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しおりを挟む仕事に戻ると、東久世から「さっきはありがとう」というメッセージとともにチャットが入っていた。
『ね、清浦くん、黒田くんが、なんか挙動不審なんだけど、なにか知ってる?』
彼方は視線の端で大樹の様子を探る。
真正面を向いて一心不乱にパソコンに向かっていたと思いきや、急に机に突っ伏したりしている。
『あー……なんですかね』
『ああ、清浦くんなら知ってると思った』
『えー? なんでですか?』
『だって、仲が良いでしょ?』
『そうですかね……』
『そうそう。黒田くんが中途で入ってきて、最初に清浦くんと仲良くなったんじゃなかったかな。ふたりで、ご飯食べに行ってるっていう話しも聞いたし、仲が良いんだと思ったけど』
知られていたとは思わなかった。上司は、怖い。それに、周りの人たちの目が怖い。食事に行ったことはあるが、まさか、そこに、誰かがいたのだろうか。そう思うと怖い。会話には気をつけていたと思うが、何か、聞かれていたら困る。少なくとも、彼方は、大樹を口説くつもりで食事に行っていたのだから。
『そういう意味では仲が良いですけど、挙動不審の理由まではわかりませんよ』
『そうなんだ、なんか、黒田くんにしては珍しいと思って。もし、良かったら、黒田くんに声を掛けてあげて』
それだけメッセージが送られてきて、そこでチャットは途切れた。
人が見たら、仲が良いと思う。それは、嬉しい。けれど、二人の関係までは、公表はしたくない。恋愛関係という、そういう、ごちゃごちゃした関係は、手近なところに置くのは面倒ではある。
(でも、惚れちゃったのは仕方がないよね……)
彼方は横目で大樹の様子を見やりながら、出会った日のことを思い出した。
二年前の大雨の日だった。
大雨で電車は、あちこち止まっていた。彼方は、そういう事態を見越して、始発電車で出勤していたが、その時、まだ開かない会社のドアの前で、ずぶ濡れの男に会った。黒髪、黒めがね、葬式みたいな黒スーツ。背は高かったが、ひょろっとしている感じで、なんとなく『IT系の人』っぽい感じだというのが、黒田大樹の第一印象だった。
「早いんですね」
「ああ……実は、俺、今日から、この会社にお世話になることになったんですよ。それで、早く来たんですけど」
大樹は、小さくくしゃみした。
「あ、大丈夫ですか? ……タオルならあるけど」
「あ、どうも。じゃあ、ちょっと、遠慮なく借ります」
彼方は通勤用のリュックの中から、タオルを取り出す。外回り用のカバンは、会社のロッカーに常備して、通勤はリュックにしている。会社帰りにジムに寄りたい為、荷物を多く持っているので、仕方がない選択だった。
「部長が、今日新しい人が来るって言ってたの、あなたなんですね」
「えっ? じゃあ、営業部ですか?」
「はい。営業部の、清浦彼方です」
「黒田大樹です……前職が、システム系のエンジニアだったんですよ。それで、こちらの会社さんに、技術系の話が出来る営業って事で引き抜かれました」
引き抜きに合うと言うことは、相当、優秀な人材ということだ。
「エンジニアから、営業って、かなり思い切ったシフトチェンジのように思いますけど」
「そういうわけではないですよ? 結局、人同士で仕事するのは一緒ですし、お客様と交渉するのは必要ですからね。それで、営業職専門になってみるのも面白そうだと思って、こちらの会社に来たんです」
一般的に、営業職は、ノルマがあるだとか、あちこちのお客様に頭を下げて回るのが大変だとか、おだてて買わせてるとか、ネガティブなイメージで捉えている人も多い。けれど、面白がって、転職を志してくれたのなら、同職の同僚としては嬉しいかぎりだ。
時折、『僕がやりたいのはこんな仕事じゃないんだ』と言って、執務室を出て行ったきり戻らなくなる新人もいるだけに、ヤル気があって前向きな人材は、ありがたい。
「同僚ということで、よろしくお願いします!!」
「はい、こちらこそ!!」
握手を交わしながら、笑い合う。気の良い同僚が増えたことを喜んでいたのもつかの間、会社内のことを教えたり、休憩時間に雑談したり、情報交換をしたりという間に、すっかり仲良くなった。
そして、ある日、階段から、足を踏みはずして転落するという間抜けな事故を起こした。彼方の不注意から落ちたわけではなかった。階段の踊り場で、スマホを見ながらサボっていたら、足を踏み外した。自業自得だった。
そして。
階段から落ちて、身動きが取れなくなって倒れていたところに、大樹が駆けつけてきた。なあとで聞いたところに寄ると、女性が、助けを求めてやってきたと言うことだった。そして、彼方は、物語の姫君のように腕に大事に抱えられ、医務室まで運ばれた。
その時、彼方は、知ってしまった。
大樹の腕や胸が逞しいこと。
医務室のベッドの上に横たえてくれたとき。そのまま、ほんの少しだけ、こう思った。このまま、キスしてくれたら良いのに、と。その瞬間、彼方は、自分が抱いている気持ちが、恋愛感情であることを、悟ったのだった。
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