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27 痕跡
しおりを挟む「なんか、早く来すぎたかな」
雑貨屋がくすくす、訳知り顔で笑うのを聞いて、萌樹は顔から火が出そうなほど恥ずかしくて、褥に顔を埋めてしまった。
つい今しがたまで、月白と褥の上で戯れていたのだった。
(絶対、バレてる……)
しかしもう一人の当事者である月白は、実に涼しい顔をしているし、服を引っかけようともしない。良く見れば、萌樹が爪を立てて縋り付いた痕跡が残っている。萌樹は褥の中に潜り込んだので、雑貨屋は見ていないだろうが、身体中あちこちに、獏の付けた情交の痕跡があるはずだった。
「それで、香は出来たのか?」
月白が静かに問う。
「うん。出来たよ……できばえは上々。これを使えば、夢魔の力は、まあ、少し削ぐことが出来るだろう。ただし」
と一度、雑貨屋は、言を切る。
「ん?」
「ただし、香は、三粒。つまり、三晩掛かる」
「まあ、致し方あるまい」
「……先代の雑貨屋なら、一晩で、ころっと行くようなものを作れたと思うんだけど、さすがに、僕の力ではそれが限界だ」
「いや、助かった。……こちらも、夢魔が、あれほど面倒だとは思わなかった」
雑貨屋は、月白に小さな陶器で出来た貝殻のようなものを手渡した。萌樹は、褥から顔だけを出して、様子を見やる。蛤のような二枚貝だが、陶器で出来ている。入れ物になっているようで、蓋をあけると、黒くて小さな塊が三つ収まっている。小学生の頃、動物園で見たウサギの糞のようだ、と萌樹は思った。
「それが、香?」
萌樹の知る香といえば、スティック状になって、そのまま火を付ける線香だ。或いは、三角錐の形になっていて、エスニックな雑貨屋に売っているもの。どちらも、何故か、地元のヤンキーたちが好んでいたのを思い出す。彼らの好んでいた香は、粉っぽい匂いが鼻に付くような、妙に残る匂いだったはずだ。
「そう。これが香だ……この形の香は、千年も昔の頃から使われている。この入れ物は、香合と言う。あとは、灰を敷いた香炉でこれをたくのだが……」
「今度は、香炉がご入り用かい?」
にんまりと揉み手しながら、雑貨屋は言う。
「まあ、その通りだ」
「じゃあ……今度は何を貰おうかな」
「ふむ……では後払いではどうだ?」
「うちは、滅多なことでは、ツケはやらないんだけどねぇ」
けれど、他ならぬ、あんたの頼みだからねぇ、ともったいぶりながら、雑貨屋は、チラチラと月白に視線を流す。
「吾が、そなたに渡すのは、夢魔の牙……」
「えっ?」
「そなた、この珍しい品はいらぬか? 夢魔を捕らえ、その牙を剥ぎ取る事が出来るのは、現在では、吾だけだ」
くっ、と雑貨屋が小さく呻く。
「……夢魔の牙は、そなたの望みの為にも必要ではないか?」
涼しい顔をして言う月白を睨み付ける雑貨屋の顔が、歪む。
「僕の望みがなんだって?」
「さあて、すべて知るわけでもないが。人であったお前が、輪廻の理を捨て、怨霊になってまで、ここに留まることを選んだのだ……おおよその所、ここに、人が来るのを待っているのだろう?」
「嫌な獏だな」
「……さあて、嫌なことも良いことも表裏一体。どちらも同じだ。そなたの好きなように。それでなければ……ふむ、また、別のものを考えるが」
一度、雑貨屋は舌打ちをした。
「ったく、本当に嫌な獏だ。夢魔の牙。ちゃんと、貰ってきてくれよ?」
「ああ、大丈夫だ。それは、約束する」
苛立たしげにもう一度舌打ちする雑貨屋に、萌樹は「あの」とおずおずと聞いた。
「ん? なに?」
「えっと……あの、あんたが、待ってるのって……あやかしなの? あやかしの、恋人?」
雑貨屋は、萌樹を一瞥した。侮蔑にも似た視線に、一瞬、怯んだが、どうしても、萌樹は知りたかった。
怨霊になるというのが、萌樹にはどういうことか解らない。けれど、いま、情を交わしたばかりの月白とは、離れがたかった。それだけは確かだった。
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