30 / 53
029 鳩
しおりを挟む翌日、ルーウェは熱を出した。
あの後、浴室だけでは飽き足らず、部屋に戻って明け方近くまで抱き潰したのだから、それは仕方がないとアーセールは思っている。
(まったく、酷い抱き方をしたもんだ……)
自己嫌悪で消えてしまいたくなったが、ルーウェの体調は気になる。使用人に、身支度を頼み、看病を言いつけると、ギッと睨まれた。どう考えても、アーセールが無茶をしたのが悪いのだと非難しているのだろう。
(非難されても仕方がない)
それは認める。このあと、ルーウェが口も利いてくれないことも覚悟している。
ため息を吐きながら、アーセールは、庭へ出ることにした。
庭は、こぢんまりとしている。それでも、四季折々の花々が彩るのだろう。今は少し気の早いライラックが美しい紫色の花を咲かせている。少しだけ、ルーウェの瞳の彩に似ていた。
「見舞いに、花でも持っていくか」
ルーウェは花を愛でるだろうか。特別、愛でているような様子もなかったような気はするが。いや、ルーウェが花を好きかどころか、ルーウェの好きなものなど殆ど知らない。楽器を聞かせてもらう約束も果たしていない。いままでルーウェに寄り添ってきたようなつもりになっていて、その実、なにも、ルーウェに寄り添わなかったし、本当の意味での興味を抱かなかったと言うことだろう。なのに、誘惑に負けてルーウェを抱いてしまった。そして。
(……俺が、第二王子たちと一緒、か)
あれは辛辣な言葉だった。あれ以上に、胸を鋭い刃で貫いていくような言葉はないだろう。
(真実だから、胸に刺さる)
褒賞として得た。金で身柄を買った。そしてルーウェの意思を無視して抱いた。
(最低だ)
どうせ、もうアーセールのことなど必要としないだろう。だが、謝らなければならなかった。
今更、ほんとうは触れたかったと言っても、何もかもが遅いだろう。それだとしても。
どんよりと沈んでいくアーセールの思考は、唐突に途切れた。
白い鳩がかすかな羽音を立てながら、まっすぐとアーセールに向かって飛んで来たからだった。鳩は、そのまま、アーセールに体当たりすると、アーセールの肩に止まる。
「なんだ? 随分人慣れした鳩……」
はた、と気がつく。この鳩には見覚えがあった。
「お前は、……皇室の鳩ではないか」
肩から手に移動させ、足を見ると、銅で出来た足輪を付けている。そこに、通信管が付いている。銅の足輪は、皇太子のものだ。
『アーセール。俺はしばし身を隠す。ルーウェを頼む』
署名はなかったし、いつもよりも雑な口調だった。どういうことだろう、と思いつつ、まずは邸へ戻ることにした。鳩は、このまま皇太子邸に戻るのだろうが、おそらく、そこに皇太子はいない。皇太子がわざわざ身を隠すと言うことは、異変が起きたと言うことだ。
(鳩は、帰巣本能で皇太子邸の鳩舎へ戻る……)
ならば、状況次第で、この鳩には敵方に偽情報を掴ませることが出来るかもしれない。
(ルーウェに……)
いま、高熱で寝込んでいるはずのルーウェに負担を掛けることになるが、一大事だ。アーセールは、使用人に命じて町の様子を見てくるように言おうと思ったが、止めた。この中に誰の手のものが入り込んでいるかは解らない。
(一度、邸へ戻るか……)
ルーウェが高熱を出した。ここでは治療に不安がある。王都の医師に診せたい。これで、なんとか、理由は出来るだろう。新婚で頭の中が春になっている、馬鹿な夫ならば、それくらいの無理はする。ならば、今はすぐに戻った方がいい。
アーセールは鳩を懐に隠して邸へ戻った。軍用の伝書鳩は、狭いところに閉じ込めて運ばれることに慣れている。懐に入れても問題はない。
「馬車の支度をしてくれ、それと邸への連絡を入れてくれ。……やはり、ここでの治療には不安がある」
邸に入るなり、アーセールは大声で使用人に命じる。
「えっ? ……今からですか? ルーウェ様は、ご案じなさらずとも……」
「お前たちは、俺のせいにしているが、もし、それで。ルーウェが大変な病気だったらどうするつもりなんだ? ……いままで、ルーウェがこんな風に高熱を出したことはなかった。一刻も早く王都へ帰って、医師に診せなくては……。すぐに支度をしてくれっ!」
アーセールの命令を、迷惑そうにして聞いてい使用人たちだったがやがて諦めて「かしこまりました」と受け、慌ただしく支度の為に動きはじめる。
アーセールは急いでルーウェの所へ向かう。看病に付いていた侍女を下がらせて、「ルーウェ」と呼びかけると、熱に潤んだ眼差しが、アーセールを見やった。昨夜の熱を想い出して、身体の奥が熱くなる。まだ、肌の記憶は鮮明で、ルーウェを抱いた時の感触は残っている。今すぐに味わいたい衝動を殺して、ルーウェの耳元に囁いた。
「変事です。詳細はわかりませんが、皇太子殿下より鳩が参りました」
「えっ?」
うるんで、とろんとしていたルーウェの眼差しが、急に覚醒したようだった。
「……今から、早急に王都へ戻ります。表向きは、あなたの調子が悪く、私が心配でたまらないから、王都の医師に診せると言うことにしました」
「それで……」
「……ここには誰の目や耳があるか解りません。馬車の中でお話しします」
「わか……りました……」
ルーウェの声は掠れている。
「……それと、昨夜は、本当にすみませんでした」
それだけ告げて、アーセールは、すぐに帰宅の支度に取りかかった。
80
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説
優しく暖かなその声は(幽閉王子は最強皇子に包まれる・番外編)
皇洵璃音
BL
「幽閉王子は最強皇子に包まれる」の番外編。レイナード皇子視点。ある日病気で倒れたレイナードは、愛しいアレクセイに優しくされながら傍にいてほしいとお願いしてみると……?
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
貧乏大学生がエリート商社マンに叶わぬ恋をしていたら、玉砕どころか溺愛された話
タタミ
BL
貧乏苦学生の巡は、同じシェアハウスに住むエリート商社マンの千明に片想いをしている。
叶わぬ恋だと思っていたが、千明にデートに誘われたことで、関係性が一変して……?
エリート商社マンに溺愛される初心な大学生の物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる