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034 囮

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 深夜。

 闇に紛れて、ルーウェとアーセールは邸《やしき》を出た。

 邸には、身代わりを立てた。表向き、アーセールは病気のルーウェの看病をしていると言うことになっている。ただ、ルーウェが病篤《やまいあつ》いということで、面会は謝絶。アーセールだけが看病をしているという状況という触れ込みにしておいた。

 約束の場所までは徒歩だ。走らないが早歩きで行く。今宵、月は二人の味方をした。雲に遮られて、月の光は一筋に地上に降りてこなかった。

 王都から出るとなったその時だった。

 

 ご――――ん、ご――――ん……。



 重い鐘の音が響き渡った。それを聞いたアーセールが、チッと小さく舌打ちをする。

「どうかしましたか?」

「あれは、皇帝陛下が崩御されたという合図です。七回うって、一呼吸置いて、三回これを二回繰り返す方法です」

「では、第二王子は……」

 玉璽を手に入れたか、それとも、なにか、別ななにかがあるか。それは、解らない。だが、事態が動いたのは間違いない。

「……今からでも邸へ戻られた方が……」

 それがだめならば、別の場所に身を隠して置いた方が良いのではないか……。そう、アーセールは思うが、ルーウェは「いいえ」と頑として聞かない。困ったことだと思いながら、アーセールは先を急いだ。







 森の手前で、サティスは立っていた。馬の姿もある。

「よく、来てくれましたね」

 サティスは驚いた顔をしてアーセールを見る。

「来ないと思ったのか?」

「ええ、信用してくださるとは思わなかった」

「……お前から、皇太子殿下の移り香を感じたからな。あの方は、滅多なものには、移り香をのこすようなことはしないだろう」

 そう告げると、「ちょっ……っ」と言って、サティスは頭を抱えてしまった。

「えっ、もしかして、……兄上の恋人なのですか?」

「こ、恋人なんて、烏滸がましい……使って貰ってる、だけだよ……」

 今、月明かりがあれば、サティスが恥ずかしがっている姿が見えただろう。それは、少しだけ残念だと、アーセールは思う。

「……サティス。お前が、危険な目に遭うことも、あの人は望んでいないぞ?」

「それは、解っていますけど……」

「……だが、あの方の信を得るくらいなんだ、お前は、そこそこ腕も立つんだろ?」

「それは……、まあ」

 サティスは、小さく呟く。アーセールの心は決まった。

(やはり、この二人は連れて行かない)

「第八王子殿下。申し訳ないが、あなたとサティスは、二人で囮になって貰えないだろうか」

「えっ? 囮?」

「ああ。……もし、このまま全員で北へ向かえば、敵も全精力を北に向ける。だが、ここで囮が西へ行けばどうだろうか。少なくとも、何割か、そちらへ行くはずだ。皇太子殿下は、おそらく、精鋭の近侍だけをお連れなんだろう?

 だとしたら、それほど持たない。けれど、西に勢力を引きつけておけば、皇太子殿下を救出する確率が高まる」

「おいおいおい、将軍さん。あんた、俺たちに死ねと?」

「いや、うちからも人をやるように手配する。死ぬ気で籠城してくれ」

「何日だよっ!」

 サティスが、がなり立てる。当たり前だろう。今からたった二人で、第二王子と第三王子の軍をなんとかしろと言われているようなものなのだ。

「まあ……、第八王子殿下。あなたが、俺を信用してくださらないなら、このお話しはなしということで」

「……信用と、この作戦が有効かは、別問題でしょう」

 ルーウェは、存外、冷静だった。

「まあ、そうですが」

「籠城に、なにか作戦はあるんですか?」

「……不確定なことばかりが。目に見える俺の手のものというのは、現在居ないんですよ。無職なもので」

 もしも、という思いは少しだけある。『アーセール将軍』を慕ってくれた部下たちはとても多かった。その将軍の私邸が、第二王子の軍に囲まれていると知れば、もしかしたら、駆けつけてくれるものもいるかも知れない。そういう、全く不確定なものと。

 実は、ルサルカを、先日宿泊した、湯治場のある町レルクトに行かせている。そして、日が落ちる少し前に、鳩を放していた。



『殿下、私はレルクトにおります。玉璽は無事ですので、ご安心くださいませ。アーセール』



 この伝言は、焼け落ちた皇太子邸に届くはずだった。つまり、北と、レルクトと、西の三方向へ兵を割く必要を作ったのだ。そして勿論、王都にも兵は必要だ。各個の兵力は、かなり削ることが出来たと思っている。

「あなたは、何を考えて居るのですか? また、私に、相談もなく?」

 ルーウェの声が、怒りに震えている。炎のような眼差しだった。

「ええ。あなたに相談しても、仕方がないでしょう。これは、戦争です。それは私の領分なのですよ」

 アーセールは静かに言う。ルーウェとアーセールの間にはさまれたサティスが、困り果てた顔をして二人を見やっている。暫時の対峙の後、折れたのはルーウェだった。

「……解りました。あなたの作戦に乗ります。私たちは西の領地へ向かえばよろしいのですね」

「ええ、よろしくお願いいたします」

 本当は、心配だった。何割かの敵は、確実に、西に向かう。怪我をするかもしれないし、怪我だけでは済まないかも知れない。

(一刻も早く、皇太子殿下をお救いして、一刻も早く西へ行く……)

 それは、心に決めて、アーセールは、北を目指した。ルーウェを振り返りはしなかった。

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