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039 髪飾り

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 アーセールが国境の町にたどり着いて、早一日。

 無事に町の中へ入ることが出来たので、あちこちを情報収集しながら歩いているが、皇太子がどこに居るのかも解らなくて困り果てていた。

(国境の町に来いと言うことではなかったのか?)

 だとしたら、かなり、見当違いのことをしていたということになる。

「あんた、国を出るって言う割に、のんびりしてるけど、なにか、あるのかい?」

 あちこちに話を聞きに行きつつ、ふらふらしているアーセールに声を掛けてきたのは、気難しそうな目つきをした、初老の男だった。鋭い視線が、アーセールをじっと見つめている。

「ああ、……実は……」

 商売のために、探っているんだというべきか。だが、『探る』という言葉で警戒されても仕方がない。

「……妻が……、従者と共に来ることになっていて、待っているんだ。ついでに、なにか、妻に贈り物でも買えないかと思ってさ……。なにか、贈り物に良さそうなものはあるかな」

 ルーウェは、今頃、西の領地にいるだろう。

 ここへ来ることはない。そして、きっと、今から、アーセールが買う『贈り物』は、ルーウェの手に渡ることはない。

「なんだ、それで、あちこちに声を掛けていたのか……ふーん、それで、何が欲しいんだ? 服か? それとも……あんた、金はありそうだな。なにか飾り物でも欲しいのか?」

 男は、にかっと笑う。どうやら、カモを探していたようだった。

(勘ぐりすぎた)

「……飾り物は……受け取って貰えるかなあ……」

「なんだい、どんな女だって飾り物には弱いだろうよ」

「……いや、盛大な夫婦げんかの末に離婚の危機で」

「はあっ? なんで、あんた、奥さんを迎えに行かないんだ! 馬鹿か」

「いや、それは……そうなんだけど」

「なにか手土産はあった方が良いかもしれないがな? ……それにしたって、ちゃんと迎えに行かないと」

 通りすがりの男にまで説教をされて、アーセールの気持ちは、とことん沈んでいく。

「まあ、まずは、……髪飾りでも選んでやりな。ほら、案内してやるから!」

 完全にカモにされたような気もするが、「わかったよ」と応えて、アーセールは男の後ろをついていく。

 男は、路地裏へ入った。国境の町は王都に比べれば雑多で、少しごみごみしている感じがあったが、路地裏は酷かった。ゴミと不潔な水が溜まっていて酷い悪臭がする。

「こんな所に、本当に飾り物を売っている店があるのか?」

「……おもての店は、だいたい、ぼったくりだぞ。あんたみたいな、なんにも知らないような商人がカモになる。こっちは職人の直売みたいなところだ」

 男は、はは、と笑う。その後ろをついていきながら、何にも知らないような、と言われて恥ずかしくなった。ここへ来てしまったこと自体、勇み足だったのではないか……とも思っている。

「職人が……直売?」

「まあ、表通りで二束三文の品を掴まされるよりは、良いだろう。職人も、阿漕な商人から買いたたかれているのも現状なんだ」

「もしや、それで、俺に……商売をしろと?」

 それは、無理な話だ。アーセールには商品の販路はない。いや、知り合いの貴族たちに売ることは出来るかもしれないが……、しかし、いままで、そういう形の社交をやってこなかったアーセールには荷が重い話だ。

「まあ、ちょっと頼むよ。なんなら、話だけでも聞いてくれると助かるんだがな」

「いや、それは。ちょっと……」

 とりあえず断って帰ろうとしたところだったが、とりあえず、いきなり大口の取引を持ちかけられるわけでもないだろうし、アーセール自身も、現在無職なので身の振り方は考えなければならない。隠居暮らしも良いが、少し、商売に手を出しても良いだろうか―――と思ったところで、不意に、大抵の貴族が事業に手を出して失敗するというのを思い出した。

「まあ、無理にとは言わないが。少し、考えてみてくれよ」

「はあ……」

 気のない返事をしつつ、路地を抜けていく。しばらく行くと、開けた所に出た。通りに面した建物に囲まれた、中庭のような場所だが、そこに、小さな町が出来ている、と言う印象だった。地面に棒を立てて日よけを作り、そこで、果物や衣料、香辛料に装飾品、肉や魚まで売られている。この国の品物もあったが、隣国の品物も多い。ちょっとした交易の場所になっている。アーセールは価格帯が解らないが、怒号混じりの値切りの声も聞こえてくるし、大量に買い込む商人らしきものもいるので、安いのだろうとは思う。

「おい、こっちだ」

 男に案内され、人の間を押して隙間を作りながら、進んでいく。

「もう、押さないでおくれよっ!」

「あんた、さっきから、邪魔だぞ!」

 怒鳴られつつ男についていくと装飾品を売る露天商が軒を連ねている一角があった。

「ここらが、組合を作っていてな。価格も品質も安定してるんだ。あんた、王都にツテがあるんだろ? 言葉と身なりを見てりゃ解る。俺たちは、王都の貴族にこの品質の宝石を売りたいんだ」

 アーセールは、露店に視線を走らせた。趣味の良い、装飾品が多い。品質や、デザインのことはアーセールには解らないのでなんとも言えないが……。

「あっ」

 アーセールは思わず声を上げた。目に飛び込んできた髪飾りを、断って手に取る。ラベンダー色の優しい色合いの宝石がついた、銀の髪飾りだった。

「えーっ、ダンナ、それは安い石なんだよ。こっちの方が喜ぶ……」

「いや、この髪飾りがいい。この石が……妻の瞳と同じ色なんだ。だから、絶対これが良い」

「まー、そういうことなら仕方がないけど……。なんだ? そんなに奥さんが好きなのに、なんで、大げんかで離婚になるかね」

 溜息交じりに店主と交渉し始めた男の後ろ姿を見ていたアーセールは、ぽん、と肩を叩かれた。

「それで? 一体、誰と誰が離婚になるって? 我が義弟殿」



 振り返ったところにいたのは、にこやかな笑顔の奥に隠しきれない怒りの色を滲ませている、皇太子殿下、その人だった。

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