上 下
35 / 53

034 囮

しおりを挟む


 深夜。

 闇に紛れて、ルーウェとアーセールは邸《やしき》を出た。

 邸には、身代わりを立てた。表向き、アーセールは病気のルーウェの看病をしていると言うことになっている。ただ、ルーウェが病篤《やまいあつ》いということで、面会は謝絶。アーセールだけが看病をしているという状況という触れ込みにしておいた。

 約束の場所までは徒歩だ。走らないが早歩きで行く。今宵、月は二人の味方をした。雲に遮られて、月の光は一筋に地上に降りてこなかった。

 王都から出るとなったその時だった。

 

 ご――――ん、ご――――ん……。



 重い鐘の音が響き渡った。それを聞いたアーセールが、チッと小さく舌打ちをする。

「どうかしましたか?」

「あれは、皇帝陛下が崩御されたという合図です。七回うって、一呼吸置いて、三回これを二回繰り返す方法です」

「では、第二王子は……」

 玉璽を手に入れたか、それとも、なにか、別ななにかがあるか。それは、解らない。だが、事態が動いたのは間違いない。

「……今からでも邸へ戻られた方が……」

 それがだめならば、別の場所に身を隠して置いた方が良いのではないか……。そう、アーセールは思うが、ルーウェは「いいえ」と頑として聞かない。困ったことだと思いながら、アーセールは先を急いだ。







 森の手前で、サティスは立っていた。馬の姿もある。

「よく、来てくれましたね」

 サティスは驚いた顔をしてアーセールを見る。

「来ないと思ったのか?」

「ええ、信用してくださるとは思わなかった」

「……お前から、皇太子殿下の移り香を感じたからな。あの方は、滅多なものには、移り香をのこすようなことはしないだろう」

 そう告げると、「ちょっ……っ」と言って、サティスは頭を抱えてしまった。

「えっ、もしかして、……兄上の恋人なのですか?」

「こ、恋人なんて、烏滸がましい……使って貰ってる、だけだよ……」

 今、月明かりがあれば、サティスが恥ずかしがっている姿が見えただろう。それは、少しだけ残念だと、アーセールは思う。

「……サティス。お前が、危険な目に遭うことも、あの人は望んでいないぞ?」

「それは、解っていますけど……」

「……だが、あの方の信を得るくらいなんだ、お前は、そこそこ腕も立つんだろ?」

「それは……、まあ」

 サティスは、小さく呟く。アーセールの心は決まった。

(やはり、この二人は連れて行かない)

「第八王子殿下。申し訳ないが、あなたとサティスは、二人で囮になって貰えないだろうか」

「えっ? 囮?」

「ああ。……もし、このまま全員で北へ向かえば、敵も全精力を北に向ける。だが、ここで囮が西へ行けばどうだろうか。少なくとも、何割か、そちらへ行くはずだ。皇太子殿下は、おそらく、精鋭の近侍だけをお連れなんだろう?

 だとしたら、それほど持たない。けれど、西に勢力を引きつけておけば、皇太子殿下を救出する確率が高まる」

「おいおいおい、将軍さん。あんた、俺たちに死ねと?」

「いや、うちからも人をやるように手配する。死ぬ気で籠城してくれ」

「何日だよっ!」

 サティスが、がなり立てる。当たり前だろう。今からたった二人で、第二王子と第三王子の軍をなんとかしろと言われているようなものなのだ。

「まあ……、第八王子殿下。あなたが、俺を信用してくださらないなら、このお話しはなしということで」

「……信用と、この作戦が有効かは、別問題でしょう」

 ルーウェは、存外、冷静だった。

「まあ、そうですが」

「籠城に、なにか作戦はあるんですか?」

「……不確定なことばかりが。目に見える俺の手のものというのは、現在居ないんですよ。無職なもので」

 もしも、という思いは少しだけある。『アーセール将軍』を慕ってくれた部下たちはとても多かった。その将軍の私邸が、第二王子の軍に囲まれていると知れば、もしかしたら、駆けつけてくれるものもいるかも知れない。そういう、全く不確定なものと。

 実は、ルサルカを、先日宿泊した、湯治場のある町レルクトに行かせている。そして、日が落ちる少し前に、鳩を放していた。



『殿下、私はレルクトにおります。玉璽は無事ですので、ご安心くださいませ。アーセール』



 この伝言は、焼け落ちた皇太子邸に届くはずだった。つまり、北と、レルクトと、西の三方向へ兵を割く必要を作ったのだ。そして勿論、王都にも兵は必要だ。各個の兵力は、かなり削ることが出来たと思っている。

「あなたは、何を考えて居るのですか? また、私に、相談もなく?」

 ルーウェの声が、怒りに震えている。炎のような眼差しだった。

「ええ。あなたに相談しても、仕方がないでしょう。これは、戦争です。それは私の領分なのですよ」

 アーセールは静かに言う。ルーウェとアーセールの間にはさまれたサティスが、困り果てた顔をして二人を見やっている。暫時の対峙の後、折れたのはルーウェだった。

「……解りました。あなたの作戦に乗ります。私たちは西の領地へ向かえばよろしいのですね」

「ええ、よろしくお願いいたします」

 本当は、心配だった。何割かの敵は、確実に、西に向かう。怪我をするかもしれないし、怪我だけでは済まないかも知れない。

(一刻も早く、皇太子殿下をお救いして、一刻も早く西へ行く……)

 それは、心に決めて、アーセールは、北を目指した。ルーウェを振り返りはしなかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

優しく暖かなその声は(幽閉王子は最強皇子に包まれる・番外編)

皇洵璃音
BL
「幽閉王子は最強皇子に包まれる」の番外編。レイナード皇子視点。ある日病気で倒れたレイナードは、愛しいアレクセイに優しくされながら傍にいてほしいとお願いしてみると……?

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

貧乏大学生がエリート商社マンに叶わぬ恋をしていたら、玉砕どころか溺愛された話

タタミ
BL
貧乏苦学生の巡は、同じシェアハウスに住むエリート商社マンの千明に片想いをしている。 叶わぬ恋だと思っていたが、千明にデートに誘われたことで、関係性が一変して……? エリート商社マンに溺愛される初心な大学生の物語。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

人生二度目の悪役令息は、ヤンデレ義弟に執着されて逃げられない

佐倉海斗
BL
 王国を敵に回し、悪役と罵られ、恥を知れと煽られても気にしなかった。死に際は貴族らしく散ってやるつもりだった。――それなのに、最後に義弟の泣き顔を見たのがいけなかったんだろう。まだ、生きてみたいと思ってしまった。  一度、死んだはずだった。  それなのに、四年前に戻っていた。  どうやら、やり直しの機会を与えられたらしい。しかも、二度目の人生を与えられたのは俺だけではないようだ。  ※悪役令息(主人公)が受けになります。  ※ヤンデレ執着義弟×元悪役義兄(主人公)です。  ※主人公に好意を抱く登場人物は複数いますが、固定CPです。それ以外のCPは本編完結後のIFストーリーとして書くかもしれませんが、約束はできません。

処理中です...