた。
壁ドンだよ!
寮に繋がる廊下で壁ドン。誰もいないし、ここを通るのは俺たちくらいだけど。
「セイ、バース鑑定の結果、どうだったんだ?」
「え、あー……言わなきゃだめ?」
言いたくないんだよな。俺のアイデンティティが崩壊する。
「ちなみに俺はアルファだ。セイはどっちだったんだ?」
ノクスの手が俺の髪を弄ぶ。
うう、顔が赤くなるんだけど。追及するノクスに俺は諦めて答えることにした。
「……だよ……」
「ん?」
聞こえないなあ、と言わんばかりに顔を近づけてくる。心臓に悪い。
「あーもう! オメガだよ! 悪かったな!」
思わず恥ずかしくて叫んでしまった。
「なぜ悪いんだ? 私は賭けに勝った」
「はあ? 賭けなんてしたっけ?」
ノクスは俺の顎をくいっと持ち上げて顔を近づけた。
待って、近い近い!
ノクスから香る甘い匂いが俺の頭を痺れさせる。
心臓が不整脈気味だ。最推しの顔は破壊力が強力すぎる。
「約束したじゃないか。オメガだったら私がセイをもらうって」
『ぼ……私は、セイがオメガだったら、伴侶に迎えたい』
まだ幼いころのノクスの言葉を思い出した。キュッと心臓が締め付けられる。
「改めて、結婚を申し込むよ。私のセイ。私の伴侶になって一生を共にしてほしい」
ちゅっとリップ音がして柔らかくあったかいものが唇に触れて離れていった。
呆然と見上げていると背景に花が咲いたような、輝いた笑顔を見せてノクスは言った。
なに俺のファーストキス、さらりと奪ってんだよ!? 父に節度って言われてるだろう!? ノーちゃんの馬鹿! 俺の顔は今茹でダコだよ!
あ、だめだ意識が……
「え!? セイ!?」
俺はあまりのことにひっくり返ったらしい。
薄れていく意識の中で慌てたノクスの声が聞こえた。
『素直になるんじゃなかったの? ちゃんと、答えてあげないと、可哀想だよ』
(うん。わかってる。月の神様……ちゃんと、わかってるよ)
目が覚めたら自分の部屋のベッドにいた。制服のままだったからノクスに運ばれたんだろう。付き添っていたメイドさんが心配そうに具合を聞いた。
精神的なショックだから特に体がどうこうじゃない。大丈夫だから一人にしてほしいと答えて、シャワーを浴びて着替えた。
ベッドに座って考える。オメガは継承権がないから嫡子から長子になる。ノクスと結ばれるなら俺はウースィク公爵家に婿入りするのかな? ノクスは俺の自由にしていいと言ってくれたけど、現実的にどうなんだろう。ロアールに居続けることはできるんだろうか。跡取りはヴィンになるし、ヴィンも小姑がいたら困るだろうし。
ああ、あと、もう一つ重大なことがあった。殿下に断りの返事をしなきゃ。
それからちゃんと、ノクスのプロポーズに答えを返さなきゃ。
そういえば、キス、したよな。
思わず唇に指で触れた。
一瞬の、触れるだけのキス。かあっと体の熱が上がった。
「ファーストキスだったのに、ムードがない。不合格だ」
ノクスのキスにダメ出しした。やり直しを要求しよう。そう、ノーカンだ!
そんな風に頭の中でぐるぐる考えているとノックが聞こえた。
「はい」
返事をすると、ドアを開けて顔を覗かせたのはノクスだった。ドキンと心臓が跳ねる。
「大丈夫か? もう夕飯の時間だけど、食べられる?」
心配そうな顔に、くすぐったいような気持ちになる。
「食べる」
「そうか、もう支度はできているから、行こう」
ノクスがドアを開いて、待ってくれている。
「うん」
側に行くと、ふわっとノクスの香りが鼻腔を擽った。
ドキドキする心臓を持て余しつつ、食堂へ二人で向かった。
ちらちらと、心配そうに見るノクスにじわりとあったかい気持ちが広がる。
手を繋ぎたくて仕方ない。迷っているうちに食堂に着いてしまって、席に着く。
テーブルに並べられた夕飯の美味しそうな匂いが空腹を意識させた。
夕飯の時間は美味しい食事に舌鼓を打って、当たり障りのない話をして終わった。食後に応接室に移動すると、メイドさんがお茶の支度をして、下がった。
「ちょっとだけ、二人にしてもらった」
カップを傾けながらノクスが言う。いつもは部屋の隅に控えているメイドさんの姿がない。
「返事を聞かせてもらっても、いいだろうか?」
カップを置くと緊張した声音で、ノクスが俺に問う。
俺は両手をぎゅっと握りしめて口を開いた。
「け、結婚の申し込みは、受けるよ? ノ、ノクスしか、結婚相手考えられないし」
言えた! めちゃくちゃ声が上擦っちゃったけど。
「よかった。ありがとう」
ノクスがほっとした顔になって体から、力を抜いた。それから居住まいを正して、テーブルの上に載っていた宝石箱みたいな箱を俺の前に置く。
「セイアッド、これを君に。正式な、婚約の印だ」
ノクスが箱を開けるとチョーカーが入っていた。黒いビロードで、項の方に向かって幅広になっている。前には黒く輝く魔石に、その周りを取り巻くのは小さなブラックダイアモンド。ノクスが手に取って魔石に魔力を込めると、魔石の部分に繋がった留め金が外れた。
「つけていいか?」
ノクスの真剣な顔に頷く。
「う、うん」
髪を上げて邪魔にならないようにすると、ノクスがチョーカーを俺の首に嵌めた。留め金が嵌まると形状変化の魔法が付与されていたようで、首にフィットするように大きさが変化した。
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