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024 来訪者
しおりを挟むルーウェを怒らせてしまったことを深く後悔しつつ、とりあえず身支度を調える。部屋にもなんとなく居づらくて、居間へ向かった。
「おや、アーセール様、如何なさいましたか?」
使用人に不審がられたので「客人がいつ来るか、気が気じゃなくて」とだけ言い訳をしたら、すんなり信じて貰えた。
「そうですね。我々も、どのくらいの時間においでになるか解れば、支度が出来るのですが」
「まあ、内々においでになる方だから、普段通りにして貰えば問題はないだろう」
「だと良いのですが……なにかワケアリの方なのかと思いまして。このような場所で、わざわざ密会なさるのですから、まさか」
と使用人は、目を細めた。
「……アーセール様の、浮気相手などではないでしょうね?」
「どういう、勘違いを……。ルーウェも、その方のことは知っている。というか、俺よりも、ルーウェのほうが親しい方だ」
呆れてしまうが、家の中で、アーセールとルーウェはどんな関係性で見られているか、なんとなく透けて見える。
なりゆきで結婚してしまったから、特に、伴侶らしいやりとりはない。だから、別に恋人を作ると思われるのだろう。
「少なくとも、俺は、そんな人間ではないんだ。……今までだって、同時に何人もの人と付き合うということは出来なかった。一人にしか目が行かない性格なんだよ」
だから、ルーウェに引き寄せられていて、今はルーウェにしか目が向かない。けれど、なにかが、掛け違う。アーセールが大切にしたい気持ちと、ルーウェの気持ちが、食い違う。
「さようでございますか。それはようございますが……お待ちの間、何かお持ち致しましょうか?」
「ああ……」
アーセールは、しばし考えてから、
「では、軽い飲み物。果実酒を割った物で良い。それと、少しつまめるようなものが欲しいかな。ちょっと、小腹が空いた」
「畏まりました。それでは、お持ち致しますので少々お待ちくださいませ」
使用人が去って行く。あの使用人は、このレルクトの邸に先行して来てもらっていた、アーセール邸の者だ。なので、アーセールの好みは熟知しているし、ルーウェのことも良く知っている。ルサルカを連れてくれば良かったのだが、万が一のことを考えて、ルサルカに邸を任せていた。
程なく、甘いさくらんぼをつけ込んだ果実酒と、小さなカナッペが幾つか用意された。急なことだったので、作り置きしていただろうリエットだったが、つまみとしては最適だろう。客に会う前に、酒を飲んでいるのもどうかと思ったが、アーセールにとって、この程度は、酒のうちに入らない。
さくらんぼの酒は、甘酸っぱくて華やかな風味だった。満開の桜の下ならばこんな華やかな香りがするだろうか。
桜は、王都ではあまり咲かないが、地方に有名な都市がある。天一面を覆い尽くすような、美しい桜の光景を一度だけ、見たことがある。
(ルーウェと一緒に見たいな……)
桜の下だけではなく、美しい光景は全部、ルーウェと一緒に見たい。そうやって、楽しい思い出を沢山作っていきたい。大切に思っているのに、どうして、喧嘩になってしまったのか。いや、喧嘩にもなっていないだろう。
酒場の男たちに言われた言葉が、ぐるぐると頭の中を回っている。
『あんた、ちゃんと奥さんと話はしてるんだろうね? あんなに美人な奥さんを悲しませたらいけないからね?』
ルーウェは悲しんでいるだろうか。
側に居るのに、ルーウェが何を考えているのか、よく解らなくなっている。打ち解けてくれたのか、そうでないのか、それも解らない。信用や信頼は寄せてくれていると思う。けれど、それも、揺らぎそうだった。
「なんでかな……」
うまく行かない。
「……なにか、悩み事かな、将軍」
急に、濃密な薫りが漂う。乳香に没薬、薔薇に龍涎香の薫りがする。アーセールには想像もつかないような、高価で特別な香水だろう。
「えっ?」
声を掛けられて、とっさに振り返ると、そこには、いつもより大分軽装の皇太子が立っていた。家人の案内はない。控えていた使用人も驚いている。
「……すまんな。ちょっと忍びこんできた。ここには、隠し通路が在るんだ。あとで教える。まだ健在かどうか、確かめたかったんだ」
隠し通路を確かめておきたい、というのは何かの備えだ。アーセールは、肌がピリッと引き締まるような気分になった。久しぶりの感覚だった。戦場で、気が張っているときは、大抵、この感覚を味わう。感覚が研ぎ澄まされる感じがある。
「ルーウェは、いま、湯浴みをしているはずですが」
「まずは、少し、雑談がしたいね……。アーセール、第二王子からの縁談を断ってくれたことを、心から感謝する。まあ、そんなことで、あなたが、私の側に付いたとは思わないけど、いざとなれば、味方をして貰える口約束だけでもあると、私としてはありがたいかな」
確信めいた本題を皇太子はぶつけてきた。どこまで、どういう駆け引きか解らずに、アーセールは返答も出来ない。ここでの返答が、どう、運命を分かつのか、見えないからだ。
「なにか……戦でも始まりそうな雰囲気ですね」
はぐらかすように、アーセールは言って果実酒を傾けようとすると、すっと皇太子にグラスを取られた。そのまま、皇太子は、グラスを傾けて、カナッペに手を伸ばす。
毒殺を警戒して、他家で食事を採らない―――というルーウェの言葉と照合すると、これは、皇太子がアーセールを信用しているということを表現しているのだろう。
「……具体的に、何をさせたいのです」
「いや、とりあえず、あちらに付かないと口約束があるだけで、私はかなり心強いよ」
「そのことですが、私は、あちらに付くことは絶対にありません。ルーウェを、二度と、第二王子に会わせたくはない。立場が立場でなければ、積極的な復讐を考えていたと思います」
「はは、そうしてくれたら、私は楽だったな……。ともあれ、君が、アレとおなじようにルーウェを扱っていないというのだけでも、兄としてはありがたい」
つまり、性的な奉仕者としての扱いをしていないということだ。
「あなたは、どれくらい事態をご存じで、なぜ、助けの手を差し伸べなかったのです」
今の口振りでは、殆どのことを、皇太子は知っていたと言うことになるだろう。だが、助けの手は差し伸べなかった。
「そこだけは許してくれ。私も、自分の身を守るだけで手一杯だった」
そう言われては、反論出来ない。自分の命を引き換えてでも、ルーウェを守って欲しかった―――などとは、言うことは出来ない。
(俺なら、そうするが……)
皇太子には、立場もある。軽々しく動けない。
「ただ……、私は、ルーウェと関わったもののリストだけは手に入れたい。しかるべき時に、何かの理由を付けて、処分をしたい。それくらいの復讐は許されるだろう。……アーセール。ここだけは、私とそなたは、利が一致するのではないかな」
皇太子が、艶然と笑う。答えは、一つしか用意されていなかった。
「……畏まりました。それを、俺に約束して下さるのでしたら、俺は、あなたにつきます」
「助かった。……では、誓約を交わそうか」
誓約、と聞いてアーセールは少し退け腰になる。『口約束』と言ったばかりのはずだ。勿論、ルーウェを守ると言うことに関しては、一致しているが。
ためらっているルーウェの前で、皇太子は懐から短刀を取り出した。銀色の、美しい短刀だった。鋭い刃先を、指先に当てる。す、と引くと赤い線が走り、そこに、ぷっくりと小さな赤い宝玉のような血液が溢れてくる。それを、アーセールの目の前に差し出した。アーセールは、少々ためらいながら、その指先を口に含む。鉄の味が、口いっぱいに広がった。
次は、アーセールの番だった。同じように、皇太子から短刀を借りて指先を傷つける。そして、血液のあふれ出した指先を、皇太子の口元へ持っていく。皇太子が、指を口に含む。存外、柔らかい唇の感触がした。それから、ぺろり、と傷口である指先を舐められた。
「っ……ちょっ……殿下っ!」
「ははは、ルーウェが見たら、妬くかな?」
「……やましいことはないでしょう。ルーウェにも言っておきます」
「いや、止めておきなさい……。自分の顧客リストを取り戻すために、私と密約を交わしたなどとそんなことは、知らなくて良い事だ」
そう言われれば、そんな気がしたので「まあ、そうですね」とだけ受けて、アーセールは黙った。
「ところで、我が義弟殿は、なぜこんなところで一人で酒を傾けていたのかな? ルーウェと一緒に、浴場にいると思ったのに」
興味津々という、好奇心に輝く目で見つめられ、アーセールは「うっ」と応えに詰まった。
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