39 / 53
038 決定事項
しおりを挟む「もしや、アーセール将軍の奥方様では!?」
砂埃をもくもくと上げながら、物凄い勢いで馬を走らせていた男たちが、ルーウェたちの姿を見つけて声を掛けてきたのは、西の領地に入る寸前のことだった。
男たちは皆、一様に、日に焼けて、痩せている。防具なども満足なものではない。一瞬、山賊かと思うような出で立ちだ。
ルーウェは、正直に言うか迷っていたが、一人の男が「ああ、一生結婚できないと思っていたのに、こんな美しい奥方様をお迎えだなんて、本当に良かった」など、さめざめと泣いているのを見て、これは、本物のアーセールの元部下たちだと確信した。
「あなた方は、アーセールに言われてここへ?」
「はいっ! 西のご領地にいらっしゃる奥方様をお守りするよう……」
男の顔が急に引きつって、言葉が途切れた。ルーウェの手が、身体が、小刻みに震える。腹の底が熱い。目の前が、赤く明滅するのを感じていた。いまだかつてないほどの、激しい怒りだ。
「な……んで、あの人は自分勝手にっ!!」
思わず叫ぶルーウェを見て、駆けつけたアーセールの部下たちが、一歩、後退する。
「将軍は、かなり、塞ぎ込んでおられて……」
「いざとなれば、お救いする方がご無事なら、死ぬ覚悟で……」
などと口々に寄せられるアーセールの情報をきいているうちに、怒りが頂点に達した。
「北へ参ります」
静かに、ルーウェは言う。声は、いつもよりもかなり低い。地獄の底から響いてくるような声だった。
「あなた方は、西へ。私と従者を伴っているように偽装してください……私の外套を纏っていればなんとかなります」
「ちょっ…、お待ち下さいっ!! 将軍に、怒られます」
「今の私もかなり、怒っています。あなた方には塁は及ばぬようにしますよ」
ルーウェは、あくまでもしずかな口調だった。にこやかに微笑んではいるが、背後に真っ赤な怒りの炎を背負っている。
鎮火するのは無理そうだった。
「あ、ルーウェ様。俺も、あの人に勝手にされて、ちょ~っと腹がたつからさ、一発、平手打ちにしてこないと気が済まない。だから、一緒に行く」
傍らでサティスが手を挙げる。サティスはサティスで、皇太子に遠ざけられたうらみがあるようだった。
ルーウェと、サティスは手を握る。あつい握手の瞬間を、アーセールの部下たちは、引きつった面持ちで見ていたが、「せめて、何人か護衛をおつけください」と申し出て、折れたのだった。
西の領地から一転北を目指すことになったルーウェだったが、現在、基地の国境で戦闘になったとか、王都やレルクトまで、その他の土地でなにか変事があったと言うことは聞こえて来なかった。
ただ、訪れる町は、みな、『皇帝崩御』の報をきいて、半旗を掲げ、その崩御を悼んでいる様子だったが、途中、妙な話を聞くようにもなっていた。
『皇帝陛下はまだお若かったし、お元気だったというではないか。なにか、あったのではないか? 皇太子殿下のお姿も見えないというし、皇太子邸が焼かれたらしいぞ』
皇帝は、確かに健壮だった。最後に皇帝にあったのは、披露の宴の為にアーセール邸を訪れたときだが、その時も、いつも通り変わった様子はなかった。色々と、嫌なことを言われたことも同時に想い出す。
(そういえば)
馬は、一心不乱に塩を舐めたり、飼葉を食べたりしている。ルーウェは、馬の背を撫でてやりながら、想い出すことがあった。賜った『結婚祝い』の品だ。
(兄上の手形なら……サティスが喜びそう……喜ばない、かな)
「奥方様、一体、何をにやにや笑っているんです」
サティスは、ルーウェを『奥方様』と呼ぶようにして居た。商家の婦人と、側仕えの女使用人。それに、金子で雇った用心棒、という形の旅を装うことにしたのだった。従って、現在、ルーウェもサティスも、商家の女主人と使用人に見えるような女装だった。
「……あなたは、兄上の、手形とか欲しいですか?」
「ええっ? いらないですよ。なんで、そんなものが欲しいんですか。どうせだったら、もうちょっと、実のあるものだったらありがたく頂戴しますけどね」
「そうですか。私は、結構嬉しかったのですけど。……父上から賜ったのです。結婚祝いとして」
「結婚祝いに?」
サティスが身体を折り曲げて笑い出した。「結婚祝いに、なんで、あなたの兄上の手形なんか!」
目の端に涙を溜めて笑っているサティスを見ると、どうやら、あの品は価値のないもののようだというのは解る。あの時、第二王子も、笑っていた。
「でも、せっかく賜ったものなのに」
「まー、解りましたよ。じゃあ、あとで、鑑賞会をしましょうね、その、手形の主と一緒に。あと、その方の頬には、俺の手形を残す予定ですんで、よろしく」
サティスの決意は固い。とにかく、一発平手をお見舞いしないと気が済まないらしい。
ルーウェも似たようなものだ。とにかく、もう一度、ちゃんと、真っ正面から文句を言わなければ気が済まない。それで別れるのならば仕方がないが、それでも、最後まで、ルーウェはゴネようと思っている。
「……奥方様だって、やる気まんまんじゃないですか」
「ええ。もう、心から腹が立ちましたから……絶対に、一生掛けて償わせないと気が済みません」
まだ、琴だって聞かせてないし、あちこちの所領を回って旅行をするというのもやっていない。
なのに、勝手過ぎる。振り返りもしないで北へ向かったことも腹立たしい。
だから、ルーウェは、今度は、絶対に、アーセールを放さないと心に決めた。
(私は、いつだって、あなたの側に居ると決めたのだから)
78
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!
冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。
「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」
前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて……
演技チャラ男攻め×美人人間不信受け
※最終的にはハッピーエンドです
※何かしら地雷のある方にはお勧めしません
※ムーンライトノベルズにも投稿しています

騎士団で一目惚れをした話
菫野
BL
ずっと側にいてくれた美形の幼馴染×主人公
憧れの騎士団に見習いとして入団した主人公は、ある日出会った年上の騎士に一目惚れをしてしまうが妻子がいたようで爆速で失恋する。

学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る
112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる