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020 新婚旅行
しおりを挟むアーセールは眠れない夜を過ごしたが、翌朝からは、旅行の支度で忙しくなったおかげで、余計なことは考えずに、済んだ。
それでも夜は一緒に過ごすのだが、あの瞬間に感じたような、強烈な熱は感じずに済んだことで、多少、胸をなで下ろしていた。しかし、次、また、ああいう強い衝動を感じたとき、自制出来るか、アーセールは自信がない。
(俺の匂いとか……、そんなことを仰るから……)
あの無邪気な言葉を想い出すと、欲望にまけて、ルーウェに触れたくなってしまう。ルーウェは、それを望んでいるようなことを言っていたが、やはり、アーセールのほうが踏ん切りが付かない。
ルーウェに対してどうしたいのか、自分の気持ちも解らないままに、アーセールとルーウェは『新婚旅行』に出かけることになってしまったのだった。
ルーウェは黒駒と仲良くなったので、黒駒を駆ることにしていた。アーセールの愛馬は栗毛だ。馬への負担も考えて、荷物は最小限にしたが、レルクトの邸のほうには、先回りして使用人たちが行っており、万端に支度を調えてくれるとのことだった。
完全に二人きりではないと言うことに多少の落胆はあるが、食事や掃除の心配をしなくてすむのはありがたい。逗留は、まずは五日ということになった。
「レルクトまでの間、このあたりで、一度、宿を求めましょう。今の時期ならば、宿に困ることはないと思います」
地図を確認しながら、アーセールはルーウェに同意を取る。
「小さな町があるのですね」
「ええ。……このあたりは、街道近くですので、なかなか栄えているようですよ。大抵、酒場と宿が一緒になっています」
男二人の軽い旅なので、そういう宿で問題ないだろう。アーセールは、腕っぷしには自信があるので、仮に、破落戸に絡まれたとしても、追い払うことは出来る。
「初めてです。こういう、旅に出るのも……」
「今回の旅で、馬は、もう良いという場合は、次からは馬車にしましょう。一応、帰りは馬車を用意させています。結構、大変ですよ。何日も馬を走らせるのは」
「そうですよね、馬も疲れますよね」
「それもありますけど、お尻が痛くなります」
「えっ? そうなんですか?」
「ええ、……大分、お尻に来ますね」
もし、辛くなったなら、家のものたちを呼んで、馬は家へ帰せば良いと思っている。その場合は、馬車での移動になるのだろうが、アーセールとしては、線の細い印象のあるルーウェに無理をさせないために、様々な対策を練っていた。
「……あなたは、やっぱり、すごく過保護です」
「過保護、ですかね?」
アーセールは、自身が軍人であるし、体力に自信があるが、ルーウェはずっと城から一步も出ないような生活をしていたはずだ。なので、どうしても、身を案じてしまうのは仕方がない。それに、おそらく単純にルーウェを甘やかしたい気持ちがあるのだ。
「過保護です。私は、そこまで弱くはないのに」
「そうかもしれませんが、過信は禁物ですよ。備えはしておいたほうがいいのです」
そこは頑として引かないアーセールを見て、ルーウェが「それはそうですが」と不満げな顔をしつつ、結局、折れた。
馬を走らせるのは、心地よい。
馬と呼吸を合わせるようにして、律動をつくる。大地を蹴るのに合わせて動く。重力を捕らえて、馬と一緒に地面を蹴る―――ようなイメージだ。馬と一体になって、風を切って行く。いつもよりも高い位置で見える世界も気に入っている。
しばらく行って、馬を休ませるために、途中で見つけた池に立ち寄った。食事の頃合いでもあったので、自邸の料理人が持たせてくれた軽食を食べることにする。
アーセールは慣れているが、ルーウェは屋外で、食事を摂るのは初めてだろう。朝一番に焼き上げられた丸くて大きな黒パンに、塩漬けの鶏肉を薄切りにしたものをたんまり挟み込んだものに、青いベリーのソースと細切りにした人参のサラダが仕込んである。
「美味しい」
「近所の外まわりの用事のときには、大抵これをつくってもらっているんだ」
ルーウェはまじまじとパンを眺めながら、大きな口をあけて食べている。とはいえ、ルーウェの一口とアーセールの一口はだいぶ異なる。
「気に入ったなら良かった。……馬に乗らなきゃ、ついでに酒でも飲むんだが」
「でも、馬で来てよかったです。近所の池に行くだけだと、この子は運動が足りないみたいです。すごく嬉しそう」
ルーウェが顔を輝かせながらいう。明るい陽の光を浴びて闊達に笑うルーウェは、年齢よりも幼く見える。
今日は旅装なので、月の光を紡いで作り上げたように美しくて長い銀髪は、三つ編みにして背に流している。そのせいもあって、雰囲気が異なるのだろう。
「その子は特に長距離が得意なんですよ。体力があって気性がとても荒いので」
「あなたはいつも、この子を気性が粗いと言うんですけど、いつも優しくていい子ですよ?」
面食いなんだ、とはアーセールは言わなかった。
「じゃあ、相性がいいんだろうな」
ごろんと草の上に寝転ぶ。少し躊躇があったようだがルーウェも隣に寝転がった。
「初めて、こんなことをしました」
「あなたは野宿なんて、なさらないでしょうしね」
「……土の匂いとか、草の匂いとかを感じます」
匂い、と言われて、アーセールは先日の夜のことを思い出した。あの時、無邪気に言ったのだ。アーセールの寝台の上で、ここは、安心できると。アーセールの匂いがすると。
不埒な気持ちが頭をもたげる前に、アーセールは上体を起こした。
「そろそろ行きましょう。予定している町まで、もう少し走らなければなりませんから。今の季節は、少し日が落ちるのが早いので」
「そうですね」
同意して、ルーウェも立ち上がる。黒駒の顔を撫で「もう少し走ろうね」とルーウェが声を掛けるのを見つつ、アーセールも、栗毛に「頼むぞ」と小さく声を掛けた。
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