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040 義兄上の詰問
しおりを挟むアーセールは、一歩下がった。
「あ、義兄上《あにうえ》……っ」
「なんで、離婚の危機に? なんで、側に居ない? ちょっと、いろいろ聞きたいことがあるから、場所を変えようか」
怒りに満ちた笑顔を見て、アーセールは冷や汗が出る。
「ちょ、ちょっとまってください。ちょっと、贈り物を!」
「ルーウェに?」
「……はい。その……最後に、ちょっと、謝ろうと……」
すう、と目が細められた。
「言葉と態度で誠意を尽くす前に、なぜ物品で買収を試みる」
皇太子に容赦なく言われて、「左様でございます」とアーセールは小さくなる。そのやりとりを見ていた、案内してくれた男が、
「なんだ、あんた、奥さんの兄さんなのか。もうちょっと、ちゃんと言ってやった方が良いぞ? じゃないと、大事な妹さんが不幸になりかねないからね」などと皇太子を援護している。
アーセールは完全に針のむしろの上だ。
「まあ、ちゃんと話をして、大事にしてやりなよ。あんた、奥さんのこと大好きなんだろうから。……それと、商売になりそうだったら、声を掛けてくれよ。俺らは、大抵ここに居るからな」
「ああ、とりあえず、こいつには灸を据えておく。この市場で灸は買えるかな。それと、あなたの……名を聞いても良いか?」
「えっ? ああ、……おれは、グレアン」
「グレアン。それではまた」
贈り物の髪飾りを受け取ると、アーセールは皇太子に引っ張られて連行されることになった。
「……ちょっ、痛いですっよっ!!」
「なんで、離婚の危機に? なぜ、一緒に居ない? ルーウェと、サティスは?」
皇太子は怒りで燃える眼差しで睨み付けながら、アーセールを壁に押しつけた。上背は、アーセールのほうが高いし、力はアーセールのほうが強いはずだが、押しのける事が出来ない。皇太子の顔が、ぐっ、とアーセールに近付いた。
「私は、頼むと言ったが?」
「で、ですから……その、二人は、西へ」
「西っ? それなら、お前も西へ行けば良いだろう。いざとなったら、あの二人の盾になれ」
「ちょっと、それ、非道すぎませんかね……」
皇太子が、鼻で笑う。
「……政治力がないお前が、あの二人を確実に守る方法は物理しかないだろうよ」
言外に、武力以外では役立たずと言われたに等しい。そして、皇太子は、なかなか、腕が立つ人のようだ……とは、現在、アーセールは認識を新たにしている。見た目は、優男だが、力は強いし、思い切りが良い。
「……それは、大変失礼致しました」
「解ったら、速やかに西へ行け。ここは、私一人でなんとかなる……が、あの二人の身柄だけが不安だったんだ。だから、頼むと言ったのに、余計な深読みをして……」
「あんな文をもらったら、普通は、来いって意味だと思いますよ! ……というか、義兄上、鐘が鳴りましたよ」
皇太子の眉が、跳ね上がった。
「そうか」
「一体、何があったんです」
「……今は言いたくない」
「……玉璽を……」
「言いたくない」
皇太子が、視線をはずす。
「……そこで、いちゃついてるお二人さん、ちょっと良いかなー?」
気がつけば、周りを黒服の男たちに囲まれていた。
白昼堂々と襲われるとは思っていなかったので、アーセールは完全に油断していた。皇太子も、小さくチッと舌打ちする。貴人のすることではないが、こういう人でも舌打ちをするのだな、と妙なところでアーセールは関心していた。
路地の両側の入り口を塞がれている。
これは、無理だ。逃げられない。剣は持っているが、この路地の細さでは抜剣できない。せめて、皇太子の身だけは守らないとならない。
アーセールは皇太子の身体を抱きしめる。
「っ!? 何をしてるんだ! 私は、君とそういうことをする趣味はないが!?」
「俺だって相手は選びますよっ! ……ちょっと、非常事態なんだから、黙っててくれませんかね!」
言い合いを始めたアーセールと皇太子の姿を見て、周りの黒服の男たちが、呆れた顔をしている。
(もしかしたら、もうちょっと油断させれば行けるかも知れない……?)
さりげなく、抱き寄せた皇太子の身体を探る。
「っ!! ちょっと、どさくさに紛れて何をしているんだっ!! ルーウェに言いつけるぞ!!」
「いや、だから、ちょっと、あんたは、黙っててくださいよ!」
皇太子は、短刀を二本。それと、小ぶりの剣を持っている。防具は着けていないが、この布は金属糸を織り込んだ特殊なものだ。怪我くらいはするだろうが命までは取られないだろう。
「殿下」とアーセールは耳許に囁く。
「だから、君にこんなことをされるのは……」
「行きます」
無理矢理皇太子の身体を抱き上げて、黒服の男たちを蹴り飛ばす。路地から抜けて、なんとか自分の剣を抜く。
後ろから男たちが追って来る。アーセールは皇太子を立たせて壁を背に。アーセールも、そうした。
皇太子も剣を。抜く。
「私も働かせるつもりか」
「助けてくださいよ、義兄上様」
皇太子が「高く付くぞ」というのだけが気にかかったが、とにかく二人は、敵に向かった。黒服たちは、二十人ほどいるだろうか。
壁を背にしてはいるが、多勢に無勢の状態には変わりない。
「お前たちは何者だ?」
静かに皇太子が問う。だが、返答の代わりに男たちは雄叫びを上げながら突進してくる。
「チッ」
皇太子も抜剣して応戦する。剣と剣がかちあう鋭い金属音が響く。アーセールも繰り出される刃を剣で受ける。
(……重いな……)
黒服たちは手練れのようだった。訓練された私兵という感じだ。動きも無駄がないし、隙もない。
(困った……)
とにかく、皇太子だけは守らなければ、と剣を構え直す。
「面倒だ、退け!」
黒服の一人が叫んで、何かをアーセールに投げつける。アーセールに目がけて飛んできたのし、子供の拳くらいの大きさの物体だった。
「しまったっ!」
とっさに動いたのは皇太子だった。アーセールの手を引く。その瞬間、皇太子は小さく呻いた。腕を、少し切られたらしかった。
「殿下っ!」
「……この馬鹿者!」
皇太子が忌々しく呟いた次の瞬間、耳をつんざくような爆音と共に、地面で物体が破裂したのだった。
そこで、アーセールの意識は途切れている。
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