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「東久世さん、本当に辞めちゃうんですか!?」

 フロア中にこだまするような情けない声を聞いて、清浦彼方は、ハッとした。

(やば……朝までしてたから……)

 つい、疲れもあって、うとうと……し掛かったらしい。気を引き締めながらも、会話の内容は気になった。

 東久世は、彼方より八つ上の先輩で、すでに係長。出世頭の筆頭で、その上、容姿端麗、性格もすこぶる良いという、信じられないような人だった。

 ゆるいパーマの掛かった柔らかそうな髪をゆらしながら、東久世が苦笑した。彼の周りには、五人ほどの同僚たちが集まっている。みな、真剣な眼差しで彼の様子をうかがっていた。

「ごめんね、もう決めちゃって」

「……なんでですか? 東久世さん、仕事は楽しいって言ってたじゃないですか」

 小動物のような後輩が、目を潤ませながら東久世に泣きついている。それを横目で気にしながら、彼方は、考えを巡らせる。

 東久世はこの会社の出世頭。つまり、担当している顧客も、会社の最重要顧客ばかり。大口の案件なので万が一、売上げがショートした場合、会社の営業成績にも関わると言うことだ。

(ちょっとまて、それ、誰が担当するんだ……?)

 それに気がついた彼方は、たち上がって、東久世を取り囲む同僚たちに合流した。

「あれ、清浦? 清浦は、こういう話には興味はないと思ったんだけど」

 東久世が、意外そうな顔をして、彼方を見る。同僚たちも、驚いて、一斉に振り返っていた。

「ええ、まあ、大抵興味はないんですけど……そんなことより、引き継ぎの割り振りとかを考えた方が良いんじゃないかと思って。東久世さん、この辺、引き継ぎ作業の棚卸し出来てます? あと、いつまで会社にいるご予定ですか?」

 淡々と問う彼方に、「お前っ!」と先輩の西園寺が割って入る。「そういう、デリカシーのない聞き方はないだろう?」

「だって、俺ら、ここに、仕事しに来てるじゃないですか。じゃ、仕事をするだけですよ」

「お前の仕事って言うのは、こういう、嫌な言い方をすることなのか? コミュニケーションを取るのも、仕事のうちだと思っていたんだけどな」

 西園寺が、頭一つ高いところから見下してくる。この西園寺という先輩も、妙に迫力のある美形だった。それに睨まれると、さすがに、彼方も、一瞬退け腰になる。

「言い方とかじゃなくて、このままだと、辞めるのを決めてる人に、辞めないでとか無茶なことをいうだけで、話が進まないような気がしたからですよ。仕事なんですから、ここは、東久世さんからの仕事を引き継ぐのが一番です。というか、急務です。東久世さんだって、必死に開拓してきた仕事が飛んだら嫌なんじゃないですか?」

 彼方の言い方に、東久世が、小さく吹き出す。

「そうだな、実は、そうバッサリ言ってくれる方がありがたいんだ。辞めるのは確定だから。相手があることだから、中々ずらせないんだよ」

「相手?」

 訝しんでで聞き返したのは、西園寺だった。

「ああ、いってなかった? 俺ね。寿退社なんだ。あっ、結婚式とかそういうのはやらないよ」

 さらりと言われた台詞を聞いて、同僚たちの表情が凍り付いた。

「この人、かなりモテそうなんですから、結婚相手くらいいてもおかしくないんじゃないですか?」

「ちょっと清浦さん、それ本気で言ってる? もったいないでしょ? 東久世さんほどの人が、寿退社なんて……」

「そうそう。だったら、奥さんが家庭に入った方が……」

「はぁっ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった彼方に注目が集まる。

「あんたらさ、東久世さんがパートナーと話し合って出した結果なのに、何言ってるわけ? 大体、東久世さんならもったいなくて、奥さんならもったいなくないとか、めちゃくちゃ失礼じゃないですか。そんなことより、引き継ぎ、とっとと考えて下さい」

「解ったよ、清浦。俺は上期一杯、会社にいるつもりだけど、九月は殆ど有休消化するつもり。だから、実質七月八月で引き継ぎになるから、スケジュールと割り振りはこっちで考えて、皆に展開するよ。あと、清浦」

「なんですか」

「……サンキュ。助かった。みんな悪気はないのは解ってるけど、嫌な言われ方だなとは思ったから……。お前みたいなクールな感じ、ちょっと、ありがたかった」

 東久世が、にこりと微笑む。

「だからと言って、清浦、お前は、先輩に口の聞き方ってもんがあるだろう!」

 語気を荒くして西園寺が割り込むが、東久世がゆっくりと手を上げてそれを制した。

「西園寺。ここは俺に免じて引いてくれないかな。清浦の言うことも正しいし、西園寺の言うことも正しい。……正論同士がぶつかったら、良くないことになるでしょ。だから、引いてね」

「っ……」

 悔しそうに西園寺は呻いてから、「まあ、今回は、東久世さんの顔を立てますが……、お前は、もう少し態度を改めろよ」と捨て台詞のように言って、立ち去ってしまった。

 取り残された彼方も、さすがに気まずくて「すみません、ちょっと、頭冷やしてきます」と言いながら、そそくさとオフィスから出て、休憩室に向かうことにした。

「ああ、それが良いね。じゃあ、ありがとう、清浦」

 ありがとう、を連発されると、どうも、調子が狂う。

「いや、自分は、別に何も……」

 挙動不審に謙遜しながら、フロアを去るとき、黒田大樹と目が合った。

 一瞬、視線が絡んでから、パッと顔を背けて、PCに向かってしまった大樹に、少し苛立ちつつ、乱暴にエレベーターの呼び出しボタンを連打していた。





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