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3 『境』の花

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「わ、わあっ!」

 思わずのけぞると、そこに、黒い和服を着崩した男が、立っていた。短くて黒い髪。その辺の町でも見かけそうな風貌だったが、瞳の色だけ、銀色だった。

「あ、あんたが……鬼か?」

 男は、問いに答えなかった。

「なんで、こんなところに人が迷い込んだんだろうね……って、ああ、それか」

 と男は指先で、萌樹もえぎが手にした木の枝を、つん、とつついた。その瞬間、りん、りん、りん、……、と折り重なるように、あちこちから鈴の音が聞こえてくる。恐ろしくなった萌樹だが、腹に力を込めて、男に向き合った。

「あ、んた……、なんなんだ?」

「ああ……ボクは……、ここ、雑貨屋の店主だよ。いろいろなものを扱っている。ただし、狭間の住人のためのものばかり」

「あんたは、鬼なのか?」

 萌樹が聞くと、ふふっと男ははじかれたように笑った。

「ボクは鬼じゃないよ。なんていうのかな、怨霊? 昔は人間だった。今は、ここで、店番をしてる。二百年くらい。けど、お兄さん、鬼に興味があるの?」

 随分軽い口調で、怨霊の店主は言う。

「興味……」

 萌樹自身は、鬼になど興味はない。ただ、もしも、友人が眠っている理由が鬼のせいだというのならば、なにか、手がかりはないかと思っているだけで。

「ふうん、ワケアリなのか。……理由を教えてくれたら、助けられることもあるかも知れないよ? 勿論、お代は必要だけど」

 銀色の瞳が細められ、萌樹は、ゾクッと背筋が震えるのを感じていた。

「……それは、命とか、魂とか?」

「んー、個体にも依るんじゃないかな。鬼とかあやかしなら、多分、命を取るだろうけど、ボクの場合はちょっと違うよ。でも、先には教えない」

 それが決まりなんだ、と彼は笑う。

「友達が、眠りから覚めない」

「へぇ? それと、鬼が、どんな関係が?」

「友達は、そもそも、交通事故に遭って、一ヶ月昏睡状態だったんだ。それが、戻ってきたと思ったら、狭間の世界で、書店を営む鬼に逢ってその鬼に、恋をした……とかいうから」

「ふむ……」

 怨霊は、少々考えるようなそぶりをして、顎に指を絡ませた。

「……なにか、あるのかよ」

「その鬼ならば、有名な鬼だから、ボクでも知ってる」

「えっ!? マジか!?」

「その鬼については教えてやらないけど……、おそらく、お前の友達は、幸せな悪夢を見ているんだよ」

「幸せな、悪夢……」

「そう。もう、二度と目を覚まさなくても良いような、幸せな悪夢」

 にんまり、と男は笑う。

「なにか、解消方法があるのかよ。無理矢理、目を覚まさせる方法とか」

「夢の専門家を呼ぶと良い。あいつらは、悪夢を食べる」

「食べるっ!?」

 横たわる蒼を、頭からバキバキと食べる姿を想像してしまって、思わず、萌樹は声を荒らげる。

「ああ、うるさいなあ……。大丈夫だよ。もっと、穏便に食べると思うよ、夢を食べるところを見たことはないけど」

「じゃあ、その方法を……」

 萌樹の目の前で、ひらひらと紙がひらめいた。そこに、何やら絵が描いてある。よく解らないが、獣のようだった。

「なにこれ」

「これを、枕の下に敷いて寝れば、悪夢を食べに、獏がやってくる」

「獏……?」

「そうそう。あいつらは悪夢を食べるんだ」

「じゃあ、その紙を寄越せ」

「いいや、交換だ。ここでは、それが決まりだ」

 男は、にやっと笑う。薄い唇が、三日月のような形に、にいっと歪んでいた。

「代償は? 俺に払える程度の内容なのか?」

 貯金――殆どない。命……解らない、惜しいのか、惜しくないのか。指や、目を……持って行かれるのも、生活に支障が出そうだ。存外、差し出すことが出来るものというのは、少ないように思える。

「……その花。それをおくれ。ここは、花で満たしたいんだ。三椏みつまた。これは『境』の花だ。うん、悪くない」

 男は、あたりを見回すように、視線を遠くへとやった。店の中なので、ごちゃごちゃした店内しか見えないが、男には、別の景色が見えているのだろう。

「こんなので、いいのか?」

「ああ、一つと一つを、交換するんだ。問題ないだろう」

 花の枝一本と、獏を呼ぶ絵を一枚。

 それで釣り合いが取れているのか、全く解らなかったが、今は、藁にもすがりたい気持ちだった。

「ああ、じゃあ、交換してくれ」



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