モブの俺が巻き込まれた乙女ゲームはBL仕様になっていた!

佐倉真稀

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1巻

1-1

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   プロローグ 最推し(ラスボス)からのプロポーズ⁉


 俺はとお一平いっぺい。中肉中背で、目立つところのない、どこにでもいる印象の薄い男だ。そんな平々凡々な社畜の俺は隙間時間にできるソシャゲが趣味だ。
 その中でもドはまりしたのが「星と花と宵闇よいやみと」だった。王道のスマホゲームで課金アイテムで攻略の難易度が変わる、制作会社の課金しろよの意図丸わかりのゲームだった。
 そんな無課金派の俺泣かせのゲームだったが、声優陣の豪華さと美麗なイラストのおかげか人気があった。特にRPGパートが秀逸で、無課金でもそこそこに楽しめた。
 ストーリー部分は異世界から来た主人公が星と花の力の担い手になり、魔王を倒して好感度の高い攻略キャラとハッピーエンドになるという王道乙女ゲーム。
 舞台は貴族学院で、攻略キャラは第二王子、宰相の息子、騎士団長の息子、魔法師団長の息子、留学中の隣国の王子、隠しキャラの魔王の六人。俺は隠しキャラが好きだった。俺の最推しだ。
 そう隠しキャラは魔王。ラスボスだ。
 彼の攻略ルートは倒すのではなく、主人公の愛によって闇落ちから解放する。そして二人は結ばれてハッピーエンドとなる。トゥルーエンドとファンの間で話題になった。
 俺にこのゲームを勧めてくれたオタク仲間のはなは魔王ことノクス・ウースィク推しだった。俺より早く、魔王攻略ルートを進めていたはずだ。その彼女と、某イベントの打ち上げで盛り上がったあとから、記憶がない、と言うより思い出せない。
 そして俺は「星と花と宵闇よいやみと」のゲームの世界に転生していた。
 本編に全然絡まないモブキャラ、セイアッド・ロアールとして。
 今の俺の目の前にはその魔王、ノクス・ウースィク(今は公爵家の嫡子)がいる。彼は宵闇よいやみの君と言われるほど美しい烏の濡れ羽色の髪に漆黒の瞳を持つ超絶美形だ。エフェクトが自然発生するのか、最近とってもきらきらしている。たまに見惚れてしまうが、最推しだから仕方がないのだ。
 その美形はなぜか、俺に壁ドンをしている。
 ここは貴族学院の上級寮へ向かう廊下だ。今は俺たちのほかは誰もいない。しんとした薄暗い廊下だ。しかしだ。こんなところで、男の俺にするべき行動ではない。

「セイ、バース鑑定の結果、どうだったんだ?」

 あ、ちなみにこの世界、オメガバース設定がある。乙女ゲーム「星と花と宵闇よいやみと」にはそんなBL仕様はなかった。だからやっぱりゲームの世界ではなく、酷似した異世界だろう。

「え、あー……言わなきゃダメ?」

 言いたくないんだよな。俺のアイデンティティが崩壊する。

「ちなみに俺はアルファだ」

 やっぱりね! だって、百八十五センチメートルの高身長、剣術で鍛え上げた体は服を着ていると細身に見えるけど、中身は筋肉バキバキだもんね。
 オメガなわけないよね。基本、オメガは小っちゃくて可愛いはずだから。
 ちなみに貴族はアルファかオメガだ。それが貴族である証。
 平民は皆ベータだ。ベータの子は両親ともベータからしか生まれず、アルファはオメガからしか生まれない。ただ、たまに魔力が強い者が平民の間に生まれることがある。その者はたいていオメガだ。ベータの間に生まれた魔力の強い者はその土地を治める領主貴族の元に引き取られ、バース鑑定でオメガと判明したあと、養子縁組をして貴族になる。騎士や、なにかしらの功績があった平民にはベータの爵位持ちもいるが、騎士爵や準男爵で厳密にいえば貴族ではない。

「セイはどっちだったんだ?」

 答えに窮している俺の髪をすくい取ってもてあそぶ俺の幼馴染、ノクス。
 その仕草も色気駄々洩れなんだけど。
 俺は短いほうが楽なのに『セイは、綺麗な銀髪だから、伸ばしたほうが似合うよ?』とノクスが言ってくれたおかげで、その時母から短髪禁止令が出た。腰まである髪はノクスのせいだよね?

「……だよ……」
「ん?」

 聞こえないなあ、と言わんばかりに顔を近づけてくる。心臓に悪い。顔が火照ほてるじゃないか。

「あーもう! オメガだよ! 悪かったな!」

 思わず恥ずかしくて叫んでしまった。
 俺は、ノクスと同じように鍛えたのに全然筋肉がつかなかった。剣は普通で、魔法の腕ばっかり磨かれちゃったけど! オメガだったせいか!

「なぜ悪いんだ? 私は賭けに勝った」
「はあ? 賭けなんてしたっけ?」

 ノクスは俺の顎をくいっと持ち上げて顔を近づけた。
 待って、近い近い!
 ノクスから香る甘い匂いが俺の頭を痺れさせる。心臓が不整脈気味だ。最推しの顔は破壊力が強すぎる。

「約束したじゃないか。オメガだったら私がセイをもらうって」
『ぼ……私は、セイがオメガだったら、伴侶に迎えたい』

 まだ幼いころのノクスの言葉を思い出した。きゅっと心臓が締め付けられる。

「改めて、結婚を申し込むよ。私のセイ。私の伴侶になって一生を共にしてほしい」

 チュッとリップ音がして柔らかくあったかいものが唇に触れて離れていった。
 呆然と見上げていると背景に花が咲いたような、輝いた笑顔を見せてノクスは言った。
 なに俺のファーストキス、さらりと奪ってんだよ⁉ 父に節度って言われてるだろう⁉ ノーちゃんの馬鹿! 俺の顔は今茹でダコだよ!
 あ、ダメだ意識が……

「え⁉ セイ⁉」

 俺はあまりのことにひっくり返ったらしい。
 薄れていく意識の中で慌てたノクスの声が聞こえた。
 まったく、どうしてこうなった?
 モブキャラに転生したのはまだいい。なのに、主要キャラと次々知り合って、最推しのラスボス隠しキャラにプロポーズされるなんて。
 しかも、俺が巻き込まれた乙女ゲームがBL仕様になっていた! なんて。
 ほんとにどうしてこうなったんだ?



   第一章 モブの俺が最推しの幼馴染⁉


 俺の生まれたこの国はエステレラ王国といって、王政の国だ。
 貴族は領地を持つ貴族と持たない法衣貴族がいる。うちは豊かな穀倉地帯を持つ、歴史だけは古く、そこそこ税収がいいけれど、ちょっと王都からは遠い田舎貴族といったところだ。
 その伯爵領の隣、王都との間に位置する領地を持つのがウースィク公爵家だ。
 古くからの王家の血筋で代々魔力に秀で、王家を補佐している。かなり順位は低くなるがノクスも一応王位継承権を持っていたりする。
 領地が隣り合う関係上、寄り親と寄り子関係を持つのが、ウースィク公爵家と我がロアール伯爵家なのだ。そのため、普段から交流があり、冠婚葬祭は必ずお互いの家の誰かが出席していた。
 この世界は多神教でそれぞれの領地や教会、人によって主神となる神が違う。王都や、四大公爵家の領地は太陽神が主神だった。ウースィクの領都の教会の主神も太陽神だ。
 子供の死亡率が高いので生まれたときには公表せず、五歳を超えたら正式に周知する。そのための儀式が五歳の祝い式だ。この祝福の儀は五歳の誕生日を迎えた次の年の子供が春に全員でやるから誕生日によっては六歳だったりもするんだけど、そこは仕方ないよね。
 俺とノクスは同い年だ。五歳の祝福の儀を同じ教会で受けるため、俺と両親はウースィク公爵邸に滞在し、そこで初めて出会った。

「初めまして、ノクスというの。仲よくしてあげてね」

 そう、金髪に青い目の美人、ウースィク公爵夫人から紹介されたのは黒髪黒目の天使。
 父親で夫人と同じ金髪青い目の優しげなイケメン、ウースィク公爵に抱っこされて俺のほうを見るお人形のような超絶可愛い子供のノクス。
 前世を思い出す前のぽやぽやした子供だった俺は、ぽかんとした顔でノクスに見惚れていた。

「てんし……てんしがいりゅ……」

 噛んだ。その俺を見てほわりと微笑んだ黒髪の天使。目の保養だった。

「まあ、こちらこそ、うちのセイアッドと仲よくしてくださると嬉しいわ」

 うちの母親と公爵夫人はよく個人的なお茶会を開いていたらしく、仲がよかった。親しく話しているので、問題はないのだろう。

「セイア……セイ」

 ノクスはセイアッドと言えなかった。このときから、ノクスは俺をセイと呼ぶようになった。
 親から呼ばれていた愛称だったので、俺は特に気にせず思いっきり笑顔で返事をした。

「うん!」

 ノクスは俺の返事に少し驚いたような顔をしてから、すぐに満面の笑みを浮かべた。
 その笑顔にも俺は見惚れた。
 公爵の馬車で移動し、ウースィク公爵領の領都の教会で司祭の祝福を受けたあと、公爵家のお祝い式に出席した。近隣の寄り子と交流のある貴族を集めた、五歳の子供たちのお披露目を兼ねた交流会だ。五歳の子供は俺も含めて壇上に上がり、集まった招待客に身分の低い順に紹介された。
 最後のノクスの紹介のとき、公爵の子供にしては拍手もまばらで妙な雰囲気だったのに、俺は首を傾げた。その一連の式典が終わるとパーティーが始まった。
 会場は広いホールでそこかしこにお菓子やフィンガーフードがあり、子供でも食べやすくしてあった。言えば給仕がすぐ取ってくれる。
 大人たちは社交が忙しく、子供は子供の交流の場ができていた。
 こんな盛大なパーティーに参加するのは初めてで、俺は気後れしていた。きょろきょろと知っている顔を探したがいるわけがない。不安な気持ちでうろうろしていると、目の前に皿が突き出された。その皿の持ち主は今日の主役のノクスだった。

「どうぞ。セイ」

 澄んだ声が心地いい。滑舌は俺よりずっとよかった。

「ありがとう」

 可愛くて美味しそうなカラフルなお菓子が載せてあった。遠慮なく口に放り込むと上品な甘さが広がる。あとにして思えば砂糖菓子か砂糖でコーティングしたクッキーだったのだろう。

「おいしい!」
「よかった」

 俺たちがお菓子を堪能していると少し年長の見知らぬ子供がやってきて、いきなりノクスの髪を引っ張った。

「な、なにするの!」

 蛮行にびっくりした俺は思わずその子供の腕を掴んだが、すぐに振り払われて転んでしまった。

「セイ!」

 ノクスは自分が痛い思いをしているのに俺を気遣うなんて尊い。

「こいつはふぎのこだって。しかも、ふきつなくろいろなんてあくまのこだってさ。こんないろのかみ、見たことないぞ!」

 ノクスの表情が陰ったのを見た俺は、ノクスの髪をまだ掴んでいるそいつに向かってグーで殴り掛かった。

「見たことないほどきれいなかみなのに! いじわるはやめて!」

 しかし、その子供は俺より体が大きく俺の拳は届かないばかりか、逆にタコ殴りにされかかった。
 すぐに公爵家の使用人が気付いて止めに入り、騒ぎは収まった。
 俺は何発かもらってあっけなく気絶してしまった。
 意識が闇に落ちる寸前、俺の名を呼ぶノクスに心配しないように伝えたかった。


   ◇◆◇ ◇◆◇


 声が聞こえた。

『私はなにもしていない。なのに、黒は闇の色だと、悪いことはすべて私がいるせいだと、責め立てられる。ならば私を憎む人々を蹂躙じゅうりんしてもしなくても同じこと、敵を滅ぼすのは正当防衛と思わないか?』
『お前だけは違うと思ったのに、やはり、この色は怖いのか?』
『もういい! 言い訳はいい! この手を離した事実がすべてだ! すべて滅びればいい』
『私が魔王だ』

 ああ、最推しが泣いている。
 ソーシャルゲーム「星と花と宵闇よいやみと」の俺の最推しである宵闇よいやみの貴公子、ノクス・ウースィク。
 闇の色である黒目黒髪をもって生まれた、悲劇の子。
 闇属性=魔ではないのだけれど、この世界は黒色を恐れる。太陽神が宵闇よいやみの神を敵視しているから。
 だから宵闇よいやみの神に連なる闇属性を持つ人々は迫害され、淘汰された。もともと、闇属性を持つ人は稀で、更に黒髪黒目の両方を持つ人はほとんどいないけれども。
 ノクスはそれに加えて膨大な魔力を持ち、安定するまで熱で何度も倒れたという。だから子供が参加するお茶会にはほとんど出席はしないまま、貴族学院に入学した。
 親しい者がいない中、謂れのない罪の糾弾や差別に晒され、闇落ちするのだ。
 きっかけは主人公。自分を理解してくれると思った唯一の希望にも裏切られた彼は、魔王として覚醒し、世界を滅ぼそうとする。主人公は度々説得するけれど、火に油を注ぐことになって結局、攻略対象とともに彼を討ち取ってしまう。
 俺にはどうしても納得できない結末だった。
 だから俺はどうにかして彼を救えないかと頑張った。彼のハッピーエンドが存在すると知って。
 隠しキャラであるノクスを攻略するには課金アイテムを購入の上、特殊イベント(要するに課金アイテムで通常の攻略キャラルートを完全制覇した上でニューゲーム)を経ないと攻略ルートが現れない。
 俺は必死に課金してほかの攻略対象者の完全制覇までたどり着いた。やっとノクスルートを攻略しようとした矢先、死んだらしい。
 あー、乙女ゲームの世界に転生なんて本当にあるんだな、と夢の中で思った。
 多分、ノクスの救済エンドを見て死にたかったとか、今際の際に思ったんじゃないかな?
 しかも俺はモブだ。人物紹介の際、背景に影で写り込むだけのモブキャラ、セイアッド・ロアール。第二王子の側近候補として公式の設定資料集に載っていた気がする。
 モブなら、本筋には巻き込まれないはず。乙女ゲームの主要キャラたちを遠目に見て、スローライフを満喫しよう。平和にのほほんと生きていきたい。
 前世の記憶が次々蘇って、今の俺、セイアッドに収束していく。
 五歳までの記憶も性格も、セイアッドと、通利一平が混ざってセイアッド・ロアールになる。


 ゆっくりと意識が浮上した。目を開けると、泣いているノクスの顔があった。

「セイ! よかった」

 ノクスがいるということは、ここは公爵のゲストルームだろうか? ノクスの後ろに両親もいる。
 どうやら治癒師を呼んで治療してくれたようだった。殴られたところはもうすっかり跡形もなかった。

「よかった。セイ、怪我は全部治してもらったのだけど、念のため、安静にしたほうがいいらしくてしばらくこちらでお世話になるの。眠かったらもう寝なさい」

 額を優しく撫でてくれた母の手に眠気を誘われ、頷くと眠りに落ちていく。手をノクスが握っていたのに気付いて握り返した。

「ノーちゃん、だいじょう、ぶ……」

 心配しないで、という間もなく寝落ちてしまった。
 次に起きたとき、ノクスはいなかった。
 仕事がある父は王都へ旅立ったようだ。母と俺は護衛騎士と身の回りの世話をする専属メイドの数人とともにしばらくウースィク公爵家に滞在することになった。
 俺は翌朝にはすっかりよくなり、朝食を母とともにノクスと公爵夫人と取った。
 教育が始まっていたのでマナーは問題なく、五歳児に目くじら立てる人はいなかった。
 ノクスはにこにこと俺のほうを見ながら、食事をしていた。
 食事が終わったら談話室に移動して、昨日の顛末を聞いた。
 乱暴を働いたのは侯爵家の次男。あとから知ったが、元から権威主義で貴族至上主義のいわゆる貴族のダメな見本。多分親が話しているのを聞いて、そのまま口にしたんだろう。親は腹芸ができるが、子供はそうもいかない。
 昨日の事件は子供が起こしたこととはいえ、暴力をふるわれたので謝罪を受けたが、今後はノクスに接触禁止となった。もちろん俺とも。

「もう、怖い目にはあわせないから安心してね」

 にっこりと笑った公爵夫人は優しく俺に言ったが、問題を起こした侯爵の子息を語るときは目が笑っていなかった。もちろん俺は気付かないふりをした。
 ツン、と髪を摘まれた。遠慮して触ったのがわかるから、首を傾げただけにとどめた。
 なにか言おうとして何度かやめ、躊躇ちゅうちょしながらノクスが言う。

「セイは、綺麗な銀髪だから、伸ばしたほうが似合うよ?」

 俺はぽかんとした間抜け面を晒しただろう。

「そうね。セイアッド君は長い髪のほうが似合うわ」
「私も思っていたの。セイはしばらく短髪は禁止ね」

 両母親が頬を染めて興奮を隠せない様子が目の端に見えた。更にメイドさんたちの興奮が如実に伝わり、俺はなにかを諦めたのだった。
 その後、診察で異常なしと太鼓判を押してもらった俺とノクスは「遊んでらっしゃい」、と庭に放り出された。
 よく手入れされた庭を手を繋いで歩く。もちろんお付きのメイドさんが後ろにいるし、護衛も一人少し離れて俺たちを見ている。
 今は春で色とりどりの花が咲き乱れ、とてもいい匂いがする。蝶もひらひらと飛んでいて美しい庭だった。

「案内するね」

 そう言って俺の手を握ってひっぱるようにここへ連れてきた天使は、手を握ったまま傍らでにこにこと微笑んでいる。
 最推しが尊い。
 思わず見惚れてじっと眺めてしまうのは仕方ない。前世で幸せを願った最推しの幼少時の笑顔だ。

「セイはいつもどんなことして遊ぶの?」
「んー? おにわでかけっこしたり、お話してもらったり、いろいろ?」

 五歳児だから。今の俺、五歳児。
 意識は前世の記憶が戻ってわりと大人だけど、滑舌は五歳児。たどたどしくて自分で恥ずかしくなる。演技しなくていいのはいいけど。
 そうしてかくれんぼに決まった。範囲は庭園。花がいっぱいだし、四阿あずまやもあるしで、隠れられるところはたくさんある。
 ノクスが鬼で俺が隠れることが決まり、今花壇の後ろにしゃがんでじっとしている。しばらくすると後ろからがさがさと音がして足音が聞こえた。
 振り向くと、ノクスがいた。

「見つけた!」

 嬉しそうに俺に抱きついてきたノクスに驚いて、尻もちをついてしまったのは仕方ない。
 それから何度か鬼を交代してお昼まで遊んだ。
 ノクス付きのメイドさんがにこにこしていた。俺を見る目はすごく優しかった。
 お昼が終わったら、今度はノクスの部屋にお邪魔することになった。
 ノクスの部屋はベルサイユ宮殿のように豪華な装飾が施されていた。

「ふあー……広いね……」

 思わず見回して言ってしまった。
 大丈夫、俺五歳児。

「そうかなあ……」

 首を傾げる仕草も尊い、ではなくて。広い天蓋てんがい付きのベッドに、低めのデスクに椅子。
 その上には束になった紙と筆記具。この世界は普通に植物紙があって鉛筆もある。さすがにボールペンやサインペンはないけれど、万年筆はある。

「ノーちゃん、あれ、なあに?」

 デスクの上を指して言う。あ、指さしはマナー違反だっけ?

「文字のおべんきょうをしてるの。そのどうぐだよ。れんしゅうするから」

 もうしてるんだ、お勉強。俺はマナーや読み聞かせはしてもらってるけど、うちは基本のんびりだからなあ。本格的な勉強はまだ先になりそうなんだけど。

「おべんきょう! すごいね!」

 ノクスが赤くなった。あれ? 照れてる? 褒められ慣れてないのかな? ノクスは優秀なはずだからきっとすぐ覚えてしまうんだろうな。

「どんなことしてるの?」

 聞いたらいろいろ教えてくれた。
 もう家庭教師がついていること。予習復習をしていること。
 ただ体が弱いので、本当は剣術を習わないといけないけど、できないこと。

「からだ、よわいの?」
「うん。すぐ熱が出るんだ」
「そっかー……つらいね。ノーちゃんはがんばりやさんだから、ねつが出るんだね」
「え、そ、そうかな?」
「こどもはねつでるたび、じょうぶになるんだよ」

 免疫ができるからな。でも、ノクスの熱が出るのは、魔力が多すぎる弊害だろうから違うと思うけど。頭を使えば知恵熱くらい出るし、子供は寝るのが仕事なんだから寝てていい。

「いっぱい寝るのがこどものしごとだよ!」

 そう言ったら、ノクスはぽかんとしてそのあと笑い出した。

「そっか。寝るのがおしごとかあ……そういえばお昼のあといつも寝てたね。おしごとする?」
「おひるね?」
「そう」
「そういえば、ぼくもいつもおひるねしてる!」
「では、お昼寝の準備をしてきますね」

 メイドさんが出ていって部屋に二人きりになる。
 デスクの上の紙を手に取って、文字を教えてもらおうかな、としたときそれは起きた。
 突然、ノックもなく部屋の扉が開いて年若いメイドが掃除用具を手にずかずかと入ってきた。
 俺たちが声も出ずにびっくりしていると、そのメイドはやっと気づいて俺たちを見た。
 目に嫌悪の色が浮かんだのを俺は見逃さなかった。多分、ノクスも。

「ひっ……坊っちゃん、いらっしゃった、のですか……」

 声に脅えが出て、あとずさった。目線はノクスの髪に向かっている。
 年若いメイドは嫌悪の表情に顔を歪めつつ、パッと身を翻して扉のところで立ち止まって軽く頭を下げた。

「し、失礼、しました!」

 失礼なメイドは最後まで失礼で、扉を音を立てて閉めて出ていった。廊下をどたばたと駆けて去っていく足音が聞こえる。
 公爵家のメイドとしては程度が低すぎた。いいのか、あれ。

「ノ……」

 声をかけようとしてノクスの握り締めた手が震えているのが見えた。顔に視線を向けると唇を噛み締め、ぽたぽたと涙を零していた。
 ごお、と耳元で風が鳴り、ノクスの周りを竜巻のように空気がうねった。
 魔力暴走だ。ゲームでのノクスが幼いころ、よく起こしていたそれ。

「ノ、ノーちゃん! おちついて!」

 俺は抱きついて、ノクスを落ち着かせようとした。
 デスクの上の紙が舞って俺たちに切り傷を作る。

「ノーちゃん‼」

 大きく叫ぶと俺の声がやっと届いたのか、はっとして俺のほうを見る。

「ぼ、ぼく、セイにけが、させちゃった……?」

 ノクスは俺の頬の小さな傷に震える手を伸ばす。

「だいじょうぶ。おにわに迷い込むと、こんなのしょっちゅうだよ? 全然平気」

 ノクスの両手を握って安心させるように、にっこりと微笑んだ。
 バタバタと靴音がして、メイドさんや執事、俺とノクスの母親が飛び込んできた。多分、物が落ちる音や、椅子が倒れた音が聞こえたんだろう。
 部屋の中は暴風に晒されたように物があちこちに散乱している。綺麗なカーテンも引き裂かれ、紙が床に散らばっていた。インク瓶も落ちて毛足の長い、ふかふかした絨毯じゅうたんに染みを作っていた。

「これは……」

 俺の母親が戸惑った目で部屋の惨状と俺たちを見る。

「ノクス……」

 公爵夫人がゆっくりと俺たちに近づいてきた。

「は、母上……」

 ノクスは涙目で公爵夫人を見上げる。まずい、また感情が昂りそうだ。

「あのね! メイドさんがいきなり入ってきたの! だから驚いちゃったんだよね、ノーちゃん?」

 急に話し出した俺に皆の視線が集まる。

「どたどたして、なんかこわがってた! 僕たち、べつに怒鳴ってもいなかったのにね?」

 ノクスのほうを見ると、こくりとノクスが頷いた。

「びっくりしたあと、風がへやのなか、あばれまわったの! 窓あいてないのに変だね?」

 これでなにが起きたか、わかるだろう。
 公爵夫人は執事に目配せすると、執事は部屋を飛び出していった。
 夫人は母親らしく優しくノクスの頭を撫でた。怪我の手当てをするようにメイドさんにお願いして、俺の母を連れて出ていった。
 怪我の手当てをしてもらった俺たちは二人で一緒のベッドで眠った。メイドさんが子守唄を歌ってくれて、すぐにぐっすりと寝入ってしまった。
 目が覚めたらもう夕方で、すでに夕飯の時間になっていた。
 起き上がろうとするとなにかが引っ掛かる。ふっと見ると、ノクスが俺の服を掴んで寝ていた。
 鼻血出そう。事案だ。
 いや、俺五歳児だから……もういいって?

「ん……おはよう?」

 目を擦りながら起き上がるノクスは究極の可愛さだった。

「おはよう⁇ こんばんは?」

 もう夕方なので挨拶の言葉に困るね! と、俺とノクスは顔を見合わせて笑った。
 夕食のためにいったんお着替えをするため、俺はゲストルームへと案内された。
 母も待っていて、身なりを整えてもらった。
 夕食は公爵も参加し、正式なディナーだった。
 和やかな夕食のあと、談話室に移動し、お茶を出された。俺とノクスは搾りたての果汁のジュースを飲む。大人たちが静かに雑談をしているとノックがあって、執事が誰かを連れて入ってきた。後ろに護衛騎士もいる。連れられてきたのはあのときのメイドだった。

「昼間、いきなり部屋に入ってきたのはこの人かい?」

 公爵に聞かれて頷く。メイドは青い顔をしていた。公爵は執事を見た。執事は頭を下げ、失礼しますと言ってメイドと護衛騎士を連れて出ていった。


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