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04.朝食と交渉と犠牲

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 氷のような皇帝陛下―――という噂話は一体どこから出たデマだったのか。

 リリアは、心から、そのデマを信じていた自分を呪いたくなった。

(ああ、でも、処刑されなくて済むというなら、まだましかしら)

 皇帝陛下の命令で、目もくらむようなドレスに着替えさせられ、そして皇帝陛下と並んで庭を見下ろしながら朝食を摂っている……。

 しかし、少々疑問もあった。一体、なぜここにドレスがあるのか? そしてそのドレスが自分にぴったりなのか。

 細かいことはさておき。

 一月前の自分に『お前は来月皇帝陛下と一緒にご飯を食べるんだよ』と教えてあげたとしても、絶対に、信じないだろうが、リリアの現実である。

 朝食は、食べきれないほどの量の食べ物が用意された。

 白いテーブルクロスもまぶしいテーブルに、白磁の皿。どれもこれも、皇帝の印章の入った特別なものだ。

 焼いたパンが二切れ。ジャムやクリーム、バターが添えられている。

 それに、おかゆ(ポリッジ)。ミューズリー。

 卵料理にハムまで添えられている。

 新鮮な野菜で作ったサラダ。乳を発酵させて作る新鮮なヨーグルトは、リリアにはなじみのないものだった。

 それに暖かなショコラと紅茶。

「へ、陛下……朝からこの量をお召し上がりに……?」

「ああ、私は、この量を食べるのだが、あなたには、少し多かったのだろうか?」

「朝ごはんなんて、食べられない日もありますよ……」

 リリアの言葉を聞いた皇帝の顔が曇る。食器を動かす手が、止まった。

「それは私が不甲斐ないせいだ。皆が腹を空かせることないように暮らし向きを考えなければならない。それが、私の仕事であろう。腹を空かせるというのは、とても悲しいことだ」

 なにやら、とても実感のこもった言葉だったが、リリアは、特に理由を聞かなかった。

「陛下のせいだけではないと思いますけど」

「そなたは優しいな」

 皇帝が、微苦笑する。至近距離で微笑まれて、なんとも、居心地が悪くなる。

「やさしくなんて、ありませんよ」

「いや、その……昨夜は、本当に悪かった。抱きつくつもりはなかったのだが、あまりにも、寝心地が良くて……」

「陛下」

 リリアは言を切ってから、にっこり微笑む。

「ガルシア卿に言って、お給金を上げていただくことで問題ありませんか?」

 これは、お金のためにやっていることだ。

 リリアがこの上なくはっきりと明示すると、皇帝は、少し、寂しそうな顔をした。

「……そうだな、それで良い」

「本日は、朝食もご一緒いたしましたけれど、やはり、明日からは辞させて頂きます」

「なぜ?」

 贅沢に慣れたくない、これは仕事の範囲に入っていない、いろいろと言いたいことはあったが、リリアは営業スマイルを張り付かせたまま、さらに続けた。

「一晩、ベッドで過ごした男女が、朝食まで一緒に摂っていましたら―――世間の人は、とやかくおっしゃいます」

「そ……それは……だが、そもそも、一晩一緒に過ごしている時点で、もはや、手遅れなのではないだろうか。その、あなたの、名誉的な部分は」

 今更な言葉だとは思ったが、リリアは続ける。

「古来から、皇帝陛下やその他高貴な方から愛妾を譲り受けるのは、名誉ということですので……、どこぞに嫁ぎ先を斡旋してくださいましたら、不名誉処ではなく、名誉になります」

「そ、そんなことはっ!」

 皇帝陛下は声を荒らげた。どうにも、世間知らずだ、とリリアはおもう。これならば、二個年下の最愛の弟の方が、まだ、世間の荒波に揉まれている分、言動がしっかりしているようだ。

「お立場のある方が、みだりに望みを口になさってはなりません。そして、私は、家族のために出世を望んだような、卑しいものです。陛下が、お心を煩わせることは一切ありません」

「けれど……」

「とにかく、朝餉は……」

 とリリアが言うのを皇帝が遮る。

「そういえば、君の契約について、私は何も意見を反映して貰っていない。君も、私も、一日実際にやってみて、いろいろと思うところがあるのだから、意見をすり合わせた方が、のちのち禍根は残らないだろう。であれば、私は、就寝中に抱きつくのと、朝食を一緒に摂るのは、仕事の中に入れて欲しい」

 そうきたか、とリリアは内心、顔をしかめる。表向きは営業スマイルだ。

 この皇帝は、どうも、朝食に拘っている。

「……そういう夢でもあるんですかね」

「なにか?」

「あっ、その……、気になったんですよ。もしかしたら、一緒に朝ごはんを食べるのに憧れがある……とか」

「憧れか」

 皇帝は、不意に、遠くを見やった。

「産まれてこの方、野戦にでも出ない限り、朝食は一人だったしね……それに、野戦の時は、朝食など優雅に食べている余裕もなかったね」

 つまり、朝ごはんは常に一人。これは覆らないのだろう。

「憧れというなら、たしかに、少しはあるな。朝は、一番ゆっくり出来る時間を持てる。……夕食など、会食でもなければ、パンを食べるだけで済ますことも多いよ」

 一国の皇帝が、そんな食生活とは。あり得るのだろうか。

「朝の時間に、いろいろなことを教えて欲しい。城の中の様子や、庶民の暮らし向き。街の様子……。こういったことは、中々、私も掴むことが出来ないのだ」

 どうしても朝食を断りづらい方向へ持っていく。

 リリアが黙っていると、さらに、皇帝は続けた。

「一緒に朝食を摂ってくれるのならば、私の私財から、年間、金五百枚を出して、貧しいものに食事と薬を与える施薬院を全国に作ろう」

(なんで、そんな、大がかりなことになってんの……しかも、それが、私との朝食一つに掛かってるってどういうことよっ!!!)



 かくて、リリアは、陥落した。

 自分一人の『犠牲』で、この国の多くの人たちが、飢えずに済むのだ。

 ならば、飲むしかない……。

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