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しおりを挟む京の風は、三月に入ったというのに、未だに薄寒い。夜になれば、さらに一段と冷えが厳しくなって、老骨に染みる。そのせいか、咳が出て、喉の奥に端が絡みついている。それが、十日も続いて居た。
年が変わってから、風邪が長引くようになった、と老人は思った。齢七十四ならば、致し方がない事だと思う。七十四になった今現在でも、寺の警備をやって、夜は道場で剣術を教えている。老人ではあるが、六尺を超す大男で、かつては相撲取りに間違えられるほどの巨漢だった。寺の警備員を勤めるのも問題ない。ましてや、今も道場稽古をつけるほ矍鑠としているので、とても、七十四には見えなかった。
西本願寺の道場は、かつて、老人が汗を流した場所だった。
「あれから、三十年にもなるか……」と思うと、感慨も一入だが、振り返ってみれば三十年、幾多の辛苦はあったものの、案外『あっという間』だったという気持ちも強い。
明治三十三年。
戊辰戦争から、三十三年が経った。たった半年足らずしか成立しなかった、函館新政府が降伏してから、三十二年。それはつまり、老人が、腰から大小を奪われてからの年月だった。
老人は、明治新政府軍に降伏した。函館から品川に運ばれ名古屋藩のお預けとなった。謹慎三年で世の中に放り出された時、老人は、右も左も解らないほどに混乱した。世の中は、たった三年で、酷く変わっていた。
刀を差して歩く者など居なくなっていた。髷をもつものも居なくなっていた。『散髪脱刀令』というものが発布されていたらしい。それだけではない。今までから暦も変わるらしい。グレゴリウス暦が採用されるという。
仕方が無く、京に向かった。『待つ』と言った女が居たので、行ってみる事にした。待つはずもないとは思っていたが、女は待っていた。すぐに女と所帯を持って、その後は、五男一女に恵まれた。四十五になってからの子供達だった。
生活は苦しかった。榎本武揚から、新政府に出仕しないかと誘われたが、老人は固辞した。大小は奪われたが、心は武士だ。二君にまみえる事は出来ないというのが、老人の信念だった。
「島田さんの生き方が、羨ましい」と榎本武揚は言って、去っていった。
榎本武揚は、明治新政府に『必要』とされた人材だった。それゆえ、箱館戦争の後も、生かされ、明治新政府に出仕する道を選んだ。大鳥も同様である。
函館新政府の閣僚で、あの箱館戦争の時に命を落としたのは、たった一人である。
それは、老人――――島田魁の上司である、陸軍奉行並び函館市中取締裁判局頭取の土方歳三だった。
土方は、総攻撃が開始した後、無謀な行動に出た。文字通り、雨のように銃弾が降り注ぐ中を、馬で駆け抜けていった。
真っ直ぐと。ただ真っ直ぐと。美しい白い馬が、北の大地を掛けていく。
銃弾の雨、砲弾の轟きが、遠くに感じるほど、土方の掛けていく姿は美しかった。島田は、それを、見ていなければ、と思っていた。
焼き付けろ! と刮目して土方の姿を見送った。瞼に、この光景を焼き付けなければならないと思った。体中で、この空気を、この轟音を、記憶しなければならないとおもった。土方が、生き抜いた瞬間を、見届けなければならないと、島田は思った。
涙が流れた。美しすぎて涙が流れた。土方は振り返らない。一度も振り返らない。けれど、土方は、もはや解っているはずだ、と島田は思った。土方が、前を向いて駆ける事が出来るのは、新撰組の仲間達が見守っているからだと、土方は、もう知っている。
裏切った者も、死んだものも、殺した者も。生きる道を選んだ者も。みんな、土方の側に居るのだ。きっと、土方は、微笑を浮かべているのだろう、と島田は思った。
土方は暫く駆けていったが、やがて、一発の銃弾が腰を貫通した。そのまま、落馬した。おそらく、即死だった。その後、遺体は五稜郭内に埋められた。
その後、士気は著しく下がった。そして、土方の思惑通りに、降伏論に進み、降伏を受け入れる事になったのだった。
土方は、おそらく、自身の死に満足していただろうと思う。
島田が京に暮らして暫くしてから、意外な人からの連絡があった。平間だった。近藤の首は荼毘に付し、骨は骨壺に入れて鄭重に保存してあったらしく、それが送られてきた。また、土方の髪と辞世も送られてきた。
平間も、もう、長くはないと悟ったらしく、島田が生きている事を知って八方手を尽くして探したらしい。仕えていた芹沢のものならばいざ知らず、処遇に困っていたという所だろう。
島田は、ある場所に、平間から送られてきたものを埋めてきた。それは、壬生にある、芹沢たちの墓だった。誰にも知られないように、夜陰に紛れて、埋めてきた。壬生で過ごした二年間は、彼らにとって、かけがえのない時間だったに違いないと、島田は思っていたからだった。そして、平間にも、誰にも、埋めた場所は言わなかった。
島田は、道場に正座すると、瞑目した。心の中で、念仏を唱える。懐かしい日々を思いながら、念仏を唱えるのが日課だった。
「先生、また、念仏ですか」と島田の門下が声を掛けた。若々しい二十代の男は、かつての、新撰組の隊士を思い出す……が、あの頃の若者の様に、ぎらぎらとしたものは持っていなかった。
あの頃の若者は、新しい時代を拓くのだという、野心と希望に燃えていた。皆、目を、ぎらぎらと輝かせていた。今の若者には、無いものだ。
「ああ」と島田は返事をして、懐から、守り袋を取り出す。「毎日、念仏を唱える事しか出来ぬからな」
「その守り袋は……たしか、先生の尊崇する方の戒名が書かれていると聞きました」
「ああ。戒名は、会津候が付けられたというが、この戒名を知った時から、肌身離さず、持ち続けようと心に決めた」
「たしか、新撰組の副長、土方歳三殿の戒名とお聞きしましたが……」
遠慮がちに聞いてくる門下生に、島田は「そうだ」と受けてから、「函館で戦死されてから、弔いもされないままに降伏した。せめて、戒名を持って、毎日念仏を唱える事しか出来ぬ。……私は、永倉君のように、空の墓を作る様なことは出来ぬ」
明治九年の年に、永倉新八は近藤が斬首された板橋に、墓を作った。近藤・土方両名の墓だった。極楽浄土を見据えて西向きに建てられている。その側面には、新撰組で死亡した隊士の名前が彫られている。
墓碑の右側側面は、井上源三郎から始まって、戦死者名四十名。左側は、芹沢鴨から始まって、病死、変死、法度に背いて粛正されたものの名、六十四名が刻まれている。
近藤土方の墓は、会津候・松平容保に拠って揮毫されたものだった。当初、德川慶喜に揮毫を頼み、面会まで叶ったが、德川慶喜は、近藤・土方の名前を聞くなり、いきなり、突っ伏して大声を上げて泣き出してしまったという。とても、揮毫など出来ない………記号をする資格など無いと、さめざめと嘆いていたという事で、会津候・松平容保に揮毫を頼んだという経緯がある。
「……永倉君は、流山では袂を分かち、会津でも共に戦わずに、諦めて戦線をさったというのに、近藤さん、土方さんの弔いに奔走した。おそらく、永倉君にも、二人を見捨てたという負い目があったのだろう。今は、杉村義衛という名に変わって、小樽に住んでいると聞いた。旧藩が松前だったので、その縁で蝦夷地に行ったのだろう。まだ、存命で、時折、文が来る。おそらく、私の葬式にも来るだろう」
島田の言葉に、年若い門弟は「何を仰有いますか、先生」と、島田の冗談を窘めた。しかし、島田は、実に真面目な顔で言った。
「……若い君にはわからないだろうが、人は、死期をハッキリと悟る事がある。明日死ぬというまでハッキリとしたことは解らないが、近いうちに、私は死ぬだろう」
あまりに真摯に言う島田に、青年は声も出ないという様子だった。だが、視線は、島田から外さなかった。いま、島田の言葉を、聞き漏らすまいと言う、そういう視線だった。
「私は、長く生きた。妻子に恵まれ、多くの門下生を持つ事も出来た。悪くはない人生だったが、心の奥では、どこかで、若くして散っていった、土方さんや、他の隊士の事が引っかかっていた。皆の分まで生きなければならないというような、おこがましい気持ちではないつもりだったが、彼らのことが、ずっと私の引け目だった。だが、やっと、彼らの元に行く事が出来るのだ。私は、とても、安らかな気持ちだ」
島田は、瞑目した。心が、凪いだ水面のようだった。それは、どこまでも、清かに澄んでいると思った。
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