32 / 53
031 戒厳令の夜
しおりを挟む密偵は木の上にいる。それはわかった。だが、気にせずに邸へもどる。
ルーウェの体調が気がかりで、彼の部屋へ向かうと、慌ただしくルサルカがついて来た。
「まずはこれを」
ルサルカが書類を手渡す。殴り書きのような文章だった。
ルーウェをソファに座らせる。ルサルカがすかさず飲み物の支度をした。香草茶だ。安眠に効果のある、林檎のように甘い香草の香りがする。
「ルーウェ。一緒に確認しましょう」
ゆっくりと、ルーウェが目を開けるが、返事はなかった。
アーセールは、ルサルカから受け取った書類をルーウェにも見せた。
『皇太子邸が放火され炎上。
皇帝陛下の崩御の噂があるが、現在まで、皇室からの発表はない。
皇太子の生死は不明。
現在は、第二王子が兵を率いて、王都全体に戒厳が出ている』
「……え、あの……皇太子邸が……っ?」
ルーウェは動揺して、身体が震えていた。目も、焦点が合っていない。
「ルーウェ」
「……まさか、なにかの……」
アーセールは、なんとなく、確信した。おそらく、皇太子邸に火を付けたのは、皇太子本人だ。自身を『生死不明』状態にする為に、邸を焼いたに違いなかった。
(つまり、『時間稼ぎ』だ)
なにか、事態が動いた。そして、皇太子は、時間稼ぎをしなくてはならなくなった。
「ルサルカ。これは? 事実か?」
アーセールは、ルサルカに問う。指は、『皇帝陛下の崩御の噂があるが、現在まで、皇室からの発表はない。』という一文を指している。
「……はい。事実です。おそらくは、そうなのだろうと思います」
「そうか……」
ルーウェの身体が急に傾ぐ。気を失ったようだった。まだ、体温が高い。兄が行方不明、その上、関係性は良くなかったとは雖も、父帝が崩御されたと聞いて、平然としていられるはずもなかった。
「ルーウェ様……本当に、お加減がお悪いのですね。大丈夫でしょうか?」
心配そうに問うルサルカに、アーセールは何も言うことは出来なかった。これは、おそらく、自分が無茶をさせたせいなのだ、とは言いづらい。
「とりあえず、熱に効く薬湯を。それと明日の朝は、滋養が良くて、身体に良いものを揃えてくれ」
「畏まりました……それで、アーセール様は?」
「ここに付いていることにするよ。追い出されそうなことは、しないつもりだ」
「この非常事態に、何を仰せですか……全く……」
といいつつ、ルサルカの緊張した面持ちが、少し和らいだので、言って良かった冗談だったのだろう。
ルーウェを寝台へ横たえて、アーセールは寝台の横に、椅子を持ってきて座った。
身体は、まだ、思わしくないのだろう。
無茶をさせたことが、今、悔やまれて溜まらなかった。本当ならば、ルーウェは、皇太子の行方を追うために動きたかっただろう。
(戒厳令を出したか……)
現在の軍部は、第二王子の派閥と言って良いだろう。元帥と第二王子は、親しいことで有名だったし、アーセールと第二王女の縁談の仲立ちを進めてきた人物でもある。だからこそ、すぐに戒厳令を出すと言うことが可能だったのだ。
(この邸は、絶対に、監視されているはずだ)
現在、『皇太子派』として名前が挙がる貴族の中に、アーセールはいる。
(もし……)
放火が、皇太子の手によるものではなく、第二王子の手によるものだとしたら……。と考えて、アーセールは慌てて否定した。
(いや、殿下は鳩を飛ばしてくださった。おそらくは、まだ無事だ)
そうすると、皇太子の行方が解らず、第二王子のほうが躍起になっている可能性が高い。例えば、皇帝陛下の崩御が本当のことだったとして、皇太子の生死が不明では、自身が皇位に就くことは出来ない。
そういう意味で、第二王子にとって一番都合が悪い状況になっているのだろうと思う。
(情報がない上、何が正しいか、解らない)
軍には、情報収集を専門に行う部隊がいるし、そこが上げてきた情報を分析する部隊もいた。だが、アーセールは、それを今、一人で行わなければならないという状態だ。そして、戦と同じく、判断を間違えれば、ここでアーセールの命数が尽きると言うことだ。
どうすべきか……と思案していた時、ふ、と視線を感じて、アーセールは顔を上げた。ルーウェが、じっと見ていた。
「……如何、なさいましたか?」
ルーウェは、寝台の上で、上体を起こした。
「その後、進展は?」
「いいえ……あなたが気を失っていた時間は、あなたがおもうより、ずっと、短いですよ。それより、熱は大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫です」
しばし、アーセールとルーウェは見つめ合っていた。
お互いに、静かに見つめ合っている。
部屋は静まりかえっていて、その沈黙を、破ることをためらうようだった。瞬きの音まで聞こえそうな静寂を破ったのは、ルーウェだった。
「……こんなことに、巻き込んで済みません」
「えっ?」
「第二王子殿下のご不興を買って、第二王子の派閥から、皇太子殿下の派閥へ乗り換えなければならなかったのですから……私のせいでしょう」
「それは。俺が勝手にやったことですよ。あなたのせいなどでは在りません」
あの時、整えられていた段取りを無視して、ルーウェを選んだのはアーセールだ。
「けれど……」
「ルーウェ。今は、身体を休めてください。ここから先、何が起きるか解りません」
アーセールは、そう言って、ルーウェに休むよう言ってから、部屋をさった。
80
お気に入りに追加
187
あなたにおすすめの小説
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
天使の声と魔女の呪い
狼蝶
BL
長年王家を支えてきたホワイトローズ公爵家の三男、リリー=ホワイトローズは社交界で“氷のプリンセス”と呼ばれており、悪役令息的存在とされていた。それは誰が相手でも口を開かず冷たい視線を向けるだけで、側にはいつも二人の兄が護るように寄り添っていることから付けられた名だった。
ある日、ホワイトローズ家とライバル関係にあるブロッサム家の令嬢、フラウリーゼ=ブロッサムに心寄せる青年、アランがリリーに対し苛立ちながら学園内を歩いていると、偶然リリーが喋る場に遭遇してしまう。
『も、もぉやら・・・・・・』
『っ!!?』
果たして、リリーが隠していた彼の秘密とは――!?
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
空から来ましたが、僕は天使ではありません!
蕾白
BL
早島玲音(はやしま・れね)は神様側のうっかりミスで事故死したことにされてしまった。
お詫びに残った寿命の分異世界で幸せになってね、と言われ転生するも、そこはドラゴン対勇者(?)のバトル最中の戦場で……。
彼を気に入ってサポートしてくれたのはフェルセン魔法伯コンラット。彼は実は不遇の身で祖国を捨てて一念発起する仲間を求めていた。コンラットの押しに負けて同行することにしたものの、コンラットの出自や玲音が神様からのアフターサービスでもらったスキルのせいで、道中は騒動続きに。
彼の幸せ転生ライフは訪れるのか? コメディベースの冒険ファンタジーです。
玲音視点のときは「玲音」表記、コンラット視点のときは「レネ」になってますが同一人物です。
2023/11/25 コンラットからのレネ(玲音)の呼び方にブレがあったので数カ所訂正しました。申し訳ありません。
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始
魔術師の卵は憧れの騎士に告白したい
朏猫(ミカヅキネコ)
BL
魔術学院に通うクーノは小さい頃助けてくれた騎士ザイハムに恋をしている。毎年バレンタインの日にチョコを渡しているものの、ザイハムは「いまだにお礼なんて律儀な子だな」としか思っていない。ザイハムの弟で重度のブラコンでもあるファルスの邪魔を躱しながら、今年は別の想いも胸にチョコを渡そうと考えるクーノだが……。
[名家の騎士×魔術師の卵 / BL]
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる