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36 死んでも良い
しおりを挟む病室へ忍びこみ、月白は慣れた手つきで香炉の支度を始める。
蒼の顔色はかなり良い。
「今日で終わりか」
「ああ」
「……それでさ、月白は、いつ、帰るの? 帰るには、あの姿絵が必要なんでしょ?」
「姿絵は持っているか?」
「えっ? ああ。一応、持ってる。空き巣に入られたら嫌だし」
万が一、空き巣に入られたとしても、なにも盗まれるものはないだろう。一番の貴重品は、スマホだが、それは肌身離さず身につけている。
香の薫りが、たち上がってくる。
甘い、甘い香りだった。
「萌樹」
「なんだよ」
「……そなたは、自宅へ戻れ」
「な。何でだよっ! それに、俺の立ち会いが必要なんじゃなかったのかよっ!」
「ここは、今から、夢魔が出るだろう。そなたが、魅入られるかもしれぬ。そして、ここまで、お前が来てしまえば、もはや、立ち会いは不要だ」
「大丈夫だって! ……そんな、ヤワじゃないんだよっ!」
「いや」と月白は言を切って、目を伏せる。「みな、弱いのだ。だから、悪夢を見る。夢魔はそこに付け入る。それは、お前も、吾でさえも、例外ではないのだ」
「なんでだよ。ずっと一緒にいられないんだから、せめて、ギリギリまで、一緒にいらせてくれよ」
「ここまでが限界だ。本当は、今日は、家にいろと言いたかった。だが、ここまでの間、一緒に来たかった。立ち会いのことだけではなく……済まない」
月白が頭を下げる。
さらり、と白と黒の髪が流れた。
「なんで……」
「本当に、済まない。……だが、やはり、ここにいるのは、危険なのだ……。吾は、みすみす……」
心底、申し訳なさそうな声で語っていた月白だったが、何かに気がついたように、はっとして顔を上げた。
「月白?」
「……そうだ……、これならば」
独り言を、月白が口にする。嫌な予感がして、萌樹は肌が粟立った。
「ちょっ、なんだよ……」
急に月白が、萌樹の手を取って抱き寄せる。最後の抱擁を交わすような雰囲気ではなかった。逃げられないように、無理矢理、抱き寄せられているような感じだ。
「っ!! 月白っ!!!」
抗議の声を上げた萌樹の唇を、月白が塞ぐ。乱暴な、キスだった。最後に交わすのが、こんなキスなのは、嫌でたまらなくて月白の胸を懸命に叩くが、全く、びくともしない。
(っ!!!)
目の前、視界がぐらりと揺れた。
月白の姿が、ぐんにゃりと歪む。
精気を、吸い取られているのだ、と思ったときには、すでに、立っているのも難しくなった。抵抗も出来なくなった萌樹の目の前に、月白が手をかざす。
そこに、小さな宝珠があった。虹色にも乳白色にも見える、不思議な色合いの珠だ。
萌樹は、その珠をみて、戦慄する。それは、雑貨屋が持たせた宝珠のはずだった。あの時、雑貨屋はなんと言っていた。
『……君の安寧の為に、こんな品はどうかな』
『どうだい? ……記憶を、吸い取る珠だよ。一度きりしか使えないけどね。君は、辛い記憶があるというじゃないか。それを、これに吸わせてやれば良い』
それは、記憶を吸い取ることが出来る宝珠のはずだった。
「っやだよ!」
キスの合間に萌樹が声を上げる。
「……記憶くらい、持たせてくれよ! どんな記憶でも、記憶は、宝だって……あんたが言ったんだろう」
「ああ。そう言ったし、覚えている。だが……いっそ、そこが夢魔のようなものに付け入る隙になるならば、最初から持たなければ良い。そもそも、我らは、関わり合いにならなければ、それまでの関係だった」
住む世界が違う。何もかも違う。人とあやかしと。それは、永遠に越えることが出来ないままに、二人の間に立ちはだかる壁だ。
「だからって………っ!」
頭の中が、ぐるぐると回っている。攪拌されているような感じだ。それは遠心分離機のように、遠くで、何かが剥がれ落ちているような気がした。
「……嫌だよ……止めろって! ……俺は、死んでも良いよ。あんたと一緒にいられるなら、もう。それで……っ!」
「……それは、吾が、耐えられない」
月白が、ひらりと手をひらめかせる。宝珠が、虹色に輝く。
月白のロングコートにしがみついていたけれど、力が抜けていく。
離れたくないよ、嫌だよ。
それだけを繰り返していた萌樹だったが、やがて、意識が薄らいで―――最後にとても優しい金色の双眸にのぞき込まれていたのがわかったけれど、それが何か、もはや、判別が付かなかった。
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