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028 浴室にて
しおりを挟む初めて触れた唇は、味覚がおかしくなったのかと思うほど、甘かった。
「……っ……ルーウェっ!?」
慌てて身を離したとき、ルーウェはアーセールを睨み付けていた。美しいラベンダー色の瞳の奥に、炎が爛々と燃えているようだった。
「あなたは、籠に閉じ込めて慈しむ鳥か、人形か……そんなものを求めて私を娶《めと》ったんですか?」
声がいつになく固い。
「……そんなつもりは」
なかった、と言う前に、ルーウェが冷笑して言葉を遮る。
「でしょうね。『そんなつもり』はないのでしょう? でも、いましていることは、そういうことです。私の意思や私が何を考えているか、そんなことはどうでも良いんでしょう?」
「だから……そういうことではないと……」
アーセールは、なんと言って良いのか、解らずに戸惑う。ルーウェの気持ちは汲みたい。傷つけたくないから、汲んでいるつもりだった。けれど、ルーウェとは食い違っている。絶望的なほどに。
頭の中で、町の男の言葉が駆け巡っていく。
『そのままにしておくと、取り返しがつかなくなるからね?』
いまが、その瞬間なのではないか。もう、取り返しは付かないのではないか。ルーウェは自身の私財を持った。ならば、アーセールの庇護を受けている理由はない。
「……あなたは、何度言っても、解ってくれない」
「そんな、ことはありません。ただ、俺は……あなたを傷つけたくなくて。それだけで」
「いいえ。私は、あなたのその態度に傷つきました。……私の意思を無視して、私を愛でているだけならば……第二王子たちと、していることは変わらない! いいえ、あの時は、私はあの人たちに必要とされたくて必死だった。あの時より、今のほうが、私は……」
それ以上、言葉を聞きたくなくて、無理矢理唇を塞ぐ。
先ほどは、甘かった口づけが、今は、ひたすらに苦々しい。乱暴に口づけて、離れたとき、ルーウェは冷笑を浮かべていた。嫌な表情だった。
「俺が、あの、第二王子と……同じだと……?」
頭の中が、真っ白になって、何を口走っているのかもアーセールはよく解らなくなっていた。
「そうでしょう? あなたは……」
次はどんな非難を聞かせるつもりなのか。聞きたくなくて無理矢理唇を塞ぐ。うすい湯着越しに、ルーウェの身体を感じた。華奢な身体だった。アーセールがたやすく組み敷くことが出来るほどに。アーセールは、互いの欲望が、存在を主張しているのに気がついた。
無言でルーウェのそこに手を伸ばす。すでに十分な硬度があった。それを、ぐい、と握りしめると華奢な身体が弓なりに反り返る。
「っ……」
何人もの男たちが、ここを。この身体をほしいままにしてきたのだ。そのことを、アーセールは頭の片隅の冷えた部分で考えていた。仮に、ルーウェに触れる日が来たとしても、それは、こんな形ではなかったはずだ。もっと、この行為は、幸せなものになるはずだった。
「は……」
欲望を手で扱うと、小さくルーウェがあえぐ。その眼差しが、とろんと快楽に溺れていく。その、慣れた様子に、アーセールはことさら残酷な気持ちになった。気持ちが離れ、そして、アーセールから離れていくのだとしたら、ルーウェの人生に、ほんの少しの傷の形でも、自分の存在を残したかった。
「……あなたこそ。俺じゃなくても良いクセに」
ルーウェが息を飲むのが解った。言ってはいけない言葉なのは、理解している。けれど、止まらなかった。
「っ……」
ルーウェの白い顔が、羞恥に赤く染まっている。色づき始めた薔薇のような、美しい色合いだった。
「あなたの望み通りしてあげますよ」
ルーウェが、唇を引き締める。眼差しが濡れているのには気がついたが、気づかないふりをした。
そのまま、湯着を剥ぎ取る。身体中に酷い傷が残っていた。そこを、そっと指で撫でると、びくっとルーウェの身体が跳ねる。おびえのような表情を浮かべているのは解った。
(今更……)
怖がっても、止めるつもりはなくなっていた。
湯気のせいで、朧気な印象になっているが、灯りは付いていて、よく見える。身体中に残った傷跡は無残だったが……。
(俺が触れるより前に、この人の身体を、好き勝手にした痕跡だ……)
そう思えば、苛立ちばかりが増えていく。
「どうされるのか、好みとか、そういうのは在るんですか?」
アーセールの問いに、ルーウェは答えなかった。素直に教えてくれなくても、それは構わなかった。自分から煽るようなことを言ったくせに、会話には応じる気持ちはないのだろう。
「あなたは……俺をどう思っていたんですかね」
ラベンダー色の瞳が、アーセールを見る。続きを促しているようだった。
けれど、アーセールも別に、答えはいらなかった。
この身体を抱くのも、多分、最初で最後のことだろう。しばらく逗留する予定だったから、無理をさせても構わなかった。首筋に口づけして、きつく吸い上げる。うつくしい真紅の花びらが散った。
首筋への刺激は嫌だったのか、良かったのか分からないが、ルーウェが小さく身を固くする。それを見て、何度も首筋に口づけ、舌先で愛で、歯を立てて噛んだ。
「っ……っ」
耐えるような様子のルーウェが、縋り付くような眼差しをして見つめてくる。けれど、構わず、まだ首に痕跡を残すことに没頭した。身体は、抵抗を奪うように、床に押しつけている。体格で勝るアーセールを、ルーウェが押しのけることは出来ないだろう。
首と顔。唇に口づけながら、身体中をまさぐる。滑らかな肌だった。一度香油で手入れをしているからか、しっとりとしていて、手に吸い付いてくるようで、その感触にうっとりとした。
欲望は、感じていた。
この身体は、抱きたかった。
首筋から、鎖骨に唇が降りる。跳ね上がった顎の先にも、口づけを落とす。可愛い、と思った。気持ちは理屈ではなかった。鎖骨から、胸に移動して、鴇色に色づいている頂きを、そっと口に含む。
「っ……っ!」
いやいやをするように、ルーウェが首をふる。舌先で転がして行くと、固く張り詰めていき、ルーウェの息づかいも荒くなって、時折呼気が尖っていた。必死に声を殺しているのか、手の甲で口元を覆い隠している。その姿も、妙に妖艶だった。
夢中で舐めあげていくと、次第に堪えられなくなってきたのか、甘い声を漏らすようになった。腰が、甘く、妖しく震える。
(俺のものだ……)
明日は解らない。この瞬間だけは、自分のものだ、とアーセールは思う。最初は、手ひどく抱こうかとも思ったが、ルーウェの体温を感じて、彼の肌を味わっていると、次第に、愛おしさばかりがこみ上げてきた。
「あっ……?」
熱に浮かされたような顔で、ルーウェがアーセールを見やる。体重を掛けて無理に押さえつけていたのを、止めたのだった。アーセールは、何も言わない。ただ、ルーウェに一度深く口づけてから、奥へと手を伸ばす。肌の手入れをするのに、香油があるのを想い出し、それを奥へと塗り込める。
アーセールの指をたやすく受け入れたが、酷い圧迫感はあった。しばらく、人に触れさせていないのは知っている。アーセールが触れなかったからだ。堪えきれずに、ルーウェがあえぐ。その声が浴室中に甘く反響していた。
「……アーセール……」
小さな声で、名前を呼ばれた。
「ん?」
返事をすると、ルーウェが中に細い腕をさまよわせて、アーセールの首を引き寄せる。快楽に溺れながら、ルーウェは泣いているようにも見えた。今更謝っても仕方がないだろうが、小さく、謝罪の意味を込めて額に口づける。
後ろは、まだきついだろうが、もう我慢が出来なかった。そして、アーセールは性急に、ルーウェに腰を進めた。いっそう、ルーウェがアーセールにしがみついてくる。なにか、ルーウェが言っているようにも思えたが、アーセールは、解らなかった。
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