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10 獏と見た夢
しおりを挟む早さの違う鼓動が聞こえる。
(意外に……、あったかい、んだな)
お香のような良い香りに包まれて、意識が、うと……とまどろみ掛けた時、萌樹はハッとなった。
(いや、違うし!)
抱きしめられて、存外心地よいのも困る。
「ちょっと、離せよ!」
獏から離れようとしたが、華奢な腕は力が強く、獏の腕からは逃れることが出来なかった。
「暴れるな」
耳許に、柔らかな唇が触れた。頭の中に直接、声を注ぎ込まれるような感覚に、腰が甘く震える。
「ああもう煩い。眠れやしない……ただでさえ、夢魔にやられて体力を奪われているというのに」
鬱陶しそうに前髪をかき上げて、獏は萌樹を見やる。
「有り余っているようだし、少し貰うぞ」
唐突に、獏の細い指が、萌樹の顎を捉えた。
「はっ!? えっ…!?」
気がついたときには、獏の薄い唇が、萌樹の唇に重なっていた。存外冷たい唇だった。
(っ!?)
なぜ、獏が急にキスをしたのか、萌樹は、次の瞬間に、理解した。頭の芯が、ぐらりと揺らいで、目眩がする。手も足も、力が抜けて上手く動かせなかった。
精気を吸われている……。
絡みあった舌先が、甘く痺れている。角度を変えて深まるにつれ、目眩が酷くなる。
(あぁ、くそ、抵抗出来ない……)
精一杯の悪態をつきながら、萌樹の意識は暗転していった。
酷く甘美な感覚のなかに萌樹はいた。
もったりとした重たい闇の中を、ゆっくりと沈んでいくような感じだが、その過程で皮膚が伝えてくるのが、官能を感じる神経があるとしたら、それをむき出しにされて、丁寧に刺激され続けているような。
全身が感覚器官になったような。
酷く過敏な状態だった。
自分の身体と、この空間の境界«さかい»を失い、どこまでが自分の感覚なのか、わけがわからなくなる。
絶えず官能にさらされ、自我を失いかけたとき、甘やかな梔子の薫りを聞いた。噎せ返るように、甘い甘い薫りだった。
白い、梔子の花が無惨に握り潰されて、ひときわ薫りが甘やかに立つ。
散ったはなびらは、細い指の間から滑り落ちて地面に落ちる。煙たいような土の香りに混じり合ったのを、彼は丁寧に、足で踏みにじる。
白と黒。
半分ずつの彩を持つ……。
(あれは、獏……?)
今までバラバラだった萌樹の意識が纏まってくる。
獏は、立ち尽くしていた。
じっと、立っていた。
その視線の先に、美しい女が立っている。獏に背を向け。そしてその女性が身に纏っているのは、まばゆいばかりの白無垢であった。角隠しに白い打ち掛け。すべてが白一色に揃えられた姿であった。
『あなたが悪夢に魘されていたときは、どうしようかとおもったけれど』
ねえやと思しき女性が、白無垢の女性に語り掛ける。
『まあ、およしなさいな。婚礼のときには、良いことだけを口にしなければなりませんよ』
『あら、奥さま。無事に美紗子さんが回復されたんですから、これはおめでたいことなのですよ』
『それもそうねぇ。あなたには感謝しなくてはならないわね。悪い夢を喰う……』
『ええ、獏の姿絵を手に入れて来ましたの。ほうぼうを探し回って、苦労した甲斐がありましたわ』
花嫁の表情は、萌樹には見えない。けれど、幸福な結婚のようには思えなかった。その時、小さな声で、獏が、呟くのが聞こえた。
(美紗子……)
声は、波のように静かに広がっていく。
恋い慕う響きを帯びて……。
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