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【後編】玉手箱と乙姫の執念
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「ただ、お願いします。決してこの箱を開けてはいけません。いいですね? もし開けてしまったら”私の想い”が、煙のように散ってしまいますから」
これにはさすがの太郎も、疑問を抱かないわけには行きませんでした。しかしここで、下手に乙姫の機嫌を損ねるわけには行きません。決して開けないと約束をし、太郎は後ろ髪を引かれる思いで竜宮城を後にしました。
太郎がカメの背中に乗り城門を出たのを見届けると、乙姫は急いで自室に戻り、小さなサンゴの置物を手文庫の中から取り出しました。
サンゴの置物は、乙姫が手に取るや否や、すぐに明るく光り出します。それを見た乙姫の目は歓喜に満ち溢れました。
すぐにカメが竜宮城へと舞い戻り、乙姫の部屋へとやって来ます。
「おぉ、カメや。ご苦労でした。ほら、これをご覧なさい。首尾は上々です」
乙姫は、光を発し続けるサンゴの置物をカメに見せました。カメは、全てが終ったのだと悟りました。
「姫様。本当に良かったのでしょうか。前にも申し上げました通り、あの男が直接罪を犯したわけではありますまい」
主人に付き従うと心に決めていたものの、カメには太郎が気の毒でたまりません。
「のぅ、カメよ。お前は恨みを忘れたのですか。私やお前の両親が無残に殺された、あの日の恨みを!」
乙姫が、白くか細い拳をギュッと握りしめます。
「いいえ、忘れるわけがありません。今でも昨日のように思い出されます」
カメに刻まれた心の傷が、ジュンと痛みました。
「そうでしょう。あれは忘れもしない十三年前。私と両親はお前とお前の両親の背中に乗って地上へと赴きました。ほんの、物見遊山のつもりでした。
そしてあ奴らに出会ったのです。親切顔をした悪魔、浦島一族に!」
乙姫が、その小さく可愛らしい歯をギリギリと鳴らします。
「はい。彼らは善意を装って、われらを歓待しました。しかし連中の狙いは、姫様やご両親が身に着けていた高価な衣装や宝石の数々だったのです。
宴も終わり皆が寝静まった頃、彼らは私たちに襲い掛かり、無残にも姫様の御両親と私の両親を殺しました。私は必死に姫様をお守りし、命からがら竜宮城へと戻って来たのです」
当時の悲惨な光景を思い出し、カメの目にも涙が光ります。
「そうでしょう。あの怨み。誰が忘れるものですか。あやつらは、復讐されて当然な者達なのです」
乙姫が、そば机を拳でドンと叩きました。
「しかし姫様。あの男、浦島太郎は、私たちの両親を殺した者たちよりも千年先の子孫です。既に野党同然だった浦島一族は雲散霧消し、あの男自身、その身が極悪人の血を引いているとは夢にも思っていないでしょう」
カメが、申し訳なさそうに口をはさみます。
「だから、なんだと言うのです。そりゃぁ、私だって父様、母様を殺めた奴らに直接復讐をしたかった。でも地上と竜宮城では、時間の流れに大きな隔たりがあります。私の心身が元に戻った時には、奴らは当の昔にこの世を去っていました。
だからと言って、怨みを忘れろと言うのですか? あの男が、奴らの血を引いているというだけで充分です」
乙姫は、自らを説得するかのように話しました。
「もういい、もういいのです。全てが終ったのですからね。
あの男は地上に戻り、愕然としたでしょう。何せ自分のいた時より三百年は後の時代に辿り着いたのですからね。あの男を出来るだけ長く引き留めるために、虫唾が走る思いで、言い寄っるフリをしたかいがあったというものです」
乙姫は、机にあったお茶を一気に飲み干します。
「しかし姫様。私には、どうしても一つわからない事があります。
あの男に渡した玉手箱。姫様は”決して開けてはならぬ”と奴に申されました。我らの復讐は、彼が三百年の時を隔てた世界に来たと知り絶句をし、更には玉手箱でみすぼらしい老人になり果てる事で完成する筈でございます。
もしあの男が姫様の言葉を守り、玉手箱を開けなければ、まだまだ若い体です。気を取り直して、普通の生活に戻る事も出来たのではないでしょうか」
カメは、疑問を乙姫にぶつけます。
「のぅ、カメよ。私はね。あの男を絶望の、そのまた絶望の淵に追い落としてやりたかったのですよ。
良く聞きなさい。
もし私が『開けてはいけません』と言わず『困った時には開けて下さい』とでも言ったら、あの男はどうしたと思います。激変した世界に混乱し”もしかしたら宝物である玉手箱の中に、何か解決する手立てがあるかも知れない。乙姫はそれを予想して、自分に玉手箱を託してくれたに違いない”と簡単に思うでしょう」
カメが、主人の言葉に耳を傾けます。
「もちろん、それでも結果は同じですが、その時に彼は”乙姫め、騙しやがったな!”と、私に罵詈雑言を吐くのではないでしょうか。そうして私やお前を恨む事で、少しでも身の不幸を和らげようとするのではないでしょうか」
乙姫の口は、優雅な音色のように説明を続けます。
「あっ」
カメが突然、声を挙げました。
「気がついたようですね。そうです。私は”開けてはいけない”とあの男に言いました。それを守っていれば、少なくとも彼は老人にはならず、先ほどお前が言ったように、新たな生活を始められたでしょう。
しかし、開けてはいけないと言われていたのに”自分の意思で”玉手箱を開けてしまい、その結果、年老いてしまったのです。
つまり新たな時代で生きる機会を、約束を破るという自らの愚行によってダメにしてしまった事になります。
お前は彼が、私の言いつけを守り通す危険性を指摘しましたが、だてにあの男と三年間暮らしていたわけではありません。私は、絶対に彼が約束を破ると確信していました。若さゆえの過ちとでもいうのでしょうかね。
そして今、サンゴは輝いている。彼が玉手箱を開けた事を伝える証拠です
彼は自分自身を恨むしかありません。そんな救いようのない絶望の中で、あの男は惨めに死んでいくのです」
乙姫はクスリと笑います。その笑いはやがて、竜宮城のあらゆる場所に響き渡るほど大きな狂喜となりました。
昔、昔のお話です。
【異説 浦島太郎・終】
これにはさすがの太郎も、疑問を抱かないわけには行きませんでした。しかしここで、下手に乙姫の機嫌を損ねるわけには行きません。決して開けないと約束をし、太郎は後ろ髪を引かれる思いで竜宮城を後にしました。
太郎がカメの背中に乗り城門を出たのを見届けると、乙姫は急いで自室に戻り、小さなサンゴの置物を手文庫の中から取り出しました。
サンゴの置物は、乙姫が手に取るや否や、すぐに明るく光り出します。それを見た乙姫の目は歓喜に満ち溢れました。
すぐにカメが竜宮城へと舞い戻り、乙姫の部屋へとやって来ます。
「おぉ、カメや。ご苦労でした。ほら、これをご覧なさい。首尾は上々です」
乙姫は、光を発し続けるサンゴの置物をカメに見せました。カメは、全てが終ったのだと悟りました。
「姫様。本当に良かったのでしょうか。前にも申し上げました通り、あの男が直接罪を犯したわけではありますまい」
主人に付き従うと心に決めていたものの、カメには太郎が気の毒でたまりません。
「のぅ、カメよ。お前は恨みを忘れたのですか。私やお前の両親が無残に殺された、あの日の恨みを!」
乙姫が、白くか細い拳をギュッと握りしめます。
「いいえ、忘れるわけがありません。今でも昨日のように思い出されます」
カメに刻まれた心の傷が、ジュンと痛みました。
「そうでしょう。あれは忘れもしない十三年前。私と両親はお前とお前の両親の背中に乗って地上へと赴きました。ほんの、物見遊山のつもりでした。
そしてあ奴らに出会ったのです。親切顔をした悪魔、浦島一族に!」
乙姫が、その小さく可愛らしい歯をギリギリと鳴らします。
「はい。彼らは善意を装って、われらを歓待しました。しかし連中の狙いは、姫様やご両親が身に着けていた高価な衣装や宝石の数々だったのです。
宴も終わり皆が寝静まった頃、彼らは私たちに襲い掛かり、無残にも姫様の御両親と私の両親を殺しました。私は必死に姫様をお守りし、命からがら竜宮城へと戻って来たのです」
当時の悲惨な光景を思い出し、カメの目にも涙が光ります。
「そうでしょう。あの怨み。誰が忘れるものですか。あやつらは、復讐されて当然な者達なのです」
乙姫が、そば机を拳でドンと叩きました。
「しかし姫様。あの男、浦島太郎は、私たちの両親を殺した者たちよりも千年先の子孫です。既に野党同然だった浦島一族は雲散霧消し、あの男自身、その身が極悪人の血を引いているとは夢にも思っていないでしょう」
カメが、申し訳なさそうに口をはさみます。
「だから、なんだと言うのです。そりゃぁ、私だって父様、母様を殺めた奴らに直接復讐をしたかった。でも地上と竜宮城では、時間の流れに大きな隔たりがあります。私の心身が元に戻った時には、奴らは当の昔にこの世を去っていました。
だからと言って、怨みを忘れろと言うのですか? あの男が、奴らの血を引いているというだけで充分です」
乙姫は、自らを説得するかのように話しました。
「もういい、もういいのです。全てが終ったのですからね。
あの男は地上に戻り、愕然としたでしょう。何せ自分のいた時より三百年は後の時代に辿り着いたのですからね。あの男を出来るだけ長く引き留めるために、虫唾が走る思いで、言い寄っるフリをしたかいがあったというものです」
乙姫は、机にあったお茶を一気に飲み干します。
「しかし姫様。私には、どうしても一つわからない事があります。
あの男に渡した玉手箱。姫様は”決して開けてはならぬ”と奴に申されました。我らの復讐は、彼が三百年の時を隔てた世界に来たと知り絶句をし、更には玉手箱でみすぼらしい老人になり果てる事で完成する筈でございます。
もしあの男が姫様の言葉を守り、玉手箱を開けなければ、まだまだ若い体です。気を取り直して、普通の生活に戻る事も出来たのではないでしょうか」
カメは、疑問を乙姫にぶつけます。
「のぅ、カメよ。私はね。あの男を絶望の、そのまた絶望の淵に追い落としてやりたかったのですよ。
良く聞きなさい。
もし私が『開けてはいけません』と言わず『困った時には開けて下さい』とでも言ったら、あの男はどうしたと思います。激変した世界に混乱し”もしかしたら宝物である玉手箱の中に、何か解決する手立てがあるかも知れない。乙姫はそれを予想して、自分に玉手箱を託してくれたに違いない”と簡単に思うでしょう」
カメが、主人の言葉に耳を傾けます。
「もちろん、それでも結果は同じですが、その時に彼は”乙姫め、騙しやがったな!”と、私に罵詈雑言を吐くのではないでしょうか。そうして私やお前を恨む事で、少しでも身の不幸を和らげようとするのではないでしょうか」
乙姫の口は、優雅な音色のように説明を続けます。
「あっ」
カメが突然、声を挙げました。
「気がついたようですね。そうです。私は”開けてはいけない”とあの男に言いました。それを守っていれば、少なくとも彼は老人にはならず、先ほどお前が言ったように、新たな生活を始められたでしょう。
しかし、開けてはいけないと言われていたのに”自分の意思で”玉手箱を開けてしまい、その結果、年老いてしまったのです。
つまり新たな時代で生きる機会を、約束を破るという自らの愚行によってダメにしてしまった事になります。
お前は彼が、私の言いつけを守り通す危険性を指摘しましたが、だてにあの男と三年間暮らしていたわけではありません。私は、絶対に彼が約束を破ると確信していました。若さゆえの過ちとでもいうのでしょうかね。
そして今、サンゴは輝いている。彼が玉手箱を開けた事を伝える証拠です
彼は自分自身を恨むしかありません。そんな救いようのない絶望の中で、あの男は惨めに死んでいくのです」
乙姫はクスリと笑います。その笑いはやがて、竜宮城のあらゆる場所に響き渡るほど大きな狂喜となりました。
昔、昔のお話です。
【異説 浦島太郎・終】
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