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050 第二王子邸へ
しおりを挟む玉璽を抱え、ルーウェとアーセールは第二王子邸へ向かう。そこに、第二王子が居るのは、途中で合流した、早耳のニコが教えてくれたが、邸は不気味なほど静まりかえっていた。人影も見えない。
「どうしますか?」
「まさか、玄関で、第二王子を呼び出すわけにも行かないでしょう。中にいるのは解っているのですから、皇太子殿下の到着を待たずに、行きますよ」
アーセールは、合流していた手勢を引きつれて、邸へ入る。分厚い木の扉を破ろうとしたが、鍵は開いていた。中は、人の気配がない。
「おい、ニコ。本当に、第二王子はいるんだろうな」
「ええ……、そういう情報でしたけど」
「とりあえず、入り口を固めておけ。あとは、仕方がない、探索する」
索敵に、ルーウェを連れていくというのは不安だった。ましてや、現在、ルーウェは玉璽を抱えている。せめて、これだけは皇太子に渡すべきであったか……と思案しながらも、耳を澄ませる。ひとの気配はない。物音もしない。
(ここには、誰もいないのではないか?)
そうも思ったが、ニコの情報の確かさのおかげで、アーセールは今まで、生き延びている。
「……静かですね」
ルーウェの面持ちに緊張の色はなかった。不思議と落ち着いているように見える。
「……怖くないのですか?」
「そうですね」とルーウェは一度言を切ってから、笑う。「あなたと離婚するかも知れないと思ったときの方が怖かったです。一人になってしまうと思った」
「すみませんでした」
そればかりは、伏してあやまる他ない。
「でも、おかげで、本心が見えたでしょう。あなたも、私もお互いに引け目を感じていて……」
「なら、今の状況は、共通の敵を倒しに行くところですね」
アーセールのほうにも、不思議と緊張感はなかった。第二王子を侮っているわけではない。だが、恐れる必要がなかった。それだけだ。
その時、カタリ……。と小さな音がしたような気がして、アーセールが立ち止まる。ルーウェも気づいたらしく、「上、のようですね」と階上を見上げた。二階へ行くのは極力避けたいところだった。退路が限られる。罠かもしれないとは思いつつ、ルーウェと一緒に、上へ向かうことにした。
早耳のニコに依れば、第二王子の私兵は、数百人。それが、全員、ここに集まっているとも思えない。王宮の守りにも割かなければならないはずだった。元帥が付いているので、軍は、おそらく第二王子のほうに付いているだろう。そのものたちは、おそらく王宮にいるだろう。
ここに居るのは数十人と見て良いだろう。どれほど多いとしても。
「……アーセール様、俺たちが先に行きます」
イネスが露払いを申し出る。常のアーセールならば、自分で行くが、今は、ルーウェが居るから、前へ出るのはイネスに任せた。
「……将軍、変わりましたね」
「そうか?」
「ええ。今までなら、率先して、死に向かっていたでしょう」
ここで死んでも良い。死にたくない。相反する二つの思いがあったからこそ、功績を挙げることが出来たし、死ななくて済んだ。『救国の将軍』と謳われるアーセールの実態は、こういうものだ。
「いまのほうが、絶対に良いですよ」
イネスが階段の上から、二階の廊下にちょっと顔を出した瞬間、「うおっ」と身体をのけぞらした。
「大丈夫か、イネスっ!」
「うー、弓です。厄介だな、こちらからは近づけないです」
いまの弓が合図だったのか、一階にも武装したものたちが躍り出てくる。
(一体、どこに潜んで……)
アーセールとルーウェは階段だ。一階と二階と、両側から進路を塞がれた状況だった。
時間を稼げば、皇太子の軍は来るだろう。だが、それだけではどうしようもない。
「イネス、どうだ?」
「……弓が結構いますね。両脇から来ます」
二階に躍り出た瞬間に、矢で射られるという寸法だろう。しかし、いま、アーセールたちは盾も持たない。武器も、心許ない。
「アーセール様、他に何かありませんかね」
「何かと言われても……」
その時、ふと、思い出した。北の国境に向け、商人に身をやつしていたとき、アーセールは商売道具兼、万が一の時の道具として用意していたものがある。香油の瓶だ。装束を替えてしまったので、全部は持っていないが、外套の隠しにいくつか入っている。これに火を付けて投げるか、まき散らして、火を付けるか。どちらかだ。
「……イネス」
「なんです」
「火炎瓶なら用意出来る。ただ、それほど、殺傷能力はない」
「奥方様がご一緒の時には、お勧めしませんよ。ただ……」
イネスは、階段の下を見やった。兵士で溢れている。あちこちで剣戟の音が響き、血なまぐさい。自軍が不利なことは、疑いようがない。
「下をなんとかしても、上に行けば、やられる……なら、上をなんとかするしかないでしょうね。第二王子がどこに居るか、が問題ですけど」
第二王子の私室。執務室はどこだろう。
「将軍。俺は、二階だと思いますよ。でなければ、廊下の両端に、弓兵なんかおくはずがない」
確実に、二階へ上がってきたものたちを殺す為の、作戦だと言いたいのだろう。
途方に暮れかけたが、だまっている 場合ではない。確実に、一秒ごとに、状況が悪化している。
迷っている場合ではなかった。
「イネス。二階からどこかへ行く通路はないんだな?」
「ええ、だから、第二王子が居るとしたら、ここだと思いますよ」
「よし、じゃあ、行こう」
香油の瓶は、十五本。それに火を付けて、廊下の両端へ投げ入れる。
「なんだっ!」
「射ろっ!」
「……火炎瓶だっ!!」
「火を消せっ!!」
声の様子から、おそらく、そこに居るのは、十人にも満たない。アーセールとイネスは顔を見合わせて、それぞれ右翼と左翼へ向かって駆けだした。弓兵に直撃はしなかったが、外套に引火しているらしく、もう一人が必死に消火しているようだ。だが、油を被っている。消火は難しいだろう。
「……っ! ……」
「仲間を助けたかったら、ここを通せ。第二王子はどこにいる? 答えたら、下へ行っても構わない。ここから逃げれば、命は助かるぞ」
アーセールは剣を抜く。その傍らに、ルーウェも居た。ルーウェも、焼かれゆく弓兵から、目を背けずに毅然と見ている。
「将軍、その部屋だっ!」
うしろからイネスが声を上げる。アーセールは、弓兵の首を掴んで、第二王子の私室へと投げ入れた。苦悶の声が聞こえた。
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