純情将軍は第八王子を所望します

七瀬京

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009 『薔薇園で』

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 閨へ入り、内側から鍵を掛けた。

 寝台の端に座らせて、迷ったが、そのまま、何も言わず、ルーウェの身体を抱きしめることにした。戻ってきて欲しい。そう、懸命に、願う。

 部屋は、夕焼けの強いオレンジ色に染め上げられ、それが、やがて、彩《いろ》を失って、月の光の淡い青みを帯びた、銀色の冴え冴えとした色に彩られる。

 その間、アーセールは、ただ、ルーウェの身体を抱きしめて、背を撫でていた。震えは、いつの間にか止まっていたが、ルーウェが口を開く気配はなかった。だが、それでも良かった。アーセールは、無力感を味わっていた。噂について、何も知らない。そして、知ろうとしなかった。それが、今、こうして、ルーウェに負担を強いた。

 それが、歯がゆくて、自分が許せなくなるほど悔しかった。

「……アーセール」

 弱々しい声が聞こえる。

「どうしました?」

 なんでもないように、返す。それだけが、アーセールに出来ることだった。

「すみません、取り乱しました。二度と……、会うことはないと思っていたので、本当に、ごめんなさい」

 ごめんなさい、と言う言葉をルーウェに紡がせたのが、腹立たしくなった。

「ルーウェ」

「はい?」

 ルーウェの肩が、びくっと震えるのが解った。怯えた。怯えられた。その事実に、アーセールは、絶望に似た暗い気持ちになった。

「俺は、腹立たしい」

「ご……っ」

 ごめんなさい、という言葉を紡ごうとしたルーウェの口を、アーセールは手で、塞いだ。

「んぐっ……っ」

「謝らないでください。これは、俺が悪かった。あなたの、過去を、ちゃんと、知ろうとしなかった。知っていたら、あのリストは、あなたの目には触れさせなかった。
 あの方々は……あなたの、過去に関わる方なのですね」

 ルーウェが、アーセールを見上げた。大粒の涙が、こぼれ落ちた。

「すみま……ごめんな……」

「謝らないでください。あの人たちが、あなたを……、好きなようにしたのでしょう」

 ルーウェの白い肌が、羞恥に、赤く染まった。縋り付くように、アーセールの腕を掴んで、俯く。

「……すみません。この形になってしまうと、皇帝陛下が直々にお連れになるともなると、お断りすることは難しいのです。ただ、これだけはお約束します。あなたには、他の誰も指一本も触れさせません」

 ルーウェの薄い唇が、ぱくぱくと動いている。なにか、言いたいようだというのは解った。だが、言葉にならないのだろう。アーセールも無理に聞くつもりはなかった。やがて紡がれたのは、おそらく別の言葉だ。

「ありがとうございます。その言葉だけでも、心強い……」

「ええ。あなたに指一本触れるものがあれば、この国には、姦通の罪がありますからね。それに乗っ取って、必ず手を落とします」

 妻を奪われそうになった夫には、その者の手首を落とす権利があるというのは、古代の法律だ。忘れ去られた法律だが、まだ、その法律は生きている。

「……姦通をした妻を石でぶつのではなく?」

「あなたが、ご自身の意思でしたなら、そうなるでしょうが……けれど、その際は、俺達の間に、伴侶と呼べるような行いはなにもなかったと、俺が証言するだけで済むでしょう」

 ルーウェが、何か、言いたそうに唇を動かしたが、すぐに真一文字に結ばれる。

「ルーウェ?」

「あなたは、それで良いんですか?」

「えっ?」

「……ずっと、……」

 小さく呟いてから、ルーウェは「済みません、私のことは話して置いた方が良いですね」と微苦笑して、そのまま、アーセールの返事も聞かずに言葉を続けた。

「私は、『薔薇園で』という言葉を合い言葉に、……男たちに、身を委ねていました。最初に、これを私に仕込んだのは、第二王子と第三王子。つまり、私の、異母兄です。手ほどきも、彼らが。……私は、兄上に気に入られたくて必死でした。そのあとは、宰相の子息も加わって……あとは、何人を相手にしてきたか解らない。刃物で傷を付けられたり、何人もの男に輪姦されたり、鞭で打たれたり縛られたり……そういう、ことをしていたんです」

 アーセールは、返事をすることが出来なかった。薄々、内容については察していたが、人を使って調べることもしたくなかったし、聞くことも出来なかった。改めて聞くと、惨いことが行われていたと言うことに、胸の痛みよりも腹立たしさを感じる。

「私は、そういうことをしてきた、薄汚いものです。また、あの第二王子たちに……、会うと思ったら……、なにか、命じられたら、どうしようかと、そればかり、考えて……」

 第二王子の派閥につかなくて良かった、とアーセールは心から思った。こんな、非道な行いをする者に、王位を継がせてはならない。

「……第二王子と第三王子が、あなたを、他のものたちにも、抱かせていたと?」

「それを見て嗤っていましたが……、本当の目的は違うと思います」

「目的……」

「ええ。おそらく、私を抱いた男たちのリストがあるのでしょう。そのものたちを、この件で脅すことは出来るのではないでしょうか。身分だけで言えば、私は、そういうことが許される立場の人間ではないはずですので」

 痛々しい言葉に、胸が苦しくなる。だが、これを告げているルーウェのほうは、もっと、辛いはずだ、とアーセールは唇を噛みしめた。

「ルーウェ」

「……怖いんです」

 身体が震えている。ここへ来たときより、いくらか、肉も付いたように思えるが、それでも、華奢な身体だった。怯えるルーウェの為に、一体、何が出来るのか、アーセールは解らない。ただ。

「お願いですから、もう、汚れているなどと、仰らないでください。いえ……あなたは、美しいのです。あなたに救って貰った人が沢山居るのを知っています……」

「アーセール……あなたが優しいのは、私も知っている。すべての薔薇を片付けたでしょう? それに、私に触れようともしない。いつも、私に気を遣ってばかり居る。でも、あなたの優しさが、私には、苦しいときもある」

 ルーウェが、アーセールの腕からするりと抜け出した。

(触れる……)

 アーセールは、そうして良いのか、今は、よく解らなかった。今、一緒に眠る以外は、仲の良い友人のように過ごしている。それでも、良いような気がしていたのだ。このまま、ルーウェが傷つくことがなければ。

 けれど、ルーウェはおそらく、そのことにも傷ついている。

 
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