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011 毎朝の、密かな楽しみ
しおりを挟む柔《やわ》く暖かな感触。どれほど甘えていても、それを受け入れてくれる力強い腕。その腕に抱かれて眠ることにルーウェはすっかり慣れてしまった。けれど、漠然とした不安がある。
優しく抱きしめてくれる。けれど、アーセールは、口づけさえ求めたことはない。
なんとなく、家の中で探りを入れていたら、戦場などでは男性を相手にしていたこともあるという話は聞いた。だから、男性相手でも、性的な欲求を満たすために、閨ごとになることはあるはずだった。
(だけど、アーセールは、私に触れようとしない)
気を遣っているのはわかる。或いは、どう接して良いのか解らないのかも知れない。真綿に来るんで慈しんでくれるような、柔い柔い愛され方をしているが、それは……『伴侶』に対するそれではなくて、友情や、犬か猫にするような物のような……。
夜が明ける前。
アーセールが起きるよりもほんの少し早く起きて、彼の寝顔を見るのが、ルーウェのささやかな楽しみになっていた。精悍な顔立ち。眉も瞳も、くっきりして男らしい。身体のあちこちに、深く浅く、様々な傷跡がある。どれもが名誉の負傷だ。それに、少し触れる。鎖骨の所にある傷に、そっと唇を寄せる。みみず腫れになった傷跡は、一生癒えることがないのだろう。首の、大きな血管に近いところの傷だから、命に関わる傷だったのかも知れない。
お伽噺に出てくる乙女ならば、キスで傷を癒やすのだろうが、ルーウェは、お伽噺の乙女ではない。アーセールは、こうしてキスをされていることを、気づいていないだろう。不埒な、毎朝の、密かな楽しみ。
(……あなたは、どういうつもりで、私を、迎え入れたのか……)
本心が知りたい。
夢物語だとは思っているが、ルーウェも覚えていない、薔薇園での稚いやりとりをしたときから、ずっと、恋していたと言って欲しい。
そろそろ、アーセールが起き出す時間だ。ルーウェは、彼の胸に、猫のように頭をすり寄せて、そのまま、寝たふりをした。ほどなくして、彼が起きる気配がする。そして、彼は、毎朝、ルーウェの髪を優しく指で梳いてくれる。アーセールが、与えてくれるのは、たったこれだけの接触だ。ルーウェは、それが、物足りない。
(毎日、一緒に休んでいるのに)
アーセールは、特に、何も、する気配がない。
それが、最近、無性に、苦しくなる。役割がない。所在がない。ここに居て良いのか、それが怖い。追い出されたら、どうしようと思っている。不安で、溜まらなくて、アーセールの逞しい身体にぎゅっと抱きついた。
「……ルーウェ?」
「おはようございます……。ちょっと、怖い夢を見て」
露骨に、心配そうな顔をして、アーセールはルーウェの背を撫でる。
「魔除けでも、用意しましょうか」
「効くんですか?」
「……気の持ちよう? というところでしょうかね。効くかどうかは解りません。俺には、必要が無かったので」
「アーセールは、悪夢をご覧にならなかった?」
「悪夢は見ましたよ。……でも、それは現実の続きのようなものでしたから。俺は、目をそらさずに見なければならなかったんです」
戦に関係することだろうか。
命じられて、他人の命を奪うために前線へ行く―――それを思えば、我が身の不幸など、たいしたことはない。ルーウェは、そう思う。
「ルーウェ」
眉根を寄せて、アーセールが、苦々しく言う。
「あなたが、二度と、悪夢を見ないようになればいい……。俺は、心から、そう思います」
「私も、あなたが悪夢を見なければいいと思います。一緒ですね」
そう言って笑ったのに、アーセールは、痛そうな顔をしていた。なにか、言いたげに、口が動いたが、きりっと真一文字に引き締まった。
結婚の披露の宴。
その為に、様々、やることはあった。衣装合わせだけでも三着も用意しなければならなくて、仮縫いやらなにやらで打ち合わせが多いこともあり、気疲れしてしまう。輿入れしてきた日から、一月半ほど経過しているが、支度が多く、まだ宴が開催出来ていない。
第二王子、第三王子が来賓として来る、そのことを考えると、呼気が上がって、心臓が酷く早鐘を打つ。息が、うまく出来ない状態になるが、アーセールが、
「あのものたちを、あなたの側に寄せることはありません。あなたが一人になることがないように、細心の注意を払います。ですから、どうぞ、私を信じてください。必ず、あなたを、私が守ります」
と言ってくれたので、かなり気分が楽になっていた。
第二王子と第三王子……二人の『兄』から、見捨てられるのが怖くて、どんなことでも言うことを聞いた。あの二人に、身も心も支配されているような状態だったのだ。だから、もう一度、あの二人の前に立つのが、怖い。けれど、アーセールは、守る、と言ってくれた。それだけで、大分、気持ちが落ち着いてきた。
そして、宴の支度で忙しい、アーセールの側近、ルサルカに、何かやることはないかと聞いてみた。
「なんでも、良いんです。下働きのようなものでも、何でも。なにか、お役に立つことがあれば、お申し付けください」
けれど、ルサルカからは、「あなたに下働きなどさせることが出来るはずがありません。あなたは、この家の、主人なのですから、軽々しく下働きなど仰せ下さいますな」と固い声で言われてしまった。
何でもいい。この家で、すべきことが欲しかった。
(本当は、ちゃんとしたアーセールの……『伴侶』が良いけど……)
それは、望めないことなのだろう、と諦めている。
アーセールは優しい。けれど、ルーウェに踏み込んでは来ない。
(これ以上は、きっと、贅沢)
食事にも事欠かない。一緒に、閨で抱きしめて寝てくれる。性的な奉仕を強要されることもない。それ以上望むのは、贅沢だ。
そう、言い聞かせているのに、ルーウェは、アーセールに、とろけるような笑顔を向けて欲しい、とそう、思っていた。
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