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29 道

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「ちょっ……っ!!!!」

 ものすごい速度で落下していく。足下から頭の天辺へ向けて、重力が抜けていく感じがした。

「……なん、なん……っ!」

 地表は近付いている。ものすごい早さで近付いている。このままでは、地面にぶつかって、粉々になってしまう。

(いや、そうすれば、ずっと月白と一緒にいられると言うことか?)

 混乱のあまりに訳がわからなくなって、萌樹はぎゅっと月白にしがみつく。

「落ち着け。あの地面に到達することはない」

 耳元に、低くまろやかな声がする。それを聞いただけで、萌樹は、たやすく落ち着いた。現金なものだとは思うが、それが『獏』の特性なのかもしれない。

「途中で、抜ける」

「抜ける?」

 抜けるとはどういうことだろう。

 萌樹の疑問に、月白は答えなかった。気が付くと、近くにあの黄金色の鱗を持った竜が近づいてくる。触ってみたいと思ったが、かまれたり、吠えられたりしたら、いやだと思って手を引っ込める。

「懸命だ」

 月白は、小さくつぶやく。

「あれは、気が短い。吾でも食われれば怪我をする。ここへ人が来るのは珍しいから、あれも興味があって来たのだろう」

 竜は、萌樹を観察しているようで、ぐいっと顔を近づけてきた。鼻息が掛かる。生暖かかったが、花の香りがした。もっと生臭い息を想像していたのに、拍子ぬけする。

(いきもの、って言っても、大分違うんだな)

「縁起がいいな。竜の見送りを受けられると、道中は、安寧が約束される。とはいえ、気を付けるべきところは、気をつけねばならぬが」

「お見送り?」

「そう。見送りだ。この竜は、この道を守っている」

 相変わらず落下しているだけで道など見えてこない。だが、月白は、ここを道という。まだ萌樹には、どうしてここが道なのかわからないでいると、ふいにあたたかな黄金色の光の中に突入していくのがわかった。

「え? さっきまで、地面しか……」

「これが道だ。あの地面には、我らが降り立つことは出来ぬ。さあ、目を閉じていろ。目覚めれば、お前の部屋だ」

 絶え間な落下感を味わいながら目を閉じるのは、多少、恐怖心があった。しかし、月白が道と言った金色の光はとても暖かかったし、そして、月白の体も、暖かくて、安堵できた。すべて、ゆだねてしまえば良い。

 次第にまどろんでいく意識の中で、萌樹はそう思っていた。





 目覚めたとき、見慣れた狭苦しい自室だった。

「あれ? 夢だった?」

 そういえば、月白と一緒に眠りについて、狭間の世界へ向かったのだから、間違いなく、あれは夢の出来事なのだろう。

(だとしたら、ちょっと残念だな)

 せっかく、月白と気持ちが通じたと思ったのに、それもなくなってしまったのだろうか。ふいに、自分の体を確認した萌樹は、体中に、月白の痕跡を発見して、「あっ!」と声を上げてしまった。

 あれは、夢だが、夢ではないのだ。

 傍らの月白は、まだ、すやすやと眠っている。締切りにしてある薄いカーテンのすそから、光が漏れてきている。時計を見やれば、午後二時だった。深夜勤務の萌樹は、たいてい寝ている時間だ。

 ここへ戻ってから、いくらも時間が過ぎていないのだろう。と思いながら、スマホを手に取った萌樹は、そこに鬼のような着信履歴が残っていることに気が付いた。

「な、なにこれ? こんなの見たことないんだけど?」

 着信履歴は、百件を超えているらしい。しばしためらっていた萌樹は、着信履歴の理由に気が付いた。あれから、一週間も時間が経っている。

 勤務先からは、無断欠勤について憤る文面のメッセージが届いていたが、やがて、それは、萌樹の身を案じるような文面に変わっていったので、事件に巻き込まれたと思って、心配しているのだろうと思うと、どうも、申し訳ない。

 しかし、心配してくれる他人がいるという事実だけは有難くて、萌樹はおそるおそる、電話をかけた。

「あ、すみませんバイトの……」

 なんと切り出していいかわからなかったが、店長に代わってもらって、などと算段を付けていると、

『えっ? 萌樹くん? 店長っ!!! 萌樹くんです!!』

 電話の向こうが慌ただしい。今電話に出たのは、日中のパート、前園さんだったか。あまり接点もないはずなのに、声でわかってくれたらしい。

『萌樹くん、どうしたの? なにかトラブルか何かあった?』

 開口一番に、店長が聞いてくる。

「いえ……実は、体調を崩して、家の中で倒れていたみたいで、気が付いたら、今だったんです。済ませんでした」

『ちょっと、大丈夫? 病院に行った方が良いんじゃないの? 少し、休みにしておいたほうが良いかな?』

「あー……そうですね、ちょっと、また、迷惑かけたら、アレなんで」

『じゃあ、とりあえず、今週はお休みで。次の月曜日から出てこれるようだったら、お願いね』

「すんません!」

 いや、いいよ。一人暮らしだから大変だったでしょ。無理はしないでね。

 そう、優しく言ってくれた店長の言葉が、妙に、沁みた。



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